(4)
第二音楽室まで退避するとようやく胸をなでおろした。
「あ……」
詩乃が目を充血させて顔を震わせている。門間に言われたことがショックだったのだろう。
「詩乃平気だから! あいつの言ったことなんて気にしないで!」
詩乃の両肩をがっしりとつかんで支える。
部長が心配そうに駆け寄ってくると瑞樹が口を開いた。
「……部長さん、詩乃をお願いできます?」
瑞樹が目線で隆臣に外に出るよう求めた。
「うん、任せて。さあ、月坂さんこっちに」
「はい……」
部長が詩乃の手を引いて奥に向かうのを見届けると、廊下に出る二人を追って自分も続く。計画節電の一環で照明のつかない廊下は薄暗かった。
「あいつ、首になったと思ったのに……!」
瑞樹が重い口を開いた。
「ああ、さっき聞いたが無期停学の解除の申請に来たらしい。あれだけの処分でも更生の機会は与えるのがここの方針なんだとか」
「それで……! それであれって一体なんなの⁉ 学校の情けでお目こぼしが得られたのに、よりによって最初にやることがまたあの娘へのつきまとい⁉」
あまりの憤りに、視界が歪む。学校の甘さにも怒りを禁じえない。
「喜美子ちゃん、落ち着いて……」
瑞樹が音楽室の中を窺いながら喜美子を鎮める。
「ともかく、またしばらくは警戒しておこう」
「そうね」
門間は執念深い。もはや目的が詩乃への好意だけではなく、自分たちへの報復に変質していると見ていいだろう。
あ……。
この二人に訊きたいことがあったのを思い出した。瑞樹も隆臣も、詩乃と同じ中学の出身、そしてあの桜庭綜士とも。二人の過去になにがあったのか知らないはずがない。
機会としては今かもしれない。口を開いた。
「あ、あの二人とも……」
「大丈夫、今日は、詩乃は私たちで家まで送るから」
瑞樹が喜美子の不安を除くような笑みを向けてくれた。
「ああ、終わったら迎えにいくよ」
隆臣も同じようにする。二人の間の根雪は溶けつつあるようだ。それを思えば、喜美子も従前からの疑問を投げかけてみることもできなくなってしまった。
校舎を飛び出して、水路脇の土手道を獣のように走る。ろくに運動などしないせいか、中のものを戻しそうなるくらい息は乱れ切っていた。
「ハァハァ……」
おそるおそる振り返るも、あの本郷賢哉は追ってきてはいないようだ。
「……く! クソが!」
石を蹴り飛ばした。恐怖と屈辱でめまいがするほど血が頭に駆け巡る。
憎悪と復讐心に悶える男、門間照満は元柳の住民ではない。日之崎でも北端の街で父親の仕事の都合で暮らしていた。親の職は不安定で家は豊かとは言えず、地域柄の悪さも重なり、荒れた少年時代を送った。
なんとかして這い上がりたかった。そのための勉学に取り組もうとしだが、すぐに挫折して結果は追いついてこなかった。
ある日、自転車で適当にぶらついていたところ、海沿いの区の一つである緑山区元柳町にやってきて、目を見張った。整然とした住宅街、整備の行き届いた街路、環境の良さにただ驚くばかりであった。その後は、日之崎市の構造を調べることが多くなった。一般的に揶揄されるヒエラルキーの頂点に立つ街、元柳にあこがれを抱くようになった。
元柳の高校に行きたいと思うようになった。その中でも、上位の私立高校嶺公院を受験したが照満の偏差値では、無謀な試みでしかなくあえなく不合格となった。自分を客観視できない照満は、よその街の人間だから差別されたと被害妄想を抱くようになった。その後は、別の高校に行くこともなく自堕落な生活におぼれたが、翌年、思わぬ転機が訪れた。日之崎市のお祭り、日宮祭で大規模なテロが起こり、多くの人間が死傷した。その影響で、嶺公院高校が入学できなくなった生徒の穴を埋めるため二次募集をかけたのである。滑り込むには今しかないと思い応募をしたところ、ほぼ無試験での入学が認められた。
棚から落ちたぼたもちに過ぎないのだが、照満はついに悲願が達成されたことに狂喜した。
しかし、女子の気をひきたい思惑で入ったバスケ部で思わぬ事態に見舞われた。去年同じ中学を卒業した元同級生が二学年にいたのである。彼の口から一年遅れであることや裏技のような手口で入学したことをバラされ、部内でも軽く見られるようになった。そのことで煽られると怒りのあまり、殴りかかり入学早々に停学する羽目になり、クラブも出なくなった。
クラスでも浮くようになり、舐められたくない一心で不良めいたスタイルに切り替えたが、そのことで一層、孤立を深めるようになった。
ある日、校内で注目を集める一人の少女を見かけた。月坂詩乃、よくはわからなかった暗殺された政治家の孫娘らしい。はかなげで可憐な面持ちに気をひかれ始め、アプローチをかけるようになったが、彼女にはボディガードみたいな真似をする男がいた。
矢本隆臣、バスケ部にいた同学年の男だった。一年時からバスケ部で期待の新人と注目されており、高い身体能力と眉目秀麗な面構えで女子たちからも憧れの視線を集めている男。
その矢本とやつの仲間に詩乃への接触を妨害された。理由がわからずイラついたが今度停学になれば退学もあり得ると警告されていたため耐えることにした。方針を変えて、隆臣らのグループに取り入ろうとしたこともあったが、不快な目で拒絶されただけだった。人との接し方がわからない照満自身の落ち度であるのだが、そんなことは微塵も自認したことはない。
一度、因縁をつけて殴りかかったがあっさりいなされて、やつの仲間に押え込まれた。侮蔑の視線でこちらに投げ捨てるや去って行くあの男の背を、憎悪が充満するほどの目で睨みつけた。自分にできるのは、月坂詩乃と楽し気に語らいながら歩いている隆臣らのグループを遠目に羨望の眼差しで睨むことだけだった。
悔しかった。自分が欲しかったすべてを持っているあの男が妬ましくて仕方なかった。
そして、隆臣が月坂詩乃との接触を求めて、学校にやってきた謎の火傷の男とやり合った時のことだった。ここで活躍すれば、月坂も自分になびくだろうという思い込みでやつに蹴りかかったが、金髪の女に遮られた。自分より小柄な女に、転ばされ、怒りのあまりナイフで脅してやったが、誰も自分を認めなかった。学校からは無期停学を言い渡され、警察から取り調べまで受ける羽目になった。
どこにもぶつけようのない怒りは目的を変質させ、もはや隆臣らに一泡吹かせたいことが照満の中でプライオリティーを占めるようになった。
詩乃に強引に迫って既成事実を作ってしまえば、矢本のやつは悔しがる。それを狙って、やつがいないタイミングを計り実行に移したが、失敗に終わった。
「クソが!」
改めて隆臣や賢哉への憎悪を煮えたぎらせる。無期停学がようやく解除されるというのにまた処分を受けるかもしれない。
「なんで俺がこんな目に……!」
そこで思い出した。あの自分を放り投げた金髪の女を。
「あのガキ……!」
今度見かけたら殺してやる、呪いながら木片を踏み砕いた。
息を切らして憤激が冷めてくると、また別の怒りが湧きあがってくる。持続しないはずの感情をいつまでも維持できる歪んだ才能であった。
どうすれば詩乃と隆臣を隔離させることができるかを考える。あの忌々しい詩乃の守護者気取りを追い落とすには。
謀略を練っているさなか、風が一つのチラシを足元まで運んできた。ハロウィンフェスティバルの宣伝が記されている。
「……へっ」
口元を歪ませて、ほくそ笑んだ。この上なく上等な案が浮かんだ。
「矢本……殺してやる」
劣等感と屈辱は憎悪に昇華され、御しきれない憎悪の渦は、とうとう照満に本気の殺意を持たせるまでに至らしめた。その瞬間、自分を否定した者たちへの復讐だけが門間照満のすべてになった。悪謀略を巡らせては喜悦に微笑むその歪んだ顔は、憎しみの奴隷以外のなにものでもなかった。
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