(5)

 夕食後のラウンジで適当に駄弁りながら明日の運動会について談義する聖霊館の住人達。

 伸治から渡されたプログラムに目を通す。徒競走、組体操、騎馬戦、玉入れ、とおなじみの種目が並んでいる。

「ふーん、やっぱり運動会ってどこも同じようなもんだね」

「まあね、私もここの小学校の出なんだけどほとんど変わってないみたい」

 隣でクッションに腰を落とした芽衣子が美奈の髪をすいていた。

「保護者向けの種目もあるけど、綜士もなにか出てみる?」

「まさか……」

 出るわけがない。


 そういや父さんはろくに見に来なかったな……。


 懐かしさにと同時に寂しさも去来した。

「お兄ちゃんが出たらみんな怖がっちゃうもんね」

 容赦ない依織の暴言。

「こんにゃろ!」

即座に取っ組み合い開始。

「でも、もうだいぶ薄くなってきたよね、綜士兄さんの顔の火傷」

 伸治がペタペタと頬に触れる。

「そうね、市民病院様様で……」

 こちらに背を向けて寝っ転がりながら、なにかの漫画を読んでいるリサにチラリと視線を向けた。最近はあまり病院にボランティアに行っていない。父親とは連絡はついているのだろうか。

「ひひ、腕がなるぜ」

 瞬が倒立を始める。明日は多くの種目に出るらしい。


「三人は小学校最後の運動会で大きなイベントもこれで最後になるね。ほんとは修学旅行も行けたらよかったんだけど」

「うん……」萎れた声を出す依織。

「私は……」

 ぼんやりした声を上げる美奈。

「美奈は行けるさ、来年には戦争も終わって……」

 瞬が、途中まで言いかけた言葉を呑み込んだ。リサがいる以上、戦争の話は避けているのだろう。リサの父親は今も戦地で危険な任務についているはずである。

 まだ先ほどの件でふてくされているリサ。思い悩んでいる時期に余計な負担をかけたことは素直に謝っておきたいが、どうもきっかけがつかめない。


 そうだ……。


 一案を思いついた。

「みんな、今日はもう休もう。明日は早いんだし」

 芽衣子が立ち上がって、就寝の運びとなった。ぞろぞろと全員で部屋に戻っていく途中、芽衣子を呼び止めた。

「芽衣子、あれ、リサにあげちゃっていいかな?」

「うん、いいけど、二人で行くの?」

「え……? い、いや、結奈ちゃんと行くだろ」

「そうだね」

 おかしな想像をさせられたと思う。


 リサと……デート……。


 頭を振った。

 自室に戻った後、鞄から先日モールで手に入れたあれを取り出して再度廊下に出る。

 リサと依織の部屋の前まで来ると、ノックをしようと手を伸ばしたが、「……」なぜかノックできない。


 どうした……?


 手が妙に固くなっている。先ほど不良に一撃入れた時に痛めたわけでもない。軽くなでまわすも異常はない。

 緊張している、自分自身に驚く。ずっと前に感じた感覚、これは……、

 詩乃と付き合う前に彼女と話す時にいつも感じていたあの時の神経反応に近い気がした。

 頭を押える。


 どうしてしまったんだ俺は……。


 と思ったその時、ドアが開かれた。

「……!」

 眼前にはリサ、なにやら目を丸くてしていた。

「あ……」

 言葉が出なくなる。

「……綜士、電話が」

 リサが彼女の携帯を差し出した。

「え? 誰から?」

「……本郷さんだって」

「ホンゴウ?」

 誰のことだろうか。


「この間モールで会ったあの人」

「ああ、でも……なんで俺に?」

 自分になんの要件があるのだろうか。

「いいから出て」

「ああ」

 リサのスマートフォンを手に取った。


「もしもし……」

『……あ』

「はい?」

『桜庭……綜士だったな』

「……そうだけど」

 あの時の男の声だったのだが、やけに固くて冷たい。敵意すらにじんでいる気がする。

『おかしなこと訊くようだが……』

「なんでしょう……?」

『お前、さっきうちの生徒と会ったか?』

 お前、呼ばわりされたことに驚くと同時に、

「うちの……? うちのってなんだよ?」

 不快な気分になってきた。親しい間柄でもないのにお前はないだろうと内心で憤る。


『嶺公院高校の人間に会ったかって訊いてんだよ……!』

「嶺公院……」

 あの男は嶺公院の生徒だったようだ。

「そんなの知る……あ……」

 そう言えば一人会った。あの少女も嶺公院の制服だった。

『どうなんだ⁉』

 携帯から声が漏れるほどの声で賢哉が叫んだ。

『おい……!』

 リサが不安な表情になっている。慌てて階段近くまで移動した。


「ああ……! そういや一人女の子に会ったな……でもそれが」

『やっぱりお前かぁぁ!』

 さらに追加爆発したような怒号が響いた。

「な、なに言ってんだあんた……? なんでそんなに」

 怒っているのかわけがわからない。

『てめえ汚ねえぞ女相手に! 俺が相手になってやる! 明日面貸せクズ野郎!』

「クズ野郎……?」

『おい聞こえてんのか⁉』

「おい、さっきからなんの話をしている? わかるように説明」

『うるせえ! 啓吾さんの顔見知りだからって容赦しねえぞ!』

 会話が成立しない。一方的にまくしたてられてこちらもイラついてきた。

「なんなんだよお前は⁉」

 つい叫んでしまった。


『ああ⁉』

「俺の話を……あ、リサ……」

『ッ⁉』

 リサがいつのまにか接近していた。さらにドアが開かれる音、芽衣子たちも出てきたようだ。

 まずいことになった。

『……』

 男が黙る。リサがいることに気づいて頭が冷えたのかもしれない。

 階段を降りて、玄関前の広間までさらに移動した。


「……なにを言っているのかわかんないんだけど」

『……明日、ちょっと話を聞かせろ』

「別に構わんが……」

『場所は』

「そっちが来い」

 要件もわからないのに呼び出されてたまるかと思う。

『いいだろうどこだ?』

「午後一時に……汐浦南小学校の裏門」

『上等だ、逃げんなよ』

 そういうと電話を切られた。

「ハァ!」

 言葉はわかるのにコミュニケーションがうまくいかないというのは最高にイラつくものだと感じる。


 それにしてもあいつ……。


 嶺公院の男子生徒だとは聞いていなかった。またしても嶺公院が自分の生活に関わってきたことに、あそことは呪わしい縁で結ばれているような気さえしてきた。


 あの女の子がどうしたったって……? ひょっとすると……。


 あの男の彼女だったのかもしれない。それでなにか誤解して怒り狂っていると考えれば辻褄は合う。

「ともかく……」

 明日、直にあって話をつけたほうがいいだろう。電話だけではわからないこともある。

 部屋に戻ろうと階段を上がったところ、

「お……」

 全員がこちらを見ていた。なにごとかと黙して綜士の言葉を待っている。

「いやあ、今日は冷えるねほんと……ハハ」

「綜士、今誰か……」と芽衣子。

「古い友達と話して盛り上がっちゃったよまったく迷惑なやつで」

 冷や汗をかきながらみんなの脇をすり抜けたところ、

「リサ、ちょっと部屋まで来てくれないか?」

と述べた。

「……うん」

 リサが黙ってついてくる。背中に視線を感じつつも、部屋のドアノブを回した。


「よっと……」

 ベッドに腰を落とすと、髪をつかんでクシャクシャにする。どうにもややこしいことになった。あの男は、リサの親友の結奈の兄の知り合いで、今日会った少女の彼氏、かもしれない。情報の多さで頭がこんがらがるも、なにか勘違いして綜士に敵意を燃やしているのは明らかである。


 どうしたもんか……。まあ明日、直接会って……。


「あの……」

「へ?」

 間抜けな返事とともに、リサを連れ込んでいたことを思い出した。

「あ、ああ……! 悪い悪い、携帯ありがと」

 リサの携帯を差し出すも受け取ってくれない。

「なにがあったの……?」

「ああ……よくわかんないんだけど」

 本当に今の時点ではわからないことだらけなので、なんと言っていいのか説明に難儀する。

「あの、本郷とかいうやつになんか勘違いされちゃったっぽい」

「勘違い?」

「ああ、その女性がらみみたいなんだが」

「……」

「なんなんだろうな、えっと……。……リサ?」

 リサが、あっけにとられたような表情になっていた。

「それって……」

「うん……?」

「私のこと……?」


 私?


 リサの一人称が変わっている。よく見ると顔つきまでなにかおかしい。普段の勝気さが消失して、まさに少女みたいな顔になっていた。

「いや違うって……その、さっき」

 リサは黙って綜士の言葉を待っている。


 ど、どうしたんでしょ……。


 呼吸を整える。先ほど帰宅途中、一人の少女を助けてチンピラに一撃をくらわせた顛末話してもいいのだが、今日、リサは気持ちが沈んだり怒ったりで精神が疲弊しているはず。これ以上、余計な刺激は与えず、休んでもらったほうがいいと判断した。

「ともかく、会って話してみるよ。すぐ誤解は解けるからそんな心配するなって」

「……わかったよ」

「う、うん」

「ああ、それとこれ……」

 渡しそびれるところであった。懐からからモールの福引で手に入れた遊園地のペアチケットを出した。

「これ、どうぞ」

「……」

 黙したままチケットを凝視するリサ。

「……あのー」

「え?」

「だからこれ……この間、福引で手に入れたんだけど、二人分だけだからさ、よかったら……」

「……」


 なぜ黙る……?


 軽く咳払いしてから、

「結奈ちゃんと一緒に行ってきなよ」

「え……? あ、ああ……そう。ありがと……」

「うん……」

 目と目で見つめあう。不覚にも、鼓動が速まった。

「あ……さあ、もう寝よ寝よ」

 リサに改めて携帯を渡すと、ドアを開こうとしたところ、

「……」

 ドア越しでもそれとなくわかる、ドアの向こう側で耳を澄ませている子どもの気配を四つ知覚した。


「ガオー!」

「わああ!」

 猛獣の如くうなり声をあげて、ドアを一気に開く。小学生四人が一斉に逃亡した。

「ったく……ほらリサ」

「うん……お休み……」

「お休み……」

 テクテクと自室へと引き上げていくリサの背を注視する。足もとにぶれはないようだ。

「ふう……。あ……」

 芽衣子がニッコリこちらを見ていた。なんの意図かとジト目で視線を返してしまった。

「リサ、今日は私の部屋で寝なよ」

 芽衣子がリサを呼び止めた。

「え……? でも」

「いいから」

 強引にリサを引きずり込んでドアを閉じた。なにを話す気でいるのだろうか。

 こちらもドアを閉じた。部屋の真ん中で、ぼんやりと棒立ちになる。

「ああ……もう!」

 顔をめちゃくちゃに揉んでから電気を消して、ベッドにうずくまった。



 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る