(6)

「もしもし……」

「あ……綜士……さん……ですか?」

「ええ、あなたは」

「ああ! やはり綜士さんでしたか!」

 受話器を落としそうになるほどの大声が飛び込んできた。

「え、えっと」

「私です! 服部! 服部泰山です! あなたの祖父に仕えていた」

「あ、ああ、服部さんでしたか」

 服部泰山、日之崎通商の副社長で父、桜庭総一郎の片腕とも言われていた人物である。


「お坊ちゃん、無事なんですね⁉ 生きていらっしゃったんですね⁉」

 お坊ちゃんはやめてくださいと、顔を合わすたびに言っていたのだが、服部氏は興奮のあまり忘却しているようだ

「え、ええ……無事、とは言い難い状態でしたけど、市民病院の方々の力で、なんとか生き永らえることができました」

「そうだったんですか……。いやあ……で、ですが!」

「はい?」


「水くさいじゃないですか! なんで私にご連絡くださらなかったんですか⁉」

「すみません、俺、少し前に意識を取り戻したばかりで色々頭が混乱してて……。それに服部さんも新しい仕事を始めてらっしゃっているようでしたから……」

「大変だったんですね……。ともかく、一度、直接会って話しましょう」

「ええ、構いませんが」

「そちらの聖霊館、というお屋敷まで、明日私が赴きますので」

「え?」

「ああ、そこを管理されてる方がいらっしゃるんですね? お願いしてはもらえないでしょう

か?」

「ちょっと待ってください」

 子機を持ってダイニングに戻る。


「芽衣子、明日、ここにお客さん呼んでいいかな?」

「大丈夫だよ、ご両親のお知り合い?」

「うん」

 子機に耳を当てる。

「大丈夫です」

「わかりました、それでは時間の方を……」

 だいたいの予定を組んでから通話を終えることとなった。

「誰だったんだよ?」

 リサがすぐ隣に来ていた。


「ああ、親の会社の人だよ」

「それがなんだって?」

「明日、話すことになった。まあ、解散の処理とかだと思うけど」

いつまでも経営者不在の状態を遊ばせてはおけない。現在の株主は綜士なので、その辺りの話だと推測した。

「それじゃあ、みんな、そろそろここは片づけて、ラウンジに行こうか」

 芽衣子がそう呼びかけた。


 いつものようにラウンジに集まると、さっそく依織のためにプレゼントのペンタブとソフトをセッティングした。

「ほら、これでもう描けるよ」

「う、うん……」

 恐る恐る、ペンタブにスティックを当てると、小学生たちが感嘆の吐息を漏らした。

「すごい……」

「美奈もやってみる?」

「うん、ちょっと」

 それを横目に、リサに視線を移すと、デスクトップパソコンの方でなにか見ている。戦争関連のニュースだろう。

「……?」

 リサの眉間にしわが寄った。近づいてみる。

「どうした?」

 リサは黙したまま、顎を振って画面を見ている。覗き込むと、そこに映っていたのは、

「……⁉」

 奇妙な光景に思えた。FCU軍の兵士と思しき捕虜が目隠しをされて石造りの建物に囲まれた道路で連行されていく。場面は砂塵が舞っており、中央アジアのどこかと思われる。


 どこからの広間に映像が切り替わった。そこで台に乗せられた捕虜の首に縄がかけられたところで画面にモザイクがかかった。

 捕虜が後ろから台から蹴落とされ、宙ぶらりんの状態になった。処刑である。

 記事を読むと、FCU軍司令部は条約に反する蛮行と非難し、中東の敵対国は非道な民間居住地へ空爆を行った戦争犯罪人の処刑であると述べた。裁判は即日結審、執行となったとあり、報復以外のなにものでもないと思える。


 はるか昔の世界大戦に逆戻りしたような凄惨な光景に青いものが額に浮かんできた。

 吊るされている兵士の姿を注視する。撃墜された攻撃機から脱出したパイロットのようだ。彼を吊るすことで、住む家を失った人たちは一時的に溜飲が下がるのかもしれない。だが、

 こんなことをすれば……。

 更なる報復を招き、攻撃もより激烈なものに変質するだろう。


 これが大人のやることか……。理性を持っている人間が大人なんじゃなかったのか。

 戦争が終わらない理由の一端が見えた気がした。

 リサがブラウザを閉じる。依織の誕生日に嫌なものを見たと、言葉を交わさずとも二人の想いは一致しただろう。

「おう、ちょっとオレにもやらせろ」

 リサが依織たちのもとへ向かう。その背がどこか小さく見えた。あの兵士の姿に父親を重ねてしまったのかもしれない。


 気分を切り替えたくて、廊下に出た。

 窓を開けると吹き込んできた冷気に、思わず身を縮こまらせる。

「だいぶ冷えてきたな……、お……?」

 芽衣子が裏庭で携帯電話で誰かと話している。

「……」

 以前から、いい人でもできたのかと推察していたことを思い出した。

「まさかねえ……」

 芽衣子が男と、逢引きしている構図がどうも頭に浮かばない。ちょっと近づいてみることにした。

「……ないよ。元気にしてる。もうみんなすっかり……」

 盗み聞きなどする気はない。正面から堂々と足を運んだところで、芽衣子がこちらの姿を認めた。

「それじゃあ、また……うん、じゃあね」

 電話を切った。

「やあ」

「うん」

 ニッコリ笑顔で煙に巻きたい意図が見え見えだった。普段から抜け目ない彼女も急場は多少隙が出るようだ。


「だんだん冷えてきたね」

「そうね」

 白々しい腹の探り合いを開始した。

「あのさ……」

「なーに?」

「俺、ここに来てからずっと芽衣子のことすごいと思ってたよ」

「いきなりどうしたの?」

「いや、その年で、自分のことも後回しにして、聖霊館やみんなのために身を粉にして働いてて」

「そうかな?」

 素で口にしたように見えた。


「でもさ、もう少しくらい……」

「はい?」

「自分のことを優先したって、誰も気にしないと思う」

「綜士?」

「だ、だからさ……もし……いい人でもできたなら……」


 芽衣子が目を丸くする。そして、

「……プッ、あ……アハハハハ!」

 口を大きく開けた大哄笑を披露してくれた。こんな大笑いを彼女がするのは初めて見る。

「え……?」

「そ、綜士、今、話してた人は……、ふふ……秘密」

「そ、そう」

 どうも男がらみというわけではなかったようだ。学校の友達だろうか。


「でも……」

 芽衣子が笑い涙を拭きとって、居住まいを正した。

「そこまで言うなら、ちょっと頼んでいいかな……?」

「うん、なにかな?」

 芽衣子が距離を詰めた。

「あ、あの……」

「……甘えさせてもらっていい?」

 広げた腕が綜士の両腕に接する。ハグを求めている、と解釈していいだろう。


「い、いいよ」

「それじゃあ」

 芽衣子の両腕が絡みつくように綜士の背に回った。わずかな逡巡を経て、綜士も同じようにする。

「……」

 甘い匂いと、首筋にかかる芽衣子の吐息、朦朧としかけた意識をクリアーにするように努めて、芽衣子を包むように抱いた。

「……慣れてるんだね」

 芽衣子がささやく。

「……昔、彼女がいたから」

「そう……」

 芽衣子の力が弱まったとことで、同じタイミングで、静かに体を離した。


「ありがと……」

「いや、別に……」

 遠くから聞こえるサイレンで、素面に戻ったような気がした。

「それじゃあ、もどろっか」

「うん……」

 芽衣子を追う形で、本館へと歩く。

「……ちょっと悪いことしたかな」

「……?」

 聞き取れないほどの小さな声音であった。


 枕を潰すくらいに頭の重量を押しつける。依織の誕生パーティーはつつがなく終わり、自室

で就寝の運びとなった。プレゼントを気に入ってもらえたようで綜士も心安らぐ思いだった。


 依織喜んでくれてよかった……。依織……いお……り。


 弟の伊織のことを思い出す。生きていたのなら六才の誕生日を向かえていただろう。来年には小学生になって元気に学校に通っていただろう。


 なんもしてやれなかったな、俺……。


 自分より年下に先立たれるのがこんなにつらいとは想像したことはなかった。


 なんで伊織が……。


 死ななければならなかったのか。なにも知らない四才の幼児になんの咎があったというのか。

 体を起こして、暗んだ瞳で宙を見つめる。

 目覚めてからずっと考えないでいたことに、意識が向き始めた。


 このままで……いいわけがない……。


 両親と弟を殺した犯人は依然として捕まっていないのだ。なのに生き延びた自分だけが生を謳歌している。新しい家と家族に囲まれて、別の絆を育んでいる。決して忘れてはならない、本当の家族を。その理不尽極まる死を。


 もしそいつを見つけたら……。


 目をそらしていた概念がついに頭をもたげた。暗い火が灯り、復讐の二文字が胸を焼く。

 遠くで稲妻が響いた音を耳が拾った。



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