第40話 カレーと誠司
紺野さん、紺野
歳は私の一つ下、年下との恋愛は初めてやけど、大人の一つ下なんてあってないようなもん。彼はしっかりしていて頼りになったし時には年下らしく懐こく甘えてきて可愛くもあった。さすがは小型犬、なんて言うたら怒らせそうやけど。
緊張しいな第一印象やったけど、付き合ってみたら実際は結構度胸があるし、好奇心も旺盛。ほんまに女性に慣れてなかっただけやったんかもしれん。
彼は私に「気が合う」とよく言った。実際私が好きな食べ物や趣味を「俺もそれ好き!」とはよく聞いたけど、それでも私との決定的な違いというのはあって。
「え、カレー苦手?」
「ごめん、体に合わんのかカレーだけはあかん。お腹壊すよって」
ある日不意に、そんな事実を知らされた。彼はなんの気なしにさらりと言ったけど、私にとってそれはかなりの衝撃やった。そうか……カレーが苦手。つまりこの人と結婚したら、もうカレーを作ることはなくなるんや。そう、つまりおかあのあの味も味わえんようになるし、この先受け継いでいくこともきっと難しくなる。
──柏木家のカレーの日とゆうたら俺じゃろ。
一瞬誠司の顔が浮かんで慌ててかき消す。当然あんなことも、二度となくなる。
それでも「やっぱ真知ちゃんとは気が合うよって」なんて嬉しそうに懐っこく言われると嫌な気はせんかったし、だんだんとほんまにそうなんかもな、と私も思えていた。
幸せになろう、そう思うんならカレーのひとつくらい犠牲にできんと。
私があまり動けんのもあってデートは近所でひっそりとすることが多かった。たまには街へ出掛けてベビー用品なんかを選んだりもしたけど、それにはやっぱり常に申し訳ない気持ちが付き纏って。
「ごめん、
ある時私が耐えかねてそう言うと、彼は立ち止まって「なん言うん」と少し怒った。
「俺が好きでやりよることや。真知ちゃんも、お腹の子も、俺には大事やし守りたい」
温かくて、嬉しくて、柄にもなく思わずぎゅうと抱きついてしまった。彼は少し驚いた顔をしたけど、そっと抱きしめ返して頭を撫でてくれた。
いつか、この人との子どものためのベビー用品もまた買いに来れたらええな、そう淡く思った。
お付き合いしよる、という話を打ち明けたら当然ミクさんやおかあは最初ひっくり返りそうなほど驚いた。「ほんまに大丈夫なん?」と心配もされたけど、仲良くデートを重ねる私らの姿を見て今では「よかったやん」と言ってくれるようになった。
誠司には、まだ話してない。どんな反応しよるか、案外「へー」みたいな薄い反応かもわからんし、それとも……いや、まさか。あいつにそんな権利はない。
なんにせよこんな話、わざわざ呼び出して言うほどでもない、と言い訳をしてそのままにしていた。
そうやって、先送りにして目を逸らしていた私も悪かった。
「あ? 誰、あんた」
「えっ……」
隣町まで映画を観に行ってきたデートの帰り道やった。「赤ちゃん生まれたらしばらくは映画も観れんじゃろて」という彼の優しさが嬉しくて、つい……手を繋いだりして寄り添って歩きよった、そんな時。
「誠司……」
私が呼ぶと瞬くんはすぐに察して「ああ、あなたが」と意外にも臆することなく強気な態度を見せた。
そしてきっぱりと「真知さんとお付き合いさしてもろてます。紺野、いいます」と礼儀正しく答えた。
誠司はそんな瞬くんをじっと見つめて、というか睨んで、それから私に無表情の視線を移した。説明しろ、いうこと?
「……あかんやった?」
無意識に怯えた声になったかもしれん。それを察してか誠司は「は」と軽く笑って続けた。
「べつに。おまえの好きにしやええじゃろ」
そして瞬くんの方は見ずにそのまま去っていった。
……なんやろな。悪いことしたわけやないはず。なのに心が、潰れるように痛いんはなんでかな。「気ぃ取り直そか」と明るく話す瞬くんの声は、ほとんど聞き流してしまった。
帰宅すると、お茶の間に紙袋が置いてあった。中身は、哺乳瓶洗浄剤や、赤ちゃん用のおもちゃ、服も少し。誠司おかあが持ってきたんかな、と眺めていると、廊下からおかあが顔を出した。
「それ、誠ちゃんがさっき置いていったんよ」
案外あの子も楽しみにしよるんやねえ、と笑うおかあと一緒に笑うことは出来んかった。
「どないした?」と戸惑うおかあの胸に、顔をうずめて嗚咽をもらした。
苦しい。辛い。心が痛い。悪くない、でも悪くなくない。
瞬くんとおる私を見て、誠司はどんな心境やったんやろか……。
「おかあ、私……どうしたらええかわからん」
少しの間そのまま泣いて、やがて涙が止まる頃、おかあが優しく微笑んで言った。
「今晩、カレーにしよかな」
おかあのカレーは今日もやっぱり美味しくて、萎んだ心にじんわり染み渡る。やっぱり、これ。これが私を創りよると言っても間違いないくらいに、これを食べて私は育った。
だからやっぱり、カレーなしの人生なんて考えられん。その時不意に、ああ、そうか。と思い至った。
誠司は、うちのカレーみたいや。
物心ついた時からずっと私のそばにおって、私を創りよる。スパイスみたいに刺激があって、連日続くと飽き飽きするけど、少しの間食べんと恋しくなって────
恋しくなって……?
あれ、私、どうなんやっけ。誠司のこと……。不意に甦る誠司のアパートでの記憶を慌ててかき消した。
瞬くんのことが好きなんは、ほんま。嘘やないし、誰かの代わりなんてこともちろんない。
でも……。
途端にわからんくなってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます