(7)
結奈にダイニングまで案内された。家の中は静まり返っており、両親は不在のようだ。
「その辺りにかけちゃってください」
「ああ」
「わかった」
リサが綜士の真正面に座った。
「……」
黙ったまま、視線を遊ばせる二人。お互い気になることがあるが口には出さないといった空気である。
訊いてみるか……。
咳ばらいを一つしてから、呼吸を調整した。
「リサ」
「なんだ……?」
「リサのお母さんも聖霊館の住人だったのか?」
「ああ、もう死んじゃったけどな」
口元が凍りついた。ある程度予想はできたが、返答が直球過ぎる。訊くべきではなかったと、後悔の念に打たれた。
「わ、悪い……」
「いいんだよ別に、結構前の話だし……それより」
「うん?」
「お前、あの時、嶺公院で……」
「ああ……そのことなんだけどな」
「お待たせー」
ようやく話せると思った矢先に結奈の甲高い声が会話を中止させた。アイスティーとクッキー缶をトレーにのせてすたすたとやってきた。
「ここは結奈の払いですよ、どうぞご賞味ください」
演劇のノリなのか天然なのかわからない。
話す機会を逸したようであとは取り留めもない世間話の続きとなった。
窓から差し込む光が濃くなったあたりで、結奈が時計に目をやった。
「っと、もうこんな時間だね。そろそろお母さんたち帰ってくると思うけど、二人ともご飯食べてきません?」
「いや、そろそろ戻るよ」
リサの方を見る。彼女もうなずいた。
「遠慮することありませんよ。お母さんもここんところリサちゃんと会ってないから、しょっちゅう連れてきなさいって言われてるし、たまには顔見せても」
「結奈、気持ちは……うれしいけど、みんなを待たせてるから……」
「ああ……そうだね、ごめん……」
結奈も聖霊館という孤児たちの家を知っていればそこでの食事というのが、大きな意味を持つことは理解できるのだろう。
立ち上がって、荷物を手に持った。
「芽衣子さんたちに、よろしく。今度また遊びに行くから」
「ああ、泊まりに来いよ。依織たちも喜ぶ」
そこで、ドアが開かれる音を聞いた。誰かが入ってくる。
「ふむ、お兄ちゃんですね」
兄がいるようだ。足音だけで判別できたと読み取れた。
「結奈、誰か来てるのか?」
一人の男が入ってきたところで、
「ああ、お帰りお兄ちゃん」
「こんにちは、久しぶり、啓吾兄」
「やあ、リサちゃんじゃないか。それと……」
目を見開いたまま、短髪長身の男を見て言葉を失った。向こうも同様のようだ。
この男……あの時の……。
見間違いかと記憶を精査するが、男の来ている制服を見ればやはり間違いはないと見ていい。男も、驚愕したように綜士を凝視している。あの時、嶺公院高校の前で隆臣と衝突した時、乱入してきたあのチンピラがナイフを取り出した際にそれを怒号で制圧したあの大柄の男、それが今、綜士の眼前にいる。
「……? どしたの二人とも?」
結奈が固まったままの二人の見比べる。
「綜士?」
リサも状況をかみ砕けていないようだ。あの時は綜士がリサの前に立つ形になっていたから、おそらくこの結奈の兄、と思しき男がいたことには気づかなかったのだろう。
まずいな……。
結奈がいたのでは、話すに話せない。首を窓の外に向けて、表で話す、と男に目で通知した。男も、うなずいた。意思は伝わったと確認する。
「リサ、ちょっと待っててくれ」
そういうと先んじて部屋の外に出た。
「結奈、少し……話してくるから中にいろ」
「え? うん……」
男も後を追う形で綜士の背を見ながら歩いてくる。
家の外の道路で対面する二人、結奈の兄という男は長身に加えなにかスポーツでもやっているのか筋肉質で服の上からでも引き締まっているように見え、屈強という印象を受ける。緊張をはらみつつも、話すことにした。
「俺は……」
「嶺公院高校三年、
先んじて男が名乗った。
「……桜庭綜士」
男を正面に見据えて目力を込めてはっきりそう名乗った。なんら隠し立てしていることなどないと態度で示す。
「……ふむ」
やや男の気が和らいだように感じた。取りあえず綜士が悪意を持ってここに来たわけじゃないと判断したようだ。
「元柳第一中学の出身……今はアルクィン聖霊館というところで世話になってる」
「なんだと……⁉」
啓吾という男が吃驚を帯びた声を出した。結奈の兄、というなら当然彼も聖霊館を知っているのだろう。
「……妹さんとは今日、朝、助けられて知り合ったばかりだ。別に他の目的があってここに来たわけじゃない……」
「……」
啓吾が綜士の姿を注視する。
「……もうここに来るつもりもない。言いたいのはそれだけだ、失礼する」
踵を返して、背を向ける。チラリと家のドアを窺ったところリサと結奈が出てきた。
リサを待たないまま歩き出した。リサが啓吾に別れを述べて追ってくる気配をかぎ取って歩き幅を縮めた。
「おい……」
「帰るぞ……」
それしか言えなかった。リサもなにも聞かずに追随するように歩いた。
思考がまた激しい混濁の波に襲われている。今、あの啓吾という男から隆臣たちとの関係を聞かれたら、気がおかしくなりそうだった。
夕暮れの街を無言で歩き続ける。南の海からの潮風が鼻腔をくすぐる。時折背後の様子を道の交通ミラーで確認しつつ、リサがついてきていることを確かめた。踏切の音が遠くから聞こえて、特急電車が空気をうならせる。
リサはなにも聞いてこない。
……芽衣子は俺ももう聖霊館の家族だと言ってくれた。それなら……。しかし……。
決心がつかない。そもそもリサに話したところでどうにもならないようなことである。だが、しかし、
このままじゃ……よくない……。
立ち止まった。目を閉じて、内面が平静を保つように心機を整えてから、振り返った。
「リサ……俺は」
「いいよ」
「え?」
「無理に話さなくていいよ」
リサは真っすぐとこちらを見つめている。表情は感情を隔離したままだが、眼差しの奥が見せる心の色は、やさしい。
「難しい問題……なんだろ」
「……すまない。もう少し時間が欲しい。気持ちの整理がついたらちゃんと話すから……」
「うん、待ってる」
そういうと、淡い笑みを浮かべてくれた。
「ありがとう……」
振り返った綜士の背に、「……」リサがそっと触れた。服越しでも伝わる、久しく忘れていた人の温もり、今はただ、それに身を委ねていたかった。
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