3 母が想像以上にヘタレだった件

 通常、5歳から所謂小学校教育に相当する教育が始まって、11歳からはより専門性の高い中学校へ、14歳になると、家業を継いだり教会に入信したり、宮廷に仕えたりと、その後の職業を決定づける進路が用意されているのが、現在のカーヴィアル帝国の教育システムらしかったが、3歳時点で警備隊に出入りしはじめ、その後、家業である花屋の経営をも手伝っていた時点で、当たり前ながら、既に通常の教育システムの枠には収まらなくなっていた。


 日本の高校教育の途中までの記憶を持ったまま、エールデ大陸で生を受けた事もさることながら、大体が、剣道一筋の脳筋娘だったら、八剣やつるぎ深青みおとして、私立聖樹セイジュ学院に合格する事はなかった。


 あの学校は、将来、国や企業を背負って立つような人材、スポーツや芸術方面で世界に名を知られるような人材を育てる事を教育方針に掲げて、それを公言すらしていた教育ヒエラルキー最上位の学校だったからだ。


 剣道とフラワーアレンジメント。

 深青みおと志帆、それぞれが全く別の道で大成しようと志していたのだって、聖樹セイジュ学院にいたならば、成り立つ志だ。


 ただ、剣道を極める先に国家公務員(警察)を見据えて勉強をしていた深青みおと違い、フラワーアレンジメントでその異才を発揮していたらしい志帆は、若干と言うか、相当に天然な性格だと言うのが、キャロルとして娘の視点になった時に、よく分かる様になっていた。


 自分の作品を作る事に夢中になるあまり、仕入と売値の収支でさえ曖昧、と言うかほぼ儲けのない状態だったクーディアの店で、カレルのそのやり方を直したのは、かつて学院のカリキュラムとして、簿記一般を学んだ記憶を持つキャロルだった。

(母・カレルは志帆だった頃の在学中、選択授業としての簿記は受けていなかったらしい)


 この世界での保護者となる志帆、つまりは母親カレルに絶望的に経営の才能がないと途中で悟ってしまった為に、必要にかられて、警備隊長の紹介で、街の商業ギルドにも経営学を学びに顔を出させて貰うようにしたのだ。


「――馬鹿を言わないで貰いましょうか。警備隊なんかの脳筋集団に、あのむすめは勿体ない。アレは商業ギルドで育てて、トップに立ててあげますよ」


 そんなこんなで経営学を学んでいるうちに、街の商業ギルド長にまでそんな風に言われる様になってしまったところで、カレルが「どうしよう。ウチの娘がいつの間にかチート…」と頭を抱えるに至っていたのも、それまでの経緯を思い起こせば、無理からぬ話ではあった。


 結果として、キャロルは5歳になっても、この世界での小学校に相当する学校には行かず、午前中は商業ギルドで勉強、午後は母と交代して、花屋の売り子。夕方からは警備隊で訓練――と言う生活を、11歳まで続ける事になるのだ。


 近い教育システムはあれど、罰則の付く「義務」としての教育の概念が存在しない、異世界だからこそ通用した生活だったとは思う。



 そして警備隊に出入りして、世の中の情報に少しずつ触れるようになった頃には、ようやく母・カレルと、今の自分キャロルの実の父親であり、ルフトヴェーク在住の次期レアール侯爵デューイとの「その後」が、朧げながら分かるようになってきていた。


 記憶に残る〝エールデ・クロニクル〟最後の頁に符合するかの様に、デューイは老夫婦の夫と会い、カレルが自分の娘を産んだと言う、衝撃の事実を聞かされる事になっていたようだった。


 くだんの伯爵一族を追放した事実や、自分がまだ誰とも結婚をしていない事、既に「次期」の2文字は取れ、正式なレアール侯爵となっている事など、現状のありったけを書いて、自分の右腕とも言える執事長を、馬でも1ヶ月はかかるカーヴィアルにまで向かわせたのだから、デューイの思いが奈辺にあるのかは、キャロルでさえ分かり過ぎるくらいに明らかだったのに、母・カレルは、ルフトヴェーク公国に、執事長と戻る事を良しとはしなかった。


 その頃のキャロルがまだ赤子で、ながの移動が難しいと言っているところまでは、確かに理解出来なくもない理屈ではあったものの、その後3歳になってもまだ同じような事を言っている時点で、キャロルは確信した。


「子どもを言い訳にするな、のヘタレー‼」


 ――ようやく話せるようになった、キャロルの第一声に、カレルがショックを受けて、落ち込みまくった事は、言うまでもない。


「だって、侯爵夫人とか、無理に決まってるじゃない!だって、ヒラヒラのドレス着せられて、侯爵令嬢とか呼ばれちゃうのよ⁉」


「私は、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと、お花育てて、警備隊の人達と暮らしていくって言う選択肢が、まだあるからいいの!デューイ…レアール侯が望んでるのは、志帆さんであって、私はその次でしかないもん!志帆さんは、いい加減行ってあげないとダメでしょ―⁉」


「あの人の血を引いてるのが、あなたしかいないのに、そんな訳にいかないでしょ⁉侯爵家にしてみたら、私こそが邪魔者じゃないのよー‼」


 この時は、当事者二人以外誰も聞いていなかったのが救いだったにしろ、23歳と3歳の会話では決してなかった。



「――すみません。母はまだ、侯爵の隣りに並んで立つ覚悟が持てないそうです。愛はあるそうなので、見捨てないで見守っていて下さると、ヘタレの母も喜ぶと思います。私、今、勉強頑張って剣の腕も磨いているので、いつか母を引きずってでも、侯爵のもとに連れて行きたいと思います」


 後日再び母娘おやこの様子を見に来た執事長は、そう言って深々と頭を下げたのが、わずか3歳の女の子であると言う事実を受け入れるのに、しばしの時間を要した。


「ヘタレ…」


「でも執事長さん、正直、侯爵家では母はどんな風に思われているんでしょうか?母はあまり、貴族特有の嫌がらせとか、権謀術数とか、上手く対処出来る人じゃないんで、そこは少し心配しています。ここはぜひ、自国じゃないと言う事で、執事長さんの忌憚ない意見を」


「……っ」


 金髪碧眼と言う、どうやら父親ソックリらしい見た目もさることながら、知性と言う点で、間違いなく目の前のこの子は、レアール侯デューイの血を引いていると、その時執事長は確信をしたみたいだった。


「…今の侯爵家の財政基盤を作ったのが、いったい誰なのかと言う事を、分かっていない使用人などおりませんよ、キャロル様。それに、あなたのお母様を快く思わない人たちは皆、デューイ様に追放されてしまいました。ガスパーク伯爵家がその最たる例ですね」


「……侯爵が怖いです、執事長さん」


 正確には、父デューイの、母カレルに対する愛が重い。

 離れ離れになってから、キャロルの年齢+妊娠期間分はたっている筈なのに、愛は薄れるどころか、ドロドロに濃くなっている気がする。


「ぜひ、お父様と呼んで差し上げて下さい。きっとデューイ様も喜ばれますから。それとわたくしの事も、ロータスで構いませんよ」


 ロータスの笑顔が、キャロルが内心で思った事を掬い取って、思い切り肯定しているような気がした。


 早くカレルを観念させて欲しいと、そう言われている気がして仕方なかった。

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