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2022年4月26日 17:57
質問です。ジャンルの現代ファンタジーについての質問ですが、剣と魔法がありながら、スマホやパソコン、タクシーといった現代の道具、乗り物が登場するのは、現代ファンタジーとは言いにくいと指摘されました。それに、銃を平然使うのは、異世界色が強くなるらしいです。さらに、剣と魔法を学ぶ場所で銃を学ぶ必要があるのか指摘されると正直なところ、納得出来ません。別にこれらがあっても大丈夫じゃないかと考えているのですが、フィルムアート社が考える現代ファンタジーとは、なにか教えてくれませんか?
作者からの返信
本連載を読んでいただき、ありがとうございます。質問の点について回答させていただきたいと思いますが、フィルムアート社としての(会社としての)「現代ファンタジーの定義」について回答することはできかねますので、あくまで本連載を担当している私個人(中の人)の感想として、受け止めていただければと思います。まず、コメントを拝見する限り、カクヨム上のジャンル区分「現代ファンタジー」に投稿されているサファイア様の作品に対して「これは現代ファンタジーではないのではないか(どちらかといえば異世界ファンタジーなのではないか)」という指摘があった、ということが問題になっているのかと思います。カクヨムの定義によれば、現代ファンタジー…現実世界に連なる世界観で展開される、超常や異能など非現実的な設定が登場するファンタジー作品のジャンルです。となっています。その点において「剣と魔法がありながら、スマホやパソコン、タクシーといった現代の道具、乗り物が登場する」世界観は現代ファンタジーの定義そのものなのではないかと思っています。つまり、現代ファンタジーとして投稿することに何ら問題はないのではないでしょうか。弊社の連載「きちんと学びたい人のための小説の書き方講座」でジャンルについて解説している回があります(ジャンル篇)。ここで解説していることはざっくりと下記の2点に集約されます。・書き手がジャンルを意識することは非常に重要・ただし、ここでいう「ジャンル」というのは世界観や設定などで規定されるもの「ではなく」ストーリーの「型」のことを指す世界観や設定といったディティールはもちろん大事ですが、それはあくまでストーリーを補強する道具立てに過ぎず、いちばん大事なのは物語の構造がそのジャンルに求められるものになっているのかどうか(読者とのお約束を果たすことができているかどうか)である、ということが弊社刊行物には書かれています。サファイア様をはじめとしたカクヨム読者が現代ファンタジージャンル作品に「物語として」期待するものとは何なのか、という点について改めて考えてみることで何か気づきがあるかもしれません。とはいえ「世界観や設定」は大変重要です。特にファンタジーやSFというジャンルにおいてはなおさら重要です。『ゲド戦記』などで世界的に知られる(おそらく世界で最も著名な)SF・ファンタジー作家のひとりであるアーシュラ・K・ル=グウィンも著書『文体の舵をとれ』の中で次のように述べています。「SFもファンタジーも、語られない限り読者が知る由もないような情報を、たくさん伝えないといけないからだ。自作の舞台が2005年のシカゴなら、その時と場所、物事の状況については読者もだいたいそれなりにわかっていると考えていいし、そのままそれとなくほのめかして描写に詰め込んでいけばいい。だが自作の設定が3205年のりゅう座4︲β星の場合は、読者も何を想定すればいいかさっぱりわからない。物語世界の創造と説明は、物語内でなされなければならない。それこそSFとファンタジーのとりわけ興味深くも美しいところだ。書き手と読者は、世界構築の上で協力関係にある。とはいえ、実際にやるとなると厄介である。」サファイア様の作品「サファイアオブプリンス」の「あらすじ」と「第一章 中山として別れる日」3話分を拝読いたしました(時間の関係で、全文読むことはできませんでした)。世界観の設定についての所感です。「太平洋の島国に存在する学園都市アーサー」という冒頭の記述から地球のどこかが舞台になっていることがわかります。「騎士」「ランクエリアとランクシステム」という用語が登場し、ファンタジー要素を感じることができます。さらにスマホが登場し、基本的には現代と地続きの世界観なのかな、と推測できました。つまり現代ファンタジー的な作品であると認識できました。ただ、いち読者としてやや混乱した点があったので、以下の通り列挙させていただきます。あくまで3話を読んだだけでの感想ですし、下記の疑問は後の回で伏線として回収されているのかもしれません。その点ご了承ください。・登場人物の名前が日本人だったり外国人風だったりする理由(や必然性)がわかりにくかった・「建築魔術」という用語から「魔術」が存在する世界なのはわかるが、登場人物のアクションなどをみると基本的には現実のわれわれと同じような行動をしているため、ファンタジーであることを意識しにくい・第3話で登場する「謎の男」の存在やこの男の使った技(魔法?)がこの作品世界の中でどれくらい特殊な出来事なのか、わかりにくかった。「魔術」は存在する世界だが、この謎の男が使ったような人間の姿(設定)を変える魔術はこの世界には存在しないということか。設定や世界観はなるべく早い段階で読者に提示できていたほうがよい、という考え方があり、もしかするとその点でもう少し説明してあげたほうが親切だったという意見もあるのかもしれません。例えば(私は小説書きではないので、参考になるかわかりませんが)、中山がいじめらている描写について。現状「入学当初から彼女に汚い水を飲まされたり、周りの目の前で恥ずかしいことをさせられたりと散々な目に遭ってきた」とありますが、現実世界と同じようなイジメの描写になっているので、魔術を使っていじめられる、とかこの世界ならではの(ファンタジー要素を入れた)描写にするなど。あるいは、学校のカリキュラムの説明の描写で「一時間目のスタートは、八時十分。一日の授業数は七つで、一つの授業時間は七十分。授業の間に十分の時間がとってあり、昼休み一時間目を含めて終了が夜の六時十分となる。」とありますが、時間割を説明するのではなく、「体内に埋め込まれた聖石を育てて自らを強く」する授業風景の描写を入れることで、読者がもう少し「現代+ファンタジー」の世界観であることを意識できるのではないかと思いました。以上、回答になっているのか心もとないですが、コメントさせていただきました。サファイア様の今後の執筆活動がますます実りあるものになりますことを心よりお祈り申し上げます。今後も本連載にどうぞお付き合いくださいませ。
質問です。ジャンルの現代ファンタジーについての質問ですが、剣と魔法がありながら、スマホやパソコン、タクシーといった現代の道具、乗り物が登場するのは、現代ファンタジーとは言いにくいと指摘されました。
それに、銃を平然使うのは、異世界色が強くなるらしいです。
さらに、剣と魔法を学ぶ場所で銃を学ぶ必要があるのか指摘されると正直なところ、納得出来ません。別にこれらがあっても大丈夫じゃないかと考えているのですが、フィルムアート社が考える現代ファンタジーとは、なにか教えてくれませんか?
作者からの返信
本連載を読んでいただき、ありがとうございます。
質問の点について回答させていただきたいと思いますが、フィルムアート社としての(会社としての)「現代ファンタジーの定義」について回答することはできかねますので、あくまで本連載を担当している私個人(中の人)の感想として、受け止めていただければと思います。
まず、コメントを拝見する限り、カクヨム上のジャンル区分「現代ファンタジー」に投稿されているサファイア様の作品に対して「これは現代ファンタジーではないのではないか(どちらかといえば異世界ファンタジーなのではないか)」という指摘があった、ということが問題になっているのかと思います。
カクヨムの定義によれば、
現代ファンタジー…現実世界に連なる世界観で展開される、超常や異能など非現実的な設定が登場するファンタジー作品のジャンルです。
となっています。
その点において「剣と魔法がありながら、スマホやパソコン、タクシーといった現代の道具、乗り物が登場する」世界観は現代ファンタジーの定義そのものなのではないかと思っています。つまり、現代ファンタジーとして投稿することに何ら問題はないのではないでしょうか。
弊社の連載「きちんと学びたい人のための小説の書き方講座」でジャンルについて解説している回があります(ジャンル篇)。ここで解説していることはざっくりと下記の2点に集約されます。
・書き手がジャンルを意識することは非常に重要
・ただし、ここでいう「ジャンル」というのは世界観や設定などで規定されるもの「ではなく」ストーリーの「型」のことを指す
世界観や設定といったディティールはもちろん大事ですが、それはあくまでストーリーを補強する道具立てに過ぎず、いちばん大事なのは物語の構造がそのジャンルに求められるものになっているのかどうか(読者とのお約束を果たすことができているかどうか)である、ということが弊社刊行物には書かれています。
サファイア様をはじめとしたカクヨム読者が現代ファンタジージャンル作品に「物語として」期待するものとは何なのか、という点について改めて考えてみることで何か気づきがあるかもしれません。
とはいえ「世界観や設定」は大変重要です。特にファンタジーやSFというジャンルにおいてはなおさら重要です。
『ゲド戦記』などで世界的に知られる(おそらく世界で最も著名な)SF・ファンタジー作家のひとりであるアーシュラ・K・ル=グウィンも著書『文体の舵をとれ』の中で次のように述べています。
「SFもファンタジーも、語られない限り読者が知る由もないような情報を、たくさん伝えないといけないからだ。自作の舞台が2005年のシカゴなら、その時と場所、物事の状況については読者もだいたいそれなりにわかっていると考えていいし、そのままそれとなくほのめかして描写に詰め込んでいけばいい。だが自作の設定が3205年のりゅう座4︲β星の場合は、読者も何を想定すればいいかさっぱりわからない。
物語世界の創造と説明は、物語内でなされなければならない。それこそSFとファンタジーのとりわけ興味深くも美しいところだ。書き手と読者は、世界構築の上で協力関係にある。とはいえ、実際にやるとなると厄介である。」
サファイア様の作品「サファイアオブプリンス」の「あらすじ」と「第一章 中山として別れる日」3話分を拝読いたしました(時間の関係で、全文読むことはできませんでした)。
世界観の設定についての所感です。
「太平洋の島国に存在する学園都市アーサー」という冒頭の記述から地球のどこかが舞台になっていることがわかります。「騎士」「ランクエリアとランクシステム」という用語が登場し、ファンタジー要素を感じることができます。さらにスマホが登場し、基本的には現代と地続きの世界観なのかな、と推測できました。つまり現代ファンタジー的な作品であると認識できました。
ただ、いち読者としてやや混乱した点があったので、以下の通り列挙させていただきます。あくまで3話を読んだだけでの感想ですし、下記の疑問は後の回で伏線として回収されているのかもしれません。その点ご了承ください。
・登場人物の名前が日本人だったり外国人風だったりする理由(や必然性)がわかりにくかった
・「建築魔術」という用語から「魔術」が存在する世界なのはわかるが、登場人物のアクションなどをみると基本的には現実のわれわれと同じような行動をしているため、ファンタジーであることを意識しにくい
・第3話で登場する「謎の男」の存在やこの男の使った技(魔法?)がこの作品世界の中でどれくらい特殊な出来事なのか、わかりにくかった。「魔術」は存在する世界だが、この謎の男が使ったような人間の姿(設定)を変える魔術はこの世界には存在しないということか。
設定や世界観はなるべく早い段階で読者に提示できていたほうがよい、という考え方があり、もしかするとその点でもう少し説明してあげたほうが親切だったという意見もあるのかもしれません。
例えば(私は小説書きではないので、参考になるかわかりませんが)、中山がいじめらている描写について。
現状「入学当初から彼女に汚い水を飲まされたり、周りの目の前で恥ずかしいことをさせられたりと散々な目に遭ってきた」とありますが、現実世界と同じようなイジメの描写になっているので、魔術を使っていじめられる、とかこの世界ならではの(ファンタジー要素を入れた)描写にするなど。
あるいは、学校のカリキュラムの説明の描写で「一時間目のスタートは、八時十分。一日の授業数は七つで、一つの授業時間は七十分。授業の間に十分の時間がとってあり、昼休み一時間目を含めて終了が夜の六時十分となる。」とありますが、時間割を説明するのではなく、「体内に埋め込まれた聖石を育てて自らを強く」する授業風景の描写を入れることで、読者がもう少し「現代+ファンタジー」の世界観であることを意識できるのではないかと思いました。
以上、回答になっているのか心もとないですが、コメントさせていただきました。
サファイア様の今後の執筆活動がますます実りあるものになりますことを心よりお祈り申し上げます。
今後も本連載にどうぞお付き合いくださいませ。