(2)

 部屋のベッドに身を投げて、枕をきつく抱く。

 綜士が来てから今日で二日目でしかないというのに、もうずっと一緒に暮らしていたような気がする。


 どうして……。


 あの時、彼を聖霊館に来ないかと言ったのは私自身。過去の経緯から年の近い男というだけで敵意や反感を持つのに、なぜか綜士には最初にあった時からそういう黒い念を抱くこともなかった。弱っていたからだけではないだろう。彼は、私に似ている、のかもしれない。なにがと自問してもわからないが、本質的な部分で気質が相似している、と勝手に思ってる。


 綜士はここでの生活をどう思ってるんだろう。実家が元柳のあんなきれいで大きな邸宅なら嫌がるんじゃないかと不安があった。けど、そんなそぶりは全然見せないし、無理をしているようにも見えない。馴染んでくれていればいいんだけど。

 瞬や依織たちも既に綜士に打ち解け始めている。あの年で小学生にも細かい気配りができるのは、弟がいたからなのかもしれない。


 姿勢を変えて、テーブルに視線を移す。パパからの手紙が見えた。内容は同僚たちと楽しくレクリエーションをやったり非番中に釣りをやったりしただの、とても戦場にいるとは思えないのんきなものばかり。軍規上の都合というだけでなく、私に余計な心配をさせまいとパパなりに気を遣っているのだろう。

「いつまで、子どもだと思って……」

 本当の心を見せてほしい。辛いと思うなら帰ってきてほしい。娘ながら軍人に向いている人間ではないと昔から見てきてわかっている。ほんとに馬鹿々々しい戦争なんて……。


「綜士は……」

 本当の心、彼もいまだにそれを見せてはくれない。いや、見せようとしているのだが、それができずにもがいている。家族がこの世を去ってしまった、というだけではない気がする。他になにかとてつもなく辛く、悲しい出来事があったんだ。きっとそう思う。


 本当は昨日聞いておきたかったが、できなかった。あんな追いつめられたような顔をされたのでは、聞きたくても聞いてはないけないと思った。ただあの時、わずかに聞いた彼の昔の友人との会話、嶺公院前でのあの悶着、あそこに彼に関わるなにかがある、彼を知っている誰かがいるのだろう。私としたことが、啓吾兄が嶺公院の生徒だと失念していた。あの異常な緊張から察するに、綜士はやはりあの高校に並々ならない因縁があるのだと思う。


 裏庭から二人が話す声が聞こえてきた。畑をやるとか。私も行こうか。でもくたびれたなんて言っちゃったし。ほんとは全然疲れてない。楽しかった、こんな楽しい気分で運動したのは久しぶりだった。でもこれ以上は、いけない。私が楽しい思いをすれば、パパによくないことが起る。なぜかいつもそう思ってしまう。不幸を運ぶ死神は、いつだってこちらが油断しているときにやってくる……。



「うわあ……、雑草だらけだな」

 窓から見た以上に得体の知れない草やら蔓などが、絡まった配線コードのようにレンガ塀に囲まれた畑、の跡地に密集していた。

「スコップとかはあそこの物置にあるけど……」

 芽衣子が古ぼけた用具入れを力任せに開けた。

「ふっ!」

 開いたと同時にほこりが一斉に外に向かって飛び出してきた。

「大丈夫か?」

「平気、もう……ちゃんと手入れしておけばよかった……」

 中に入ると、鉢植えやプランターなどガーデニング用品が並び置かれていた。

「使えるかな……」

 スコップを手に取る。ざらざらした木製の取っ手だが特にひび割れているような箇所はない。すっぽ抜けるようなこともないだろう。シャベルも一つ、拾い上げた。


「とりあえず雑草から片づけるから」

「うん、ゴミ袋持ってくるね」

 作業開始である。蔦を強引に引っ張るとその長さと頑固さに驚愕した。

「この……!」

 力技で引き抜いてまとめて脇に置いた。

「ふう……」

 一本、処理しただけで早くも汗が額から流れ出た。ゴミ袋を持ってきた芽衣子が、丁寧にレンガの縁の上の土をシャベルで落としていく。

「そんなに丁寧にやらなくてもいいよ。花壇つくるわけじゃないんだから」 

 ジャガイモ畑にする予定である。あまり手を広げて凝ったものを植えれば管理が面倒になるだけで、かえって採算が合わなくなるかもしれないと判断した。


「うん、でもよく畑やろうなんて思ったね」

「なんとなくだよ……。家にいる時間を有効に使いたいし……この力仕事もリハビリにはちょうどいいってもんだ。ふぅ……」

 ある程度自給できれば食費を浮かせるのではという目算もあるのだがそれは口にしなかった。自宅栽培で作ったものなど、子どもたちは嫌がるかもしれない。スコップで草の根ごと掘り起こした。


「まあ、ド素人だし、大失敗する可能性もあるけど」

 作業も進んで草が詰まったゴミ袋を3つこしらえた。

「ひええ……」

 手がしびれて、指先がじんじんする、

「少し休憩にしようか?」

「ああ」

 屋外用の椅子に腰を落として、芽衣子が用意してくれたお茶を一気飲みした。

「ところで綜士、高認の勉強を始めてるんだよね?」

「うん、1、2年の頃の使わなくなった教科書とか貸してもらってもいいかな?」

「もちろん、でも、綜士……、もし……」

 芽衣子の声がやや低くなった。


「なに?」

「もし、学校に行きたいなら来年からでも……」

「行かないって……」

 二年遅れで高校に行っても意義はあるだろうが、そんな気にはなれない。

「そう……。でも、予備校とか行くんだったらちゃんと経費としてでるからちゃんと言ってね。それに地域センターで市民向けの学習講座もやってるから」

 芽衣子はこの家で綜士だけが学校に通えていない状況を気にしていたのだろう。

「ああ、ありがと。そういや……」

「うん?」

「ここはセントアンナ教学舍と関係が深いって聞いたけど、依織ちゃんはやっぱりそっちに進学するのかな?」


「うん、そう言ってる。ただ裏口みたいでなんだか気が引けるみたいなことも言ってるけど……ちゃんとした制度なんだけどね」

「ハハ」

 制度としてはアメリカのレガシー枠というやつに近いのかもしれない。

「ふっ……」

 へんてこな妄想が口を開かせた。

「どうしたの?」

「俺も来年、セントアンナに行けばリサと同級生になるなって……」

「……そうね。女の子になっちゃう?」

 二人で大笑い、あいにくだが性転換する予定はない。

 その時、玄関から、高い音が聞こえた。インターフォンの音だろう。

「ああ、お客さんみたい、ちょっと行ってくるね」

 芽衣子が立ち上がり、その場を後にした。

「高校か……」

 一日とて経験できなかった。中学に比べれば自由度も跳ね上がるが、その分責任も求められる。大人になるうえでの重要なステップを踏めなかったのかもしれない。


 肩をもんで、再び草を引き抜く作業に戻った。高校について考えるだけで、考えたくないことまで考えてしまう業を背負っているような気分になる。

 俺はもう汐浦で生きていくんだ。いつまでもあの時のことを……。

「綜士……」

 誰かが、背後から自分の名前を呼んだ。たおやかで聞き馴染んだ声、振り返る。そこにいたのは、

「……」

 穏やかで、控えめな微笑を浮かべて彼女がそこにいた。


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