二 琥珀の目の技師


 王城では水を汲むにも、粉を挽くにも、ヤンターの動力が要った。加えて鍵という問題がある。


 王城の鍵は、すべてモラヴェッツ家の先祖の手製だ。埋め込まれた珠を押したり、小さな取っ手を倒したり、固有の手順を踏むと、錠に適合する形が姿を現す。


 オタカルの住んでいた塔の鍵もそのひとつだ。精巧な装飾を施した四葉の握り手の、てっぺんの一葉をねじると、鍵のブレードが上下を繰り返し、あるいは左右に動いて姿を変える。鍵穴の中で回され、解錠が済むと、ブレードはふたたび何の変哲もない棒に戻ってしまう。


 あるべき形に辿りつくまで最短の手順を取らず、踊るような動きをみせる鍵は優雅だ。仕掛けは鍵の作り主の遊び心であって、ブレードを形作るのに不可欠な動きではない。

 宝石を押すことも、クローバーの葉をねじることも、鍵の内部の動きに何も連動しない。だが、作り主が宿らせた動力に従って、求められた形に姿を変える。

 オタカルの遊び心の残滓なのか、四葉はてっぺんだけでなく横の一葉もひねることができた。ひねっても鍵は動かなかったけれど。


 武器庫、宝物庫、王の寝室にいたるまで、オタカルの死と同時に動かなくなった鍵に、ヤンターは次々と動力を吹きこんだ。鍵が終わると、機構が待っていた。


 構造を詳しく思い出せない機構は、図面を探して確かめてから動力を宿した。どのように歯車を回すべきか、正確に理解し意図したうえで、部品にふれる必要があった。

 最後に天文時計に動力を与え終わると、ヤンターは疲労困憊していた。


 しかし間もなく、近隣国から時計が送られてきた。モラヴィアやシレジア、マジャル人の国、それに国内の領主たちから。王が親交の証に進呈した、発条ぜんまいを巻かなくても動く時計たちだ。

 オタカルの時代に贈られたものもあれば、何代も前の技師が最初に手を触れたものもある。動力を宿らせた技師が死ぬたびに歯車が止まり、新たな力を吹きこむために送られてくる。


 葬儀の翌日、侍女のエリシュカと年取った侍医が工房に時計を運んできた。暗殺を避けるため、王以外はこの二人だけがヤンターに会える。二人はすべてが手に入るようにしてくれた――自由をのぞいては。


 その侍医が朗々と言った。常に死と破滅を予感していたオタカルより、よほど若々しい声だった。


「異国の時計は、すべて発条仕掛けに変えるようにと御父君が」

「どうして」

「今後は技師が変わっても、時計が動き続けるようにです」


 ヤンターが死んでも、時計が止まらないようにということだ。誰も今まで、気にしたことなどなかったのに。動力とはそういうものなのだから。

 同い年の侍女のエリシュカが、居心地悪そうに視線を落としていた。何か知っている様子の彼女をよそに、侍医は続けた。


「今は殿下のほかに、動力技師がいらっしゃいませんから」


 オタカルが去り、ヤンターが長じた今も、続く動力の持ち主は生まれていない。兄のヴァーツラフが今年結婚するので、彼のもうける子が動力を持つことを祈るばかりだ。


「それは確かね」


 頷いて、ヤンターは時計を手に取った。


「動力を吹きこむより、手間がかかるわ。日にちがかかると、王にお伝えして」


 侍医は安堵した顔で工房を辞した。白い漆喰の壁に、褐色の柱と梁が走る、居心地の良い部屋だ。大きな窓から陽光が射しこみ、作業台に散らばった工具を照らしている。

 暖炉の脇には、学習用の機構の模型があった。幾重にも歯車が重なりあい、油のしみついた鎖が無数の軸棒をつなぐ。

 壁にはところせましと図面が貼られ、あるいはオタカルから引き継いだ書物の詰まる棚が並んでいる。


「領主たちの時計には、いつもどおり動力をと陛下が」


 書棚を見て物思いに耽っていたヤンターは、エリシュカの声で我に返った。


「わかった。でも、どうして国外の時計は、動力なしで返すことにしたの?」


 黒髪を編みこんだ頭をエリシュカが傾けた。折れそうに細い腰を強調し、若草色の絹を織ったドレスは、ヤンターの装いよりよほど豪奢だ。

 答えにくそうだったので、ヤンターは自ら踏みこむことにした。マジャルの王の時計を、いかにも取り落としそうに宙にぶらさげてみせたのだ。王への贈呈品を人質に取られたエリシュカは、あっさりと白状した。


「唯一の動力技師さまを喪う瞬間を――国から動力がなくなる日を、知られたくないからです」

「そう。モラヴェッツ家が玉座にあるのは、動力を握っているからだものね」


 王位の裏付けである動力を喪えば、父が国を統べる正当性が揺らぐ。それに乗じて、近隣国が何のかのと干渉してくる危険を排除したいのだろう。小心者の王が考えそうなことだった。


「動力がなくなったからといって、すぐに王位が揺らぐとは思いませんが」


 躊躇いがちに言う彼女を一瞥し、ヤンターは樫の作業台に時計を置いた。行儀のいい発言は、エリシュカが自身の立場を知っているからこそだ。しかしオタカルの喪失が心を苛む今は、少しだけ本音を聞いてほしかった。


「でも王は警戒している」


 石の台座から文字盤を外すべく、ねじ回しを手に取った。


「蒸気機関を研究した男の、娘を殺したでしょう」

「ええ。カルルフ橋の対岸で」


 西のブリツカ帝国では、蒸気を使って機械を動かす仕組みが編み出された。彼らは燃える石を焚いて蒸気を生み、その熱を使って船や工場を働かせる。


 蒸気がチェヒの王にとって厄介なのは、誰にでも扱えるところだ。王族だけが持つ動力と違い、蒸気は火を焚けば誰でも生み出せる。

 動力の脅威と目される蒸気機関の輸入や研究は、ずいぶん前から禁止されていた。ブリツカのほうも自身の優位を高めるべく、技術者の国外渡航を禁じた。


 それでも、秘密裏に蒸気の力を研究する者がいる。王族の優位を揺るがすためか、巨万の富を狙ってのことか、あるいは単に知的好奇心からか。密告者に褒賞を出すことで、王は蒸気機関への探求を食い止めようとしていた。


 つい先日も密告があった。ひとりの技師が蒸気機関の実験を人知れず繰り返していたのだ。満月の夜に警吏たちが、川岸の小屋で研究に勤しむ彼を逮捕した。彼の娘は天文時計が止まった日に生まれたと伝えられていて、川岸で処断された。

 青白い月明かりのもと、少女の赤黒い血が、岸から漆黒の水面みなもへ流れた。


「天文時計の娘を殺したら、オタカルが亡くなった。だから王は臆病風を吹かせている」


 あけすけな発言も、エリシュカの前でなら問題ない。彼女は貴族だけれど、母親も兄弟の妻もほとんどモラヴェッツ家出身で、実質王族だった。


「男はどうなった?」

「投獄され、仲間についてあらためをうけています」


 燃える石を取り寄せ、金属の管や窯を鋳造するには、男と娘だけでは手が足りない。石を調達したのは、鉄を鋳たのは誰か。彼らが技術を身に着けてしまったなら、一網打尽にせねばならない。


「でも、誰の名前も言わないそうです」


 時計の文字盤を外した下には無数の歯車、それに、毎正時に顔を出す天使と骸骨の像が控えていた。都の天文時計に似せた設計だ。


「エリシュカは、蒸気の禁制をどう思う?」


 台に散らばる部品の中から発条を手に取り、ヤンターは尋ねた。社交に長けたエリシュカは、さりげなく訊き返した。


「姫様はどうお考えなのです?」


 少年のような利発さと、少女のような思慮深さの同居した瞳が、手もとに伏せられた。白い指は、発条をあてどもなく弄んでいた。


「父上が禁止したからと言って、蒸気の勢いを止められる?」


 動力を超える力はこの国に要らない、と王は考えている。王族だけが持つ力に皆がひれ伏す構造を変えたくないのだ。

 しかし、蒸気機関が世界じゅうに広まったら、動力しか持たない国は総力で他国に劣り、衰退する。その前に蒸気の力を採り入れ、身に着けるべきだという気がした。


 王女としてより、技師としての直感だった。だがヤンターが王に差し出すべきは、動力であって見解ではない。


「さあ」


 エリシュカは肩をすくめ、窓の外を一瞥した。いちいの葉が木漏れ日にそよいでいた。


「そろそろ失礼いたします。洗濯女がやってまいりますので」

「うん」


 エリシュカは一礼すると工房を辞した。優雅でたおやかな後ろ姿を、ヤンターは見送った。彼女に比べると、自分の体は痩せて貧相だ。着飾ったら、多少違って見えるだろうか。

 しかし、身支度のために長時間じっと座ることにはうんざりした。苦労に見合った理由がなければ、とても耐えられない。そして着飾ることは、動力技師の役目と関係がない。


 ヤンターは書棚に近づくと、数日前、天文時計の娘の処刑を聞いた日にオタカルが渡した本を手に取った。彫り物をした金属で覆われ、側面に掛け金がかかっている。なんの変哲もない作りなのに、開かない留め金が。


 必要な時に読めるようになる、と彼は言った。オタカルはしかし、いつ必要になるかは言い遺してくれなかったのだった。




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