七章

ーーーおやすみ。セツナ


ーーー行って、セツナ。・・・行ってくれ!!


ーーー好きなものはあるのか?


ーーー私は小さい頃からヒーローに憧れていた・・・


「はっ・・・!」

 ここは、どこだろう。白くて、冷たいものが降ってくる。それが私の顔に触れて、まるで、小川や宮尾がいなくなった時みたいに頬が濡れて・・・。

「そう・・・だ、宮尾・・・?」

 固い地面から上半身を起こし、周りを見渡しながら彼を探す。当然、その姿はどこにも見つからなかった。

「何、あの子・・・」

 道の途中で倒れていた私に誰も手を差し伸べることもなく、人々は忍び声で嫌悪を漏らす。どうやら、私はあれからひとりで周辺を彷徨った挙句、宮尾と待ち合わせた場所に無意識にたどり着いて倒れたらしい。

「・・・」

 来るはずもないことをわかっていながら、宮尾が車で迎えに来た時のように、私は同じ街路樹の下にぽつりと座り込んだ。

「急に雪降ってきたねー」

 前を通る人たちの会話が聞こえてくる。これが、雪というものなんだ。座ったまま上を見上げると、空は真っ暗だが、街からの明かりで無数の白い雪が私の視界を埋めるのがわかる。これが自分のせいで突然降り出したのかどうかはわからないが、周りの反応を見る限り、どうやら珍しいことのようだ。


 何分くらい、そうしていただろうか。私は、もう光らなくなった手首の機械をぼーっと眺めていた。

「ねえ、君。どうしたの?」

 私より少し年上に見える男性が、傘を差して私の前に現れた。彼は腰を少し落として、街路樹の下に座っている私の顔を不思議そうに覗き込む。

「急に降ってきて、動けなくなったのかな」

 どうして、私に構うんだろう。他の誰もが、私のことを見て見ぬふりをしたのに。私は何も言わないで、視線だけ彼に合わせた。

「・・・あれ? この前、うちの店に来た人?」

 何も言わない私に、彼はぐいっと顔を近づけて記憶を探っている。

「確か・・・ジュース一本買うだけなのに、九千円くらい出してきた・・・」

「・・・門番?」

「えっ? 門番?」

「名前、知らないから」

「あ、ああ。俺は、小川瞬(しゅん)だよ」

「・・・小川も、小川なの?」

「・・・えっ?」

 言っている意味がわからない、という顔をされた。小川が二人もいたら、区別がつかなくなるのに。

「えっと、それで・・・君は?」

「私は、セツナ」

「セツナ、ね。歳は?」

「19歳くらい」

「そっか、じゃあ俺の二つ下だね」

「・・・」

「で・・・何か、困ってる?」

「もう、どうすればいいかわからない」

 私がそう答えると、小川じゃない小川が、さっきよりも変な顔になって言葉に詰まってしまった。しばらく言葉を選んだ結果、彼は親指で後方を指差してこう言った。

「・・・とりあえず、ファミレスでも入る?」


「なんか、結果的にナンパしたみたいになっちゃったな・・・」

 小川じゃない小川が苦笑いしながら、注文した料理を頬張っている。

「ナンパって?」

「いやいや、気にしないで。・・・遠慮しないで、セツナも何か食べていいよ」

「小川じゃない小川と、同じのでいい」

「・・・小川じゃない小川って何」

 彼が口に含んだものを吹き出しそうになりながら、笑う。だって、実際そうなのに。

「だって、小川はもういるから」

「そりゃ、いるでしょ。珍しい名字でもないんだから。セツナの名字は?」

「あったけど、忘れた」

 一瞬、彼は食事の手を止めて真顔になってから、すぐに笑みを溢した。

「・・・面白いね、セツナって」

「そうなの?」

「・・・まあ、それなら俺のことは瞬って呼びなよ」

 そう言って私に微笑みかけて、また彼は料理を口に放り込んだ。

「瞬は、誰なの?」

「何それ、ざっくりしてるな」

 私はその返答に、数日前の景色をフラッシュバックさせてしまった。あの時と、同じ会話。また・・・。

「俺は、セツナがこの前来たすぐそこの店でバイトしてて、普段は音楽をやってるんだ。でも一人暮らしだから、生活費も厳しくてね」

「バイトって、門番?」

「アルバイトね。門番って言えば、門番だけど・・・」

「ごめん」

「えっ、何が?」

「私、何も知らないから」

「・・・まあ、特別な事情があるんだろ? 流石に話してれば、わかるよ」

 私は今までのことを誰かに話していいかどうかすら、よくわからなかった。白衣の人間たちに検査され続けるだけだった日々、宮尾と全てを終わらせようとした数日、結局私だけが残された今・・・。私には何の目的もない。生きる意味も、存在する理由も。用意された物語が上映され終わったのに予期せず時間だけ余ってしまったような、どうするわけでもない、ただ虚無な状態。

「セツナ?」

 瞬が黙り込んだ私のことを、心配そうに眺めている。

「なに」

「これからどうするの? ちゃんと、帰るところとか、ある?」

「帰るところ・・・」

 頭の中に、人生の大半を過ごした研究施設の部屋が思い浮かぶ。私にとって、帰るところとは、あの場所だった。きっと客観的には、それが正しいことだとは思われないだろうけど、私にはそれしかなくて、それが全てだったんだ。

「帰るところがなくなって、全部終わらせようとした。だけど、終わらなかった」

 瞬は、私がふざけた事を言っているわけではないことを理解しているようで、真剣な顔で話を聞いている。

「私は、本当に何も知らない。私にとって、リンゴが好きなことと、小川と宮尾が好きなことの違いもよくわからなかった。外に出てからは、宮尾が色々と教えてくれた。けど、宮尾が好きって言ったもの、家族との時間とか、やっぱり・・・よくわからないまま」

「・・・」

 私から目を逸らすことなく眉間にしわを寄せて、彼はほんの少しだけ、頷いた。

「それから、どうしても知りたいことがあって」

「何?」

「小川が私に、愛をくれたこと。それを、私に謝ったこと」

 瞬は、私にとっての小川が誰なのかについて触れることはせず、またさっきと同じように頷いた。

「愛って、好きと同じようなものなら、どうして小川が謝ったのか全然わからない」

「・・・勝手な想像であまり適当なことは言えないけど、まさにそれが、セツナにとってのリンゴの好きと、小川さんと宮尾さんの好きの、違いだと思うよ」

「じゃあ・・・私も小川とか宮尾に、愛をあげてたの?」

「そうかもしれないね。どうして謝ったのかは、状況がわからないから何とも言えないけど、セツナに愛をくれるような人だったんなら、セツナを苦しめたくなかったんじゃないかな」

「好きをあげるのに、苦しめるなんておかしい」

「そうだね。・・・じゃあセツナ、俺の話も少し聞いてくれないか?」

「うん」

 瞬は、ありがとうという意味でちょっぴり微笑んで、だけどとても切なそうな目をして、話を始めた。

「恋愛の話なんだけど、高校の頃から付き合ってた彼女がいてさ、一年前くらいに別れたんだ。たぶん、お互いに好きって気持ちは間違いなくて、嫌いになったからとか飽きたから別れたってわけじゃないんだ。だけど、俺もあいつも不器用で、好きってことを上手く確認し合えなかった。いつも何かを相手のためにやってると自分の中で思い込んで、本当に相手が望んでることなんか全然叶えられてなかったんだ。要するに、自分勝手ってこと。相手を想う気持ち自体は本物なんだけど、結局その行為は自分の欲望を満たすためでもあって、相手の心の中に自分の席を用意することに必死になってたんだと思う」

 話しながら真下に俯いていた瞬は、ぱっと顔を上げて私の目を見た。

「別に会おうと思えば、今でも会える。だけど、あいつの心の中にいつまでも俺が居座り続けてることって、あいつの幸せにならないんじゃないかって、思うんだ。自分勝手に愛を押し付けて、いざ目の前から居なくなってもまだ縛り続けるなんてこと、したくないからさ。もしそれが、二度と会うことができないような話なら、尚更。・・・セツナは、小川さんにはまだ会えるの?」

「もう、会えない」

「それならさ、その人がセツナを愛したことで、セツナもその人を愛したなら、二度と会えない中でずっと想い続けることになってしまうから・・・それを謝ったのかもしれないよ」

「・・・わからない。会えないからって、私にとっての好きをずっと持ってたら、ダメなの?」

「・・・っ!」

「小川も、自分の罪を軽くするためって言ってた。私にとっては、間違いだって言ってた。だけど、他に嬉しいことも何もない生活で、小川の笑顔だけは嬉しかった。小川がどういうつもりだったとしても、私にとっては嬉しかったのに、それをずっと持ってたら・・・ダメなの?」

「それは・・・」

「もし小川が悪い人間の仲間でも、小川だけが私にくれた愛が、ちゃんとあったなら・・・私は間違いだなんて思いたくない」

「だけどセツナ、そんなに悲しそうな顔で、泣いてるじゃないか」

「え・・・?」

 言われて初めて気がついたが、私の目からは涙が零れ落ちていて、その内の一滴が顎から滴り落ちた。私は慌てて顔を袖で拭って、席を立ち上がった。

「私は小川の笑顔をまた見たいし、それがもう絶対に叶わないのは悲しいけど・・・小川が私にくれた愛をなかったことにするほうが、よっぽど辛い」

「ちょ、ちょっと! どこ行くんだよ」

「瞬には関係ない。迷惑もかけられない」

「関係ないかもしれないけどさ・・・行く宛はあるのか?」

 瞬が、背中を向けて立ち去ろうとする私の腕を掴んだ。その時、私の手首に嵌められたもう光らない輪っかに彼の手が触れて、彼は一瞬戸惑うような表情をした。

「行く宛は・・・ない」

 私は、彼に掴まれた腕を強く引っ込めた。

「だったら・・・とりあえず俺の家に、泊まるか?」

 その言葉に私は驚いて、思わず振り返り彼の顔を凝視してしまう。

「そうすれば、関係なくもないだろ?」

 外の人間は、関係ない人間のことに首を突っ込まないのかと思った。だけど、瞬が他と違うのか、それとも中にはそういう人間もいるのか・・・。よくわからない。

「・・・どうして?」

 どうして、そうまでして私を助けるの、という意図は伝わったみたいだ。

「上手く言えないけど、たまたまセツナに出会って、セツナが困ってるから。それだけだよ。いちいち理由なんか、気にしてない」

 やっぱり、瞬が他の人間と少し違うのかも、と私はちょっと思った。



「人が来ると思ってなかったから、片付いてないけど。まあ、適当に過ごしてて」

 瞬が私を連れて来た部屋は、私がずっと過ごしてきた施設の部屋とも、宮尾と過ごしたビジネスホテルの部屋とも全然違う、狭くて、物がたくさんあって、独特な匂いがした。

「適当に?」

「うん。大したものもないけど・・・ゲームとかやる?」

 テレビに繋いである、見たことのない機械を瞬は指さした。

「なに、これ」

「ゲーム機。色んな種類のゲームをこれで遊べるんだよ」

「・・・ゲームってなに」

「ああ・・・えっと、こういうコントローラーを使って、画面の中のキャラを操作して遊ぶんだよ。戦ったりとか、謎を解いたりとか・・・色々あるけど」

 瞬がそのコントローラーというものを手に取って説明してくれているものの、私には言っている内容がよくわからなかった。

「やって見せて」

「いいけど、風呂に入ったりしてから、寝るまでの間だけな」

「うん」

「・・・えっと、先に入る? 風呂」


 順番に風呂に入って、二人ともまだ髪が乾いていない状態で、ベッドに並んで腰掛けている。施設で着せられていた服を今までずっと着ていたのだが、洗濯するからと言われて瞬に取られてしまったので、代わりに彼の部屋着を貸してもらった。

「ごめんな、Tシャツもズボンもぶかぶかだよな」

「別に、大丈夫」

「そっか。あれ、ドライヤー使っていいって言ったのに。まだ乾かしてないじゃん」

「使い方、よくわからない」

「そこのコンセントに挿して、スイッチ入れるだけだよ。ほら」

 瞬がドライヤーの風を私の顔に向けて放ってくるので、目をぎゅっと瞑って顔を背ける。それを見て彼はいくらか笑った後、ドライヤーを私に手渡した。

「セツナは何も知らないんだな」

「宮尾がホテルで使ってたのは、少し見たことがある」

「・・・そっか」

 それだけ言いながらどこか遠い目をした瞬は、私の方にぱっと向き直った。

「よし、じゃあ髪乾かしたら、ちょっとゲームでもして寝るか」

「うん」

 私がほとんど何も知らないこと、明らかに普通ではない服を着せられていたこと、手首にもう光らない輪っかが嵌められていること、瞬は何も聞いてこない。

「どれやる?」

「瞬がやりたいのでいい」

「わかった。じゃあ今やってるやつの続きでいっか」

 それから私にゲームのやり方を教えてくれて、しばらく二人で遊んだ後に、疲れたから寝ると言って彼は先に眠りについた。私は瞬が寝た後も、黙ってゲームをプレイしていた。まるで、今までの全てからやっと解き放たれて、何もかもを考えることなく没頭できる状況を少しでも保てるようにするかのように。それでも、どうしたって眠気はやってきて、ベッドで寝ている瞬のすぐそばに横になった。

 目を瞑ると、頭の中には宮尾の顔が浮かび上がって、東京ドームの中心で彼が私のことを見つめている情景が蘇る。氷漬けにされた彼の瞳は、私のことを慈しむようで、憐れむようで・・・とにかく、哀しかった。勝手に溢れてくる涙を拭って、私はどうにか眠気に身を委ねた。


 何かの物音がして、目を覚ました。コンコンコンと、リズムよく小刻みに音がしている。私が身体を起こして音のする方を見ると、瞬が台所で朝食を作っているようだった。

「あ、起きた? お腹すいてるなら、食べる?」

「あんまり、食べる気しない」

「そうなの? でも何か食べないと元気でないよ」

 施設にいた頃から、私は味わうという目的以外で食事を摂る必要がなかった。検査の際に照射される熱が実質食事のようなもので、それは明らかに活動に必要なエネルギーを上回っていたので、私の中に徐々に蓄積されていき飢えは感じなかった。それどころか、あの施設にいた誰もが知り得なかったほど多く蓄積されたエネルギーが、あのような大惨事を引き起こしたのだが・・・。

「じゃあ、ちょっと食べる」

「おっけ〜」

 瞬はそう言って嬉しそうに笑う。私に食べてもらえると、嬉しいのかな。不思議だ。

「そう言えば、昨日ゲームどこまで進めたの?」

「なんか、強い敵が出てきたところ」

「あ、ボス? 倒した?」

「倒した」

「やるね。結構難易度高かったでしょ」

「わからない。他のゲーム知らないから」

「セツナにとっては難しくなかったの?」

「何回か負けたけど、やり直してたら勝てた」

「そっか。初めてのゲームなのに、勝てるだけ上手いと思うよ」

「そうなのかな」

 私はそう呟きながら、真っ暗なテレビ画面を見つめる。そこには私の姿が反射して映っていて、私のことを見つめ返していた。施設では鏡を見る機会がほとんどなかったので、最近まで私は自分の見た目をそれほどよく把握していなかった。

「これって、ゲームのためだけに使うの? 宮尾といたホテルでは、色々映ってた」

「ちゃんとテレビも映るよ」

 瞬がこちらに寄ってきて、テレビに向かってボタンがたくさん付いている機械を使った。すると、テレビの画面に映像が急に映り出す。

「・・・速報でお伝えしております。新宿人体自然発火事件に、大きな進展がありました。先ほど、都内の大手製薬会社の社員により、一連の事件の原因となる実験が秘密裏に行われていたとする告発がなされました。この告発は、具体的な実験の内容を記載した資料を伴っており、警察関係者だけでなくインターネット上にも公開され、一般市民に対しても大きな混乱を呼び起こしています。また、新宿での事件以降発生したと見られている、大量殺人犯・小野雪菜を筆頭とする異能者の集団についても、この実験の影響によるものだとされており事実確認が急がれています」

 テレビを点けた瞬間に流れ出した突然のニュースに、私は呆然と立ち尽くしていた。なぜなら、小野雪菜と呼ばれ写真が映し出されている人物が、直前に真っ暗なテレビ画面に反射していた私の姿と全く変わらなかったからだ。私の理解を待つこともなく、そのままニュースは流れ続ける。

「続いてのニュースです。またしても、小野雪菜でしょうか。昨日夜、東京都文京区の東京ドーム敷地内で、成人男性一人が凍死により死亡していることが確認されました。被害者の男性は、まさに実験の告発を行った製薬会社の社員当本人である、宮尾秋彦(あきひこ)さんであることが警察の身元確認により明らかになっています。監視カメラの映像には事件当時の様子が収められており、宮尾さんが小野雪菜と見られる人物を取り押さえている状態から、逆に能力を行使され殺害されたと見られています。しかし、二人はともに製薬会社と敵対している関係にあることや、小野雪菜は神奈川県への潜伏を監視されていることなどから、犯人は別の人物である可能性もあるとして、警察は調べを進めています」

 ・・・当たり前だ、だってそれは私なんだから。小野雪菜というのが私のことじゃないなら、私と全く同じ見た目をした人がもう一人いることになる。双子とか、そういう次元の話ではない。驚くほど似ているのではなく、鏡に映った自分を見ているような、"同じ"という感覚。自然の摂理を超えたようなその存在は、言い知れない不快感や恐怖を感じさせる。

 やっと、この場には瞬もいるという事実を思い出し、何か説明しなければと後ろを振り向く。しかし、彼は驚愕したという風でもなく、かつ理解できていないという風でもない微妙な表情をしていた。

「瞬・・・」

「・・・うん」

「小野雪菜って人、知ってたの」

「まあ、ね・・・。今の日本で知らなかったのは、たぶんセツナだけだよ」

「私と、同じ見た目なことも? 同じ名前なことも?」

「最初に声をかけた時は、わかってなかった。そこまで鮮明に顔も覚えてなかったし、髪の長さも違う。名前だって聞かなきゃわからないから」

「でも、すぐにわかったってことでしょ?」

「わかったよ。だけど、セツナに話したって仕方ないと思ったんだ。自分から事情を説明して何かを頼んでくるならまだしも、本当に何も知らない様子のセツナをわざわざ困らせるような話はしたくなかった」

「・・・みんなが"雪菜"を捕まえようとして探してるんでしょ。瞬は、そうしないの?」

「だって、ただの被害者だろ?」

「でも・・・この輪っかが光らなくなってからは、能力が暴発しちゃうかもしれないんだって」

 私がそう言って、光らなくなった手首の機械を擦ると、瞬もそれをちらっと見て口を開いた。

「実を言うとさ、俺もあの時・・・新宿にいたんだ」



 同日。新宿駅南口前。

「皆さん、今日は集まっていただきありがとうございます。ご存知の通り、五日前の事件以降突如として現れた異能者らは、私たち市民の平和を脅かし、今もなおこの街のどこかで隠れ潜んでいます。今日のニュースでも報道されていましたが、事の発端は製薬会社の人体実験にあるらしいです。一部では、異能者らも被害者だと言われている。しかし、本当にそうでしょうか! またしても小野雪菜と見られる人物による殺人が、東京ドームで発生してしまいました。被害者は、勇気ある告発を行った宮尾秋彦さんです。彼は果敢にも、小野雪菜に立ち向かおうとしていたところを反撃されてしまったことが、監視カメラにも収められていました。彼は製薬会社の悪事を暴き、大量殺人犯と化した怪物を止めようとまでしてくれた! ・・・宮尾さんは、私の友人の父でした。その友人とは、小野雪菜と行動を共にしていると報道されている、宮尾涼くんです。しかし、私は断言します。宮尾涼くんは悪事に加担するような人間ではない。何か、そうせざるを得ないような状況に置かれている可能性が高いでしょう」

 僕は二日前から、インターネットを中心に異能者を排除したいという意見に賛同する人々を募った。瞬く間にその人数は膨れ上がり、今日はついに実際に新宿駅の前で集会を行うに至った。僕はその代表として、人々の前で演説を行っている。

「大切な家族が大量殺人犯のそばにいるという事実が、どれほど辛く苦しいものだったかは想像に難くありません。自らの行動が、息子を更に危険な状況に追い込む可能性だってあったでしょう。それでも正義感に基づき、行動してくださった宮尾さんには敬意を表したいと思います。・・・私の兄は、警察官でした。私は兄を、誇りに思っていました。もちろん、今でもその気持ちに変わりはありませんが・・・実を言うと、兄も小野雪菜に命を奪われたのです。渋谷のホテルでの大量殺人事件、当時特殊部隊員として小野雪菜の確保に向かった兄は、そのまま帰らぬ人となってしまいました。異能者も被害者? そんなこと、通用するはずがない。千人以上殺しているんです。しかもそれが、小野雪菜一人だけとも限らない。そんな存在が当たり前のように街に、人々に溶け込んでいて、『そんなつもりはなかったんです』なんて、通用するはずがないじゃないですか!」

 そうだ、そうだと聴衆から声が上がる。中には、かなり乱暴な言葉も飛び交っている。

「私の兄は、もう帰ってきません。永遠にです。私たちの安全を命を懸けて守ろうとしてくれた、そんな人が奪われてもまだ、『異能者も悪くはない』などと彼らを迎合することなど私には到底できません! ・・・もはや彼らを人として見るべきではありません。災害級の怪物が街に舞い降りたと考える他ない。本人らの意志など、もはや関係がない。今必要なのは、我々の身を我々で守ることなのです。奴らは、人類の敵だ!」

 歓声と拍手が沸き起こる。駅前で集会を開いているためか、警察官が規制しようと声を上げているが、あまりにも規模が大きすぎて意味をなしていない。それに、警察も個人的な感情としては我々に賛同しているはずだろう。

 こうして、異能者を排除しようとする世間の意向は見る見るうちに纏まっていくこととなり、中には、比較的弱めな能力を持つ異能者を殺害し逮捕される市民も出てくるようになるほどだった。しかし、現行の法では逮捕するしかないとしても、異能者を排除した人間を英雄視する人のほうがほとんどになるという状況にまでなっていた。


『向井くん。例の件だけど、上手くいきそうだよ。早ければ明後日には使えるかもって』

 日高さんからメッセージが届く。頼んでいた件について、話を進めてくれたようだ。

『助かるよ。僕も出来る限りのことはしてる。早く、日常を取り戻そう』

『うん・・・。でも、本当にいいの?』

 本当にいい、とは小野雪菜のことを言っているのだろうか。確かに、日高さんは大学の同級生として仲良くしていたようだから、すぐに切り替えるのが難しいのかもしれないな。

『僕ひとりの感情で、どうこうなる話じゃない。みんな、恐怖に苛まれながら生きるのは辛いんだ』

『そうだけど・・・きっと雪菜も怖がってると、思う』

 日高さんは計画を進める上で、重要なピースだ。気が変わって協力してくれなくなると困る。

『彼女はもう、いないんだよ。見た目が同じなだけだ。あの日、新宿の事件で能力を与えられてからは同じ姿をした悪魔に変わったんだ』

『私たちだって、同じ場所にいたじゃん。神様の気まぐれで、雪菜と宮尾くん、私たちの立場が決まっちゃっただけ。全く逆の立場だったかもしれないんだよ?』

『確かに、そうだね。でも現実として起きたのは、彼女に能力が与えられて、多くの人を殺すことになってしまったという事実だ』

『それが仮に私とか、向井くんだったとしても、同じことが言えるの?』

『そうなってみないとわからない。だけど、結局同じように他の誰かが止めようと立ち上がるんじゃないかな』

 視点が変われば、行動原理となる正義も変わってくるかもしれない。それは結局、独り善がりで、自分の感情を優先してもっともらしい理屈を並び立てているに過ぎない。一週間も経たない間に突如として現代日本に巻き起こった、戦争のようなものだ。

『とにかく、日高さん。小野さんのことを、もう小野さんとして見ないほうがいい。自分のためにも』

『・・・わかった』

 とにかく、二日ほど待って例の物が実戦投入さえされてしまえば、後は問題ない。日高さんが仮に小野雪菜を助けようと動いたところで、既に動き始めた駒を止めることはできないだろう。


 ただの、復讐? 確かにそうかもしれないな。



「ずっとここにいて、いいのかな」

「いや、あのアンドロイドが攻めてきた以上は警察の思惑もはっきりしたんだ。また準備を整えて攻撃してくるのも時間の問題だと思う」

 女性の見た目をしたアンドロイドが私たちを殺そうとしてきた、次の日。江の島の住民が立ち退いた民家で、涼くんが拳銃の手入れをしながら話をしている。

「どうするの?」

「考えられる選択肢は三つ。まず、可能な限り逃げ続けることだ。恐らく、移動速度の問題ではなくて、どの程度姿を隠せるかが問題になるな。その間に、向こうの考えが変わることに賭けるしかないから、あまり現実的ではないかも。次に、抵抗する意思を見せない代わりに、そっちも干渉してくるなというスタンスを取ることだ。このまま江の島に居座って、攻撃してくる度にどうにか迎撃して、諦めてもらうのを待つ。逃げるよりはマシかもしれないけど、激化していく相手の攻撃をずっと捌けるかは疑問だな。最後に、真っ向から戦うことだ。情報を見ている限りだと、俺たちと同じように排除されそうになっている能力者は、まだ相当数いるみたいだ。どうにかしてその人達と連携をとって、相手にこっちの主張も聞いてもらう。プランとしては一番まともかもしれないけど、多くの犠牲を出すことも避けられないと思う。雪菜が、人を傷付けたくないと思っているのにこれをやるのは、精神的な負担が大きいかもしれない」

 なんで、こんなに冷静に考えられるんだろう。話の内容よりも、そんなどうでもいいことがまず私の頭に浮かんだ。

「何もしないでここにいるのが楽かもしれないけど、私は良くても涼くんは毎回危険だよね」

「まあ、な。昨日も危うく死にかけたし・・・。助かったよ、庇ってくれて」

「それはいいんだけど・・・毎回そう上手くいくかわからないし、いちいちそんなリスクは負えないよね」

「それなら、逃げながら情報を集めて、仲間を増やす。それで、ある程度規模のある組織にしたところで、我々に争う意思はないと宣言するのはどう?」

「全部の選択肢の合体技だね。だけど、争う意思がないってことを信じてくれるかな。結局、そのまま放置しているのが怖くて、排除しようとしてくるかもしれない」

「こっちにその気がないと言っているのに攻撃してくるなら、仕方ないから戦うしかない」

「・・・誰も傷付かないで済む方法はないのかな」

「・・・雪菜。もう、そういう状況じゃないんだよ。向こうの気持ちだってわかる。未知の存在が自分たちの安全を脅かしているから、怖くて仕方がないんだ。だけど、俺たちが生きることを諦めなきゃいけない理由だってない。なるべく丸く収める方法を見つけたいけど、誰も傷付かないっていうのはもう、難しい相談だよ」

「そうだね・・・。だけど、涼くんは能力を持ってないから、私に協力しなければ・・・助けてもらえるかも。私さえ、私さえ・・・我慢すれば」

「雪菜! ・・・二度と、その考えは口にしないでくれ」

 涼くんが、今までに見たことのない鋭い目付きで私を睨んだ。私はそれにびくっと怯えて、とても小さく「ごめん」と溢した。

「・・・明日の朝、出発しよう。あのアンドロイドが他の能力者をどんどん排除したら、味方がそれだけ少なくなってしまう」

「う、うん。わかった」

 このような状況でもテンポよく物事を決めてくれる涼くんの存在には、本当に助けられている。もし私一人だったら、何もできないでとっくに殺されてたかもしれない。涼くんに危険な目に遭って欲しくなくて、だけど涼くんがいないと私はどうすることもできなくて、その板挟みになっている私は余計に流されるままになっていて、情けなかった。


 そうだよね、諦めたらダメだ。私は何も悪くないって、ずっと思ってきたんだ。


 生きることを諦めるなんて、周りにも、私にも、負けを認めるのと同じことだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Absolute Zero @regulusTM

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ