11‐1.働くカバさんです
ジャスミンさんの衝撃波をお尻で受け止めてから、わたくしは毎日、第三番隊に所属している獣医官さんの元へ通っています。
あまりの痛みに動けずにいたわたくしを心配して、レオン班長が連れてきて下さるのです。
獣医官さんに診察して頂いた所、特に骨に異常もなく、お尻も四つに割れていないので、ただの打ち身だろうとのことです。
その診断を聞いて、ほっとしました。お尻が四つに割れていなくて、本当に良かったです。
それでも、レオン班長は心配で仕方がないようです。
動きの鈍いわたくしを見て、本当にただの打ち身なのか、本当に異常はないのかと、あれこれ質問をしては、中々診断結果を信じません。どれほど獣医官さんが大丈夫だと繰り返しても、毛のない眉を一層顰め、強面に拍車を掛けていきます。
あまりにしつこかったので、きっと獣医官さんも面倒臭くなったのでしょう。最初は穏やかに接して下さっていたのですが、最後には張り付けた笑顔で、こうおっしゃいました。
「そんなに心配なら、毎日シロちゃんをここへ連れてきて下さい。経過を診て、もし異常があればすぐにお知らせしますから」
ま、そんなこたぁほぼ間違いなく起こらねぇけどな、という副音声が、わたくしにははっきりと聞こえてきました。
ですが、レオン班長は違うようです。
わたくし、もう怖くて獣医官さんのお顔が見れません。だから大丈夫だっつってんだろうが、という副音声からも必死で目を逸らしつつ、少しでも早く診察台から解放されるよう、本日も大人しく診察を受け、無事レオン班長をお見送りしました。
レオン班長のことは大好きですし、わたくしを大切にして下さって本当にありがたいのですが、この時ばかりはすぐさま離れたいと申しますか、一緒にいたくないと申しますか……いえ、嫌いではないのですよ? ないのですが、それとこれとは、ねぇ?
レオン班長がいなくなった後は、至極平和に過ごさせて頂いています。
基本的には、海上保安部に所属するカバさん用の運動場にいるのですが、時折アルジャーノンさんのお勉強のお手伝いもしています。
アルジャーノンさんは、第三番隊の獣医官さんから、動物の診察や処置について習っているようです。
特別遊撃班は、一年の大半を海上で過ごしていますので、必然的にわたくしの体調管理及び治療は、アルジャーノンさんがしなければなりません。ですがアルジャーノンさんは、獣医官ではないので、簡単な手当て以上のことは出来ないのです。なので、今回の打ち身の件もあり、教わっておこうと、そう考えられたようです。非常にありがたいですね。
わたくしの為に頑張って下さるのですから、わたくしも自分の協力出来ることは、いくらでもやりますよ。
そういうわけでして、わたくしは現在、診察台の上で、アルジャーノンさんにお尻を診られています。
『見られて』いるのではありません。『診られて』いるのです。
医官として、お仕事の一環として、わたくしが負傷したお尻の具合を確認しているのです。
若干手付きが怪しい瞬間もありますが、現行犯と断言出来る程ではありませんので、目を瞑るとしましょう。
但し、検温と注射は、その限りではございません。
全力で抵抗させて頂く所存です。
“シロ、もういいぞ。協力、感謝する”
アルジャーノンさんに撫でられると、わたくしのお仕事はほぼ終了です。
この後は、アルジャーノンさんは獣医官さんからお仕事を教わり、わたくしは、軍用カバさん達の中でも、子供のカバさんとそのお母さん達が利用する専用運動場へと、放されます。レオン班長が迎えにくるまで、こちらで自由に過ごすのです。
『あ、シロだー』
『シロちゃん、こんにちはー』
幼獣用運動場にいた子カバさん達が、わたくしの元へ近付いてきます。他にも、子犬さんや子猫さん、子兎さんなど、十数種類の動物のお子さんが声を掛けてくれました。
皆さんに挨拶を返しつつ、わたくしはまだ痛みが残るお尻を庇いながら、運動場内を歩いていきます。辺りを見回して、お目当ての相手を探しました。
『あれ? シロちゃんどうしたの? 誰か探してるの?』
『えぇ。ティファニーママさんにご挨拶をしたいのですが、どちらにいらっしゃるかご存じですか?』
『ママなら、向こうで日向ぼっこしてたよ』
『まぁ、そうですか。ありがとうございます』
教えて頂いた方向へ、ゆっくりと進みます。
すると前方に、芝生の上で寛いでいる、大きな大きなカバさんが見えてきました。
相手も、わたくしに気付いたようです。顔を持ち上げ、耳をぴるぴるっと揺らしました。
『あら、シロちゃんじゃない。いらっしゃい。よくきたわね』
大きなお口をにっこりと開き、母性溢れる眼差しでわたくしを見つめています。
わたくしも、カバさんの
『こんにちは、ティファニーママさん。本日もお邪魔しています』
『はい、こんにちは。きちんとご挨拶出来て偉いわねぇ』
うふふ、微笑むティファニーママさん。その淑女然とした仕草と気品漂う雰囲気に、わたくし、思わず感嘆の溜め息を零してしまいました。
ティファニーママさんは、こちらの第三番隊に所属するカバさん達のリーダーです。主に、海上での救助活動を担当されています。第三番隊の皆さんと協力して、遭難者などをその大きな背中に乗せ、保護するのです。
時には、救助作業中に襲ってきたシャチさんやサメさんを、仲間と共に追い払うこともあるらしく、その際は皆さんの先頭に立ち、誰よりも勇ましく戦われるそうです。
『そういう時のリーダーは、すっごく格好いいのよ』
と、出産および育児休暇中のカバさん達が、こっそり教えてくれました。
そんな格好良いティファニーママですが、普段はいたって淑やかで、のんびりとしたお方です。子供が大好きなので、お仕事がない時は、大抵こちらの幼獣用運動場にいらっしゃいます。そうして子供達と遊び、見守り、時に叱りながら、慈しんでいるのです。
わたくしのことも、大層可愛がって下さいます。別の隊の、それもティファニーママさん達のように働いているわけでも、役に立っているわけでもないわたくしを、仲間として受け入れて下さっているのです。ありがたいことですね。
『どう? お尻の怪我の具合は。良くなってる?』
『はい。先程診て頂きましたが、経過は順調なようです。このままいけば、二・三日で完治するだろうと言われました』
『まぁ、それは良かったわ。シロちゃんが回復したら、飼い主さんも喜ぶわね』
『えぇ。ついでに、獣医官さんも喜ぶと思います。わたくしの怪我が治れば、レオン班長とも会わずに済みますもの』
『うふふ、そうかもね。でも、あたし達は少し寂しくなるわ。だって治ったら、シロちゃんはもうここへはこなくなるんでしょう? うちの子達も、きっと残念がるわ』
ティファニーママさんの耳が、ほんの少しだけ項垂れます。
『あぁ、ごめんなさいね、シロちゃん。折角治るっていうのに、こんなことを言っては駄目よね』
『いいえ。そう言って頂けて光栄です。実はわたくしも、少々寂しいと思っていましたもの』
『本当?』
『えぇ。勿論ですとも』
わたくしは、にっこりと微笑みます。
『毎日はこられないかもしれませんが、それでも、必ず遊びにきますよ。本部を発つ前にもご挨拶に伺いますし、本部へ戻ってきた際は、ティファニーママさんや、仲良くなりました皆さんに、必ず顔を見せにきます。お約束しますよ』
まぁ、とティファニーママさんは、円らな目を細めました。
『嬉しいわ、シロちゃん。ありがとうね。いつでも遊びにきて頂戴。皆待ってるからね』
『はい』
わたくし達は、顔を見合わせ、笑い合いました。
すると、どこからともなく、ティファニーママさんを呼ぶ声が聞こえてきます。
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