五章
翌日。
「番組を変更してお送りしています。東京の街に突如現れた、怪物・・・被害者の数は千人を超えています。小野雪菜とは一体、何者なのでしょうか。新宿の人体自然発火・爆発事件との関連性なども含め、専門家の方にお聞きします・・・」
兄が、死んだ。小さい頃から、兄は僕の憧れの存在だった。気が弱かった僕のことを、いつも兄は前に立って両手を広げ、守ってくれた。大人になってからもそうだ。兄は警察官として、犯罪者から僕らの安全を守り続けていたんだ。
兄を殺したのは、小野雪菜という名前の女だ。まさか、数日前に友達だと思って一緒に遊びに出かけた人間が、僕の大切な兄を奪うなんて・・・思いもしなかった。
許せない、許せない、許せない・・・。
「現場のビジネスホテル周辺にいた一般市民の方々や、出動した警察官の多くが今回の事件の被害に遭ってしまいました。特殊部隊が出動したにも関わらず、犯人を逮捕することは出来ませんでしたが、これはなぜなのでしょうか?」
「記録された映像を見る限りですね、SATは重武装で突入をしていて、最終的に犯人に対して発砲もしているんですよ。しかし犯人は、凶器を使わずに手の届かない位置からホテル内の隊員全員を殺害したことがわかっています。千人以上にも上ったホテル周辺の被害者も、このとき同時に殺害されたものと思われます。俄かに信じがたいことですが、事実として、犯人には銃火器が通用せず、彼女は近寄った人間の熱を奪うことで一方的に攻撃する能力を備えていると考えるしかありません」
「一人の人間にそのようなことが、本当に可能なのでしょうか?」
「わかりません。ただ事実として、そういったことが起きたということです。具体的にどのようなメカニズムで、あの異能を行使しているのかは今のところ不明ですが、SATですら壊滅させられたことを考えると迂闊に接近することも出来ないですよね」
「なるほど。依然として逃走を続けている犯人ですが、潜伏先で再び今回のような事件を起こす可能性も十分考えられますよね?」
「犯人と対話することが未だ叶っていませんので、どういう目的を持っているのかはわかりませんが、過去の事件は全て犯人が能動的に起こしたわけではない可能性もあります。ビジネスホテルでの事件以降、警察は犯人の居場所を常に把握していますから、付近の住民を避難させることで被害者の数を抑えることは可能でしょう」
「犯人が能動的に犯行を行っていないと言うのは・・・?」
「犯人に、殺人を犯す意図がないかもしれないということです。あくまで可能性の話ですが、自分自身でこのような異能を制御できていないのかもしれません」
くだらない。そんなこと、どうだっていいよ。今更何を言おうと、大好きだった僕の兄は帰ってきやしない。ずっと守ってくれていたんだ。彼がいた、その安心と信頼の強さが失くしてからやっとわかるなんて。
・・・兄に報いなければ。彼が守ろうとした全てを、今度は僕が。僕らの安全が脅かされるのなら、その脅威を取り除かなければいけない。騙されたんだ、相手は人間なんかじゃない。人の皮を被った、悪魔だ。
本人の意思なんて、どうだっていい。あいつは、人類の敵だ。
腹を空かせた熊が人里に降りてきたら、猟銃で殺すだろう? 我々には、その猟銃が無かっただけだ。だったらどうにかして用意するしかないんだ。僕が、兄の代わりに・・・。
「・・・犯人と行動を共にしていた、宮尾涼という人物は何者なのでしょうか?」
「彼は、犯人と同じ大学の同級生のようです。病院からビジネスホテルまで、犯人の逃走を手助けしていた疑いが持たれています」
「現場にいたということは、犯人の能力によって死亡したということですか?」
「いえ。ホテルでの事件以降も、彼は犯人と行動を共にしていることが警察によって明らかにされています。つまり、犯人の異能に影響されない人物である可能性が高いので、一連の事件と非常に関係が深い重要人物として見られています」
・・・涼、どうしたんだ。僕と涼は高校からの付き合いで、お互いをよく知っている。涼は絶対に、悪事に加担するような人間ではない。断言できる。それなのに、あいつを助けているのは・・・同情しているのか、脅されているのか、それとも涼の性格からすると・・・何かしらの責任感か? だとしたら、一体・・・。
「結局、新宿の人体自然発火・爆発事件と今回の事件に、関連性はあるのでしょうか?」
「規模は違えど、小野雪菜と非常によく似た手口の殺人事件が他に数件発生しています。調べによると、そのどれもが当初新宿に滞在していた人物によるものだとされています。このことから予想されるのは、これらの事件を起こしている犯人らの異能が、新宿の事件を原因としていることです・・・」
僕はノートパソコンの画面をぱたんと閉じて立ち上がった。悠長にしている時間はない。直接は止められなくても、やれることならいくらでもある。
部屋の机の上に置いている、僕と兄のツーショット写真を一瞥する。二人とも飛びきりの笑顔で、兄が僕の肩を抱いている。何秒かその写真を見つめてから、コートを羽織って部屋の外に出る。ドアを閉めるとき、写真の兄からの視線が断ち切られるのが、まるで別れを突きつけられるようで苦しかった。
・・・わかってるさ、あの子だって悪くはないんだろう? でも止めなきゃいけないんだ。ただでさえ多くの人が亡くなっているのに、もっと増えるのかもしれない。兄が守ろうとした街や国を、代わりに守ろうと努力しなければ彼に顔向けできない。後から法廷で誰が悪かったかなんて決めたところで、失われた人は帰ってこないんだ。
*
私は首を横に向けて、車窓から流れる景色を眺めていた。いつだったかな、昔見たことがあるような気がする景色だ。
「・・・涼くん、停めて」
運転している涼くんに声をかけて、車を停めてもらう。私は助手席のドアを開いて、外に足を出した。海の匂いがする。やはり、以前に来たことがあるのだろう。見覚えのある景色だ。
「雪菜、どうしたの?」
涼くんが車の中から私に問いかける。返答に使えるようなはっきりとした理由を持っていない私は、情緒が壊れてしまったのかもしれない。ただ、なんというか、懐かしかった。このまま行ってもキリがないというのもあるが、この都心から離れた場所で、一旦移動するのもやめて落ち着きたかった。言うまでもなく、疲弊しているのだ。
私たちは、あれから更に逃亡した。正確には、人がいない方へと離れたと表現したほうが正しいかもしれない。病院での事件まではそれを私自身でわかっていなかったが、ビジネスホテルで多くの人を殺めてしまったことは、どれほど私が恐ろしい存在に変化しているのかを私自身と世間に知らしめる結果になった。特殊部隊が突入しても私を捕まえることが出来なかったのだから、警察は二の足を踏んでいることだろう。しっかりと潔白を主張できるのなら私は自首してもいいのだが、おそらく警察署の中でまた大量に被害者を生んでしまうことになるだけだ。それを私も涼くんもわかっているから、被害者を少なくするためにもとにかく東京を離れることにした。
私を取り巻いている死の領域は、少なからず成長している。あの時、私から100メートル以上離れている人も被害に遭っていたのは間違いなく、これがどこまで広がるのか見当もつかない。毎日のように広がっていくのなら、街全体を飲み込むかもしれないし、もしかしたら国中、あるいは世界中になるかもしれない。それでも、今この瞬間にリスクを負わせる人の数を減らすためには場所を変えるしかないと私たちは判断したのだ。
「ごめんね、なんでもない。行こっか」
「行くって言っても、もう海まで来たから真っ直ぐは行けないよ」
「今どのあたりまで来たの?」
「鵠沼だから、江の島の近くだな」
そうか。江ノ電沿いのエリアには前に遊びに来たことがあるから、見たことがある景色だったんだ。正直、あれからまともに頭が働いているとは到底言えず、ただ渋谷から離れたいということ以外は特に何も考えていなかったのが本音だ。ここから東に行けばいいのか西に行けばいいのかも、よくわからない。
「雪菜、一旦休もう。あれからずっと動きっぱなしだし、少し睡眠を取ったほうがいいよ」
「うん・・・そうだね。ずっと運転してくれて、ありがとう」
ホテルでの事件の後、涼くんは放心した私を無理やり引っ張って外に出た。沢山の死体が転がっている中、車が通っている大通りの方まで抜けて、路肩に車を停めている人のそばに無言で近付いていった。何をするのかと思ったのも束の間、彼は運転手に対して拳銃を突きつけた。細かく何とやりとりをしているのかはわからなかったが、ともかく彼は冷静に車を渡すようにと要求した。運転手は私の顔を見ていたし、当然その後すぐ通報もしているだろうから、南の方へと移動していったことも警察は把握しているだろう。
印象的だったのは、あのような状況下にも関わらず非常に冷酷に車を強奪する行動を取った涼くんの表情で、怒りでもなく悲しみでもなく、淡々とすべきことをこなすことだけを考えるような真面目な顔は、並大抵の精神力から生まれるものではないと感じた。
涼くんが特殊部隊員の死体から奪った拳銃が目に入る。いくつかの弾倉も一緒に取っていたようで弾はそれなりにあるみたいだ。今後、私たちに向かってくる人が増えるとすぐに理解して備えたのだろうか。私だけならともかく、涼くんは普通の人間だから自衛のために武器を持っていることは重要かもしれない。
「それじゃあ、少しだけ寝るから。雪菜も寝ときなよ」
涼くんがそう言って、そのまま運転席で目を閉じた。冬なので当然だが、海水浴をしに来るような人は全くおらず、近くにいるのは付近に住んでいる人か、車で通過する人くらいだろう。
海が見たかった。疲れ切っているのは間違いないのだが、今この精神状態で目を瞑っても簡単に眠りに落ちる感じもせず、それに二人同時に寝てしまうのが危険なような気がして、涼くんから寝息が聞こえてくるのを確認してから私は車を出た。本当に海は停車している位置の目の前で、なんとなく今後もう海を見ることは叶わないんじゃないかという気がして、私は吸い寄せられるように砂浜へと向かっていった。
12月に海に来るような人はやはり誰もおらず、私はひとりで砂浜に腰を下ろした。寄せられる波の音と、頬を撫でる風の音がこの空間を支配している。数分そうやって水平線を眺めていた私は、いつの間にか大量の涙が自分の顔を濡らしていることに気が付いた。
自覚してもそれは一向に止まる気配がなく、段々と嗚咽に変わり、終いには大声を出して私は泣いていた。
何分、いや何時間か経っただろうか。潮風で乾かされた涙が顔に張り付いている感覚がする。私は黙って腰を上げ、近くの水道で顔を洗ってから涼くんのいる車の方へと戻った。
「あれ・・・涼くん?」
一瞬、目を疑った。車内で寝ているはずの涼くんの姿が見えない。まさか、私が離れている隙を狙って警察が来たのか・・・? なんて馬鹿なことをしてしまったんだ。自分のことばっかり考えて、ずっと助けてくれている彼の危険を少しも考慮しないなんて。せっかく洗ったばかりの目に、また涙がじわっと浮かぶ。どうしよう、彼が助けてくれるのが当然のような感覚になってきてしまっていて、いざ自分ひとりで放り出されたら、きっと私は何もできない。
「雪菜、どこに行ってたの?」
後ろから、声がした。もはやその声を聞き間違えるはずもなくて、安堵という感情がどっと心の底から溢れ出した。ぱっと振り返ると、コンビニのビニール袋を手に持った涼くんが私を見つめて立っていた。私はゴシゴシと目を擦って、涙を拭く。
「ご、ごめんね・・・ちょっと砂浜に行ってた。もう起きてたの?」
「あんまりがっつり寝てると危ないからな。少し寝てから起きた時に雪菜がいないから焦ったよ」
確かにそれは本当に申し訳ないのだが、冷静に考えると、それでもコンビニに買い物に行って帰ってきている涼くんの精神が図太すぎる。もう今となっては彼も写真で指名手配されていてもおかしくないのに、かなり堂々と行動しているのが何かおかしかった。
「ごめんね、これからは不必要に離れないほうがいいよね」
「そうだな。・・・結局、寝てないんだろ? 俺は起きてるから少し休みなよ」
「・・・ありがとう」
そう言って二人でまた車に乗り込み、私は助手席で目を閉じた。その前に彼が、買ってきた食べ物を無言で私に必要かと差し出してきたが、私が能力によって腹を空かさないことをお互いにわかっているから、私がゆっくりと首を振ると彼は無言のまま、自分でそれを食べ始めた。
その日私は、前日に奪ったエネルギーがあまりに大きかったのか、誰も傷付けることなく夜を越えることができた。本当だったら至極当然のことなのに、今の私にはそれが何よりも幸せに思えた。
*
どうしてこんなことになったんだろう・・・。私はお兄ちゃんが心配で、ただそれだけで・・・。
私が通報したことによって、警察の特殊部隊がホテルに突入することになったのは間違いない。でも、遅かれ早かれ目撃情報や監視カメラの解析などから居場所は知られたはずなんだ。それなら、警察がお兄ちゃんたちのことを見つけるのが長引くほど、お兄ちゃんは小野雪菜さんのそばにいることでリスクを負うことになったはず。だから最悪の事態になる前に、お兄ちゃんには黙っておけと言われたけど、やっぱり通報するのが最善だと思ったのに。だって、本当に全く悪くないのなら、一度逮捕されてからだってそれが証明されるのを待てばいいだけの話だ。何もいきなり死刑になったり、即射殺されたりするわけじゃない。
なのに結果は、想像できたどのシナリオよりも遥かに悪いものになった。でも、お兄ちゃんがまだ無事なだけ良かったのかな。それって私にとって、千人の人間が亡くなることよりも、兄がひとり助かることのほうがマシだったということ? もう、よくわからない。そうなることを知らずに通報したのだから、その天秤がどちらに傾くのか私の中ではっきりしたわけではないのだが、千人の犠牲者が出たことを差し引いても兄が無事だったことで安堵しているのは確かだ。自分勝手だと罵られたっていい。だって、誰だってそうでしょう?
ニュースでは、まだお兄ちゃんたちが逃走していることを報じている。結局、お父さんが人体実験のことを告発するまではどうすることもできないということか。あれからもう四日経つが、まだ進展があったという連絡は来ない。
「・・・世論調査では、指名手配犯の小野雪菜を含め、同様の事件を起こしている複数の人物らをすぐにでも排除するべきだという意見が主流になりつつあります。中には、これらの異能力者を人間であるとは認めることはできず、人権が適用されるものではないとした過激な考えを持つ人もいるようです。特に、直接被害に遭われた方々の遺族でそのような意見を持つ人が多くなる傾向が見られます」
人権が認められないって・・・流石にそれはどうかと思うけど。私はお父さんからある程度事件の原因を聞いているからそう思うだけで、何も知らない世間の人たちは未知の存在が恐ろしくて、一刻も早く社会から排除したいと思うのだろうか。少なくとも相手に攻撃的な態度が見られないなら、対話をすることくらいは必要だと思うけど、近付くだけで警察すら命を脅かされるのであれば、そうも言っていられないということか。今後、被害者の数がもっと増えたとしたら、それだけ世論は排除の方向で一致していくだろう。
・・・だけどそもそも、近寄って逮捕することもできなければ、狙撃したって無意味なら、どうやって排除するつもりなのかな。
そこまでやるかわからないけど、仮に自衛隊が戦車や攻撃ヘリを持ち出して殺そうとしても、それすら止められかねない。だとしたらもう、根本的に異能を取り除けるように治療するか、それも無理ならこちらからお願いしてどこか人のいないところに隔離するしかない。
もし地震に匹敵するエネルギーを街中で爆発されたら、文字通り東京が消し飛ぶ。そうなったら被害者数は一千万近くになってもおかしくはない。
「・・・ん?」
携帯にメールが来ている。今時メッセージアプリしかほとんど使わないから、メールアドレスに送ってくる人は限られている。つまり・・・
「お父さんからだ」
こちらから連絡しようとしても通じなかったので、向こうから連絡してきたということは進展があったということかもしれない。私は焦る想いでメールを開いた。
『遥。直接会って、話したい。今夜会えるか?』
会社に追われると危険だと言っていたし、直接話したほうが都合がいいのだろう。お父さんも、お兄ちゃんが小野雪菜さんと一緒に指名手配されていることはわかっているだろうから、私にコンタクトを取ってきたのだと思う。
『うん。どこに行けばいい?』
『19時に、水道橋駅の前に来てくれ』
『わかった』
同日夜、水道橋。
駅の前の道路でお父さんが来るのを待っていると、彼が仕事で使っている車が見えてきた。彼は私に気が付くと、私を拾ってから二人で近くの店に入ることにした。
「お父さん、今まで大丈夫だったの?」
「危険ではあったけど、どうにか身を隠してきた。それで、ついに掴んだんだ」
「人体実験の内容を?」
「ああ。遥、いいか。このUSBメモリに証拠となる資料のデータが入ってる。これをお前に渡しておく」
そう言って、お父さんはテーブルの上に一本のUSBメモリを取り出した。私が困惑していると、お父さんは指でそれを私の方にスライドさせて置いた。
「ちょっと待って、どうして私に?」
「このデータを世に公開するのを、遥に頼みたいんだ。まだお父さんには、最後にどうしてもやらないといけないことがある」
「えっと・・・公開するって、どうすればいいのか全然わかんないよ」
「お父さんの名前で出していいから。警察にデータの内容を渡すのと、インターネットに拡散させてしまえばいい。とにかく真実を世間に知らせるのが一番重要だ」
「う、うん。とりあえず、何がわかったのか詳しく教えて」
「ああ、説明するよ。やはり、前にお前たちに話したことが大抵は当たっていた。会社が保有している新宿の実験施設で、会長の孫娘を対象とした人体実験が行われていた。その目的は、人体に外部からエネルギーを伝達することだった。元々は会長が自分の娘を使って実験を行っていたようだが、不憫なことにその会長の娘は実験の初期段階での複数の薬物投与によって命を落としている。それでも諦めがつかなかった会長は、生まれたばかりの孫娘を実験に使ったんだ。会長の娘の旦那さんも、子供を作った後にすぐ事故で亡くなっていて、孫娘には両親がいない状態だったらしい。ただ実際には、施設に幽閉することがバレないように、会長は孫娘のクローンを作らせて被検体にしたみたいで、本人は養子に出されて普通に暮らしている。と言ってもクローンだからな、養子に出されたのがオリジナルかクローンかは、実際のところ会長にしかわからない」
人体実験をしている時点で創作の中の話みたいだから、今更クローン程度で驚くことでもないのだが、やはりそんなことが現実にあるのだなと、どこか引いた目線で捉えている自分がいた。
「その、人間の体にエネルギーを送るっていうのが出来たら嬉しいことでもあるの?」
「私たちのように普通に食事をすればいい立場からすれば、特に良いことがあるようにも思えないが、軍事目的や特殊な環境下で人間が無制限に活動を続けられることはメリットにはなる。倫理的な問題を除けば、それこそクローンなどを利用して兵器のように運用してしまうこともできる。生まれてすぐにそのような状態にしてしまえば、食事をすることも知らないわけだしな。それで、人間をそのような能力を得た状態に変異させる薬物を制作して、それを欲しがる相手に売ろうとしていたのが、実験の目的というわけだ」
「簡単に言っちゃえば、悪いことしてお金を稼ごうとしてたわけだね・・・」
「ああ。自分の会社が裏でそんなことをしていたなんて、情けない限りだ」
「でもお父さんはそれを暴こうとしてるんだから、すごいよ。それで、能力の内容については詳しくわかったの?」
「最初に会長が娘に薬物を投与した結果を解析して、孫娘にもそれを適用できないかと彼は考えた。研究段階だから、いきなり全人類に使えるようなものではなくて、特定の人間に作用すればまずは十分だったわけだ。その結果、概ね会長の想定通りの能力を、赤ん坊だった孫娘は手に入れた。具体的に言うと、能力者は自分を中心とした球状の範囲に”熱界”を形成する。重力や電磁気のように、接触することなく作用する力だと思えばいい。空気を介する熱伝導とは別に、熱量を漏らさない独自の経路で相手から自分へと熱エネルギーを移動させることができる」
「その熱界の中に入っちゃうと、熱を奪われて死んじゃうってこと?」
「相手が死に至るほどの熱量を吸収するかは本人の能力次第だが、そうなる場合も当然ある。それから、直接熱エネルギーを奪うだけでなく、運動エネルギーを熱に変換して吸収できることもわかっている。運動エネルギーを熱に変換というと、摩擦熱がわかりやすい例だが、熱界に侵入しようとする運動エネルギーを持った物体を瞬時に静止させて、その際に変換された熱を自身に吸収することが可能だ」
「なるほど・・・でも人間が活動するのに必要なエネルギーって、そんなに要らないよね?」
「どちらかと言うと、熱界を形成して熱を吸収するという機構そのものの維持にエネルギーを大量消費するようだ。それでも余るくらいの多くのエネルギーを吸収した場合は、体内に蓄積することができて、必要なときにそれを仕事として放出する」
「その放出っていうのが、新宿で起きた事件ってこと?」
「そうだ。熱界は、能力の使用によって次第にその範囲を拡大する。熱界が拡大されると能力者の熱容量も増加する。要するに、どんどん生命維持に必要とする熱量が増えていくわけだ。やがて熱エネルギーの過剰な吸収によって、熱暴走的に熱界が拡大され、更に多くの熱エネルギーを吸収することになってしまい、それを本人が蓄積しきれなくなってしまうことで爆発的に放出を行う可能性がある。これが新宿で起きた事件の原因で、街中で爆発した人たちも規模が小さいだけで同じことだ」
「そうなった人を、どうにかして止めたりすることはできないの?」
「この能力は本能的な自己防衛機構を備えている。自分の生命に危害を及ぼすものに対して、蓄積したエネルギーを用いてあらゆる形で迎撃する。おそらく雷に打たれても、毒やウイルスを盛られても、それによって死ぬことはない。ただし、さっきも言ったように能力を維持すること自体にエネルギーを消費するから、何らかの方法で熱源からの供給を完全に絶つことができれば、それでも熱界を形成しようとした場合最終的にエネルギーが無くなることになる。本人の内部エネルギーがゼロの状態、つまり絶対零度まで下がれば、完全に機能停止することは間違いないだろう。それは生物学的な死と同義だ」
「自分で他の人から熱を奪おうとしないようにしたりはできないの?」
「実験においても、一番の問題点はそこだった。外部からコントロールできないだけでなく、本人が自分の能力を制御できているのかわからなかったんだ」
「・・・わからなかったって?」
「完全に制御できていないなら、そうはっきり記録されるはずなんだが・・・被検体の女の子は自分が嫌がるものに対して能力を行使したり、自分が傷付けたくないものに対して能力を行使しなかったりしたと記録されている。だが明確に対象を選択しているのではなく、ほぼ無意識レベルでの選択と言っていいようだ。結局それが客観的にどのように作用しているのかはわからないから、本人のみぞ知るといった感じだな」
「じゃあ完全に熱源からの供給を絶つっていうのは、難しいの?」
「普通に考えれば・・・無理だろう」
「普通に考えれば、って?」
「・・・能力者本人が絶対に危害を加えないとわかっている誰かが、根本的に能力の行使を抑えることが可能なら、絶対零度まで下げられるかもしれない」
それからしばらく、私がどうすればいいかなどを細かく教えてもらい、店を出た。
「遥、お前に懸かっているからな。頼んだぞ」
「うん。大丈夫・・・だと思う」
「涼と雪菜を、助けてやってくれ」
報道で名前は知っているだろうけど、お父さんが雪菜と呼ぶのには少し引っかかりがあったが、私は黙って頷いた。
「お父さんも、気をつけてね」
車に乗り込むお父さんに声を掛けると、彼は少し寂しそうな顔をして片手を上げた。私の前から車が遠ざかっていくのを見届けて、私も駅の中へと入っていった。
「・・・遥、元気でな」
*
新宿の事件から、一週間。
渋谷のホテルでの事件では我々警察も多くの犠牲を払うこととなったが、ついに奴らにそのツケを払わせることができる時が来た。私の部下の多くも殉職したが、その中には人生これからというような若者だっていたんだ。
二日前に、ある企業の社員から、全ての原因となった人体実験が行われていたという告発がされた。人体実験の内容を収めた資料と共に、その情報はメディアやインターネットを通じて大きく世間に公開され、今なお大きな議論の的となっている。問題の実験に携わった人間らは全員逮捕されたが、それで全て収束したわけではない。小野雪菜を筆頭とした、事件の影響で能力を付与された”異能者”が未だ多く残っていることがわかっており、彼らにどう対応するかが社会全体としての課題となっている。
「山村警部、準備ができました。起動可能です」
「わかった」
声を掛けられ、私は例の物が用意された部屋へ向かう。そこには二人の、若い男女のような見た目をした物が立っていた。胸には大きく『警視庁』の文字が、そして腕には『日高重工』と書かれている。
「CCCA-2、アクティベート」
極低温近接戦闘アンドロイド (Cryogenic Close Combat Android)。人間の女性と見た目が変わらないそれは、虚空を見つめていたような瞳を私へと向け、口を開いた。
「管理者権限を、設定してください」
「山村一樹(かずき)、警部だ。認証しろ」
「了解。山村警部、虹彩を登録しました。認証完了」
我々には、あの日以降早急に対策をする必要があった。犯人に接近することも叶わないのであれば、逮捕や排除ができるはずもない。しかし近寄るだけで体温を奪われる普通の人間では、どうすることもできない。そこで、極低温環境下でも動作可能なアンドロイドを利用することになった。当然、一般的にはそのような高度な技術は知られていないが、国内有数の技術を有する日高重工という企業に発注をし、極秘裏にそのような戦闘用アンドロイドを二体配備した。と言っても、男性の見た目をした機体は試作機で、正式に稼働させるのはこちらの女性の見た目をした一体のみだ。
「本日、都内数カ所で異能者による殺人が確認されている。位置情報を確認次第、対応にあたれ。犯人の特徴は追って伝える」
「了解」
型番で呼べばC3A2だが、彼女、と言っていいのだろうか・・・まあ外見上は完全に人に見えるのでそう言うことにしよう。彼女は短く返事をすると部屋をそのまま出て行った。プログラムに任務遂行に必要なことは含まれているので、細かい指導は必要ない。
「警部、やはり異能者は殺すんですか」
「ほっときゃこっちが殺られるんだ。仕方ないだろう」
「せめて逮捕でも良いのでは・・・」
「忘れたのか。この前捕まえた二人、署内で更に被害者を出したんだぞ」
「そうですが・・・」
「わかってるさ。でも奴らに罪があるかどうかじゃないんだよ、我々は市民を守らなければいけないんだからな」
元々は善良な市民だったのかもしれない。それでも、今や千人を殺す怪物なのだとしたら、こちらも容赦しているわけにはいかない。いや、異能者の大半は対処できるかもしれないが、小野雪菜に関しては・・・あのアンドロイドでも止められるかどうか。
「とにかく、やってみるしかない・・・死んだあいつらの為にもな」
大切な部下たちだった。誇りのあるチームだった。それを奪ったのは、何の理由があるにせよ、小野雪菜という女だ。
「C3A2、状況を報告しろ」
「現在、品川駅高輪口前に到着。犯人の情報を要求します」
「一人目の顔写真を画像で送付する。高橋省吾、三十二歳男性、身長175cm程度。目撃情報によると、紺のジャケットに白のシャツ、黒のスキニーを着ている。まだ現場付近にいるはずだ」
「了解。捜索開始します」
C3A2を現場に向かわせてから、ものの数分で連絡が来た。ヘリコプターと変わらない速度だ。高速道路で走る車と同じかそれ以上の速さで走ることができると聞いていたが、どうやら本当のようだ。低いビルなら飛び越せるくらいの跳躍も可能なようだが、それが必要となることがあるのかは疑問だ。
C3A2の視点でリアルタイムに撮影される映像をモニターに映す。どうやら、駅の建物の上に立っているようで、地上を歩いている人々が小さく見える。だが同時に多くの人数が捉えられるほうが彼女にとっては好都合のようで、写真との照合を高速で進めている。
「目標を発見。周囲を警戒しつつ横断歩道を歩行中。命令を」
「いつ周りの人に危害を加えるかわからない。速やかに排除しろ」
「了解」
一言だけ答えた直後、彼女は地上に向けて拳銃を一発だけ発砲した。普通の人間では当たるはずもない距離だが、彼女にとっては100%に近い確率で頭部に命中する距離だろう。
「当たったか」
「否定。目標の能力により、弾丸が静止させられています。これより近接戦闘に移行します」
そう言って、彼女はそこから犯人に向かって大きく跳躍した。
C3A2には、先に使ったP226自動拳銃も装備されているが、銃火器が効かない場合が想定されるため、主武器は軍刀のような形状の刀剣である。だが装飾などは一切なく、白く着色された炭素鋼の刃は、ぱっと見たら真っ白な木刀のようにも見える。右手でP226をいつでも扱えるように、左手に刀剣を構えている。
彼女が大きな音を立てて地面に着地した。武器を持って突然空から地上に降り立ったC3A2を見て、多くの人が悲鳴を上げている。しかし彼女はそれらを一切気にする素振りも見せず、異能者を真っ直ぐに見据える。犯人も何事かと驚いた顔をしたが、構えられた武器と胸に書かれた『警視庁』の文字を見て、全て察したようだった。
犯人を中心に冷気が走る。だが、C3A2はその中へと突進していった。体表面に空気中の水分が凍りついて貼り付くが、止まることはない。やはり小野雪菜ほどの能力でなければ、このアンドロイドを無力化するチャンスはないだろう。後は一瞬だった。C3A2が左腕を振り払い、目の前に残されたのは首から上を失った犯人の身体だけだった。吹き出した血液は、あまりにも低いその場の温度に瞬時に凍結した。C3A2の立つ周りに、血の雪が降る。
「目標を排除。次の地点へ移動します」
その様子は、近くにいた多くの目撃者によって撮影、拡散された。
その日だけで、C3A2によって四人の異能者が排除された。瞬く間にその事実は世間に認知され、C3A2は異能者に唯一対抗できる手段だとして救世主のように扱われ始めた。しかしその一方で、今まで世間に散々敵視されてきた異能者を一方的に惨殺する様子は、果たしてそれが本当に正しい行いなのかという疑問も、一部に与えることとなった。
*
翌日。神奈川県藤沢市江の島。
私たちが鵠沼まで逃げてきた次の日、神奈川県警が一度アプローチを仕掛けてきて、江の島に滞在してくれと交渉があった。その時は私たちのことを逮捕することを諦めたのかとも思ったが、その後の報道で警察の動向を見る限り、準備のための時間が欲しかっただけのようだ。私たちには敵対する意思もなく、可能なら対話をすることが望みなのだが、ゆっくりと話を聞いてくれるような状況は未だ当分来なそうだ。
江の島は立ち入り禁止となり、観光客どころか住民も一時的に立ち退いているようだ。渋谷のホテルでのことを考えれば、そのうち私は江の島全体を包囲する能力を持ってもおかしくない。今や私は涼くんのことを完全に信用しきっていて、彼が公表された人体実験の資料について細かく解読しているのも任せきりにしてしまって、私は何をするでもなくヨットハーバーから海を眺めて立っていた。上空を飛んでいるカモメが鳴いているのをぼーっと聞いていたら、数羽のカモメが急に真下に落下して、海に落ちた。・・・そうか、私のせいか。たったそれだけの気持ちしか頭に浮かんでこないことが、悲しかった。
「涼くん・・・私、もう壊れちゃったのかな」
この場には自分しかいないと思って海に向かってそう呟いたのだが、後ろから返事が返ってきた。
「そんなこと、言わないでくれ。雪菜が諦めたらダメだろ」
驚いて振り返った私を、涼くんが少し怒っているような眼差しで見つめている。
「でも・・・何とも思わなくなってきちゃってるんだ、命を奪ってしまうことを」
「何とも思わないんだったら、そんなことも呟いたりしないよ」
「・・・」
返事ができないでいる私の近くまで寄ってきた涼くんは、そっと私の手を取った。
「ど、どうしたの・・・急に」
「雪菜が諦めない限りは、俺も絶対に諦めないから」
「逃げ続けることを?」
「違うよ。雪菜が人で在り続けることをだ」
「・・・何か方法があるの?」
「いや・・・でもそれを探し続けることが、諦めないってこと。父さんが告発してくれた実験の資料からも何かヒントが得られるかもしれない」
「ごめんね、全部任せちゃって。何か、わかったことあった?」
「いいんだ、今の雪菜に実験の資料なんか見せられないよ。一番気になるのは、熱界の影響を受ける相手が完全に無作為に選ばれるわけではないってことかな。実験の被検体の女の子は能力をコントロールできていなかったと記録されてるけど、本当に大切に思っている人のことは傷付けなかったらしいんだ。もし能力の行使に十分に慣れていないだけだったとしたら、最終的にコントロールできるようになる可能性もある」
「でも能力の行使に十分慣れるって・・・それだけたくさん殺さないといけないってことじゃない?」
「まあ・・・そうなるな。しかも確証はない」
「そんなことは試せないよ・・・」
だけど、地下の実験施設に幽閉されていた女の子と違って、私は結果的に尋常じゃない数の人から熱を奪ったわけで、図らずも能力の行使に慣れていっているとも考えられる。
「とにかく、希望を捨てたらダメだ。雪菜が辛いのはわかるけど、最後まで最善を尽くす行動を採り続けなければいけないんだ。人で、在りたいのなら」
空を飛ぶカモメが、一際大きく鳴き始めた。何か、近付いてくる危険を知らせるかのように。私が一番、危険な存在のはずなのに・・・。
ヨットハーバーの南側の海岸にいる私たちから見て、北側から接近してくるひとりの女性が目に入った。立ち入り禁止になっているはずなのに、誰も連れずたったひとりでこちらへ真っ直ぐ向かってくる。目を凝らせば、やっと顔が認識できるくらいの位置に彼女が寄ってきた瞬間、涼くんが大きな声で叫んだ。
「雪菜! まずいぞ、逃げろ!」
「えっ・・・?」
私がどういうことか理解する前に、涼くんが拳銃を抜いて数発発砲した。相手が誰かもわからない内から急に銃を撃つなんて驚いたが、涼くんにとってはそうではないらしい。
数発撃った中の一発が、女性の肩あたりに直撃した。私は思わず口を手で覆ってしまったが、彼女は肩を仰け反らせたものの足を止めることもなく、そのままの速度でこちらに歩いてくる。やっとはっきりと相手の姿を確認できた私は、その胸に『警視庁』という字が書かれていることに気が付き、その服装も特殊部隊の装備と同じものであることを理解した。
「くそっ、周りに被害を出さないためにここに閉じ込めたのか・・・!」
「どういうこと?!」
「相手は人間じゃない! 昨日、東京の能力者を何人も殺したアンドロイドだ!」
アンドロイド・・・? まさか普通の人間の警官じゃ対抗できないから、アンドロイドで逮捕しようとしているってこと? でも、他の能力者を何人も殺したって・・・。
「最優先目標、小野雪菜を確認。命令を」
相手が何か連絡を取っているところに、涼くんが更に数発拳銃を撃ち込む。さっきよりも近い距離なので、二、三発の弾が彼女の身体に命中するが、効果は無いように見える。
「了解。排除します」
彼女がそう言った途端、涼くんが持っているのと同じ形の拳銃を右手にすっと構え、涼くんに照準を合わせた。
「危ない!!」
私は咄嗟に涼くんに向かって飛びかかって、庇うように地面に倒れ込んだ。直後、相手から一発の弾丸が飛んできたが、ホテルの時と同じように銃弾は勢いをなくして地に落ちた。
「・・・否定。これより近接戦闘へと移行します」
私は立ち上がり、アンドロイドの顔を睨みつける。右手に拳銃を握ったまま、左手には真っ白な刀のようなものを持っている。一瞬、腰を低くしたと思った次の瞬間、音速かと思うような速さで彼女は走り出した。正確には走るというよりも、直線状に跳躍したと言ったほうが近い。私は為す術もなく、両手を顔の前に突き出してこちらへ来るのを拒むようなポーズをとっただけだったが、相手は銃弾と同じように空中で止められているようだった。そのまま接近していたら振り払っていたであろう左腕を身体の前に突き出したまま、凍りついている。だがその瞳は私を完全に捉えたままで、その殺意に思わず鳥肌が立ちそうだ。
「・・・ニトロブースト、使用」
彼女の右足の踵が少し浮き、地面から何センチか離れて爪先立ちのような状態になった。何をするのかと思った直後、彼女の足裏から凄まじい爆発が起き、立っていた場所の地面が抉れた。その衝撃に気を取られていた私は、彼女の姿を見失ってしまった。
「雪菜、上だ!」
涼くんの声で、はっと上を見る。青空と太陽の中に、小さく点のような大きさで人影が見える。今の一瞬であの高さまで跳んだのか・・・そう思うのも束の間、彼女はまた同じような爆発を空中で起こし、衝撃波を伴ってこちらへ再突撃してきた。
「うっ・・・ぁぁあああああ!!」
ホテルで大量の銃撃を受けた時と同じかそれ以上の熱量を感じる。相手は動きを止められそうになりながらも、無理にそのまま接近しようとしてくる。
その時、私は内側からほとばしる熱を放出するかのように空に向けて手を掲げた。目に見える何かが放たれたわけではないが、明らかに私から放出されたエネルギーはアンドロイドの身体を向かってきた速度と同等の勢いで吹き飛ばした。
「はぁ・・・はぁ・・・」
満足に呼吸もできずに、ふらつく足でなんとか地面に立つ。数秒経って、地面に墜落したアンドロイドも同じように立ち上がる。そして最初に対峙した時と同じように、またゆっくりとこちらに向けて歩みを進めてくる。普通に人が歩くくらいの速度であれば、銃弾を止めたようにエネルギーを奪うことが不可能なようだ。やがて海を背中にする位置までじりじりと追い詰められた私は、1メートルくらいの近さまで彼女の接近を許してしまった。
「やめて・・・」
小さく呟いた私の声は届くこともなく、彼女は反時計回りに勢いよく回転して左手に持った刃物を私の首に目がけて振り払う。しかし、私に近付くにつれて勢いを削がれた炭素鋼の刃は、私の首の皮膚にピタリとくっついて止まった。
横から、銃声が響いた。一発の銃弾がアンドロイドの側頭部に命中し、直後に数発同じように銃弾が撃ち込まれる。彼女がよろめいた隙を突いて、私は先ほどのように彼女に向けて手を突き出してエネルギーを放出した。頭にその直撃を受けたアンドロイドは、回転しながら数メートル先の地面に倒れた。
「・・・損傷軽微、任務続行可能です。・・・了解、帰投します」
おそらく、戻って来いと指示を受けたのだろう。何事もなかったのように立ち上がった彼女は、私たちの方を向いたまま後ろに跳躍して江の島から立ち去っていった。
「助かったか・・・」
涼くんが構えていた拳銃を下に降ろす。
「なんなの、あれ・・・涼くん知ってたの?」
「雪菜には言ってなかったけど、昨日から随分と話題になってたからな・・・まさか、もう俺たちを攻撃しに来るとは思わなかったが」
「でも、これってつまり・・・」
「ああ。警察の思惑はこれではっきりしたってことだな。結局失敗はしたけど、可能なんだったら俺たちのことを殺す気満々ってわけだ」
「やっぱり、警察の人もたくさん亡くなったからかな・・・」
「まあ、その可能性は高いかもしれないな。世論とは別に、警察は警察で相当怒ってそうだ」
「でも人体実験してた会社のことは告発されたのに」
「関与した人は逮捕されたけどな・・・脅威の排除という名目で、それでもやり場のない怒りを異能者に押し付けてるんだろう」
「・・・」
私だって、私だって被害者なのに。一番最初から心の底にある気持ちが、再び渦を巻く。爪が食い込むほどに握りしめた拳を、ゆっくりと開いた。
やり場のない怒り、か。きっと誰よりもそれを抱え込んでいるのは、私だと思う。
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