第34話 テンションの高い朝
翌日の早朝、いつもと同じ始発電車も走る前の時間。
彼女はいつものように、紺のダッフルコートに白いマフラーを巻いた姿で玄関前に現れた。
「おはよう瑞穂ちゃん!」
「……お、おはよう」
瑞穂ちゃんは眉をひそめ、引きつったような表情を浮かべている。
無理もない、芳樹はいつものようにマスクにフードを被った状態で、仁王立ちして玄関の前で待ち構えていたのだから。
「……あんた、今日は随分とやる気じゃない?」
「そうかな!? そんなことないと思うけど?」
「朝からテンション高すぎ。ってか、正直鬱陶しい」
「たまには朝から元気でもいいでしょ?」
すると、何か気になることでもあったのか、マジマジと芳樹の目元をじぃっと見据える瑞穂ちゃん。
「あんた、その酷い隈どうしたの……?」
「えっ、隈?」
瑞穂は肩にかけていたスクールバッグの中からポーチを取り出し、ポーチから小さい手鏡を取り出して、芳樹に渡してきた。
芳樹は自分の顔を鏡でチェックする。
目元には瑞穂ちゃんの言う通り、黒ずんだ隈がくっきりと表れていた。
「ホントだね。どうしてだろう? わかんないや」
「昨日ちゃんと寝た?」
鋭い視線で睨みつけてくる瑞穂ちゃん。
「も、もちろん!」
芳樹は、堂々とはっきりした口調で虚勢を張る。
実は昨日から一睡もしていないなど、言えるはずがなかった。
これもすべては、くるみちゃんもとい瑞穂ちゃんとの関係を修復するため。
「まあ心当たりがあるとすれば、昨日は梢恵が引っ越してきて色々と手伝ったりしたから、疲れが残ってるのかもしれないね」
だから芳樹は、適当な理由をでっち上げておく。
瑞穂ちゃんも、それ以上は何も言及してこない。
その代わりに、はぁっとため息を吐く。
「そう、ならいいんだけど。自分の体調管理くらい、自分で気を付けなさいよ」
「分かってるよ!」
今まで三日三晩徹夜漬けで仕事をしたことのある芳樹にとっては、一晩の徹夜など造作もないこと。
だから、瑞穂ちゃんに言い返してやった。
「そういう瑞穂ちゃんこそ、ここ最近毎日仕事で休みないんだから、体調には気を付けてね」
「当たり前よ。女優として、体調管理は当然でしょ」
「それならよかった」
「まっ、いいや。とっとと行こう」
話を終わらせて、靴箱からローファーを取り出す瑞穂ちゃん。
芳樹も靴を履き終えてから、瑞穂ちゃんに続いて玄関を出る。
しっかりと戸締りを確認して、二人並んで駅へと向かう。
もう芳樹の中では日課となりつつある瑞穂ちゃんの見送り。
瑞穂ちゃんは以前のように、芳樹を完全に無視して早足で歩いていくことは無くなった。
隣に並んで歩いても、何も言われない。ただ、会話をすることはなく、ただ黙々と駅に向かって歩くだけという日々が続いていた。
しかし、今日の芳樹は徹夜明けなだけあって一味違う。
「今日は何のお仕事なの?」
芳樹は瑞穂ちゃんに仕事の話題を振ったのだ。
「……お正月特番の収録」
急に仕事の話を聞かれて訝しむような視線を送ってくる瑞穂ちゃん。
けれど、ちゃんと質問には答えてくれた。
「へぇー。もうこんな時期に収録しちゃうんだ」
「これでも結構遅いほう。もっと早いものだと、十月の終わりとか十一月には撮影しちゃうのもある」
「なんかそれだと、年明け前に年明けしすぎて変な感覚だね」
「まあ確かにそういう意味では、正月番組も年が明ける前に撮影しなきゃいけないし、世間に比べたら、芸能界は新年の感覚もズレてるかもしれないね」
正月番組の特番と聞いて、とある衣装が頭に浮かぶ。
「もしかして、今日の撮影は着物姿だったりするの?」
「うん、今日の衣装は着物」
「瑞穂ちゃんは青い花柄の着物と似合いそうだよね。あっ、でも赤も捨てがたい!」
芳樹が瑞穂ちゃんの着物姿を想像していると、瑞穂ちゃんはさらに眉間に皺を寄せて、芳樹を細い目で見つめてくる。
「あんた、今日はどうしたの? 普段仕事のことなんて聞いてこないくせに」
「えっ、もしかしてダメだった?」
「別に、ダメってわけじゃないけど……今まで興味も示さなかったじゃない」
「そ、そんなことないよ! 今度のクリスマスに出演する特別ドラマだって、オンタイムで絶対見る予定だし!」
「はぁ!? なんで知ってるんだっつーの! 普通にきもいからやめてよ」
「どうして? せっかく住居人が出演するんだから、観ないともったいない!」
「ダメ! 絶対見ないで」
「えぇ……」
瑞穂ちゃんは、眉間に皺を寄せて、さらに不信感を募らせた表情を向けてくる。
「本当にあんた今日はどうしたの? いつも以上にうざいんだけど」
「そうかな? いつも通りだと思うけど?」
「まずそのにやけ顔やめて。あと朝からテンション高すぎ」
「そうかな?」
「はぁ……もううざいから付いてこないで」
「あぁ、待ってよ」
瑞穂ちゃんは面倒くさくなったのか、それ以上話しかけてこないでオーラを放ちながら、芳樹の一歩前を歩き続けた。
「それじゃあ、いってらっしゃい」
「んっ……」
無事に瑞穂ちゃんを駅の前まで見送り、芳樹は息を吐いた。
「怒ってはいたけど、仕事の話をしたら普通に話してくれるんだな」
芳樹は梢恵から借りた雑誌を読み漁り、一晩中瑞穂ちゃんについてのことを調べていたのだ。
ファン一号として、誰よりも瑞穂ちゃんのことに詳しくなっていなければならないから。
だから、今日の収録の話もいち早くゲットしようとして、仕事の話を振ったのだ。
瑞穂ちゃんは芳樹のことを恨んでいるはずなのに、仕事の話を振った時、嫌がりながらも芳樹に話をしてくれた。
本気で完全に失望されているのなら、お茶を濁したり無視されていたに違いないのに……。
霜乃さんが以前言っていたように、瑞穂ちゃんは芳樹のことをある程度信用してくれているらしい。
だからそこ、芳樹は彼女のことを更に知らなければならない。
知った上で、瑞穂ちゃんの心の内を理解できるまで、彼女のことを知り尽くす。
それがファン一号として、今出来ることだから。
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