第21話 入居希望者

 仕事に向かう一葉さんを見送ってから、芳樹は早速寮内の掃除を開始。

 家庭用の掃除機で、一階の管理人室、廊下、リビング、洗面所の床を掃除していく。

 霜乃さんは洗濯機を回し終え、洗濯物をベランダに干してくれているところだ。

 ふと時計を見れば、もうすぐ時刻は朝の十時を指そうとしていた。


「かっしー、遅いな……」


 霜乃さん曰く、本来ならば朝九時頃に起きてきて朝食を食べ始めるというかっしー。

 しかし、今日は一向に部屋から出てくる気配がない。

 体調でも悪いのだろうか?

 だとしたら、様子を見に行ってあげた方がいいだろうか?


 そんなことを思っていた時だ。

 二階からドタバタと慌ただしい物音が聞こえてくる。


 ガチャっバタン!


 凄まじい物音が聞こえたかと思えば、ドスドスと階段を駆け下りてくる音が聞こえる。


「やっば、遅刻しちゃうよ!」


 そして、ぴょんと階段を飛ばして廊下へ飛び降りてきたのは、かっしーだった。

 ボブカットの金髪を揺らして、フード付きのダウンジャケットを羽織り、オレンジのセータに黒ズボン。背中には茶色のがま口リュックを背負っており、そのままの足で玄関へと直行する。


「おはようかっしー」

「あっ、おはようよっぴー!」

「よ、よっぴー?」


 どうやらよっぴーとは、芳樹のことらしい。

 かっしーはよっぴー呼びに言及することなく早口で言葉を続ける。


「ごめん、せっかく朝食作ってくれたのに申し訳ないんだけど、寝坊して遅刻しそうだからもう出るね! あと、うち今日バイトで夜遅いからよろしく!」


 芳樹に必要最低限の連絡事項を伝え、スニーカーを履き終えると、くるりとこちらを振り返る。


「それじゃあ、行ってきます!」

「いってらっしゃい、車に気を付けて」

「うぃっす!」


 すぐさま踵を返して、玄関のドアを開け放つと、かっしーは駆け足で大学へと向出かけていった。

 嵐のような出来事に呆気にとられ、ポツンと廊下に取り残された芳樹は、チラりと共同リビングのテーブルの上にラップして置かれた、かっしーの分の朝食が目に留まる。


「もったいないから、自分の分のお昼にしよう」


 そんなことを考えていると、ベランダに洗濯を干し終えた霜乃さんが階段から下りてきた。


「加志子ちゃん、随分と慌ててたみたいね」

「はい、本人曰く寝坊したらしいです」

「あら、加志子ちゃんが寝坊なんて珍しいわね。滅多にしないのに」

「そうなんですか?」

「えぇ、無遅刻、無欠席を目指してるそうよ」

「へぇー」


 何というか、見た目とは裏腹に意外と根は真面目なんだな。

 人は見かけによらないなと、芳樹が感心していると、霜乃さんが釘を刺してくる。


「まっ、無遅刻無欠席は優秀だけれど、肝心の授業はバイトと遊び疲れのせいで、寝てばかりらしいわ。おかげでテストの成績は毎回単位習得ギリギリで、帰省するたびにご両親に叱られているらしいわよ」

「それ、授業出てる意味ないですよね?」


 大学の成績は、ほとんどが期末のレポートやテストで単位認定が決まるので、正直授業に出ようが出まいがあまり関係はない。

 仮に出席点が成績に反映されるとしても、良くて一割程度だ。

 必修授業で三回欠席したら強制的に落単という例外も稀にあるけれど、かっしーは大学三年生。

 毎年しっかりと単位をフルで修得出来ているならば、既に必修科目はほとんど履修し終えているはずだ。

 まあ、かっしーにはかっしーなりのプライドみたいなものがあるのだろう。


「そう言えば、話は変わるけれど、今日の午後に入居者希望の子が面談に来るのでしょ?」

「はい、そうみたいですね。こんな時期に珍しいです」

「ごめんなさいね、私もいれたらよかったのだけれど、午後からアルバイトが入ってるのよ。芳樹さんは仕事にもまだ慣れていないのに、いきなりイレギュラーなことばかりさせてしまって申し訳ないわね」

「いえいえ、お気になさらず。入居希望者の面談は、管理人の仕事ですから」


 そう言っては見るものの、正直瑞穂を朝の五時前に駅へと送ってから、ここまで休みなしでぶっ通しで仕事をしていて、薄々気づいたことがある。

 それは、この寮の人たちはかなり個性的な人たちが揃っていて、イレギュラーな事態が頻繁に発生するということ。

 常に何か起こると予測して、仕事を先回りして行った方がよさそうだ。

 もしかしたら、そう言った背景もあって、管理人が見つからなかったのかもしれない。

 けれどこの程度、ブラック企業で働いていた芳樹にとっては朝飯前。全くもって苦ではない。

 むしろ、この状況を心の底でどこか楽しんでいる節まであるのであった。



 その日の午後、昼食を食べ終えた芳樹は、仕事から戻ってきた一葉さんと一緒に面談希望者の到着を待っていた。

 そして今はなぜか、芳樹もスーツに身を包んでいる。

 同じくスーツ姿の一葉さんと隣同士に座り、まるで企業面接のような緊張感が共同リビングに走っていた。


「あの……一葉さん」

「何かしら?」

「寮の入居者面談って、こんな堅苦しいものでしたっけ?」

「さぁ? 他のところはもっとラフなんじゃないかしら。そもそも、当日まで寮の管理人さんと会わないこともあると思うわ」

「じゃあなぜ、今俺達はスーツを着て、企業面接みたいな構図になってるんです?」

「そりゃだって、私がプランディングしている寮だもの。いくら芳樹君が管理人をしてくれるからって、問題児は受け入れられないわ」

「そんなに敷居高い寮なんですかここって!?」


 まあ確かに、この寮の住居人のプライバシーをよそに話さないということは大切だろう。

 瑞穂ちゃんのような現役女優もいれば、訳アリの既婚者も住んでいるのだから。

 まあ、かっしーのようなイレギュラーな場合もあるけれど……。

 そういう面を加味しての判断なのだろうけれど、オーナーと管理人共にスーツ姿で面談というのもいかがなものか。


 ピンポーン


 そんなことを思っていると、インターフォンのチャイムがリビングに鳴り響いた。

 どうやら、入居希望者の人が到着したらしい。


「はーい」


 インターフォンの受話器を取り、カメラに映る人影を確認すると、そこには目を疑う光景が広がっていた。


「あっ、やっほー芳樹! 元気してた?」

「はっ?」


 驚くのも無理はない、カメラに写っていた人物は、芳樹が良く知る人物だったのだから。


「梢恵、お前何しに来たんだ!?」

「何って、面談だけど?」

「はぁっ!?」


 当たり前のように言ってのける幼馴染。芳樹は開いた口が塞がらない。

 なんと入居希望者というのは、幼馴染の梢恵だったのである。

 芳樹がこの時嫌な予感を感じていたのは、言うまでもないことだった。

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