10‐7.泣いてしまいました
「……実はこの男は、シロちゃんの飼い主なんです……とっても怖い顔をしているでしょう? この男は、見た目だけでなく、中身もそれはそれは怖いんです……」
ラナさんは、何故かおどろおどろしい声で、語り始めます。
「男は、シロちゃんのことを、これでもかと溺愛しています……なので、自分からシロちゃんを奪う者は、例え肉親だろうと、決して許しません……マフィアみたいな顔を一層怖くさせて、追い掛けてくるんです……特殊なレーダーを片手に、屋根の上を走り、それこそ、地の果てまで……」
怪談風に話されていますが、要は、わたくしが誘拐されたと勘違いしたレオン班長が、慌てて探しにきて下さった、というだけの話です。
ですがこうして聞きますと、まるで山姥が包丁片手に襲い掛かっているかのようですね。
「しかも男は、シロちゃん奪還後も、相手への恨みを忘れません……顔を合わせる度に舌打ちをし、恐ろしい形相で睨み付けてきます……」
そちらは、わたくしを無断で連れ出したマティルダお婆様を、レオン班長がしばらく無視していた時の話ですね。
一応、あの後仲直りの飲み会が行われているのですが、その辺りはラナさんから一切語られません。
というか、今気が付いたのですが。
こちらの写真は、仲直りの飲み会の翌朝に、二日酔いで苦しんでいる時のレオン班長ではありませんか。
マティルダお婆様に、
「詫びだ。たんと飲め」
とお酒を飲まされまくった挙句、
「二日酔いとは軟弱だな、レオン」
と笑いながら寝起き姿を撮影され、レオン班長は酷くご立腹でした。お蔭でわたくし、一日中熊耳を揉まれて大変だったのですから。
「さて、ジャスミン様……この男は、大切なシロちゃんを王宮へ連れていかれたら、果たしてどんな風に思うのでしょうか……? 私としては、出来れば男を刺激したくありません……ジャスミン様、どうかお願いです……この男がくる前に、アルジャーノン様とシロちゃんを、離してあげましょう。そして早くここから去りましょう……でなければ、一体どうなることやら……」
ラナさんが、嫌だなー怖いなー、とばかりに体を震わせます。顔も、大げさな程に悲しげです。それから、ちらとジャスミンさんを窺います。
成程。
つまりラナさんは、わざと怖い話をして、ジャスミンさん自ら身を引かせようとしているのですね。その為にレオン班長を使ったと、そういうわけですか。
よくよく考えなくとも、酷い妹ですね。実の兄を、まるで妖怪のように扱うだなんて。
ですが、きっとラナさんも本意ではないのだと思います。この手だけは使いたくなかった、という発言から察するに、もうこの方法しか思い付かなかったのでしょう。わたくしも、これ以上どうすることも出来ません。レオン班長には申し訳ありませんが、今回は仕方ないと諦めることにしましょう。
さてと。
では、肝心のジャスミンさんの反応はどうでしょうか。ラナさんの思惑に、上手く乗せられてくれると良いのですが、とわたくしは、ジャスミンさんを振り返ります。
想像以上に、恐怖で彩られたお顔をされていました。
小さな体を竦ませて、ぷるぷると震えています。見開いた目の縁では、込み上げた涙がどんどん膨らんでいきました。
ふにゃりと歪んだ唇の奥からは、じわじわと唸り声が聞こえてきます。
「え、嘘。ちょ、ま、待って下さい、ジャスミン様」
ラナさんの顔色が、突如変わります。
他の護衛の皆さんも、アルジャーノンさんも、慌ててジャスミンさんを宥めようと手を伸ばしました。
しかし、その手が届く前に、ジャスミンさんの瞳から、涙が零れ落ちてしまいます。
そして、大きく息を吸い込むと。
「う、うあぁぁぁぁぁーんっ!」
激しい音と強烈な風が、辺り一帯を襲いました。
あまりの勢いに、わたくしの体は、ぽーんと飛ばされてしまいます。
ラナさんも、吹っ飛んでいきました。
他の護衛さん達や、たまたま近くを通り掛かった海上保安部の隊員さん、置かれていた備品など、ありとあらゆるものが、宙を舞います。
『ふげぇっ』
不意に、わたくしの首輪が引っ張られました。強制的に反対方向へ引き寄せられます。
『はぶんっ』
なにやら固いものに、顔面からぶつかります。
一体何が、と見れば、アルジャーノンさんに抱えられていました。
アルジャーノンさんは、大丈夫か? 怪我はないか? とばかりの眼差しを、わたくしへ向けてきます。取り敢えず返事をしようとしましたが、そんなわたくしの声を、大きな泣き声がかき消します。
同時に、またしても激しい音と、強い風が、吹き荒れました。
わたくしは、勢い良く後ろへ仰け反ります。慌ててアルジャーノンさんにしがみ付けば、アルジャーノンさんもわたくしを抱き締め、倒れないようどうにか堪えました。
そうして、目線を下へ向けます。
ジャスミンさんが、アルジャーノンさんの足にくっ付いたまま、号泣していました。
甲高い声で嗚咽を吐く度、先程から何度も上がっている激しい音と凄まじい風が、ばーん、どーん、と巻き起こります。そしてその度、何かしらが弧を描いて飛んでいきました。
「あぁっ、ジャスミン様が泣かれてしまったわっ!」
「どうしましょうっ。このままでは、海上保安部の建物が壊れてしまう可能性がっ!」
「ジャスミン様ーっ! どうかお静まり下さーいっ! ほらっ、ラナも謝ってっ!」
「ごめんなさーいっ! めっちゃ反省してますから、どうか落ち着いて下さいジャスミン様ーっ!」
護衛の女性陣は、一生懸命こちらへ近付こうとします。しかし一定の場所までやってくると、ジャスミンさんの泣き声に合わせて、ばーん、どーん、と吹っ飛ばされていきました。
な、成程。これは、あれですね。
アルジャーノンさんのように、ジャスミンさんも口から衝撃波を放っているのですね。
以前聞いた話では、ドラゴン獣人さんの子供は、衝撃波の制御が上手く出来ず、特に感情が高ぶった時などは、落ち着くまで延々吐き出てしまうそうです。
恐らくジャスミンさんも、レオン班長が恐ろしすぎて泣いた結果、こうして制御が出来なくなったと、そういうことなのでしょう。
「アルジャーノン様ーっ! シロちゃーんっ! 大丈夫ですかーっ?」
少し離れた場所で、護衛の皆さんが叫んでいます。
「誠に申し訳ありませんが、今しばらくご辛抱の程をっ!
「消音器と防音盾、防音ヘルメットの準備、完了しましたっ!」
「海上保安部へ応援の要請をしましたっ! 現在、第二番隊がこちらへ向かっていますっ! 到着予定時間は、およそ三分っ!」
「周囲の人及び物の避難、終わりましたーっ! いつ突撃しても大丈夫でーすっ!」
「了解っ! じゃあラナッ! あなたが責任を持って先頭を切りなさいっ!」
「ですよねぇぇぇーっ! うわぁぁぁん分かりましたぁぁぁーっ!」
女性陣は大騒ぎしながら、取り出したものを素早く身に付けていきます。ヘルメットを被り、盾を片腕に装着すると、ラナさんを先頭にひし形の隊列を組みます。
「いい、皆。今回は、音源地にアルジャーノン様とシロちゃんがいるわ。これ以上の被害を出さないと共に、お二人が怪我をしないよう、細心の注意を払って作戦に望みましょう。では……突撃っ!」
女性陣が、足早に近付いてきました。
ジャスミンさんが泣き叫ぶ度、先頭のラナさんが仰け反ります。そんなラナさんの背中を、後ろにいる護衛さんお二人が支え、前進を続けます。
「ジャ、ジャスミン様ー。ジャスミン様、お願いですから、うおっとぉ、どうか、お、落ち着いて下さ、あぁぁぁーっ」
ラナさんが、面白い位簡単に飛んでいきました。すると、残りの護衛さん三人は素早く陣形を変え、三角の形を保ちながら、また歩を進めます。
しかし、説得の言葉を告げる度、ジャスミンさんの放つ衝撃波を受け、一人、また一人と消えていきます。
わたくしも余波を受け、ばーん、どーん、と仰け反りまくっています。お蔭で若干首が痛くなってきました。その内腰もやられてしまうかもしれません。それでも、アルジャーノンさんに抱えて頂いているので、まだマシです。
アルジャーノンさんなど、余波どころか衝撃波の端っこが直撃しています。
しかも、足にジャスミンさんがくっ付いているので、ラナさん達のように吹っ飛ばされた所で、攻撃範囲から逃れることはありません。ずーっと音源地のど真ん中です。
『う、だ、大丈夫ですか、アルジャーノンさん? 首や腰をやられてはいませんか?』
そう声を掛けますが、アルジャーノンさんからの返事はありません。している暇はないのです。わたくしが飛ばされぬよう抱えつつ、ジャスミンさんの衝撃波に堪えつつ、妹を宥めようと奮闘されているのですから。
いつもアルジャーノンさんが持ち歩いているスケッチブックは、既に衝撃波で吹き飛ばされてしまい、手元にありません。なので、余計に意志の疎通が困難となっているようです。ジャスミンさんの背中や頭を撫でながら、眼差しだけで語り掛けます。落ち着け、泣くな、と。
ですが、ジャスミンさんには全く伝わっていないよう思えて仕方ありません。なんせ大号泣していますから。視界は涙で潤み、アルジャーノンさんの表情を読み取る余裕などなさそうです。
ただただ大好きなお兄様に、必死でしがみ付いています。
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