(7)
夕虫の調べで、我に返った。床に座り込みながら、ゆっくりと首を動かし、辺りを見回す。
天井のステンドグラスから差し込むオレンジの夕陽、遠くから聞こえる救急車のサイレン。手に冷ややかな感触を感じる。なにかにずっとつかまれている。それに視線を向けた。
「……」
隣に座っているリサが壁に背をつけながら目を閉じている。眠っているわけではないようだが、意識の半分はまどろみに浸かっているのかもしれない。
あのままリサに手を引かれて、聖霊館の裏庭の小屋まで連れられてきたことをようやく想起した。
「リサ……」
微弱ながら声を出せた、が返事はない。
無礼をわかっていながら反対の手で、彼女の髪にそっと触れた。さらさらしたブロンドの髪の感触が指先に伝わる。
携帯を確認すると、芽衣子からメッセージが来ていた。今から依織たちとともに、柚葉の店で慰労を兼ねた夕食にするという。綜士のことは、体調が悪くなったので先に帰ったことにしたとのこと。気を回してくれたようだ。また本郷賢哉の傷は浅く、諸々の誤解はすべて解けたことも知らされた。
「ハァ……」
芽衣子の仕事を増やしてしまったことに歯噛みする。みんなも心配しているだろう。こちらは問題ないとのメッセージを送りたいのだが、右手はリサに握られている。
口元になにか違和感がある。先ほど喧嘩で負傷した部分が処置されていた。リサがやってくれたのだろう。
「リサ……ありがとう……」
返事はない。
俺にとって、なんなんだろうな……この娘は……。
家族との永別を知ったあの日、初めてリサと会った。その次の日、実家まで同道してくれた。嶺公院で袋叩きにされたときに、颯爽と助けてくれた。
思えば、自分が潰れそうになった時に、いつもリサがいてくれた。
口は悪いが、どんなときも言葉の端々には思いやりがにじんでいた。いつも自分とみんなのために一生懸命だった。
ついさっき見せた、透明なひとしずく、リサを泣かせてしまった。
馬鹿だ俺は……。いつまでもずるずると詩乃のことを考えているから……。
あんな狂態を見せてしまったのだろう。
天窓を仰ぎ見る。空は暮れなずみ、星々がその姿を現し始めていた。
「……綜士」
瞬発的に首を向ける。リサが目を覚ました。
「……ごめん」
それしか言えなかった。リサが顔に手を伸ばしてきた。それは頬をつかみ、
「……ん」
いつかの時のように額と額を合わせた。されるがままになる。
彼女の吐息が顔にかかる。後数センチ顔を寄せれば、唇も合わさる。
「……」
だがそれは、できなかった。するべきではない、リサは、家族なのだから。
リサが静かに頭を離した。
「もう、平気……?」
「ああ……ありがとう……」
見つめ合う格好になる。あの異常行動について話さなくてはならない。
「リサ、俺……」
「夕飯にするか? 昼からなんも食べてないだろ」
「え……?」
リサが立ち上がる、なにがあったのか訊く気はないということだろうか。
だけど……!
もうこのままではいられない。いつまでもリサや芽衣子のやさしさに甘えてはいけない。
「どうした?」
「つ……」
「つ?」
「……月坂詩乃……」
とうとう言ってしまった。
「……」
「昔……付き合ってた……」
「……そう」
リサが背を向ける。賢哉との喧嘩の理由をそれとなく察したようだ。
「……もう会わないように一筆書かされたよ……」
「……それで……いいの?」
黙り込む。
「俺の独りよがりだったんだ……どうにもできない。もう彼女は……」
「綜士!」
いきなりリサが大声を張り上げて振り向いた。
「私はあなたが思ってるほど強くない! もしあなたがどこかで危険なことをして、なにかあったらと思うと……!」
わなわなと震えるリサ。
わかる気がする。彼女が今も、戦地にいる父親のことで、内心では不安な日々を送っているはず。聖霊館の家族も同じように想ってくれているのだろう。
普段の男みたいな話し方も気を強く持たないとダメになってしまいそうな不安の表れなのかもしれない。
語調が変わったことにもさほど違和感はなかった。これが本来の彼女なのだろう。
「すまない……もうあんな馬鹿な真似はしないから……」
「……絶対だよ」
「ああ……」
踏み出した。距離が縮む。
「リサ……」
「……な、なら許す」
リサが恥じらったように顔をそむけ、抱きしめようと思った手が引っ込んだ。
「あ、ああ……悪い」
お互いようやく素面に戻ったようだ。
リサが背後に回り込んだ。
「オラ! 飯だ飯」
「わ、わかったって」
背中を押されながら、本館へと戻ることになった。
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