第19話 霧の剣

 宿屋二階の泊っている部屋で、マーディは窓に腰かけて外を眺めていた。部屋の二つあるベッドの片方で寝ているリーゴ・トミナのいびきがたまに聞こえてきたが、気にせずにアトミラの夜の街並みを視界に捉えていた。



 明日は飛行船の工場に調査に行くことが決まっていた。2パーティ合同で竜名残が発生していると思われる場所に赴くのだ。戦いは避けられないだろう。昼過ぎにあった竜名残の男との逃走劇での自分はあまり役に立っていなかった。挽回しなければとマーディは思っていた。どれだけ周りに持てはやされても、実戦で役に立てなければ、ただの張りぼてではないか。ただの担ぎ上げられる神輿にはなりたくはなかった。



 悶々としたまま夜風に当たっていると、コンコンっと扉を叩く音が聞こえ、マーディはリーゴを起こさないようにそろりと窓から降りると、扉を開けた。



「えーっと、あなたは?」

「夜遅くに申し訳ありません。わたくし、クレントンと申すものです。教会の謁見の間で一度お会いしてはいるのですが」

「ああ、聖女と一緒に消えた人・・、いや、少し言い方が失礼だった。すまない」

「いえ、いいのです。お気になさらずに」

「それで、何か用事でも?」

 マーディは言いながら、部屋から出て扉を閉めると言った。



「ユカ様がお呼びです。危険な場所に赴く神技使い様に、明日発たれる前にどうしてもお会いしたいとの事で、こうして失礼を承知で参りました」

「ユカさんが・・?わかった。丁度眠れなかったところだ。で、どこに向かえば?」

「この宿屋の外の、すぐ近くでお待ちしています。案内しましょう」

 クレントンの言葉にコクンと頷くと、マーディは促されるままに、宿屋の外に出てすぐ近くの町を展望できる場所へとついて行った。



 満月になる少し前の月、僅かに中途半端な円が夜を照らし、街の明かりがさらに夜を重ねて照らしていた。その夜の帳を曖昧にする点在した光を見下ろしながら、ユカはじっと道の隅で待っていた。



「こんばんは、ユカさん」

「こんばんはマーディ。わざわざお呼びしてしまい申し訳ない。クレントン、ありがとう。下がっていい」

 ユカ・ローニスの言葉にクレントンは一度お辞儀をすると、月と町の光の届かない闇へと消えていった。



「それで、どうかしましたか」

 マーディは石畳の道の柵に手を置きながら言った。



「マーディさん。明日、竜名残がいるかもしれない工場に行かれますよね」

「ええ、そのつもりです」

 ユカの言葉に、マーディは答えた。



 夜風が流れ、薄紫のユカの髪が揺れる。その様を、まるで絵画のようだとマーディは感じた。



 ユカ・ローニスは一度目を閉じた。そして、ゆっくりと瞼を開けた。その一連の動作に、優美さが自然と纏う。

「マーディさん。アトミラに来た当初、昔話を聞かせてしまいましたね。余計な事を言って申し訳ないです」



「いえ、余計な事だとは微塵も感じていませんよ。貴重なお話でした」

「そう言ってもらえると、とても嬉しいです。私は」

 ユカは一瞬、マーディに視線を真っ直ぐ捉える。そして、少し微笑むと再び闇を照らす街へと帰る。マーディは自然と自分の瞳が自由を奪われユカの顔をじっと見るが、少し恥ずかしくなって視線を重ねるように町に向けた。



「その昔話で言っていたことに関係するのですが」

 ユカは話を再開する。



「ケルという名前の犬を覚えていますか」

「覚えています。ユカさんの飼っていた飼い犬ですよね」

「そう・・とてもお手が上手なんですよ」

「へえ、お利口なんですね」

「はい、とても。それで、ケルの事なんですが」

 少し言葉を詰まらせるように一瞬間を置くと、再び会話を続ける。



「実は工場での竜名残の件について関係があるかもしれないのです」

「どういうことです?」

 突然の想像していなかった情報に、マーディは聞き返す。



「竜名残の目撃情報は、今日の昼に出会った男とは別に数日前から挙がっていた。それがアカデミーの、皆さんの任務になった。その目撃情報とは、一匹の犬の形をした竜名残なのです」



「犬の形をした・・」

「はい。その目撃情報の、ある項目に私は注目しました。犬の顔に、大きな痣があったというのです。それは、ケルも同じ場所に痣がありました」



 ユカの説明に、マーディは理解する。

「なるほど。その竜名残の犬が、ユカさんの飼っていたケルかもしれないと」

「その通りです」



 言うと、ユカは自分の腰に下げていた剣を外すと、マーディに差し出す。



「この剣は父の使っていた霧の剣です。私たち家族の、大切な証でもある。どうか、もし、ケルだとすれば、今も続いている昔の悲劇の続きを、神技使いであるあなたの手で終わらせてほしい。わがままではありますが」

「しかし、ユカさん。自分の手でやらなくてもいいのですか?」

「もちろん私も討伐に志願しましたが、カルア様のお許しは出ませんでした。ならせめて、我が家族の剣で、終わりにしてほしいと。私の勝手なわがままですが」



 ユカの差し出している霧の剣を、マーディは受け取った。

「わがままなんかじゃない。色々事情があるとはいえ、ユカさんの気持ちを、少しでも汲み取ります。この剣で、せめて安らかに」



「ありがとうございます。マーディさん」

 霧の剣を持つマーディの手を、ユカが握ると瞳を閉じて頭を手に当てしばし祈った。マーディは最初こそ驚いたが表情を引き締め、祈りが終わるのを待った。



「ではマーディさん。どうか、ご無理をなさらず、ご無事に帰ってきてください」



「はい、もちろんです。この霧の剣と共に、かならず帰ってきます」



 マーディとユカは夜の街を見下ろす場所で分かれる。



 その帰り際、宿屋に帰るとアティアが一人、玄関扉の前で立っていた。



「余りのぼせるなよ、マーディ」

 その言葉に反応せず、マーディは一人、リーゴの眠る部屋へと帰っていった。

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