第五章 予兆と枯れ尾花

(1)


「ほんとですか⁉」

 電話の子機を思わず落としそうになった。

『ええ、他ならぬ日之崎通商のご子息の頼みとあっっちゃあ、こちらも一肌ぬぎたくなるってもんです』

 北城牧場の代表取締役、その人が堂々とした声音でそう言ってくれた。

『しかし、綜一郎さんのご子息の綜士くんが無事だったとは、私もうれしいですよ』

「……生前は父が大変お世話になりました……」

『こちらこそです』

「ありがとうございます……! それでは、今から寮長と話してきますので」

 向こうから見えているわけでもないというのに頭を下げる。母の癖だった。

『ええ、お待ちしております』

「はい、失礼いたします」

 電話を静かに切ってから、まとめたメモを持って学習室に向かった。芽衣子が小学生組と勉強しているはずである。

 速足で、向かった。


「芽衣子!」

 ドアを開くや、呼びかける。

「ど、どうしたの綜士?」

 勢いがあり過ぎたようだ。テーブルを囲んでいる依織と伸治が目を丸くしている。

「あ……ちょっといいかな?」

「うん」

 芽衣子と廊下で話すことになった。


「えっと、なにから言えば……」

「なぁに?」

 なにかワクワクしたような表情になる芽衣子。

「俺の……その、実家ってちょっと卸売りの商売やってて」

「へえ」

 北城牧場など複数の取引先だったところから、肉類や小麦、さらには裏に庭の畑に使える肥料を格安で売ってもらえるようになった旨を説明した。

「ほんと……?」

「ああ、大体の見積もりがこんなもので……」

 簡単にまとめた金額が記載されたメモ帳を出した。

 芽衣子がそれを見て、目をぱちくりさせた。


「どうかな? かなり食費とか節約できる……と思うけど」

 ざっと計算しても、七割減は固い。戦争が始まる前に近い価格に加えて、事情を説明するとさらに好意的な価格設定に色付けしてもらった。

「……ほんとなのこれ?」

 芽衣子が顔を上げて、信じられないという顔を向けてくる。

「うん、おかしな業者じゃないよ。ずっと、うちの……日之崎通商と付き合いがあって信頼できるところだから」

「……すごい。すごいんだね綜士は……」

「いや、別に俺がすごいわけでもなんでもないけど……」

 親と会社の余慶であり、遺産といえる。


「うん……。わかった、この話、受けさせてもらっていいかな?」

「そのつもりで話したんだよ」

「ありがとう、すごく助かる」

「それじゃ、俺、今日にでも向こうに挨拶と配達の手配に向かうから」

「私も行くよ。ちゃんとお礼言いたいし」

 芽衣子に手を取られた。

「あ、ああ……」

「芽衣子……」

 思わずのけぞりかけた。いつのまにか小柄な彼女が背後まで接近していた。


「美奈、もういいの? 昨日、少し具合悪いみたいなこと言ってたけど」

「うん、平気」

 相変わらずこの子は気配が察知しにくい。

「なにかいいことでもあったの?」

「うん、綜士がね、家のためにがんばってくれて」

「大したことじゃないから……」

 視線をそらして頬をかいた。女性に賞賛されれば、男としては充足できるものがあるが、久しくなかった感覚に戸惑う。

「あの……綜士さん」

「ハハ、俺のことも呼び捨てでいいから」

 もとより年下に「タメ口」を聞かれて気分を悪くするような綜士ではない。むしろラフな口ききをしてもらわないといつまでもお客さん気分が抜けてくれない。

「うん、綜士……お兄ちゃん、昨日元気なかったみたいだけど……」

「あ、ああ……。ごめん、余計な心配かけたね。もうなんともないから」

 そう自分に言い聞かせる。芽衣子の視線を一瞬感じた。外の話が気になったのか、伸治と依織が学習室から出てきた。


「みんな、私、綜士とちょっと出かけてくるからお留守番お願いするね」

「うん」

 伸治がうなずく。美奈も追随したが、依織は、目を見開いて綜士を見た。


 な、なんだろ……。


 好奇心と探求心にあふれた視線、なにか勘違いされてそうなプレッシャーを知覚した。

「なにやってんだー?」

 リサもやってきた。

「ああ、リサ、私今から」

 下の階のエントランスからドアが開かれる音がした。やや強い。


 全員の視線が注がれた階下から、瞬が上がってくる。

「……?」

 なにか彼の顔に緊張の線が浮きだっているように感じた。怒っている、というわけではないようだが、真剣な表情に誰しも声をかけるタイミングをはかりかねている。

「……なに?」

 瞬の方からだった。

「瞬、私たち、今から物資の買い出しの契約に行ってくるけど」

「……全員で?」

 瞬が小学生三人に視線を走らせる。

「ううん、私と綜士で行くつもりだけど」

「わかった、俺はみんなと留守番してる」

「うん、昼食はサンドイッチを用意してあるからそれでお願い……あの、瞬」

「なにさ?」

「なにかあったの?」

「いや、なにも」

 瞬は無表情でそう応じた。素なのかポーカーフェイスなのかいまひとつ読めない。


「そんじゃ、俺も宿題やるから……みんなちょっと付き合ってもらっていいか?」

 伸治たちにそう呼びかける瞬、バラバラのテンポでうなずく三人。

 子どもたちが学習室へと戻っていく。入り際に、

「綜士兄ちゃん、姉ちゃんを頼むな」

「あ、ああ……」

 そういうと部屋のドアを静かに閉じた。

「……さて、支度してくるね」

「うん、エントランスで待ってる」

 と述べて部屋に戻ろうとしたところ、

「オレ全然聞いてないんだけど」

 リサに後ろ襟をつかまれた。


「ふーん、お前の家の会社ね」

「日之崎通商だ。そんな大したことのない中小企業だったけど……」

 校外の北城牧場に向かう快速電車の中、座席に腰を落として流れる街の建物を次々と見送っていく。

 結局、リサもついてくることになった。

「ご両親の経営だったんだよね?」

「ああ、父さんたちが……いなくなってから、副社長だった人が色々頑張ってくれたみたいだけど、今は休眠状態になってる」

 服部副社長と連絡を取ろうかと思っているが、もう次のビジネスを始めているようで邪魔をしたくない思いもあり控えている。

「そういや元柳のボンボンだったなお前」

「……いいだろ、そのことは……」

 あの街でのことは、今は考えたくない。リサの無遠慮な言いようを芽衣子が眉をひそめて諌止した。


 電車がトンネルを抜けると、青い空と一帯に広がる緑地帯が見えた。県境付近の牧場地帯、国の食糧増産政策の後押しを受けて、新規に事業を開始する人たちが増えていると聞く。

 目的の駅に着くと、バスに乗って移動する。紅葉の季節であり、赤、黄色の葉に彩られた林道を散歩する人たちが目に入った。

「はぁ、きれい」

 芽衣子が窓の外を見て嘆息した。

「紅葉狩りの季節だしね」

「みんなも連れてくればよかったかな。ここ最近全員で遠出とかしてないし、修学旅行もなくなっちゃってがっかりしてるだろうから」

 ほんとに母親みたいなことをいう娘だと思う。

「ああ……。……?」

 軽く伸びをしたところでリサと視線が交差したが、すぐそらされた。

「……」

 やはり昨日のことで、まだ綜士のことを心配してついてきてくれたのかもしれない。


 北城牧場につくと、牧場に隣接してる本館、そこの社長室まで通された。

 父、桜庭総一郎とも親交のあった北城社長は綜士の生還を大いに喜び、今回の契約も児童施設への支援という社会的意義のある行為として、締結してもらうことができた。

 芽衣子とともに丁寧に礼を述べる。

「アルクィン財団ともご縁ができて、名誉なことです。谷田川氏にもよろしくお伝えください」と社長は述べた。

 

秋の牧場を散策する三人、直帰してもよかったのだが、見て回りたいというリサの希望を受けて少し見学させてもらうことにした。

「おお、アルパカがいるぞ。ありゃバイソンかすごいのがいるなここ」

 はしゃぎながら、駆けまわるリサ。

「小学生かあいつは」

 と言いつつも綜士も、久々のレジャー気分に内心浮ついている。

「フフ、綜士、元気になったみたいね」

「ああ、その……昨日のこと、ごめん……」

「ううん、でもあまり自分自身を追いつめちゃだめだよ」

「うん……」

 草の匂いが薫風となって鼻腔をくすぐった。

 日の暮れぬうちに汐浦に戻ろうということで、名残惜しくも動物たちに別れを告げた。

 夕陽の差し込む電車内で他愛もない世間話にふける。ごく自然にそういうことができるようになっていた。まるで家族とそうしてきた時のように。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る