四章

 翌朝。ビジネスホテルの一室で、私は目を覚ました。

「涼、くん・・・?」

 部屋の中を見渡しても、彼の姿はなかった。先に起きて、外に出ているのだろう。


 あの後、涼くんは私の手を引いてその場を離れ、しばらく歩いた末にビジネスホテルへと入った。私は病室から飛び出した時に本当に何も持っていなかったので、携帯もお金もない状態だった。チェックインして部屋に入ってからも、私たちはほとんど会話をしないで朝を迎えた。はっきり言って、あの状態から簡単に眠りにつけるわけもなかったので、たぶん私がやっと寝られたのは明け方になってからで、ほんの少ししか睡眠を取れていないだろう。


 部屋にあるテレビを点けて、ニュースを確認する。私が利用できる情報源は、当分これしかない。

「ニュースをお伝えします。本日未明、東京都渋谷区内にある病院で、同じ病室に入院していた入院患者計7人が何者かによって殺害されました。また、病院の入口付近で成人男性1人が殺害されており、同一犯による犯行と見られています。被害者の死因は全員、低体温症による凍死と見られており、犯行現場は発見当時非常に低温下に置かれていたことがわかっています。なお、この病院では前日の深夜にも同様の死因で亡くなった方が複数人おり、事件との関連性が調べられています。警視庁は、犯行当時に同じ病室に入院していた小野雪菜(19)さんの姿だけが見られなかったとして、重要参考人として指名手配しています・・・」

 私はテレビ画面に映されている自分の顔を、呆然と眺めている。指名手配・・・? 映画やドラマでお馴染みの言葉を、私に対して使っている。当たり前だけど、これって全国のテレビを見ている人に伝わっているんだよね。ということは家族も、大学の友達も、昔の知り合いも・・・皆、私が大量殺人犯だと思って私の写真を眺めているんだ。


 ・・・でも、大量殺人犯なのは、事実か。


 私の目の前で命を亡くした人たちの顔が浮かぶ。私だって被害者で何の罪もないのだと、彼らにそう訴えかけようにも、私に殺された彼らはもっと何の罪もなく、恐怖していたことだろう。考えれば考えるほど、息ができなくなりそうになるくらい苦しくて、怖くて、痛い。本来私が謝る理由は在りもしないのに、ごめんなさい、ごめんなさいと、亡くなった方に心の中で叫ぶ。意識とは無関係に涙が流れ続け、身体の震えが止まらない。

 何分くらいそうしていただろうか。時間の流れを早く感じさせてくれるようなものを何も持っていない私は、ただ自分がまた他の誰かを傷付けてしまうことの可能性に怯え、ベッドの上でうずくまっていた。

 そんな中、ガチャリと音がした。私は身体をびくっと震わせて、涙を慌てて裾で拭いながら部屋の入口の方を向く。出かけていた涼くんが私の目を見て、一瞬悲しそうに目を伏せた後、手に持っているビニール袋を私に見えるように掲げた。

「もしお腹空いてたらと思って、色々買ってきた。食べたかったら、食べて。それと、どれくらいここにいるかわからないから、歯ブラシとか、一応替えの下着とか・・・」

「・・・涼くん」

 なるべく普通の話題を振ろうとしているのが解りきっているので、彼のその優しさがむしろ耐えられないほど苦しくて、途中で遮ってしまう。涼くんが手を止めて、「うん」とだけ返事をくれる。ほんの束の間の沈黙が流れて、私が口を開いた。

「涼くんは、何か知ってるの・・・?」

 私が彼にそう尋ねると、意味のない返答だとわかっていながらも誤魔化すように彼は「何かって?」と返した。私が黙って、じっと涼くんのことを見つめているのを認識した彼は、私が本気でそれを質問しているのだと理解して、ゆっくりと答えた。

「まだ、はっきりしたことは何も言えないよ」

 つまり裏返せば、確定的ではない何かを知っているが、現時点でそれを私に話すことはできないから聞いてくるなということだ。彼は何かを私に隠している。それだけは、はっきりとわかる。それでも今まで私のためにやってくれたこと全てを考えると、彼が私を裏切ることなどは到底考えられず、今は彼なりの考えが何かあるのだろうと思うことにした。

「そっか・・・」


 ホテルの部屋で、一日中ニュースを流して時間をやり過ごす。流石にずっと同じ事件のことだけを報道しているわけではなく、関係ない内容について話している間は嫌でも考え事に耽ってしまう。お父さんとお母さん、心配しているだろうな。それとも怒ってるかな。私が十人以上の人を殺した犯人として指名手配されているなんて、両親にどう思われているか考えたくもない。深優と向井くんも、驚いているだろう。まさか私の見舞いに行ったその日の夜に、私がこんな事件を起こすなんて夢にも思わなかっただろう。

「・・・速報です。先ほど、JR渋谷駅前で二十代男性と三十代女性がそれぞれ立て続けに、通行人計2人を殺害したとして現行犯逮捕されました。現場にいた複数の目撃者によりますと、容疑者らは別々の場所で苦しむような素振りを見せており、声を掛けた被害者を何らかの方法でたちまちに凍死させた模様です。警視庁の取り調べによりますと、容疑者らは容疑を否認しているとのことです。また本日未明に発生した、東京都渋谷区にある病院での大量殺人事件と同様の手口であることから、重要参考人として指名手配されている小野雪菜(19)さんと容疑者らに何らかの関係がある可能性があるとして、警察は捜査を進めています・・・」

 え・・・? 自分以外にも同じような状態の人がいたということに、驚きを隠せない。自分だけではなかったんだというこの気持ちが、安心なのか不安なのかもよくわからない。ただひとつ確かなのは、同じタイミングで同じような異能を発現した人が複数いるという事実は、それがほぼ新宿の事件によって引き起こされたことの証明になるということだ。それを涼くんに話そうと私が顔を向けた途端に、彼は難しい顔をしたまま立ち上がり、部屋のドアのドアノブに手を掛けた。

「あまり何も言わないで家から離れてると変に思われるかもしれないから、家族に連絡してくるよ」

 そう言って、そのまま彼は部屋の外に出て行った。

「う、うん。わかった・・・」

 やはり、彼が私に何かを黙っているのは間違いない。しかし流石に何を黙っているのかまではわからない。もしかしたら、彼は警察関係者なのかも。だから私を監視するために味方をするフリをして、本当は情報を流していたりして。でも、私が病院の前で人を殺めている場面を目撃していながら、そこから逃走しているのだからそれは違うか。だとすると、私のこの異能の原因について何かを知っているけど、私のためを思って黙っているのだろうか。確かに、私は真相を知ったらショックを受けるかもしれない。しかしそれでも、自分自身に起きていることが何なのかをもし彼が知っているのだとしたら、私はそれを知る必要があると感じる。自分に起きていることすら何も知らないままで、他の人の命を奪ってしまうことなどあってはならない。当然、知っていたとしても奪ってはならないのだが、真相を知るチャンスがあったのにも関わらずそれを見過ごすことだけは、一番許されない。

 やっぱり、涼くんが戻ってきたらちゃんと尋ねよう。それで知らないと言われたら、仕方がない。



「あまり何も言わないで家から離れてると変に思われるかもしれないから、家族に連絡してくるよ」

「う、うん。わかった・・・」

 雪菜の返事を背中に受けながら、部屋を出る。昨晩の事件を起こしてから、彼女は自分が多くの人を傷付けてしまうことを強く自覚し、自分自身を恐れている。俺も恐怖を感じていないと言ったら嘘になる。だが、今彼女のそばで大丈夫だと言ってあげられるのは俺しかいない。どういうわけか、俺のことを攻撃することは今のところ無いみたいで、無事でいられている。それも偶然かもしれないので、まだ何とも言えないのだが。

「もしもし」

 部屋の外で、遥に掛けた電話が繋がる。

「もしもし、お兄ちゃん?」

「ああ、今大丈夫か?」

「大丈夫だよ。昨日はどこに行ってたの?」

「それを説明しようと思って電話したんだ」

 雪菜が指名手配されている今、俺が雪菜と行動を共にしている事実は隠したほうがいいのではないかとも思ったのだが、結局このまま雪菜のことを助けようとし続けていれば、俺も同じように指名手配されるのは時間の問題だと思う。それだったら、せめて家族には最初から本当のことを話した上で、雪菜が何も悪くないということを伝えておいたほうがいいと考えた。世間の誰もが信じてくれなかったとしても、家族なら俺の言い分を信じてくれるだろう。それに、新宿の事件が起きた夜にお父さんが話していたことを遥も聞いているのだから、尚更潔白を伝えておくべきだ。

「えっと、つまりどういうこと?」

「今日ニュースで報道してる病院の事件、あれは俺と友達が新宿の事件の後に行った病院のことなんだ」

「そう言えば、私がお兄ちゃんに教えてあげた病院ってその辺だったね」

「うん。それで、驚かないで聞いて欲しいんだけど・・・指名手配されている小野雪菜って女の子が、一緒にいる友達なんだ」

「えっ・・・?!」

「今も一緒にいる。だけど、彼女は何も罪を犯していない。正確には、病院の事件は起こしているけど、この前の夜に父さんが俺たちに話してくれたように、新宿の事件の影響を受けた被害者だと思うんだ」

「それなら・・・それをしっかりと表明すれば大丈夫なんじゃない?」

「いや、今それを言ってもたぶん誰も信じてくれないだろう。せめて父さんが会社の実験のことを告発するまでは、異能のせいで勝手に人を殺めたなんて言えやしない。頭がおかしい殺人犯の戯言だと思われるだけだろう」

「まあ、確かにね・・・」

「とにかく、雪菜は被害者なんだ。それなのに意志とは無関係に他人を何人も殺してしまって、精神的に参ってきてる。今は渋谷のホテルにいるんだけど、ずっとこうしているわけにもいかない。監視カメラの映像とかから、そのうち居場所もバレるだろうな」

「どうするの?」

「とにかく父さんの調査に進展があることを期待するしかない。会社の人体実験のことが明るみに出れば、少なくとも殺人罪を問われることはなくなるだろう。あの子のせいじゃないんだから」

「う、うん。そうだね・・・。お兄ちゃんは無事なの?」

「今のところは。なぜかわからないけど、ずっと近くにいるのに俺のことは攻撃しないみたいなんだ」

「・・・でも安全の保証はないってこと?」

「まあ保証はないけど、大丈夫だって感じがするんだ」

「悪気がなくても、十人くらい殺してるんでしょ?」

「今彼女のそばで安心させてあげられる人がいなくなると、それこそ危ない感じがする。周りもどうなるかわからないし、本人も・・・。とにかく、父さんから何か連絡があったら教えてくれ。もう少しはこのホテルに居られると思うけど、追われるようになるかもしれないから、場所を変えたらまた連絡するよ」

「うん・・・気をつけてね、お兄ちゃん」

「ありがとう。念のために言っておくけど、誰かに聞かれても俺たちのことは言ったらダメだぞ」

「・・・わかってる」

「それじゃあ、またな」

 曖昧な理由で自分の命を危険に曝しているのは確かだ。遥が、顔も合わせたこともない雪菜のことよりも、俺の心配をするのは当然とも言える。だけど、彼女は苦しんでいるんだ。俺は誰の命も奪っていないし、この先もそのような不安を抱える必要はない。でも彼女は、そんなつもりもないのに大勢の命を奪ってしまって、自分自身がどうしようもなく怖いんだ。そんなに辛いことがあるか? その辛さを和らげてあげられるんだったら、俺はリスクくらい冒す。もしそばにいることが明白に危険だとわかっているなら、距離を置きつつ助けてあげられる方法を考えるが、今のところ俺のことを攻撃するようには思えないなら、彼女を近くで支えてあげたいんだ。

「一応、父さんにも電話してみるか・・・」

 ダメもとで父親にも電話してみるが、案の定電話が繋がることはなかった。向こうからこちらにコンタクトを取ろうとしてこない限り、連絡を取るのは難しいのかもしれない。頼むよ・・・なるべく早くしてくれないと、警察に見つかる危険が高まってくる。正直、ただ逮捕されるだけだったら容疑を否認していればいいが、大量殺人犯として見られている雪菜は逮捕では済まないかもしれない。最悪その場で射殺なんてことも・・・。まあとにかく、悲観的になっていても仕方がないので、それまではどうにか身を隠していよう。



 部屋に涼くんが戻ってきた。そんなに時間も経っていないので、言っていた通り電話をして帰ってきただけのようだ。

「ご家族に連絡できた?」

「うん、妹に電話してきたよ」

「・・・それだけ?」

「ん、どうして?」

 涼くんは必要以上に話を広げようとしない。私からはっきりと聞きたいことを聞かないと、彼が隠していることは引き出せないだろう。

「ねえ、涼くん。私の身体に起こってることについて、何か知ってるんじゃない?」

「・・・」

 さっきそれについては聞くなと言っただろう、と言いたげな顔で彼は無言を貫く。

「涼くんが何かを私に言わないで黙ってるのはわかるよ。だけど、それがもし私のためだと思っているなら、話してほしい。私、自分に何が起きているのかもわからないままで誰かを傷付けてしまうのは、嫌だ」

 意識的にそうしたわけではないが、涙を目に浮かべて訴えかける形になってしまった。少しずるいかもしれないけど、彼がそれで話してくれるんだったら別にいい。

「さっきも言ったけど、はっきりとわかってることはまだないんだ」

「それでもいいの。冷静に考えると、私が病院で事件を起こした時も、あらかじめそれがわかっていたみたいに病院の近くにいたのも不思議だし・・・それに、ここまでして涼くんが私のことを助けてくれる理由だってないのに・・・」

「それは、俺がそうしたいからだ。最初は成り行きだったかもしれないけど、その後は違う。もし昨日の夜に雪菜が独りだったら、他に誰も助けてあげられなかったんだ」

「つまりそれって、私がそうなるかもしれないってわかってたのが、涼くんしかいなかったからでしょ?」

「・・・そうだ。確かに、ニュースで報道されている以上のことを、俺は知ってる。でも・・・本当に雪菜は、それを聞く覚悟ができてるのか?」

「たぶん、辛いよ。それを聞くのも。でもね、私がどうしてか、何人もの人を殺してしまったという事実はもう揺るがない。どっちにしろその事実が消えないのだとしたら、何も知らないままの方が、むしろ辛い。私が悪いわけじゃないよ、決して。それでも私のせいで死んでしまった人たちに対して、私が何も知らないままでいるなんて、申し訳が立たないよ」

「・・・」

 彼は本当に話してしまっていいのかと、葛藤しているようだ。隠さなければ都合の悪いことがあるのではなくて、ただ純粋に私のためになる選択が何なのかを悩んでいるのだろう。

「だから、教えて。涼くん」

 私は彼の目の前まで近寄って、顔を覗き込んだ。それは今までのことを考えると、非常に危険な行為なのかもしれない。途端に彼の生気を奪うことになるのかもしれない。でも実際にはそうなることはなく、私と涼くんはしばらく見つめ合っていた。


「・・・大もとの原因は、俺の父親が働いてる製薬会社が引き起こした事故なんだ。新宿の地下で隠れて人体実験をしていて、その制御が出来なかったと言えばいいのかな。それ自体は、父さんが嘘をついてない限り間違いのないことだ。父さんはその人体実験のことを知らなかったけど、実験に関わっていた人から事件の後にリークを聞いて、内部告発するつもりで今調べてるんだ」

 私は涼くんが話し始めてくれたことが嬉しくて、だけど同時に話している内容が驚愕すぎて、感情がごちゃ混ぜになってしまい、上手く相槌も打てなかった。彼は私が驚いていることは承知で、返事を待たずに続きを話し出す。

「人体実験の内容については言った通り、はっきりとはまだわかってない。俺が聞いたことをそのまま伝えると、会社の会長の孫娘が被検体にされていて、人体の外部からエネルギーを奪えるようにする実験をしていたらしいんだ。どこまで出来るのかわからないけど、熱とか運動、電気・・・そういったエネルギー源から何らかの方法で、生きるために必要な生理的熱量に変換して吸収する。だから食べ物を摂取しなくても死なないし、余分なエネルギーは蓄積できるのかもしれない。実際、事故として起こったのは、被検体の女の子が蓄積したエネルギーの放出だと思う。つまり、その能力を本人がコントロールすることは出来なかったのかも・・・」

「・・・要するに、私とか新宿で爆発した人とかも、それと同じってことだよね」

「そうだと思う。被検体の女の子がエネルギーを放出した時に、その能力を付近にも伝播させた可能性があるって父さんは言ってたな。その子に遺伝情報が近い人ほど、強く影響を受けたって。能力に強弱があると考えると、新宿で爆発した人は能力を与えられた中でもそれが弱かったんだろう。被検体の女の子に比べれば、小規模な被害しか出さなかった。例えるなら、しぼんだ風船にどんどん空気を入れると最後は破裂するみたいな感じで、その風船の大きさが違うってことかな」

「待って、じゃあ新宿の事件の日を生き延びて、私みたいにこうやって隠れてる人がまだいるってことかな」

「たぶん少しはいるだろうな。さっきも、渋谷駅の前でそういう事件があったってニュースで言ってたし」

「・・・でも最後は爆発しちゃうかもしれないって、ことだよね」

 私は、いつか自分が能力によって爆発してしまうと考えると、もうそれ以上は誰かを傷付けてしまわずに済むのではないかとすら考えてしまった。当然、最終的に自分が死んでしまうという可能性はとてつもない恐怖を私に与えてはいるのだが、自分のせいで犠牲になってしまう人がそれ以上生まれないという安心感が芽生えてしまっていることは確かだった。

「そうなる可能性はあると思う。だけど、能力に適応できなかった人が爆発しただけで、蓄積できる許容量が全然違ったりとか、吸収や放出をコントロールできるようになったりとか、そもそも今後治ったりするとか、いくらでも助かる可能性もあると思う」

「そう・・・だね。まだはっきりとわからないもんね」

 涼くんは自分の親が、原因となった会社の人間であることに責任を感じているようだった。涼くんのお父さんが実験をしていたわけではないから、責任を感じる必要など全くないと思うのだが、繋がりがあるというだけで感じるものがあるのだろう。

「涼くんは、悪くないからね。涼くんのお父さんの会社が原因だとしたって、責任を感じなくていいんだよ」

「・・・雪菜がこんな目に遭う必要だって全くなかったのに、そんな優しいこと、言わないでくれよ・・・」

「だったら、責めてほしかったの?」

「責められても、文句は言えない。雪菜が一番辛いのに、俺に責任を感じなくていいなんて・・・」

「ううん。私のせいで亡くなった人の方が、もっと辛いよ。だけど、私も涼くんも悪くない。一緒だよ。だから、責めたりなんかできないよ」

 私はその言葉を言うことが、自分自身に罪がないことを無理やりにでも確認するためで、ただ自分を救おうとしているだけだということを薄々わかっていた。そうでもしないと、私を内側から塗り潰そうとする黒い感情が、やがて私の全てを呑み込んでしまうような気がして怖かった。それに呑み込まれて自暴自棄になった私は、きっと誰かを傷付けることを躊躇いもせず、本来の自分を失くすだろう。そうなってしまった私はただの、怪物だ。

「ありがとう・・・雪菜」

 結局、私もそうだからわかるんだ。理屈ではわかっていても、涼くんも私も、責任を感じざるを得ないんだ。



 同日、深夜。


「向井。緊張しているか」

「いえ、問題ありません!」

 山村(やまむら)警部に肩を叩かれて、背筋を正す。正直に言って、緊張していないわけがない。

「まあ、訓練通りにやれば大丈夫だ」

 渋谷駅付近のビジネスホテルの前で、突入を待機している。大量殺人事件の犯人と見られる人物、小野雪菜が潜伏していると通報があった。ホテルの同じ部屋に宮尾涼という男性もいるらしく、協力者である可能性がある。あらかじめホテル側と協力をして、他の利用者を避難させており、突入の合図で特殊部隊の我々が犯人を制圧することになる。

「はい」

 資料によると、相手は自分の弟と同じ年齢だ。訓練では散々、犯人に見立てた標的の頭部を射撃し続けてきたが、いざ目の前に若い女の子が標的として立っていたら、その頭部を撃ち抜けるだろうか。いや、何を言っているんだ。それをしなければならないことなど、重々承知のはずだ。

「まずは逮捕を優先しろ。相手が抵抗した場合は射殺していい」

「・・・わかりました」

 今回の事件はわからないことが多い。特にその中でも、犯人の手口が全くと言っていいほど不明だ。合計十人以上を凍死させたというのは、理解ができない。監視カメラの映像を見る限り、犯人と思われている女の子は何もしていない。だが、明らかにその子が殺しているのだ。まるで、漫画か何かから出てきたみたいな相手だ。日中、渋谷駅前で逮捕された二人も似たような事件を起こしたが、取り調べでは何もしていないの一点張りだ。

「狙撃班から合図が来たら、突入の指示を出す。準備しろ」

「はい!」

 現場本部の指揮班とは別に、自分の所属する制圧班や、別のビルの屋上で目標を見張っている狙撃班などもある。隊員の中でもかなり若い自分のことを気にかけて、指揮を執っている山村警部が声を掛けてくれていた。訓練通りの動きが通用する普通の武装犯ならむしろいいのだが、どのような方法で人の命を奪ったのかが不明な相手というのは流石に緊張する。配置的に今回の任務では突入時に自分が先頭を切ることになるので、もしかすると命の危険があるかもしれないのだ。


 やがて、突入の命令が下された。狙撃班の報告によると、我々がホテル内に入る頃には標的の二人は目を覚まして、こちらの動きに気が付いているようだ。どのような目的があるかわからないため慎重に部屋まで進むが、結局彼女らのいる部屋のフロアまでは何事もなくすんなりと突入できた。

「ゴーゴーゴー」

 制圧班の班長である警部補が合図を出す。部隊は標的の部屋の前までたどり着き、盾を構えている自分らを先頭に、壁へと張り付く。緊張が走る。技術支援班の隊員が、盗聴用の電子機器を使用してドア越しに室内の会話を拾う。

「・・・涼・・・もう逃げ場・・・ないよ・・・」

 どうやら、作戦を立てるような会話をしているわけではなく、既に警察に居場所がバレて突入されている事実に驚いているだけのようだ。どういうことだろう、多くの犠牲者を生んでいる割に、立ち振る舞いはまるでごく一般人のようだ。

 班長の合図を見て、室内に向けて自分が声を張り上げる。

「警察だ!! 小野雪菜、宮尾涼、お前たちは完全に包囲されている! ゆっくりと鍵を開けて、後ろに下がりなさい! 抵抗すれば容赦なく発砲する!」

 しばらく沈黙が流れる。やがてゆっくりと、ドアのロックが解除されて扉が少しだけ開かれる。

「ドアから離れなさい! 手を見える位置に上げて、そのまま動くな!」

 盾を構えたまま拳銃を部屋の中に向けて、ゆっくりとドアを更に開く。まず我々の目に入ったのは若い男性で、部屋の入口から数メートル先で手を上げて立っている。見たところ武器などは持っていないようだ。じりじりと距離を詰めていく間も、頭部への照準を外さない。部隊の先頭の数人が彼に触れられる距離まで接近した直後、瞬間的に彼を床に組み伏せてしまう。

「宮尾涼、確保!」

 彼の頭部に銃を突きつけたまま、隊員が叫ぶ。自分と残りの隊員はその横を抜けて部屋の奥へと入っていく。目に入ったのは、怯えるように首を振って身体を小さくしている若い女性だった。こちらが彼女に近付くと、彼女は同じだけゆっくりと後ずさり、最終的に窓際まで追いやられる。彼女が窓の方をちらりと一瞥した。まさか、飛び降りようなどとは考えていないよな。

「変な気は起こすな。そちらが抵抗しなければ、我々は危害を加えない」

 それでもただ首を横に振りながら、彼女は投降する意思を見せないでいる。もう後、2メートルか3メートルほどという距離まで我々が接近した時、彼女は口を開いた。

「むしろ・・・危ないのは、貴方たちだよ」



 何かとてつもなく嫌な予感がして、目を覚ます。事件から毎日のように、深夜に良くないことが起きているので、今日もそうなんじゃないかと不安になる。深夜とは言え、気持ちが悪いくらい静かだ・・・。

「また、寒気・・・」

 もし毎日誰かの熱を奪ってしまうのなら、今日も危ない。一番近くには涼くんがいるし、今すぐにでも離れてもらった方がいいのではないか。そんな風に考えていたら、ふと窓の外で変な気配を感じた。

「なんだろう・・・」

 ホテルの上層階なので、地上の動きは細かくはわからないが、何やら不穏な動きをしている人や車が多数いる。

「涼くん。ねえ、涼くん・・・起きて」

 ベッドで横になっている涼くんの身体を揺すって、無理に起こす。

「な、なんだ・・・何かあったのか?」

「なんか、窓の外で変な動きしてるように思えて・・・」

 変な動きってなんだ、と不思議そうにしながら涼くんが窓から地上を見下ろす。

「・・・あれって、警察じゃないか?!」

 私が「えっ?」と聞き返している間も、彼は「どうしてもう居場所がわかったんだ」とあたふたしている。どうしよう、早くここから出た方がいいのかな。

「まずいな。これはもう俺たち以外避難してて、特殊部隊が突入してくるかもしれない」

 嘘でしょ・・・と心の中で呟いた。現実に特殊部隊とかいるの? いや、いるに決まってるんだけど、それが自分のために出動しているなど、現実離れしているにも程がある。

「どうするの、涼くん・・・もう逃げ場なんてないよ」

 涼くんが焦った顔で、脱出経路を必死に目で探している。だが、それも水泡に帰す結果となった。

「警察だ!! 小野雪菜、宮尾涼、お前たちは完全に包囲されている! ゆっくりと鍵を開けて、後ろに下がりなさい! 抵抗すれば容赦なく発砲する!」

 突然の部屋の外からの大声に、身体がびくっと震える。こうなってしまっては、もうどうしようもない。涼くんと目配せをして、諦めるしかないという意思を伝える。お互いに小さく頷いてから、私が小さな声で囁いた。

「もう、開けていいよ・・・」

 それを聞いて涼くんは入口のドアの方へと近付いていき、そっとロックを解除した。そのままドアノブを傾けて、ほんの少しだけドアに隙間を作る。

「ドアから離れなさい! 手を見える位置に上げて、そのまま動くな!」

 言われた通りに涼くんは両手を顔の横まで上げて、入口から少し離れた位置に立つ。涼くんが作ったドアの隙間が、少しずつ大きく開かれていく。その先に見えたのは、映画やドラマでしか見たことがないような重武装を身にまとった警察の特殊部隊で、盾すら構えている。何十人かいるのだろうか。数を正確に数えることも不可能なくらいの人数で、もれなくこちらに銃を向けている。そんなことは見ればわかるのだが、はっきりと白い字で書かれた『POLICE』という文字が、本当に警察が私たちを捕まえに来たのだと、嫌でも理解させるようだった。

 最初に部屋に入ってきた特殊部隊の人が、涼くんに銃を向けながらゆっくりと彼に近付く。後ろには、拳銃ではなくてもう少し大きい銃を両手で構えている人が何人もいる。少しでも変な動きを見せたら、一瞬で射殺されることが簡単に予想できる光景だった。

 ついに、涼くんに密接した特殊部隊の人が、彼のことをあっという間に床に組み伏せた。涼くんも全く抵抗する意思を見せていないとは言え、戦闘のプロが何十人も目の前にいるのだと認識させられて、逃げられる望みがあるわけがないと、今更ながら感じることになった。

「宮尾涼、確保!」

 特殊部隊の誰かがそう叫んだ。それはまるで、次はお前だと宣告しているようにも感じられた。実際、間髪入れずに彼らはどんどん私の方へと歩みを進めてくる。時間を稼いだってどうなるわけでもないのに、私はやはり目の前の恐怖から逃れるかのように、奥へ奥へと後ずさってしまうのだった。背中が壁に当たる。いや、これは窓か。ちらっと外を見るが、当然窓を突き破って飛び降りられるような高さでもなく、ただぶるぶると首を横に振る。

「変な気は起こすな。そちらが抵抗しなければ、我々は危害を加えない」

 先頭で私に銃を向けている人がそう言いながら、手の届きそうな位置まで距離を詰めてくる。違う、違うの。私が恐れている、一番の恐怖は・・・。

「むしろ・・・危ないのは、貴方たちだよ」

 私の口から発せられた言葉を、特殊部隊の人はすぐには理解しなかった。明らかに追い詰められているのは私の方で、この状況から何をどう覆せば立場が逆転するというのか。当然、一瞬動きを止めた彼らは再び、私に触れられる位置へと向かいだした。


 1メートルもない。至近距離で、手が触れる・・・。


 ああ、まただ。私は直感で、理解した。もう止めることはできない。


 私から発せられた冷気は、部屋全体を包もうとしたのか、目の前の特殊部隊員を真っ先に狙ったのかはわからないが、瞬く間に彼の熱を奪った。ヘルメットのバイザーで表情は見えないが、重武装の成人男性がバタッと音を立てて床に倒れた。

「向井! 大丈夫か!!」

 後ろの隊員が大声で叫ぶ。

「お前、何をした!!!」

 今まで私に合わさっていたたくさんの照準は、ついにその役割を果たさんとする。

「・・・っ、離れて・・・」

 私が苦しさに悶えながら、やっとの想いでそれだけを口に出したが、その声は届いたのかどうかすらわからなかった。

 聞いたこともないような大きな音が、部屋に響いた。普通だったら、その音が何だったのかも理解する時間は無かっただろう。その轟音に私は瞬時に目を瞑ったが、何も変化が起きないのでゆっくりと開眼した。


 一発の銃弾が、私の目と鼻の先で、静止していた。


 時が止まったのかと思ったが、そうではなかった。ぴたりと静止していた銃弾は、私の目線の高さからぽたりと真下へと落下した。その銃弾が床に落ちた音が、その場にいた全員が驚愕により止まっていた時間を動かすための合図のようなものだった。

 直後、拳銃や自動小銃の放つ無数の銃弾が、私へと真っ直ぐに飛んできた。しかしそれらは全て私に届くこともなく、次々と空中で動きを失い一瞬静止した後に、重力によって殺された。

 私の脳がその光景を呑み込むよりも前に、今まで幾度か感じてきたものとは比べ物にならないほど猛烈な苦痛が私を支配した。

「あぁあああああああああぁっ!!!!!」

 拷問とも言えるその熱量に内側から焼かれた私は、咆哮に近い叫び声を上げた。目には見えない何かが、私を包んでいる。その範囲は今まで小さなものだったんだ。まるで悪魔のテリトリーのようなそれは、たかだか手の届くような距離から、取り返しのつかない広さにまで変貌してしまったんだ。


 私が叫び声を上げた後にその場に立っていたのは、私だけだった。何十人といた特殊部隊の人たちは一人として生き残ってはおらず、無残にも床に転がっているだけだ。見える範囲の全てが凍りつき、ホテルの部屋は大きな冷凍庫になったのも同然だった。

 何かが、高速で窓の外から接近してくる気配がした。それが窓を突き破って私へと向かってくるのと、私がそちらを振り返って形を捕捉するのは、ほとんど同時だった。先ほど見たものよりもひと回り大きい銃弾は、それが狙撃銃によって遠距離から放たれたものだということを証明しており、それすらも私を無力化するには足りないという事実を明らかにしただけだった。

「ああっ・・・ああ・・・」

 言葉を上手く話せない。ただ頭の中にあるのは、彼が無事なのかどうかということだけで、必死に目で彼を捜す。

「・・・雪菜」

 消え入るような小さい声で、私を呼ぶ声がした。折り重なるような特殊部隊員の死体に埋もれて、涼くんが這い出ようと藻掻く。

 割れた窓から、冷たい風が吹き込む。ふらふらとそちらへ近寄って、私は無意識に地上を見下ろす。どこまで及んでしまったのだろうか。叫びながら逃げ惑う人もいれば、アスファルトの上に横たわって微動だにしない人も何人も見える。

 涼くんの方を振り返り、立ち上がった彼の目を見据える。もう、偶然とは言えない。私は、彼だけは傷付けることはないんだ。


 彼は、私からすっと目を逸らして、特殊部隊員の死体からP226を拾い上げた。

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