第96話 つくしちゃんとの約束⁉

 次に向かったのは、梢恵の部屋。

 紹介するほどでもないとは思うけど……まあ、梢恵の部屋は見事なまでに物で溢れかえっている。

 芳樹が毎日掃除して管理してるおかげで、足の踏み場がないといった最悪な状況にはなっていないけれど、天井近くまである棚には多くの雑貨が所狭ところせましとみ上げられていた。


「あははっ……ごめんね、片づけようとは思ってるんだけどさ」


 汚部屋おへやをつくしちゃんに見られて、頭を掻く幼馴染。


「何が片づけるつもりだよ。毎日誰が掃除してやってると思ってるんだ」

「いつも大変お世話になっております」


 そう言って、深々ふかぶかと頭を下げてくる梢恵。

 もう隠す気すらないらしい。


「プライベートスペースの掃除も、芳樹さんの仕事なんですか?」


 純粋な疑問が浮かんだのか、つくしちゃんが首を傾げて尋ねてくる。


「うん。ここのオーナーさんの意向でね。自分の部屋を毎日掃除してくれるハウスクリーニングみたいな人が欲しかったんだって」

「なるほど……ってことは、芳樹さんは全住人の部屋に何がどこに置いてあるのかをすべて把握しているんですね」

「人聞きの悪いこと言わないでよ……。一応そこは配慮して、住人のプライベートスペースは霜乃さんに掃除して貰ってるんだから。コイツはすぐに部屋を汚すから住人の霜乃さんに掃除させるのは申し訳なくて、幼馴染として責任をもって掃除してるだけだよ」

「でも別に私、芳樹さんに見られて困るものは特にないですから、もし小美玉ここに住むことになったら、いつでもはいんできていいんですよ? なんなら、そのまま私のことをぺろっと食べちゃっても……!」

「それじゃ、次行こうか」

「ちょっと、無視しないでくださいよ!」


 芳樹はつくしちゃんの妄言をさらっとスルーして、廊下を歩いて行く。


 階段を降りて次に向かったのは、この寮の一番の売りでもあろう場所。

 洗面所兼脱衣所せんめんじょけんだついじょへとたどり着くと、丁度洗濯を取り込んだ後のハンガーを片付けている霜乃さんと鉢合わせた。


「霜乃さん、洗濯物を取り込んでくれてありがとうございます」

「いいえ、平気よ。案内は順調かしら?」

「まあ、ぼちぼちという感じですかね」


 そんな他愛のない会話をしていると、後ろにいたつくしちゃんが芳樹の両肩に手を置き、ぴょんぴょんと元気よく飛び跳ねて、中を覗き込もうとする。


「ねぇねぇ、ここは何があるの?」

「あぁ、ごめんね」


 出入り口を塞いでいたので、芳樹は軽く横にれてあげる。

 ようやく中が見えるようになったつくしちゃんが洗面所を覗き込む。


「広いです! しかも脱衣所に籠が沢山!」

「あぁ、実は奥に共同浴場があるんだよ」

「えぇ……⁉ 浴場……⁉」

「ついてきて」


 洗面所の奥にある扉を開けると、そこに広がっているのは女子寮小美玉名物の広々とした共同浴場。

 源泉かけ流し……とはいかぬものの、浴槽にはジャグジーも完備されており、身体の疲れを癒す様々な設備が完備されており、まるで家にいながらもスパ気分を楽しめる空間。


「す、凄いです! 毎日皆さんこんな贅沢な入浴を⁉」

「うーん……みんな忙しいから、毎日使ってる人は霜乃さんくらいかな。他の人も時間がある時は使ってるけど」

「もったいないです! 芳樹さんは使ってないんですか?」

「うん、俺はあくまで管理人だからね」

「えぇ……管理人だからと言っても、この設備を使わないのはもったいないですよ」

「一応ここは女子寮だから、男の俺が使用したら気分を害す人もいるでしょ?」

「そうですかね……? 今のところいないと思いますけど」


 まあ正直、芳樹が使用しても誰一人怒るような住人は小美玉このりょうにはいない。

 けれど、管理人として常駐している身としては、ルールはしっかり守っておきたいと考えている芳樹にとっては当たり前の心配りなのだ。


「例え気分を害す人がいなかったとしても、いずれこの寮に入居してくる人で、そういうのが嫌な人もいるかもしれないからね」

「そんな深く考えなくていいと思いますけど」

「まあ、俺の陳腐なプライドみたいなものだから、気にしないでいいよ」


 今の住人は皆心優しい人達ばかりなので、芳樹がこの浴場を使っても文句を言う人はいないだろう。

 けれど、価値観は人それぞれ。

 今後女子寮に入居してくる人にとって、男子と同じ湯船に浸かることを嫌がる住人だっているはずなのだ。

 万が一に備えていると言った方がいいだろう。

 それに、もし芳樹が使用中に他の住人が間違って浴槽に入ってきてしまう可能性だってありうる。

 念には念を徹底するのが管理人としての責務でもあるのだ。


「それじゃあ、今から一緒に入りましょ♪」


 刹那せつな脱衣所だついじょが凍り付いたような空気に包まれる。


「……つくしちゃん。今、なんて?」


 冗談かと思いもう一度聞き返す。

 つくしちゃんは爽やかな表情でにこりと微笑む。


「だから、今から一緒にお風呂へ入りましょ!」


 またも、同じような言葉がつくしちゃんの口から出てくる。

 どうやら冗談で言っているわけではなかったようだ。


「いやいやいやっ、常識的に考えてアウトだから!」

「なんでですか? だってこんな素敵な浴槽を使わないなんてもったいないですよ。それに、私と芳樹さんはこれから夫婦になるんですから、このくらいのスキンシップはなんら問題ないと思いますけど?」

「ちょっと待って。色々と突っ込みたいことは山々やまやまなんだけど。俺がいつつくしちゃんと結婚するなんて約束した?」

「えっ……覚えてないんですか……」


 すると、つくしちゃんはショックを隠し切れない様子で悲しい目を向けてくる。

 えっ……ちょっと待って。

 また知らぬ間に、とんでもない約束を交わしちゃってたりするパターンこれ⁉


「芳樹さん。今のつくしちゃんの言葉は聞き捨てならないのだけれど、どういうことか説明してくれるかしら?」


 後ろで作業をしていた霜乃さんまで、話に入ってきて芳樹をとがめるような目で見つめてくる。


「ち、違うんですよ霜乃さん。これは何かの間違いで……」


 手をふるふると振る芳樹は、まるで浮気がバレた現場のように右往左往うおうさおうとしながら適当な弁明を繰り返すことしか出来ない。


「間違いなんかじゃありません。私ははっきりと覚えています!あれは二年前、芳樹さんが社会人になる直前、最後の春休みに帰省してきた時の話です」


 胸元で手を祈るように握り締め、思い返すようにつくしちゃんは語りだす。


「芳樹さんは言ってくれました。『つくしちゃんが一緒にいてくれたら、心強いし楽しい人生が歩めるよ』って。私はその時覚悟を決めました。芳樹さんとこれからの人生を共に過ごすって」

「……って彼女は言っているけれど、本当なのかしら芳樹さん?」


 じとりとした冷たい視線を向けてくる霜乃さん。

 芳樹は思わず、こめかみに指を置いて頬を引きつらせる。


「はい……確かに言いました。けど、つくしちゃんのような解釈で言ったわけではないです」


 思い出した。

 あれは二年前。

 社会人になる前、大学四年生の春休み。

 帰省した際に、梢恵と閉店後の店内で晩餐を交わしていた時のことである。

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