第八話 武くん、呟く
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第一話 美久さん、出現、引っ越しの日曜日の前の週の月曜の午後
第二話 美久さん、叱る、引っ越しの日曜日の前の週の月曜の夜
第三話 楓ちゃん、なじる、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の早朝
第四話 美久さん、泣く、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の午後
第五話 美久さん、蹴る、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の夜
第六話 美久さん、焦る、引っ越し数週間後のある土曜日の午後
第七話 美久さん、起きる、引っ越し数週間後のある日曜日
第八話 武くん、呟く、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の夜
第九話 楓ちゃん、話す、引っ越しの一年前
第十話 楓ちゃん、問う、引っ越しの日曜日の前日の土曜日
第十一話 美久さん、告る、引っ越しの日曜日
第十二話 楓ちゃん、認める、そして順子、引っ越しの日曜日
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ある日の夜、ぼくはアパートでパソコンにむかっていた。ぼくの部屋は狭い。1K六畳に階段でよじ登るロフト四畳なのだからしょうがない。六畳は伸縮式テーブルと椅子を設置した。テレビを置く場所などないので、天井から床までの突っ張り棒で32インチのテレビ兼パソコン・モニターを壁掛けにしている。それに無線のHDMIの送受信機を組み合わせて、ノーパソとTVモニターのデュアルで作業している。
大学のレポートも一段落した。テレビを見ても最近の地上波って面白くないので見る気もしない。NHKの放送受信料がもったいないが、ニュースとドキュメンタリーくらいは見る。さて、何をしようか?フェイスブックもつまらない。インスタも飽きた。LINEがなんか出会いばっかりで、ちょっとつながると山程の業者メールが来る。それで、最近は「note」に創作を書いている。多少反響があって、フェイスブックみたいに今日の献立、とかの書き込みだけではないのが楽しい。う~ん、何を書くか?高校の同期の経験談とぼくの経験をミックスしたこんなのはどうかな?
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中学の頃、キスなるもののやり方がわからなかった。TVで放映されるのは軽い唇を軽くすぼめて触れ合わせるようなキスばかり。古典だけど、サウンドオブミュージックはまったく参考にならない。あれで、フォン・トラップ大佐はどうやってあれだけの子供をこさえたのだろうか?ジュリー・アンドリュースも子供が出来るんだろうか?などと思ってしまった。ローマの休日も参考にならず、せいぜい嵐が丘とか風と共に去りぬといったところ。しかし、キスシーンは1分と続くかない。あんなものなんだろうか?と頭の中は疑問符だらけであった。
実は、ぼくは小学校3年生の時にキスされたことがある。ぼくの実家の後ろに住んでいた県会議員の孫娘にだ。館知子という女の子。幼なじみだ。
彼女の家の庭の芝生で彼女とママゴトをして遊んでいた。というか、遊びにつき合わされていた。知子が周囲を見回して、誰もいないのを確かめたんだ。ぼくは「何?」と思ったら、顔を近づけてきて、唇を軽くすぼめて触れ合わせるようなキスをされた。驚愕の思いで言葉が出ず、体も動かない。で、彼女がまたキスをした。ロッテのジューシーガムの味がした。(彼女がくれたんだ。同じ味だったろうな)それで、小学3年生にして、キスして勃起してしまった。本能的に性行為に近いということが体でわかるんだな。
それ以来8年間、キスとはご無沙汰だった。2度目のキスは、キスのプロだ。商売のプロではなく、キスのプロ。フランス系アメリカ人の年上の女性。はるかに年上の女性。
ある日、ぼくは彼女の家の玄関のドアを押してみた。その家というのは、横浜の米軍居留地の家だった。玄関は鍵がかかっていた。それで、いつものように、裏庭からキッチンに入った。誰かがいる?気配がした。キッチンをとおってリビングに行く。リビングは、アメリカのホームドラマそのまま。TVが壁際においてあって、その正面にカウチがある。カウチに彼女のママが横になっていた。ふつうに横になってるんじゃなくて、ママはワンピースをたくしあげて、パンティーの中に右手を入れていた。ちょっと股を開いていて、眼をつぶり、鼻から息を深く吸い込んでは吐き、自分の性器をまさぐっている。それがとても美しくて、荘厳な光景だった。
数分間、ぼくはママが自慰しているのを茫然と見ていた。それで、何も考えなく、カウチに近寄り、ママの肩に触れた。ママが眼を開いた。彼女はいってしまっていて、その後の余韻で理性も何もなくなっていたんだろうか?トロンとした眼でぼくを見て「タケシ?」と言った。カウチの自分の横の部分をトントンと叩いてここに座れという。ぼくが座ると「タケシ、見ていたの?」と言う。「イエス、ちょっと前から・・・」「じゃあ、私のAccessoryじゃない?」「Accessory?」「Crime caseで、一緒にしちゃうことよ」「共犯?」「え?」「なんでもない、日本語です」「じゃあ、本当に私のAccessoryにならないとね・・・」「え?」
この時初めて、キスというのは唇と唇を触れ合わせるだけではなくて、首筋にも、頬にも、体中のあちこちにするもんだということがわかった。口先だけでもいけない。腰が引けてしまう。キスは、胸と腰を引きつけて、全身で表現する。顔も角度はお互いが45度。鼻をかわして、唇の周縁がすべて相手と密着するようにして、舌を相手とワルツを踊るようにかわす。口と口でも、軽く強く、舌を吸い合い、絡ませ、噛み合い、吸い合うということを学習した。奥が深い。そして、また八年間のように勃起してしまった。
どう歯と歯がぶつかり合わないかも学習した。最初は怒られた。ぼくの歯がガチガチと相手に歯に当たった。そりゃあ、17才なんだから落ち着けと言うのが無理というもの。とにかく、フォン・トラップ大佐とジュリー・アンドリュースの状態から卒業できたわけだ。『サウンドオブミュージック』から一気に『チャタレイ夫人の恋人』まで昇格した。やれやれ。
でも、最後の一線は彼女とはなし。ぼくは童貞のままだった。最後の一線手前まではなんどもいったけど、彼女は彼女相手にぼくの童貞を捨てることは許さなかった。だって、彼女はぼくのガールフレンドのママなのだから。彼女は、ママと私が彼女のいないときに、ときどきしているのをアメリカに帰国するまで知らなかったし、今でも知らない。まあ、土足でズカズカと他人の家にはいると、こういうことになってしまうんだけどね。
で、大学生になった。一応キスは専門家となったが、困ったことに相手構わず奥義を開陳するわけにもいかない。軽いつき合いでは、軽い唇を軽くすぼめて触れ合わせるようなキスばかり。相手はこれで満足してしまうことも多い。日本人、キスがあまり好きじゃないようだ。
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なかなかエッチだ。カエデや美久に見られたら怒られる。だから、「note」は偽名。巧妙だ。
最近はいろいろあったなあ、と思い出す。一人暮らしを初めて、美久に出会って、喧嘩までして。美久に「結婚してください」なんて言われて。あ~、恥ずかしい。「結婚してください」って言われた後も驚いたよなあ。美久のお父さんが出てくるんだもの。
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美久さんがぼくに向き直って「ありがとうございました」とお辞儀をする。「なんてことはないですよ、美久さん。南禅さんと羽生さんも駆けつけてくれたし、どっちにしても勝てた喧嘩です」
「いいえ、タケシさんがやってくれなかったら、私、やられていたかもしれない・・・」また、美久さんが涙目になった。
「タケシさん」涙目で湿った声で美久さんがぼくの眼を見た。「はい」とぼくが答えると、美久さんが、「わ、私と、け、結婚してください!」と言った。
女将さんも三人組も自衛隊組も振り返って目を見開いてぼくらを見た。
「え?」なんだ?どうしたのだ?ぼくは言葉もなかった。
調理場から女将さんが出てきて、立っている美久さんの前に出た。「美久ちゃん、兵藤さんを困らせちゃダメ。昨日、今日、会ったばかりじゃない?急に結婚とか言われて兵藤さんも困っているでしょ?」と美久さんの頭を抱いて優しく言った。
しかし、美久さんは女将さんを突き放して言った。「姐さん、姐さん、私はダメな女だよ。後輩も守れない。弱いんだ。紗栄子が輪姦されたときも・・・」
「あねさん、過ぎたことっす・・・」と紗栄子が言う。
「バカヤロウ、過ぎないよ。おまえは輪姦されて処女犯されていまだに悪夢を見るだろう?そんなおまえを私は守れなかったんだ。あのクソッタレ共。関東連合の連中とか、怒羅権の連中とか、弱い女に食らいつきやがって。犯してシャブ打って売りやらせやがって。だから、私は年少覚悟でとっこんでいったんだよ、ヤツラの事務所に。だけど、それで卒業って、お前らの面倒も見られないで、自分だけ大学なんて入っちまって、ハイ、さようなら、とお前らに言えるか?私だって気にしてるんだ。くそったれ。それでさ、今日もだ、タケシさんがいなかったら背後からやられてたよ。弱いんだよ、私は。おまえらの面倒もみれないし、勝手に足抜けみたいに抜けて、いい気になって、それで、彼氏さんができそうなんて、有頂天になって、なんてアホな女なんだ、私は。それで、タケシさんに結婚してくれなんて、私はバカだ、おおバカだ」
三人組が駆け寄って、美久さんを抱きしめておんおん泣いた。美久さんも大泣きしている。
ぼくは美久さんに近寄った。三人組が美久さんから離れる。ぼくは美久さんを抱きしめた。なにも言えなかった。もっとギュッと抱きしめた。美久さんがぼくのセーターをつかんで、顔をおしつけてくる。顔を左右にふる。ぼくのセーターがぐしょぐしょになる。
「おかしいだろ?タケシさん?後輩も守れないで、自分だけいい子になってみて、タケシさんが欲しい、結婚してください、なんてさ。大学にもいけしゃあしゃあと行っちまって。矛盾しているよね。おっかしいよね。悔しいよ。世の中、おかしいよ。私、どうすればいい?タケシさん?どうすればいいの?みんなも守って、タケシさんも好きになって、大学も楽しんでって、普通ができないんだ、普通が、わたしには」
「美久さん、いや、美久、今日あげたろう?スノーボール。キミは、彼氏からスノーボールをプレゼントされるのが夢だっただろう?夢はかなえないと。なにかが起こるし、なにかを起こそう、二人で。いいんだよ、大学に行ったんだ、楽しまなきゃウソだろ?ぼくに一目惚れしてくれたんだ。受け取った。前はうまく行かなかったけど、今日は幸運にもうまくいって、輪姦されなかった。これから変えるんだ。節子さんも紗栄子さんも佳子さんも変わるんだ。ボクらだけじゃない、女将さんだって、南禅さんだって、羽生さんだって、もちろん、美久のお父さんもついている。すべては見過ごさないで、変えていくんだ、これから。ぼくらが」
美久さんは、グシャグシャに大泣きした。三人組も。女将さんも。自衛隊の南禅さんと羽生さんも涙ぐんだ。
そこに引き戸を開けて、美久さんのお父さんが入ってきた。「おっと、なんだ。いい場面で悪いな」とパイプをふかす。「愁嘆場で悪い、悪い。もうな、道路の前から恥ずかしい声が聞こえたよ。美久もまあいい大人が、昨日今日あった男性に結婚してくださいとか、私は弱いとか、止めときな。さっき警察に寄ってきたよ。女将さんから逐一聞いたから。こりゃあ、町内もシメてかからないと、大変なことになる。節子ちゃん、紗栄子ちゃん、佳子ちゃん、それと美久、おまえのレディスのメンバーだって、これで終わりじゃないぞ。町内の連中も見て見ぬ振りをする訳にも行くまい。わたしらも努力しよう。しかし、気をつけないとな、みんな」と美久さんのお父さんが言った。
そして、ぼくの方に向かって、「兵藤さん、娘を守ってくれてありがとう。お礼を申し上げる」と一礼して「しかし、このバカ娘の戯言は忘れてください。何を結婚だとか、自分のケツも拭けない青二才が」
「いえ、お父さん、美久さんの気持ち、よくわかりました。受け取りました。忘れることはできません」
「まあ、それは兵藤さんの気持ちに任せる。まったく、バカ娘、手間ばっかりかけおって」と美久さんのお父さんはゴチンと美久さんの頭にゲンコを食らわせた。「痛ってえな、バカ親父!」
「女将、酒。ほれ、みんな酒を飲むんだ。そこの高校生、お神酒と思って、おまえらも飲め。清めのお神酒だ。わしが許す」
「美久さんのお父さん、美久さんを外に、外に、っていっても店先ですが、連れ出しちゃあ、ダメですか?二人で話をしたいんですが・・・」
「兵藤さん、いいよ。バカ娘だから、煮て食おうが焼いて食おうがスキにしていいよ」
ぼくは美久さんの手を引いて、店先に出た。「タケシさん・・・」と美久さんが言う。ぼくは彼女の唇に指を当てて、シィーと言って彼女を抱きしめた。「ねえ、美久さん?」「なんですか?タケシさん?」「あのね、ぼくは経験はあるけど、寸止めで一線を超えていないヘタレの童貞なんです」「・・・あ、あの、今、それを言う場面?タケシさん?」「言っておきたかっただけ」「あ、あの、わ、私は、まったく経験のない処女です」「お付き合いして、ふたりとも納得したら、お互いの童貞と処女、捨てちゃいましょうか?」「それって・・・」「お互い、納得して、捨てた時、結婚しよう、納得できたら」「あ!」「『あ!』って何?美久さん?」「私、今日処女捨ててもいいかも!」「気が早い人だ。ほら、もっとハグしましょ」「わ、私、タケシさんの妻になりたい」ぼくと美久さんはズッと抱き合っていた。
店内からは笑い声が聞こえてきた。
ぼくは美久に彼女の生まれて初めてのキスをした。
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