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 ラチャコ君の獅子奮迅の大活躍があった物の、結局この日は一 キロ半も進めずスーパイプカラまであと五百 メートルという地点で天幕を張らざる負えなくなった。

 またチュルクバンバ大氷原が雲の天覆に隠されたからだ。もうじき天気が崩れる。そうすればまた死の風『ワイラウヤ』が吹き荒れる。

 半坪ほどの場所の雪をみんなで踏み固め、慌てて天幕を張る。何時もの様に天幕に入りきらない撮影機材は天幕の陰になる外に置いておくけど、今日は念入りに綱と氷杭アイススクリューを使ってガチガチに固定した。

 準備が完了し全員が天幕に入ると、まるで見計らったかのように強い風が吹き始めた。山頂が近いためか思わぬ方向からも巻風が起り天幕を派手に揺さぶる。

 鋭い金属音がしてその後なにかが天幕の布地をボンボンと叩き始めた。布越しに見える影がその音の原因が、綱が付いたままの氷杭アイススクリューが抜けるか折れるかして外れ、風にあおられ天幕を叩いていることを示していた。

 このまま放っておけば天幕を破くか撮影機材が風に飛ばされるかのどちらかだ。

 私や少佐が立ち上がる前にラチャコ君が氷斧ピッケル氷杭アイススクリューを手に天幕の外に出ようとするが、それを制したのはシスル。


なれは足を痛めたのだろ?なら養生しろ。これ位、あががやってやる」


 と言って「すまねぇ、姉っちゃ」と謝る彼の言葉を聞くか聞かずで天幕の外に出てしまった。

 しばらくすると、天幕にシスルの影が映り、生地を叩いていた氷杭アイススクリューが消え、今度は彼女が消えると風の音に交じって氷を削る様な音が聞こえて来た。

 順調に固定作業は終わった様だ。ほっとして彼女が天幕の中に戻って来るのを待っていたその時。

 まるで近くで爆弾がさく裂したような轟音が鳴り響き、皆が身構えた瞬間、ラチャコ君が叫んだ。


「ワイラウヤだ!でかいぞ!」


 天幕が左右から押しつぶされ布地が私たちを締め上げる。少佐が慌てて石油コンロを消す。強烈な冷気が容赦なく侵入し羽毛を詰め込んだ寝袋を被っても骨の髄まで凍えが体を犯していく。息が止まりそうだ。

 少佐の悲鳴のような叫びが聞こえる「シスル!シスル!」

 そうだ!シスル!あの子今外に居るんだ!

 天幕の外に飛び出そうとしたけど、羽毛服の頭巾を後ろから思い切り引っ張られる。


「馬鹿野郎!お前まで遭難しちまうぞ!」少佐が私を引きずり倒しながら怒鳴る。

「あの子が外に!外に!」酸素不足と恐慌で頭の中が滅茶苦茶になった私は少佐やラチャコ君に押さえつけられながら喚く。


「今外に出たら、ワイラウヤに吹き飛ばされて一発でおしまいだ!大尉さん!出ちゃだめだ!」


 信じられない馬鹿力でラチャコ君が私にしがみつくので身動きが取れない。


「コイツが止んだらすぐに助けに行く!ほんの近くにいるはずだ!今お前さんに何かあったらそれこそ俺たちぁシスルに殺されるぞ、頭冷やせ!」


 少佐の言葉で少し冷静さを取り戻し、無理やり自分に『あの子は無事だ!あの子は無事だ!』と言い聞かせる。

 ワイラウヤはそれから半時間ほど吹き荒れ、ぱったりと止んだ。

 私たち三人ともう一つの天幕の四人が飛び出し、私たちの居た天幕の横に積もった雪を滑雪スキーの板を使って掘る。

『お願い!生きてて!無事でいて!』と念じながら大急ぎで軽いサラサラした雪をはねのける。

 ピミタに持って行った雪は、こんなのじゃなかったな。しっとり湿っていて少し重かった・・・・・・。

 滑雪スキーの先っぽが柔らかい物に当たる。

「居た!ここに居ました!」叫びながらここから手で掘る。

 こんな場所では湿った手足はすぐさま凍傷なるけど、そんなこと知った事か!

 真っ先に手先に触れたのはシスルの褐色の柔らかい頬だった。けどあの艶やかさは無く、まるで蝋の様に硬く冷たい。

 残り六人が一斉に駆け付け掘り出し少佐が抱えて私たちの天幕に運ぶ。ラチャコ君が石油コンロに火を点し、寝袋を広げて彼女をねかせ大声で「シスル!大丈夫か?オイ!しっかりしろ」

 反応が無いのを見るや否や羽毛服の胸を開き呼吸の有無を見ながら首に手を掛け脈を診る。そして。

「脈も呼吸もねぇ・・・・・・」少佐の呻くようなつぶやき。

 そして少佐は吠えるように私に命じた「胸部圧迫は俺がやる!シィーラ!お前人工呼吸やれ!」

 無意識に体が動く。彼女の頭を押さえ顎をしゃくらせ気道を確保し、鼻を摘まみ唇を合わせる。自分の肺の中の空気をありったけ彼女の肺めがけ送り込む。

 頭がくらくらする。吐き気がせり出し、濡れた手に感覚は無い。それでもシスルの口に息を吹き込む。

 少佐が口元で「バカ!死ぬな!この野郎!」と悪態をつきながら胸部圧迫を繰り返す。その顔はまるで今から誰かを殺しに行くような形相だ。

 ラチャコ君が明らかな泣き声で「俺が行けばよかった!姉っちゃよぉ!死なないでくれ死なないでくれ!」

 私も心の中で叫びつつ、人工呼吸を繰り返す。


『神様!神様!どうか、どうかこの子を連れて行かないでください!ピニタの様に私から奪わないでください!お願いします。どうかお願いします・・・・・・。それでも、もし、今度はシスルを連れてゆくと言うのなら・・・・・・。代わりに私をそこへ連れてゆけ!そして、その場でお前を、ぶちのめしてやる!』

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