第十話 楓ちゃん、問う
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第一話 美久さん、出現、引っ越しの日曜日の前の週の月曜の午後
第二話 美久さん、叱る、引っ越しの日曜日の前の週の月曜の夜
第三話 楓ちゃん、なじる、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の早朝
第四話 美久さん、泣く、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の午後
第五話 美久さん、蹴る、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の夜
第六話 美久さん、焦る、引っ越し数週間後のある土曜日の午後
第七話 美久さん、起きる、引っ越し数週間後のある日曜日
第八話 武くん、呟く、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の夜
第九話 楓ちゃん、話す、引っ越しの一年前
第十話 楓ちゃん、問う、引っ越しの日曜日の前日の土曜日
第十一話 美久さん、告る、引っ越しの日曜日
第十二話 楓ちゃん、認める、そして順子、引っ越しの日曜日
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火曜日の夜、美久に彼女の生まれて初めてのキスをした後、店に戻って時計を見ると十時半だった。おっと、父も母も出張中、今日もカエデは家に一人でいる。防犯上いけない。
「美久さん、みなさん、両親が出張中で妹が家に一人なんで、物騒だからぼくはこれで失礼します」と言うと、女将さんが「兵藤さん、妹さん想いなのよね。エライわね」
「兵藤さん、妹さんがいるんだ?」と節子が言う。女将さんが「田中さんのところと一緒で、父子家庭だったんだけど、再婚なさって妹さんができたのよ」と解説してくれる。やれやれ。
「あ!それって、義理の妹さん?おいくつなの?」と紗栄子が訊くので、「高校二年生です」と答えた。「キレイ?」というので、背が170センチの小顔で陸上部の選手、中高一貫の女子校で、若い頃の水川あさみに似てるかな?と説明した。
「兵藤さん、妹さんでも、義理だから、血はつながってないよね?高校二年ってわたしらとあまりかわらないじゃん?ちょっと、危ない雰囲気?」と佳子がニヤニヤして聞く。美久が「佳子、タケシさんに立ち入ったことを聞くんじゃない!アホたれ!」と言って佳子の頭をぶん殴った。北千住は、頭をぶん殴る文化なのだろうか?「痛ってぇ~、ねえさん、殴ることねえじゃねえか。ちょっと、冗談を言っただけっす」と殴られたところの髪の毛をこすりながら言った。
「妹さんだぞ!タケシさんがそんな『危ない雰囲気』なんて持たないよ!」と美久が怒鳴る。おっと、その『危ない雰囲気』でぼくはこれから引っ越しするのだけど・・・話題がおかしくなってきたので「じゃあ、ぼくは失礼しまぁ~す」と言って退出した。
店を出ようとすると、美久が「駅まで一緒に・・・」とついてきた。「美久さん、夜道は危ないよ。ああいうことがあったんだから、今日はお父さんと帰りなさい。明日も来ます。警察にいかないといけないでしょ?それで、家具の来る土曜日にまた来るから」と言って店にかえした。「お!早速振られたな、バカ娘」と美久のお父さんが言う。「このバカ親父!よけいなことを言うな!」と言い返す。「父親に向かってバカとはなんだ!バカとは!」と始まったので、ぼくは「じゃあ、また、明日」と退散した。
神泉の家にもどったのが十二時前。また、昨晩のようにカエデちゃんが大魔神のように玄関で待っていた。「カエデちゃん、玄関に住んでいるの?今日はぼく、午前様じゃないよ」と言うと、「家に高校生の女の子一人おいてまたお酒飲んでるの?昨日に続いて今日も!あのさ、お兄、不動産屋さんなんかとそう続けて飲むの?まさか、その不動産屋さんって、女性?」と詰問される。下手にウソをつくといけないので「そう、女性」と答えた。
「どういう女性の方なんですか?お兄?」と大魔神のような顔で聞くので、「不動産屋さんの娘さんで、お店のお手伝いをしている人だよ」と答えた。まさか、昨日、一目惚れされて、今日はヤンキーと乱闘して、美久にプロポーズされたとは言えないじゃないか?
昨夜と同じくまた、腕を引っ張られてダイニングに連行され、テーブルに座らされた。「ほら、お水」とカエデちゃんが水の入ったコップを差し出した。「もう、私もお酒のんじゃおうかしら」と言う。「未成年はダメでしょ」「家で飲むのに関係ないでしょ?私の勝手です!」と言って食器棚からロックグラスを二つ出した。冷凍庫を開けて氷をグラスに入れて、父の酒棚からウィスキーを持ってきた。
「カエデちゃん、ウィスキーは強いでしょ?おまけにロックで飲むつもり?」「お兄、ママはCAだから、お酒はふんだんにあるのよ、デューティーフリーのお酒が。私だって飲めます!」と言う。そうだった。カエデはお酒が強いのだ。スリーショットくらいグラスに注いでぼくにもグラスを差し出した。高校生の女の子がお酒を作って飲まされるなんて情けない。
「そう、それで不動産屋さんの娘さんと飲んだのよね?」「そうそう、彼女と”彼女のお父さんと”北千住の居酒屋で」「ふ~ん、そうなんだ」と『彼女のお父さん』を強調しても疑っている。女の勘なのか?
「その娘さん、おいくつなんですか?お兄?」
「ぼくと同じ大学の一年生」
「ちょうどいいってことですね?」
「なにがちょうどいいって?」
「お兄、一年近く、一緒に住んだから、だんだんお兄のことがわかってきたの。何か隠しているでしょ?」
「隠してませんって。何か、隠す必要がありますか?」と言うと、急に話題を転じた。カエデはフェイントをかけてくるのだ。
「その人、キレイ?」「え?・・・ええっと、そうだな、背はカエデちゃんより低いよ。160センチぐらいかな」「背丈の話じゃないんですけど。キレイ?」畳み掛けるように言われる。
「えええっと、そうだね、後藤久美子みたいかな?」「ゴクミ?」「そう、若い頃のゴクミ」「お兄、つまり、彼女は美少女タイプなのね?」「・・・まあ、美少女って言えば美少女かな・・・」「お名前は?」「お名前?」「彼女のお名前は?」「タナカミクさんだったな・・・」「どういう漢字?漢字でどう書くの?」「ええっと、美しいに久しいだったかな・・・」「お兄、彼女の情報、スラスラでますね?」「いや、自己紹介とかで説明するじゃないか?」「別に田中さんって名字だけでいいんじゃない?」「いや、向こうが説明したからさ・・・」立て板に水だよ、これじゃあ。
「やっぱり、何かある!」「何もないです!」すると、また話題を変える。
「お兄、おでこどうしたの?」「え?おでこ?」「赤剥けているんですけど?」「あ!ああ、これ。ほら、昨日説明したでしょ?中二階みたいな四畳の狭いロフトがあるって。天井が低くてぶつけたんだよ」まさか、ヤンキーに頭突きを食らわせた、なんて言えない。「バンドエイド、貼ってあげる」と今度は優しい。
カエデちゃんは立ち上がって救急箱を出してきて、絆創膏の缶を開けた。消毒薬を塗られて、おでこをフウフウされ、絆創膏を貼られた。ぼくの顔の正面にカエデちゃんの胸が。佳子の勘はするどい。『ちょっと、危ない雰囲気』は相当正しい。
カエデちゃんはウィスキーを飲み干してしまった。ぼくにも飲んでと言ってボトムズアップさせられる。やれやれ。もう開放してくれるかな?と思ったら、グラスを洗った後、「さあ、お兄、お部屋に行きましょう」と言う。「そうだね、夜、遅いから、もう寝ようか」と言うと、「今日は練習日よ」「練習日?」「そう、お兄はもう家を出てしまうから、練習しておかないと」「何を?」「キスを」「カエデちゃん、あのね・・・」
そうなのだ。去年、彼女が引っ越してきてから、時々、キスの練習相手をズルズルとさせられているのだ。こんなこと拒むとどうなるかわからない。私は性同一性障害じゃないことを確認するだけ、だから、練習、練習といいながら、カエデは絶対に本気だ。
ぼくは本気じゃないって?こんな美人とキスして体を密着させて、毎日歯磨きを一緒にして、本気にならないのはおかしいだろう?でも、キスとハグ以外はしない。暗黙の了解みたいなもの。それ以上は進まない。しかし、彼女の言う『キスの練習』はだんだんエスカレートして長くなる。「兄なんだから、問題ないわ」と彼女は言う。その論理は絶対におかしいだろ?
ぼくは一日の内にゴクミみたいな女の子の生まれて初めてのキスと、若い頃の水川あさみみたいなツンデレの高校生の義理の妹とのキスを経験した。
羨ましいって?冗談じゃない。ぼくは、物事がシンプルに進行するのが好きなのだ。昨日、一目惚れされて、今日はヤンキーと乱闘して、美少女のヤンキーの元総長にプロポーズされて初キスして、最後に美少女の義理の妹とキスするなんて複雑な日常を望んじゃいないのだ。
水曜日はカエデが学校に行った後、午前中に昨日のヤンキーの調書の件で警察に行った。幸いなことに(いや、ちょっと残念)美久は仕事が忙しそうで、ぼくはお店に顔を出して挨拶しただけ。「引っ越しの準備があるから帰ります」と彼女に言うと「帰っちゃうの・・・」と下を向いてボソッと言うので「土曜日には来るから」と言ったらうれしそうだった。土曜日は家具と家電、送っておいた荷物が来て、美久が手伝ってくれた。
分別ゴミの日の曜日などを説明してくれた。さっさと開梱して運送屋さんにダンボールを引き取ってもらった。「もたもたしていると、ダンボールをおいておかれるから、目の前で開梱して、組み立ては後、引き取ってもらうの」と美久が言う。手際いいなあ。
「明日はお店は手伝わなくていいから、わたし、来ます」と美久が地獄のラッパのようなことを宣言する。そうでしょうとも。カエデも来るんだよ、美久ちゃん。どちらかが来ない方法を考えたが、何も思いつかない。どうしよう。
「美久、明日は妹のカエデも来るんだ。ほとんど持ってきたから、服とか身の回りのものをスーツケースで持ってくるだけ。あまり荷物はないよ」と婉曲に言うが「来ます!わたし、来ます!妹さんにもお会いしたいです!ご挨拶させて下さい」と言う。まさか、将来の妻です、とか言わないよね?ぼくは美久をカエデに会わせたくない。
「わ、わかった。わかりました。え~と、カエデには、美久は不動産屋さんの娘さんで、若い頃の後藤久美子みたいな美人で、大学の一年生で、身長は160センチくらいで、という說明をしました。でも、ヤンキーの話や元総長の話やその他していません」
「え?若い頃のゴクミ?タケシさん、楓さんにそんな説明してくれたんですか?うれしい。わたし、本当にゴクミに似てる?タケシさん、そう思ってくれたの?し、幸せです」いや、あの、ゴクミに反応してほしくないんだけど。
「はい、そう思っています。ゴクミ似です。って、あのそうじゃなくって、ヤンキーの話とか元総長とか、乱闘したとか、あの、ぼくらのこととか説明してないってことで・・・」
「大丈夫です。わたしから説明させて下さい。勝手に一目惚れして、タケシさんの妻になりたいとタケシさんに告白した、と言います。ウソはいけない。楓さんにちゃんとご了解をいただかないと」
月曜日から美久を見ていて、ちょっと不思議な人と思っていたが、実に不思議な人だ。元ヤンキーの元総長で今大学一年生の不動産屋の娘ってみんなこうなのか?それとも北千住ではこうなのか?処女で男性と付き合ったことがない女の子はみんな不思議な人になってしまうのか?
美久の言葉にタジタジとなった。もう、覚悟を決めねば。どうにかなるかもしれない。ツンデレで大魔神の美女の妹が、踵落としができてヤンキーを瞬殺してしまい、すぐ顔をあかくして下を向いて、ヤンキー言葉と丁寧語が交互に出てくる美少女の美久さんとどう接するのか、なるようにしかなりません。
「わかった、美久、わかりました。明日、午前中に来るから。十時頃?連絡します」「お待ちしています。ここにいてもいいでしょ?ここで待っています」ああ、どうしよう?
こうして土曜日は過ぎていった。
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