第22話 二人の夏

心待ちにしていたのに。

「おばあちゃんに言われたんです……」

玲子のお辞儀を、克己は信じられぬ思いで見つめていた。

この言葉が欲しくて想いを吐露して。

この姿を思い描いて汗をかいて。

差し出された玲子の白い手を前に克己は固まっている。

あの日あの時、やむにやまれぬ想いに背中を押されて踏み出した一歩が。

今この期に及んで立ち止まる。

ーーーーー


夏休みもあと僅かという登校日、ホームルームという名ばかり授業を終えた生徒達は三々五々それぞれの夏休みに戻っていった。

帰り支度をしていた克己は親友の純也に促されて教室の入り口に目を向けた。

引き戸から半身を覗かせた制服の少女。

白いブラウスにエンジのリボン、綺麗な黒髪が克己に向かって小さくお辞儀した。

「ご馳走様」

カバンを掴んだ親友の冷やかしを背に、克己は制服の背を追いかけて図書室前の木造廊下まで来ていた。

休み中で誰も居ない旧校舎には克己と玲子の他には人影もない。

ーーーーー


差し出した手の行き場を見つけられない玲子の瞳が克己の前で揺らぐ。

「もう……ダメですか……」

「私……散々待たせちゃいましたもんね」

白い手が下がり掛ける気配に克己が踏み出した。

初めて握った少女の手は、なめらかですべすべして、仄かな温かさが克己の胸を和ませた。

(これが女の子の感触なんだ……)

これまで散々妄想して来た感覚と、今自分の手で受け止めている温もりの感触の、天と地ほどの違いに克己は眩暈めまいを覚える。

(こんなにもなめらかで……)

(こんなにも柔らかい……)

玲子のてのひらの感触に呑まれて克己は動きを停めてしまっていた。

「あの……」

不安げな玲子の表情と声に克己は我を取り戻した。

「い、いやそんな。お、俺の方こそ」

情けない限りだが、顎がうまく動いてくれない。

だがそれが玲子の顔から緊張を剥がしてくれた。

「ひと月しか彼女で居られませんけど」

玲子の笑顔に、克己は玲子の両手を差し抱くように掲げて深々とお辞儀をした。


ーーーーー


「お墓に手を合わせてた時に……」

「うん」

初めて肩を並べて歩く学校からの帰り道。

車道側を自転車を引きながら歩く克己は、時折玲子の、ローファーに包まれた白い足を盗み見ながら相槌をうった。

「お墓の中のおばあちゃんに。言われた気がしたんです」

見上げた玲子の横顔は、短いポニーテールに纏めたうなじに後れ毛を覗かせている。

「思い残したことは無いかって」

西日に向かって歩く二人を照らす夕陽は眩しさで二人の顔を上げさせない。

「もうすぐここ離れちゃうし。離れちゃえば今度はいつ帰って来れるかわからないし」

言って玲子は手をかざしながら陽を拝む。

「おばあちゃんが背中を押してくれたんだと思うんです」

玲子の言葉に克己は西日を浴びた玲子に微笑みを返す。

「おばあちゃんにお礼言わなくちゃな」


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