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 翌朝、なぜかわからないけどすっきりと目が覚め、昨日食べられなかった分のお粥もキッチリ食べて幕営地を出る事が出来た。

 出発してからも吐き気も無く頭痛もかなりましになり、まさかもうこの高度に成れたのかと思うほどの元気さで動き出せた。

「ピニタが助けてくれているのかな?」本気でそう思う。

 昨日の続きの氷の坂を上り詰めると、今度は急角度の岸壁にブチ当たる。

 あまりにも角度がきつ過ぎるのと、強い風のお陰で雪も氷も一切ついていない岩の壁。

 昔の登山者が残した鉄杭ハーケンが残っていてそれがまだ使えるけど、安心できない箇所もあるので先に少佐が登って新たに鉄杭ハーケンを撃ち込んで経路を造りそこを後続の二人が続く。

 肩に掛けた帯に様々な形や大きさの金具をジャラジャラぶら下げた少佐が。


「ほんじゃぁちょいと行って来るぜ。ここを乗りきりゃ頂上はもうすぐだ」 


 と言い残し、するすると岸壁を上りだす。

 しばらくすると見えなくなり、鉄杭ハーケンを打ち込む金属音が響き曰く図がバラバラと落ちて来る。そして。


「よぉし!上がってこい!最初はシィーラちゃん!その後シスルが後衛に回れ」 


 ほんじゃぁ!行きますか!

 シスルに向かって「行って来るね」と言い残すと彼女も力強く頷く。

 訓練の岩場で叩き込まれた要領を思い出し、三本の手足で体を支え、残りの一本で手足で手がかり足がかりを探して体を持ち上げる。そして固定ビレイ

 それをひたすら繰り返し、ジリジリと詰め登る。酸素が足らず息が上がり頭がくらくらするが頭痛も弱く吐き気は全くない。慌てずゆっくり進もう!

 足元を見れば出っ張った岩の棚の間に黒い小さな二本角を生やした頭が見える。シスルだ。遅い私の調子に合わせゆっくり確実に尻尾で均衡を取りながら登って来る。

 その姿に元気づけられ、また次の手がかりを探す。

 そんな動作を繰り返し一時間。もう目の前に筋雲を浮かべた群青の空しか見えなくなると、突然にゅぅと手袋をした手が伸びて来た。

 迷わずそれを掴むと、強い力で引っ張り上げられる。

 そこには少佐の笑顔と、その背後にそびえる真っ白い氷と明るい灰色の岩に彩られたインティワシの頂。

「山頂まではあともう一歩きだぜ大尉殿、一気に行こうぜ」と歩き出す少佐。私もそれに続こうと思ったが振り返って崖の下を覗く。

 ちょうどシスルが這い上って来たので、少佐の真似をして手を差し出すと、彼女も遠慮なくつかんできた。

 思い切り引っ張り上げると、軽々と彼女は私に向かって飛び込んでくる。思わず抱き止め抱きしめる。

「ありがとう、ぇよ」そう言って彼女は日焼けでボロボロ皮が捲れた頬を緩ませ不器用に笑う。私も同じようになった顔に笑みを浮かべて答える。

 さて、最後の一登り、行きますか!

 山頂付近の雪は深くて膝まで足が沈む込む、ここで気を付けなきゃならないのが雪庇せっぴ

 風で吹き積もった雪が稜線を超えて積もり成長し庇状になった個所の事で、ここを誤って踏み抜いてしまえばそのまま稜線を転げ落ちることになる。

 少佐が雪を踏み固めつつ道を作ってくれるので安心して進めるが、油断して踏み外せばあっという間に奈落の底だ。

 意識して呼吸し意識して足を踏み出し一歩一歩進む。

 やがて少佐が立ち止まり振り向くと「おれは一辺登ってるから、お前ら先に行けよ」

精一杯虚勢を張って「ハイ!先陣仕ります!」と大声で答え、おかげで眩暈を覚えながらも根性で一歩前へ踏み出す。

 ナルホド、ここから先は風のお陰で雪が積もって無くて、氷に覆われた露岩になっている。雪庇の存在におびえる必要は無い。鉄カンジキの爪をしっかり効かせてゆけば安心だ。

 ガリガリを氷を踏みして前進し、やがて最後の急斜面に行き当たる。

 氷斧ピッケルにしがみつく様に身を預けつつ意識して足を前に振り出す。

 そして、斜面が終わり目の前には青空だけが広がっていた。

 オルコムリャ、標高六千四百 メートルの山頂だ。

 やっとたどり着いた。

「ご苦労さん!おめでとう、下を見てみな」と少佐の声、言われるがままに下に視線を向けると・・・・・・。

 まず目に飛び込んだのはほぼ垂直に切り立った絶壁。落差は二千 メートルは有るんじゃないだろうか?

 そこから視線の角度を上げると、眩いばかりに白く輝く広大な平原が、これがチュルクバンバ氷原。

 これが全部氷で、その上毎日約三 センチづつ北へ向かって流れて行っているなんて信じられない。

 さらにその向こうには、白い雪を頂く蒼い峰々が難攻不落の城壁の様に私の視界を遮る。ワリャリョ連峰、民主国同盟の領域だ。

「南側にピンと一番高くそびえてる山があるだろ」と、私の傍らに立った少佐が、氷斧ピッケルの石突で連峰に連なる一つの山を指した。  

 それは、確かに他の峰々よりも抜きん出て険しく高く天を突きさし、頂上直下から青白い氷河を一枚の飾り布の様に垂らしている。

 肝心の山頂は、激しい風のせいで巻き起こる雪煙のお陰でぼんやりとしか見えない。薄絹で顔を隠す貴人の様に。

 そんな神秘的な姿のせいか、どことなく他の山より一際昏く禍々しく見える。あれが・・・・・・。 


「オルコワリャリョ。ワリャリョ連峰の盟主。そして俺たちの的だ」


 普段では聞けない様な少佐の重く厳しい声音の言葉に、私は思わず身震いを覚える。オルコムリャ登頂の喜びはすっかり吹っ飛んでいた。

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