第70話 二か月後の帰省
迎えた休日。
世の中は成人式を含めた三連休に突入。
世間では既に会社や学校などが通常通り始まり、女子寮の住居人たちも各々の生活へと戻りつつある。
けれど、休日の彼女達は、まだお正月ムードが抜けていない感があり、怠けているような気がした。
実際に芳樹と一葉さんが出かける準備を進めている間も、起きてくる住人は誰一人いない。
「芳樹君。荷物を車のトランクへ入れて頂戴」
「分かりました!」
二人は今から、芳樹の母親へご挨拶をしに行くというていになっている。
ちなみに、母には既に連絡済み。
紹介したい人がいると電話を掛けたら、『通りでこの前は変な電話を掛けてきたのね』と、何やら勝手に納得して、勘違いしている様子だった。
その誤解を解くのも大変だなと思いつつ、芳樹と一葉さんは準備を終えて、玄関前で霜乃さんへ振り返る。
「それじゃあ霜乃さん。よろしくお願いします」
「えぇ、任せて頂戴」
腕をまくり、気合を入れる霜乃さん。
芳樹がいない間の管理人業務は、霜乃さんが快く請け負ってくれた。
ただし、どうしても霜乃さんが芳樹さんと一緒にしたいというお願い事をかなえるという条件付きで。
そのお願い事が何なのかと霜乃さんに尋ねると、「ふふっ、帰ってきてからのお楽しみよ♪」とはぐらかされてしまった。
鉾田との一件が解決してからというもの、霜乃さんは芳樹に対する遠慮がなくなり、隙あらば芳樹へ過度なスキンシップを行うようになってきていた。
正直、歯止めが利かなくなっているので、今芳樹が抱える悩みの一つでもある。
芳樹が一体どんなお願いを霜乃さんに要求されてしまうのか、気が気じゃない。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「いってらっしゃい。芳樹さんのお母さんにも、よろしく伝えて頂戴」
霜乃さんに見送られながら、芳樹と一葉さんは車に乗り込み、いざ決戦の地である芳樹の実家へと出発した。
車を走らせて一時間ほど、今は高速道路をひた走っていた。
「いい天気ね」
「え、えぇ……そうですね」
フロントガラスから空を覗き込めば、雲ひとつない青い空が一面に広がっていた。
そんな透き通るような青空を見て、芳樹は思わずため息を漏らしてしまう。
「どうしたの? もしかして、今からもう緊張しているのかしら?」
ため息を聞かれたらしく、一葉さんがからかった口調で尋ねてくる。
「いやっ、まあそれもありますけど……急に帰省するって言いだしたから、霜乃さんにご迷惑をかけてしまったなと思いまして」
「あぁ、なんだそんなこと。霜乃なら平気よ、芳樹君にお願い聞いてもらえるなら喜んで仕事に勤しむって言っていたから」
「そのお願いが何かわからないから怖いんですけどね……」
「まあ、霜乃のことだから、エッチな誘惑とかしてくるかもしれないわね」
「やめてくださいよ。考えないようにしてたのに」
「あらっ……芳樹君はエッチなお願いを期待していたのかしら?」
横目にちらりと冷たい視線が助手席に座る芳樹へ突き刺さる。
「違いますよ! ただ、最近の霜乃さんは歯止めが利かないので、何をお願いされてもおかしくないなと思いまして」
「そうね。鉾田さんとの一件が終わって、霜乃の中で何かが吹っ切れたみたい」
「霜乃さんがあんなに積極的にスキンシップを取ってくる女性だと思ってませんでしたよ」
「まっ、女なんて見かけによらずそんなものよ。好きになったものは是が非でも得ようとする。当たり前のことでしょ?」
「あははっ……」
もうそれは、霜乃さんが芳樹のことをどう思っているのかを表しているようなものだった。
芳樹は苦笑して誤魔化しておく。
「まあでも、私も負けないけどね……」
「えっ? 何か言いましたか?」
「いえっ、何でもないわ」
ふっと微笑み、一葉さんは運転に集中し直す。
結局その後も、一葉さんと軽い世間話をしながら、車は芳樹の地元へと向かっていった。
「しばらく帰ってくることはないと思ってたのになぁ……」
中心地にある商店街を眺めながら、芳樹は独り言をしみじみとつぶやく。
女子寮の管理人になった際、正直また数年ほどは地元へ帰ってくることはないと思っていたので、ほんの数カ月で戻ってくるとは予想だにしていなかった。
「この街には初めてきたけれど、情緒あふれる良い町じゃない」
「まあ、随分と寂れてますけどね」
この街にも、高齢化の波は押し寄せており、人口減少も歯止めがかからない所まで来ている。
消滅都市まではいかぬものの、数十年後には人口が半分ほどに減少するのではないかとささやかれていた。
「芳樹君のような若者が都心へ流失しなければ、十分に復興するチャンスはあると思うのだけれど」
「そうですね。一応大学はありますけど、働き口が少ないので、結局みんな都心へ出て行ってしまうんですよ」
芳樹と梢恵が出て行ったように、同年代の半数は、都心へ出稼ぎに出ている。
前に母が『歴史ある街に残っているのは、衰退の道だけさ』とか言っていたっけ。
そんなことを思い出していると、一葉さんの運転する車は、あっという間に芳樹の実家へと到着する。
近くの駐車場に車を止め、二人はお店の入り口の前に立っていた。
「へぇー、ここが芳樹君の実家かぁー」
物珍しそうに、一葉さんが芳樹の実家の外装を眺めている。
「まっ、突出して目立ったような実家じゃないですけど」
「そんなことないわよ。風情があっていい感じじゃない」
「褒められても何も出ませんよ」
そんな会話を交わしながら、芳樹は店の入り口を開けようとする。
すると、お店の入り口に張り紙が貼られており――
『本日臨時休業致します』
と書かれていた。
どうやら、芳樹が事前に連絡を入れておいたので、母は心の準備を整えているらしい。
恐らく、息子が彼女を連れてくると思い込んでいるのだろう。
実際は、母から八雲さんの情報を聞き出すために彼女のふりをした一葉さんだけれど……
店が閉まっているので、芳樹は裏口にある家の玄関の方へと向かい、インターフォンを押した。
『はい』
聞こえてきたのは、野太い母の声。
「あぁ……俺だけど……」
『はいよ』
ガチャリとインターフォンの通話が切れてから、玄関の施錠が解除されて、扉が開く。
ガラガラガラっと玄関の扉を開けると、そこにいたのは、普段の厨房に立つ勇ましい姿からは想像できないほど、ピシっと決めた服装で出迎える母の姿だった。
「初めまして、こんにちは」
芳樹が面食らっている間に、一葉さんがにっこりと笑みを浮かべて挨拶を交わす。
「どうも、初めまして、芳樹がいつもお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
「さっ、どうぞお入りください」
「失礼します」
二人は事務的な会話を終えて、一葉さんが玄関へ入ろうとする。
けれど、芳樹が邪魔で入ることが出来ない。
「芳樹君、どうしたの?」
一葉さんに問いかけられて、ようやく意識を取り戻した芳樹は、もう一度母を見つめた。
普段の割烹着姿からは想像もできないような派手な緑のワンピースに身を包み、ばっちりとしたメイクをしている。
髪も珍しく下ろして、カールまでさせていた。
こちらから見ても、明らかにこの場において浮いている。
「母さん……いくらなんでも派手過ぎでしょ」
「何言ってるんだい! 芳樹の大切な人を出迎えるんだ。これくらいのおめかしは普通さ!」
そう言って、自分の正しさを主張する母。
芳樹は大きなため息を吐いてしまう。
この気合の入れようだと、あとで誤解を解くのも時間がかかりそうだな。
芳樹はこれから使う体力を温存しておくために、これ以上母には何もツッコミを入れないことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。