(2)
聖霊館に帰ると、一気に疲れが噴出してきた。
「綜士、大丈夫?」
「あ、ああ、ちょっとガタがきてるみたい……」
朝のリハビリに加えて、遠出したことで無理が祟ったようだ。
「部屋で休んでて、夕食になったら呼ぶから」
「いや手伝うよ」
ポンと背中をはたかれる。リサの意味ありげな表情、
「……わかった」
体調管理というものが理解できるようになってきた。
部屋に戻るとベッドに倒れて、枕に顔を押しつけた。
「ふう……」
疲労は感じるがどこか心地よい。大きな、と言っては大げさだが仕事を一つやり終えて組織に貢献したという自信がついたような充足感がある。
仕事の醍醐味ってのはこういうのなのかもな……。
誰かに必要とされるから生きることへの実感もわく。聖霊館の運営に貢献できたという事実は素直にうれしいことである。
目覚めてからろくな目にあってない反動もあった。拒絶と敵視、わかりあえない不毛感、負の情念ばかりが横溢していた。
ここに来てからまだ数日だというのに、もう元柳での生活が数年前にすら思える……。
あるべき場所は、もうこの家なのかもしれない。
体をひっくり返して、天井をぼんやり見つめる。
今の自分は不確定だ。まだどこかに昔の関係に未練を残している。隆臣や瑞樹とも和解できる日が来るかもわからない。だが、どうあってもあの頃のようにはなれないだろう。だからこそ、ここで新しい絆をはぐくんでいくことだけに傾注すればいい、のかもしれない。
腕を口元につけると汗ばんでいる匂いが広がってきた。
食事前にシャワーにするか……。
立ち上がった。今日はもう外出することもないだろう。タオルと替えの衣類を持って部屋を出た。
二階のシャワー室で熱い湯に打たれながら、手を軽く振る。鈍さがなくなってきており、本来の感覚を取り戻しつつある。
ここは青年の男手は俺だけだ。もっと鍛えよう。
畑仕事だけではない。治安の悪化による起こりうることも想定したうえでそう慨嘆した。不測の事態というのはいつ起こるかわからないから不測の事態なのであり、あの悪夢に遭遇した身としてはそうした事態に備えることは当然の防衛反応であった。
シャワー室を出て、鏡で体の状態を確認する。青白さに赤みがかかってきたように見える。血行もよくなってきたのかもしれない。
しかし……やはりこの傷は目立つな……。気長にやってくしかないけど……うん?
影のようなものが鏡にチラついた。振り返ると、
「え……?」
「あ……」
小さな影の持ち主と目が合った。
「……」
無言で見つめあう。
「あ……えっと……」
「はい……」
まじまじと凝視されている。下半身にタオルを巻いただけの男を前にして、動くに動けないでいるのだろうか。
「み……美奈ちゃん……?」
「はい……」
完全に固まったまま、同じ言葉を繰り返す美奈。
「な、なにか……用でも……?」
美奈が口元を押えて半回転した。
「あ、えっと……こ、こ、こ……」
「こ?」
「ここ、つ、つかわ……せて……」
「あ、ああ。ちょっと待って着がえるから……外で待っててもらってもいい……?」
「は、は、はい……」
小さな乱入者は固い足取りで廊下に出ていった。
な、なんなんだ……?
慌ててタオルで体を拭いて、シャツに袖を通す。転びそうな勢いで下着とハーフパンツを身に着けて、更衣室を出た。
「えっと……」
綜士に背を向けたまま、自分の体を抱くようにしている美奈を視界に収めた。
「あの……俺、終わったけど」
弟をよく風呂に入れいたので、子どもに裸を見られたところでどうということはない。
「し、下のお風呂場がまだ用意できなくて!」
いきなり叫ばれたのでのけぞりかけた。
「今日はたくさん汗かいて、はやく体を洗いたくなったからここに来たんです!」
「あ、ああ……」
つまるところ弁明しているのだろう。それにしたって無言で背後に忍び寄ることもないのにとも思ったが口にはしなかった。
「そ、それじゃあ、どうぞ……」
「はい! ありがとうございます!」
綜士に背を向けたままカニ歩きでシャワールーム入りする美奈、これ以上会話を続けるのもかわいそうな気がして、そのまま部屋に戻ることにした。
どうもあの子がわからない。シャワーを使うのになにか準備でも必要なのだろうか。疑問は尽きなかったが、彼女なりの生活習慣でもあるのかもしれない。あれやこれやと詮索することもないだろう、とその時は思った。
自室に戻って体を休めていると、階からベルが鳴る音がした。食事の用意ができたのだろう。やや戸惑い気味のままダイニングへと向かった。
ダイニングでは芽衣子たちが皿を並べていた。軽く首を回して人員を確認する。
「ああ、綜士……どうしたの?」
エプロン姿のまま芽衣子が振り向いた。
「えっと……いや、夕食の準備、ありがとうございます……」
「なんだよそれ」
リサがピッチャーをテーブルに置いた。
美奈はまだ来ていないようだ。
「ハァ……」
椅子に腰を下ろして、肩を軽く揉んだ。
「うん……?」
正面に座っている伸治がスマートフォンに見入っているのだが、顔がなにやら張り詰めている。
「どうかしたの?」
呼びかけて見た。
「え……? あ、いや、えっと……」
なにかしどろもどろになる伸治。
「はい?」
よく見ると隣の依織もさっきから落ち着きがなく、ちらちら伸治の様子をうかがっているように見える。
「……瞬のやつ、今日は遅くなるから先に食べててって、言ってきて」
「そう、どうしたのかしらね」
芽衣子も椅子に座った。
「瞬が? どこにいんだあいつ?」
リサも腰かけた。
「蓮華園で……友達と遊んでるからって……」
歯切れが悪い。なにか口止めでもされている印象を受ける。綜士も小学生の頃、親に嘘をつく時はこんな挙動になったことがある。
「……うん、まあそれならいいけど。明日学校なんだから早く帰ってくるように伝えておいてくれる?」
と芽衣子。表向き探るような気配はなかった。
「うん……」
伸治が視線を落とすのと同時にドアが開かれる音がした。ドアの付近に目をやると、
「あ、美奈、お風呂入ってたの?」
「う、うん……」
美奈はラフな部屋着になっていた。
「ごめん、汗かいちゃったから先に入って……」
「別にそんなこといいけど、体はちゃんと拭いておきなさい。もう夜は冷える時期に入るから」
「うん……」
「……」
彼女が先ほど、一階の浴場ではなく二階のシャワーを使ったことに触れなかった。そのことが少しに気になる。
話すほどのことでもないだろうけど……。うん……?
美奈の顔を注視する。口元になにか張りついているように見えた。さらに目を細めると、
「あ……」
目と目で見つめあう形になった。顔を赤くして、美奈が顔を下げてしまった。綜士も無礼を働いたと思ってそれ以上凝視するのはやめることにした。
「それじゃ、ご飯にしましょう」
夕食となった。
「そういうわけで、綜士のおかげで食費とかすごい節約できるようになったの」
今日の件を嬉々としてみんなに語り聞かせる芽衣子。
「俺のおかげってわけでもないけど……」
「うふふ、それでいいじゃない」
「いいじゃなーい」
リサがおどけて復唱した。
「ともかく、みんなのお小遣いも増やせるから」
「ほんと?」
依織が身を乗りだす。
「なんだよ? 依織なんか買いたいものでもあるのか?」
リサが口に運んでいた箸を止めた。
「あ……うん、ちょっと……」
頬をかく依織、秘め事の一部をつい漏らしたといったふうに見受けられた。
「あ……お小遣いのことまだ綜士には話してなかったね、私の方から配分してるんだけど現金でも振り込みでもどっちでもいいから」
「え? いや、俺はいらないよ」
個人的な買い物は自分の預貯金で当分は事足りる。加えて、両親の遺産相続の手続きが終われば手持ちのお金は使いきれない程になるがそちらには手を付ける気はないでいる。
「ダーメ、みんなが受け取ってるんだから、綜士も受け取るの」
「でもなぁ……」
一才しか違わない女性からお小遣いというのが外面的に見てなんだかかっこ悪いように思える。
ヒモじゃないんだから……。
口には出さないがそんな印象を持ってしまった。
「もらっとけよ。オレだって、親からの仕送りとダブルで受け取ってるし」
リサがこともなげに述べた。
「リサ、あなたは無駄遣いしちゃだめだよ、その……お父さんがすごいがんばってくれてるんだから」
「しないって」
芽衣子もどこか口に出しづらいようでいる。戦時下でかつ親が軍人ということの性質上、どうしてもセンシティブな話題になるのだろう。
「それじゃ、綜士は口座振り込みの方がいいかな?」
「……ああ、お願いします、姉さん」
「アハハ!」
笑いを取ったつもりはなかった。
夕食が終わる頃になってもまだ瞬は帰ってこなかった。
「瞬、遅いね」
テーブルを拭きながら芽衣子が時計に目をやる。
「なにやってんだあいつ?」
リサが伸治をチラリと見た。
「……もうすぐ帰ると思うから……」
その時、ドアが開かれる音がした。
「ただいまー」
瞬の声が響いてすぐ、ダイニングまで彼はやってきた。
「瞬、遅かったね」
「……うん、ごめんちょっと、遊びすぎちゃって」
「……」
瞬の様子を窺う。衣服に乱れはない、顔も汚れてはいない。喧嘩沙汰、というわけではないと思える。
「ご飯できてるよ、今、温め直すから」
「ありがとう、芽衣子姉ちゃん」
瞬がテーブルについたと、同時に美奈が小走りに駆け寄った。
「あ、あの……瞬……」
「なんだよ?」
「……なにか……」
「どうした?」
声のトーンが機械的な応答を繰り返しているように見えた。芽衣子とリサはキッチンのほうにいて気づく気配はない。
「……ううん、なんでも」
美奈がなにか聞きたかったようだが断念した、と感じる。伸治と依織もこちらを見ていないが、なにかを気にしている感じがする。
瞬一人で食事をさせる気はないようで、芽衣子たちもそのままダイニングでテレビを見つつ駄弁りながら、日曜の夜を過ごすことなった。
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