第12話 タイミング

『千尋』の名前がわかってから、何度も担任に「手紙を書きたい」とお願いしていたんだけど、住所は教えてもらえず。


担任は、俺が毎日のように『中田英雄』の話をしていて、大ファンだと言うことを知っていたせいか、頑なに教えてはくれなかった。



毎日担任の元に行き、2年になっても交渉を続けたある日のこと。


担任は諦めたように「絶対に誰にも言うなよ?」と、小さく折りたたまれた紙を手渡してきた。


そこには住所だけが書いてあったんだけど、漢字を読むことができず。


教科書を見ながら、それっぽい漢字を調べ、英雄さんの中継を見ては、ミット打ちをさせてもらったことや、千尋のファイティングポーズを思い出していた。


千尋のファイティングポーズを思い出すんだけど、顔には靄がかかり、思い出せるのはファイティングポーズをとるシルエットだけ。


やたらとキラキラして、かっこよかった印象だけが、頭に残っていた。



やっと住所が読めるようになった時には、小学4年になった頃。


住所がわかったまでは良いんだけど、そこまで行く術がわからず。


文字が薄くなってしまった住所の書かれた紙を、何度も違う紙に書き写しては、教科書に書かれた地図を見て、大きくため息をついていた。



英雄さんは6回目の防衛戦で『中田秀人』から勝利し、『中田秀人』は現役を引退。


数々の選手が敗北し、引退する中、英雄さんはずっとチャンピオンで居続け、11回目の防衛戦で外国人選手に敗北し、引退をしたのが小学6年の時。


英雄さんは「今まで、崖っぷちの状態でチャンピオンで居続けた。 41になり、体力、精神力ともに限界を感じた。 これからは、第2の中田英雄を作り出していきたい」と言い切り、引退会見を終わらせていた。


『英雄さん、引退しちゃったんだ… 41だし、仕方ないよな…』


そう思いながら、住所を書き写した紙を眺めていた。



小学校の卒業式を終え、親父と共に家に帰ると、厚化粧で真っ赤な口紅をした女性が二人、玄関の前に立っていた。


親父はそれを見た途端、表情を一変させ、苛立ったように女性に切り出した。


「弁護士を通せ」


「違うのよ。 直美が大学受かったんだけど、お祝いまだでしょ? 忘れてるんじゃないかなぁって思って。 血の繋がりはないけど、一時は家族だったじゃない? 奏介の母親もやってあげたんだし、それくらいしても良いんじゃないかって思うのよ」



『え? これが母さんと姉ちゃん? 血の繋がりがない? え? どういうこと?』



不思議に思いながら親父を見ると、親父はポケットから携帯を取り出し、どこかに電話を始めた。


「あ、もしもし。 菊沢です。 今、元嫁が家の前に居るんですけど、接近禁止令出てますよね?」


親父の言葉を聞いた途端、二人はどこかへ逃げて行ってしまった。


親父は少し話した後、電話を切り「入ろう」と切り出してくる。


黙ったまま中に入り、リビングのソファに座ると、親父が切り出してきた。



俺の実の母親は、俺を出産した後に容態が急変し、そのまま息を引き取った。


親父は一人で俺を育ててたんだけど、周囲の勧めと、上司から切り出されたこともあってお見合いし、再婚することに。


お互い再婚同士だったんだけど、俺もまだ2歳だったし、『奏介には母親が必要だ』と考えていたから、再婚を決めたんだけど、俺が小学校に上がると同時に怪しい行動が目に付くようになり、興信所をつけるように。


そして、中田英雄がチャンピオンになった日。


試合を見に行き、帰ってきたときにテーブルに置かれていたのは、離婚届と日ごろの鬱憤が書き連ねられた手紙だった。


俺には話しても理解できないと判断した親父は、『仕事』と偽り続けていた。


証拠もあるし、すぐに弁護士に相談し、離婚調停開始。


2年の月日を経て、ようやく離婚が成立したんだけど、俺に言うタイミングが分からず、ずっと黙っていたようだった。


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