第33話 幼馴染が知っていたわけ

 歓迎会が終わったリビングで、芳樹は後片付けを一人黙々と行いながら、梢恵が『芳樹JCファン事件』と命名した四年前の出来事を想起していた。

 共有のリビングは、キッチンの明かりだけが灯され、どこかもの寂しさを覚えてしまう。


「はぁ……」


 思わずため息が漏れ出てしまう芳樹。

 まさか四年前のくるみちゃんが、瑞穂ちゃんだったとは……。


 この四年の間に、くるみこと瑞穂ちゃんは、芳樹が当時覚えているあの面影をほとんど残していなかった。

 ボサボサのショートヘアは、背中まで伸ばした艶のあるストレートの黒髪に。

 ニキビなど一つも気にしない、きめ細やかな白いモチモチ肌。

 小声の少女らしいソプラノ声は、大人の女性らしさの増した中低音の声へ。

 未成熟だった身体も、身長が10cm以上伸び、顔立ちも大人びて、すれ違ったら誰もが振り返ってしまうほど綺麗で透き通るような美女へと様変わり。

 唯一共通しているのは、サファイヤのように輝く青い瞳だけ。

 それほどまでに、彼女が努力したのだろうということが窺える。

 芳樹が気づくことが出来なかったのも無理はない。


 だとしても、ファン一号として応援すると言った手前、最初に女子寮で出会ったときに同一人物であると気づかなければならなかった。

 この一年半のブラック企業生活が無ければと、後悔してもしきれない、悔やまれる感情が芳樹の心を支配する。

 けれど、それはただの言い訳だ。ずっと応援し続けられなかった芳樹が悪い。

 それに、ぐずぐず過去のことを悔やんでも仕方がない。


 直近の問題を解決すべきだ。

 瑞穂ちゃんに、この事実をどう伝えればいいのかということ。


 許してもらおうとか、そんな生半可なことは微塵たりとも思っていない。

 向こうだって、言い訳など聞きたくはないだろう。

 

 ただ、今芳樹心に思っていることをそのまま言葉にすればいいだけ。

 分かってはいるけど、それが一番難しいのも事実。

 どう切り出していいのかもわからない。


「はぁ……」

「なーにため息なんか吐いてるの?」


 困り果ててため息をついていると、不意打ちのように言葉を返された。

 咄嗟に顔を上げると、リビングの入り口に立っていたのは、幼馴染の梢恵だった。


「お、おう。なんだ梢恵か……」


 梢恵はお風呂上がりのようで、首に巻いたバスタオルで濡れた髪を拭きながらキッチンの方へと向かってくる。


「いやぁー、ここのお風呂ジャグジー付きとは凄いね! 私気にいっちゃった」

「それならよかった」

「冷蔵庫の飲み物って、勝手に飲んでいいの?」

「マジックペンで名前が書いてあるもの以外なら基本大丈夫だよ。あっ、直飲みはダメだからな、ほれコップ」

「サンキュー」


 芳樹からコップを受け取ると、冷蔵庫の扉を開けて飲み物を物色し始める梢恵。


「なぁ梢恵」

「ん、何?」


 幼馴染に芳樹はどうしても聞いておきたいことがあった。


「梢恵はどうして、瑞穂ちゃんが四年前の女の子だって分かったんだ?」


 それは、芳樹の純粋な疑問。

 もちろん梢恵は、四年前の現場にも居合わせていたし、芳樹が大学卒業までずっとくるみちゃんを気に掛けていたことも知っている。


 けれど、あれほどまでに見た目や印象が大きく変化していたら、いくら梢恵でも、普通気づかないはず。

 瑞穂ちゃんがくるみちゃんであると、簡単に見分けられるとは到底思えなかったのだ。


「あぁ……それはね……」


 梢恵は冷蔵庫から取り出したパックの牛乳をグラスに注ぐ。

 そして、続きを話す前にグビグビと注いだ牛乳を飲み干す。


「ぷはぁ……! ちょっと部屋についてきて」

「えっ? お、おう……」


 はっきりとした答えを言わぬまま、梢恵は芳樹に飲み干したコップを手渡すと、踵を返して歩き出す。

 芳樹は焦らされたモヤモヤしたような気持ちになるものの、受け取ったグラスをシンクにおいて、梢恵の後を追った。この先に答えがあるのだと信じて――。


 一足遅れて芳樹が梢恵の部屋に向かうと、山積みになった段ボール箱を梢恵は漁っていた。


「えっと、どこに入れたっけなー? 確かあれだけはまとめて入れたおいたはず……」


 段ボールに首を突っ込みながら、何かガサゴソと探し物をしている幼馴染。


「あっ! あったあった!」


 すると、お目当てのものが見つかったらしく、段ボールごと持ち上げて芳樹の元へと持ってくる。


「どうよこれ!」


 ドスンっと芳樹の足元に置かれた段ボール箱の中身を、芳樹は恐る恐る覗き込む。

 中身を見た瞬間、芳樹は唖然とする。

 それもそのはず、段ボールの中に詰め込まれていたのは、全て女優『水戸瑞穂』関連のものだったのだから。


「これって……」


 芳樹が顔を上げると、梢恵はドヤ顔で得意げに話し出す。


「いやぁー実は私。水戸瑞穂ちゃんの大ファンでさ。写真集とか出演したドラマとか、全部集めてるんだよね」

「そうだったのか……」


 幼馴染にまさかの趣味発覚。今日の整理ではノータッチの箱だったらしく、芳樹も気づかなかった。

 呆然と芳樹が立ち尽くす中、梢恵は段ボールから何かを探し始める。


「インタビュー記事で寮生活してるっていうのは知ってたけど、まさかこの寮に住んでるとは夢にも思ってなかったよ。最初本人に会ったとき、デュフってなりそうなの必死に堪えて、ツーショットまで撮ってもらっちゃったし」

「そりゃよかったな」


 嬉しそうに語る幼馴染を見て、こちらまで思わず口角が上がってしまう。


「あっ、あったあった」


 すると、段ボールの水戸瑞穂コレクションの中から取り出したのは、若者女性向けのファッション雑誌。

 梢恵はその雑誌をぺらぺらとめくり、とあるページで指を止めた。

 雑誌をくるりとひっくり返して、芳樹に見せつけてくる。


「この記事読んだ時、あれっ?てなったんだよねー。もしかしてこの子。四年前に芳樹がファン一号になるって言い張ってた子じゃないかなって」


 梢恵に渡された雑誌の見開きページは、水戸瑞穂の誕生秘話が書かれた特集記事になっているようで、インタビュー形式で女優になるまでの道のりが赤裸々に語られているようだ。

 芳樹は見開きにびっしりと書かれているインタビュー記事を、じっくり読んでいく。


「……」

「芳樹のことだから、てっきりもう知ってるものだとばかり思ってたけど、その反応を見る感じ、本当に知らなかったんだね」

「うん……ずっとくるみちゃんのことは探し続けてたけど、俺が大学卒業してからもずっと見つからなくて。瑞穂ちゃんがデビューしたの、その後だったから」

「あぁ……芳樹ブラック勤めだったもんね。芸能追うのやめちゃった感じか」


 コクリと頷く芳樹。

 梢恵も、一定の同情を示してくれた。


 記事には、女優になるまでの軌跡が事細かに記されていた。

 最初は母親にずっと反対され続けていたこと。

 そんな時、とある人物が突然割り込んできて、母親に言いたいことを代弁してくれて、彼が『ファン一号』として私を応援し続けてくれると言ってくれたこと。

 美談として書かれているが、泥酔した勢いで、罵声を浴びせてしまっただけなので、居た堪れない気持ちになってくる。


 記事には、その後のことも書かれており、結局母との話し合いがまとまらず、いわば勘当という形で芸能界デビューしたことなどが語られていた。


「俺、実は瑞穂ちゃんに初対面の時、『君とは今日が初対面だと思うんだけれど』って言っちゃって、凄い傷つけちゃったんだ」

「ありゃありゃ……それはやっちゃったね」

「まだ正直実感は湧かないんだけど、本当に瑞穂ちゃんがくるみちゃんなら。彼女の期待を裏切っちゃった手前、何か自分に出来ることはないかなって」

「なるほどね。芳樹らしい考えだ」


 にっこりと微笑む幼馴染。

 そこでふと、芳樹の頭の中に一つの妙案が閃いた。


「なあ梢恵。この段ボール箱に入ってるもの、一時的に全部借りてもいいか?」

「えっ? まあ、変なことに使ったりしないならいいけど」

「使わないっての」

「えぇ、ほんとかなぁ? さっきだって、瑞穂ちゃんが一番好みのタイプとか言ってたくせに?」

「あれば……その場凌ぎのお世辞と言うか……いやっ、お世辞ではないんだけど……」

「ふふっ、冗談だよ。ちょっとからかってみただけ」

「お前なぁ……」

「まあまあ、何年の付き合いだと思ってんの! 芳樹がそんな奴じゃないってのは分かってるし。普通に貸してあげるよ」


 流石は幼馴染、昔からの付き合いだからこそ、芳樹を気持ちを慮って場を和やかにしてくれている。


「悪い、助かる」


 くるみちゃんを傷つけてしまった事実は変えられない。

 けれど、くるみちゃんが瑞穂ちゃんであると分かった以上、芳樹にはファン一号として、最低限やらなければならないことがある。そう確信していた。 

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