十二 閑話休題

どうやら、あれから泣き疲れて二度寝をしてしまったらしい。窓から光が差し込んでいて、それで目が覚めた。

「朝、か.......」

時計は9時を差している。いつもの休日なら目覚めるには遅くも早くもない時間である。

「ゆい、起きてる……?」

昨日のことがあって少しばつが悪かったけど、やはり謝ろうと心に決めたからには早速そうしようと思い、起き上がって隣を見た。

いない。ゆいは隣で寝ていなかった。というより、昨日最後にゆいが布団を使った時点から誰も触っていないようである。乱雑に折りたたまれた布団の微妙な形が、全く変わっていない。

「……夜鷹さんのとこから帰ってないのかな」

ゆいもたえさん、美香さんを亡くしている。それは私には計り知れない痛みで、悲しみであるだろうから、少しくらいの間は楽しい話を聞きながら誰かの傍で過ごしたいというのはなんとなくわかることだった。だけど、朝まで帰らないというのは少し引っかかる。

「まあ、いいか。とりあえず何か食べないと倒れそう」

美香さんから結局何も貰えずじまいだったので、昨日の昼過ぎから食べ物を口にしていなかった。流石に倒れそうだったので、勝手に漁ることにはなるが台所から何か拝借しようと思ってふらつく足で廊下へ出た。廊下はしんと静まりかえっていて、誰の気配もなかった。手を壁に擦りながら支えにして、台所のカーテンを潜る。

「……あら?真琴さん」

そこには、台所の小さな椅子に座っていた貴美子さんが菓子パンを手に持ってこちらを見ていた。

「あ」

「おはようございます、はしたないところを見られちゃったわね」

「いえ、私もお腹すいちゃって」

「なら一緒にこれを召し上がりましょう、不格好ですけど美味しいのよ」

流しの上に置いてあった未開封の黒い蒸しパンを私に差し出し、食べるよう促した。メーカーこそ違うけど、黒糖パンは子供の頃よくお母さんが買って食べさせてくれた記憶がある。

「私これ好きです」

「そう?良かった。私もなの」

私も椅子に腰掛け、封を開けて一口頬張った。口の中の水分が一気に無くなって飲み込みづらかったけど、疲れた頭と体に糖が行き渡って元気が少しずつ湧くようだった。

「牛乳があれば良かったんですけど、期限切れでして」

「あ、お構いなく。ありがとうございます」

しばらく貴美子さんは黙り込んでパンを咀嚼していたが、飲み込んでからふと顔をこちらに向け口を開いた。

「美香さんも、亡くなったのよね」

「ええ、そうです」

それしか言えなかった。お悔やみを言おうとしたけど、頭が回らなかったからなんと言えばいいのかわからない。

「なんでこんなに、この村の人は死ななきゃならないのかしらね」

「……わかりません。犯人に聞けば、分かると思います」



ーー真琴と夜鷹さんで、犯人を見つけてねーー



ゆいの言葉が頭の中で木霊した。私たちにそんな力はないよ、ゆい。


「旦那も殺されて、美香さんまで……」


……え.......今、貴美子さんはなんて言った.......?


「貴美子さん、今、旦那さんが殺されたって仰いましたか」

「ええ、昨日言わなかったかしら」

「聞いてないです」

「そう、殺されたのよ。確かあれは20年前かしらね」

「この村で、ですか」

貴美子さんは黙ったままゆっくりと頷いた。

衝撃の事実だった。まさか、この村で起こった殺人事件はこの二件だけだけではなく、過去にもあっただなんて……それも、貴美子さんの旦那さんが、被害者。

「犯人は捕まったんですか」

「いいえ、まだ捕まってないわ」

「つ、捕まってない?」

犯人は捕まっていない。つまり、最悪の場合まだこの村にいるということも充分有り得るということだった。

「まさかとは思いますけど、美香さんを殺したのもその犯人だったりは……」

「有り得るかもしれないですわね。でも20年前ですし、そうするとかなり被疑者は絞られることになります」

「まず栄吉さんですよね」

太一さんと光也さんの正確な年齢はわからないけど、20年前に人を殺すことが出来るだけの力がある大人ということを考えると、真っ先に彼が思い浮かんだ。

「そうですわね」

そこで貴美子さんは少し悲しそうな顔をした。私はさっきの言ったことが失言だったと、今ようやく悟る。

「そして……私ですわ」


全身から汗がぶわっと吹き出た。蛇を目の前にした蛙のように身動きが取れない。

「うふふ。安心してください、私じゃございませんよ」

そんな私を見て、優しい表情で彼女は微笑んだ。

「その時私は身篭っておりましたから、そんな無茶は出来ません」

「そうでしたか……え?だ、誰をですか?」

またも聞かされる衝撃の事実に、足ががくがくと震え始めた。貴美子さんの、二人目の子供……?少なくとも、この二日間はその「二人目」には会っていないはずである。

「お会いしてないですよね、私。この二日間にそのお子さんとは」

「してないわね。というより、してたらちょっと怖いですわ」

「それ、どういう意味ですか」

手にしていた食べかけのパンを膝において、俯きながら彼女は話した。

「亡くなりました。生まれてしばらくして、です」

「それは……すみません」

「いいのよ。私も時々思い出してあげたいから」

「ご病気ですか」

「いえ、事故ですの」

悔しそうに、彼女は歯を食いしばっていた。

「事故……?」

「ゆりかごが壊れて、そこから落ちたんです」

聞いてはならないことを聞いたような気がして、申し訳なさでちくちくと胸が痛んだ。

「そうでしたか……」

「でも、唯一の救いは光也が元気に育ってくれた事ね。太一くんとも仲良くやってくれてるみたいですし、本当に良かった」

「ええ、光也さんも、太一さんも本当に優しいです。ゆいも二人のこと大好きみたいですし」

すると貴美子さんはそうね、と言って笑った。でも、どこか悲しそうだったのは何故だろうか。

「では、私はこれで」

「あっ、はい。パンありがとうございました」

うふふ、と笑うと彼女はそのまま私に背を向けて台所を去った。

「あ、そうだ。ゆいと夜鷹さんのところに行かなきゃ」

私は冷蔵庫を開け、ハムなどの食べられそうな食材を適当につまみ出し、それらを手に持って急いで外に出た。


昨日まで居た多くの警察は一旦帰ったのか、もうすでに現場からは居なくなっていたが、僅かながら残っている人もいた。その中にゆいが話をした警察官も見える。

私は当然見つかることを避け、なるべく遠くを歩いてゆい達のいる家へとこっそり向かった。途中、両手が塞がっている中雪を登らなければならなかったのでかなり骨が折れたけど、なんとか家の前まで着くことが出来たので一安心する。鍵は掛けていないはずなので、無理やりではあるが肘を使って扉を横にスライドさせた。


.......ああ。私は、あの時自分の全てを棄ててでも嘘を吐くべきだったのかも知れない。

ゆいに嘘を吐いて、嘘つきな彼女を肯定してあげれば良かったのだ。

やっぱり夜鷹の言う通り、時に真実はあまりにも残酷にもなれて、嫌いだった嘘なんかより遥かに多くのものを、私のすべてを。奪い去っていった。

大好きだった嘘つきなゆい、嫌いになってしまった正直なゆい。もう、どちらでもいい。

どっちだってゆいだったんだ。それを受け入れて、必死に真実を隠そうとしてくれたゆいをしっかり見てあげればよかった。

嘘の方が真実たり得ることだって、あったんだ。それがわからなかったから、私は嘘と真実の狭間で溺れて、結果どちらも見えなかったんだ。

でももう、いい。いいんだ。全てを悟ったところで、もう遅すぎる。


だってゆいは、ゆいは。

嘘つきで正直者な私の親友、霧矢ゆいは。


夜鷹を匿うために入った家の囲炉裏に突っ伏し、酷く苦しそうな表情で絶命していたから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る