第73話 一葉さんの本音
一葉さんがすぐさま八雲さんへと連絡をして、早速明日にアポイントを取りつけた、
まさか、芳樹と母が揃って八雲さんの元へ説得しにいくとは、全く予想していないだろう。
今日は母の計らいで、一葉さんは芳樹の実家へ泊ることになった。
しかも、同じ部屋で……
「別に付き合っているんだから問題ないでしょうが」
と母は言うものの、本当は仮の恋人を演じているだけで、一葉さんとはただの管理人と住居人兼オーナーの関係性のため、同じ部屋で寝ることは由々しき事態だった。
夜は、お店の臨時休業している店内で、母が料理を一葉さんへ振る舞ってくれた。
いつもはぶつくさ文句を言いながら作っているのに、今日は穏やかな表情で一葉さんへお店特性のチャーハンや五目焼きそばなどを提供して終始上機嫌。
結局、実は付き合っていないんだと言い出せる雰囲気はなく、寝る時間を迎えてしまった。
芳樹の実家の部屋は畳部屋。
ベッドではなく布団だ。
来客用の布団と、芳樹の実家の布団を横並びに並べて敷く。
隙間は少しあるものの、一葉さんと同じ空間で寝るという行為自体が緊張する。
横並びに並べられた布団を眺めていると、ふいに腕を掴まれた。
顔を横へ向ければ、寝間着姿の一葉さんが何やら誘うように上目遣いで視線を向けてきている。
「ど、どうしました一葉さん?」
「とりゃっ!」
「おわっ!?」
一葉さんが芳樹の腕をいきなりぐいっと引っ張ったため、芳樹はそのまま体勢を崩して、一葉さんへ激突してしまう。
「きゃっ!」
「危ないっ!」
芳樹は、咄嗟に一葉さんの両肩を抱いて、そのまま倒れ込む。
ドスンッ!
という鈍い音が鳴る。
「一葉さん、大丈夫ですか!?」
「え、えぇ……布団の上に着地したから、痛みはあまり感じなかったわ」
しかし、そこで二人の視線が至近距離で交錯してしまう。
芳樹が一葉さんに覆いかぶさり、押し倒したような状態になってしまっていた。
すると、ふふっと一葉さんが笑みを浮かべる。
「初めて会った時も、こうして芳樹君が私を押し倒したのよね」
「誤解を生むような言い方はやめてください。結局俺は、一葉さんを襲わなかったんですから」
「あら? 私の言うことを鵜呑みにするわけ?」
「えっ……」
「あの夜、本当はどうなったか。事の顛末を教えてあげようかしら?」
意地悪な笑みを浮かべて、芳樹を試してくる一葉さん。
もちろん、芳樹は酔っぱらっていて記憶が曖昧だったため、真実は一葉さんのみぞ知る。
思わず、ごくりと生唾を呑み込んでしまう芳樹。
その様子を見て、ぶっと吹き出す一葉さん。
「ふふっ、冗談よ。もう、何真に受けてるのよ!」
くすくすと笑う一葉さんに対して、芳樹は唇を尖らせる。
「だって、記憶が無いんですから仕方ないじゃないですか」
ふてくされたように言うと、一葉さんはふっと吐息をついた。
「安心して頂戴。私に身体を大事にしろって言ったら、その後すぐにベッドから下りて、床に寝転がって眠ってしまったんだから」
「……それもそれで、一葉さんを家に上げといて薄情なことしてますね、俺」
「そんなことないわ。だって私に寝床を提供してくれて、自分の家にもかかわらずベッドを譲ってくれたのだから、芳樹君はよくできた男性だと思うわ」
「まあ、今の俺からすれば、当時の自分に喝を入れてやりたいですけどね」
ほんと、いくら酔っぱらっていたからといって、見知らぬ女性を家に上げ込んで説教をした挙句、そのまま勝手に寝るとか、女性に対しての配慮がなっていないと反省する。
「ふふっ……芳樹君らしい回答ね。でも、私はそれだけで十分だったわ。芳樹君があの時叱ってくれなければ、今頃私は、他の男性に身体を捧げていたのかもしれないのだから」
「少しでも一葉さんのお役に立てていたなら良かったです」
「たっているどころか、感謝してもしきれないわよ。あなたが居てくれたおかげで、今の私があるのだから」
「キャリアウーマン一葉さんのことですか?」
「そうよ。だから、同じ失敗は繰り返さないわ。狙った獲物は、絶対に私は逃さないの」
そう言って、一葉さんは芳樹の頬を両手で包み込むように触ってくる。
「一葉さん……?」
「随分と掛かってしまったけれど、今の私なら、芳樹君に身体を捧げる覚悟はできているわ」
頬を染めながら、すっと芳樹を見据えてとんでもないことを言ってくる一葉さん。
芳樹は当然狼狽する。
「なっ……何言ってるんですか。だから、ちゃんとそう言うことは好きな人と一緒にするものであって――」
「だから、今言ってるじゃない」
「えっ……」
一瞬、一葉さんの言葉の意図が分からなかった。
しかし、数秒経って意味を理解すると、芳樹はぶわっと顔が熱くなってしまう。
「それって……」
「芳樹君。霜乃じゃなくて、私じゃダメかしら?」
四つん這いになっている芳樹の足に一葉さんは自身の長い脚を巻き付けてきてロックする。
まさに、捉えた獲物は逃がさないというのはこのことだ。
「じょ、冗談ですよね?」
僅かな希望を信じて、芳樹がわざとらしく首を傾げる。
しかし、一葉さんは真剣な眼差しを向けてきて――
「そう見えるかしら?」
と首を傾げて潤んだ瞳を浮かべる。
冗談には全く見えなかった。
逃げ場を失った芳樹は、視線を泳がせて困惑する。
「えっと……俺は……」
「ぶっ!」
すると、またもや一葉さんが可笑しそうにけらけらと笑い出した。
「あはははっ、やっぱり芳樹君はからかいがいがあって面白いわね」
「一葉さん……心臓に悪いんでやめてください」
一葉さんが絡めていた足をほどいてくれて、頬から手もどけてくれる。
ようやく解放された芳樹は、一葉さんに覆いかぶさっていた身体をどかす。
一葉さんに背中を向けると、一葉さんはすっと身体を起こした。
「でも、芳樹君のことを異性として好きなのは本当よ。それだけは信じて頂戴」
「もう騙されません」
「あら……残念。素直に信じてくれたら、おっぱい押し付けてあげようと思ったのに」
「そんな誘惑にも……俺にはもう効きませんよ」
「とか言って、さっきから視線がちらちらこっちを見てるわよ」
「み、見てないです!」
「もう、強がっちゃって、可愛いんだから!」
「うおっ!?」
一葉さんは後ろから思いきり抱きついてきた。
もちろん、芳樹の背中には、一葉さんの柔らかい胸の感触がダイレクトに伝わってくる。
「ふふっ……芳樹君、捕まえたー!」
「あぁ、もう。いいから離れて下さい」
「またまたー本当は嬉しいくせにー」
「怒りますよ?」
「……ダメ?」
「……はぁ、もう勝手にしてください」
「はぁ……もう今の芳樹君は昔と違って甘々ね」
まるで、本当のカップルのようなスキンシップを交わしながら、一葉さんとのじゃれ合いをして、夜は更けていくのであった。
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