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 皇紀八三六年終月(十二月)十九日 一〇〇〇

 アキツ諸侯連合帝国新領 臨南州 インティワシ連峰 五三〇二峰


「いいか、改めて言うがこれは『氷斧ピッケル』って登山専用の道具だ」 


 晩春というのにびっしり雪が積もった山頂で、少佐は白い冬季野戦服姿で小さなつるはしの様な杖を、濃厚な青に染まる天に向かって突き上げていた。

 私の右手にも同じ道具が握られている。今日から本格的な雪山訓練に入ると告げられた途端「ホレ、お前さんの」と少佐から手渡されたのだが、杖にしちゃちょっと短いし、穴掘り道具にしちゃすこし華奢かな?とおもっていたが・・・・・・。


「コイツは単なる杖じゃねぇ、雪山でこけたり滑ったりしたときに自分の命を守る大切な武器になる。具体的な使い方は今から俺がやって見せる」


 というなり山頂から続く長い長い雪渓めがけ駆け出したかと思うと途中でばたりと倒れ、ものすごい勢いで下に向かって滑り落ちてゆく。

 思わず「少佐!」と叫んで駆け出すが、自分も落ちそうになり寸前で踏ん張る。鉄カンジキ(アイゼン)が氷を噛みガリっと音を立てる。

 最初上向きで滑っていた少佐だったけど、途中で素早く上半身をひねって態勢を変えると氷斧ピッケルを抱え込むように体の前に持って行き、両足を後ろに折り曲げる。

 途端に滑る速度は落ちてゆき、間もなく完全に止まった。

 氷斧ピッケルの爪の部分を雪渓に食い込ませ制動を掛けたんだ。

 少佐は立ち上がると鉄カンジキの前爪を的確に雪渓目掛け食いこませつつひょいひょいと登って来て、私たちの目の前に戻って来ると。


「これが氷斧ピッケルの使い方だ、あと突風から身を護る姿勢を取るときにも杭の様にして使うこともある。こいつは近々教えるから、まずは滑落防止のやり方から身に着けてもらう」


 そして、少佐は雪の上に寝転がり動作を交えて一通り言葉で私たちに説明する。


「滑落したら、まず上半身を素早く捻り姿勢をうつ伏せに、それから両足を背中に向かって折り曲げつつ氷斧ピッケルの爪を雪面に全体重を掛け食い込ませる。お前らもやってみな」


 言われるままに私も傍らのシスルも雪の上にあおむけに寝転がり。


「ハイ、上半身を素早くひねってうつ伏せに!それから氷斧ピッケルの爪を効かせつつ両足を折り曲げる!」


 言われた通りに何度も同じ動作をよどみなくできるようになるまで繰り返す。


「んじゃぁ、今度は実際にすべってみっか?」


 と、おもむろに私とシスルがあらかじめ身に着けていた安全帯に岩に括り付けてある綱を開閉鐶カラビナで取り付けると。


「シスル、まずはお前さんからやってみな」


 え、本当にこの雪渓を滑り落ちろって?下までどう見ても千 メートルは有るんですけどぉ!

 けど、当のシスルは平然と「承知した」と言うなり駆け出し雪渓めがけ飛び出して行き雪煙を上げて滑り降りてゆく。

 思わず目を逸らしたが、少佐の「おおし!上出来上出来!」の声で目を開き見てみると。

 見事滑落防止に成功して静止したシスルの姿。

 ・・・・・・。スゴイ、何なの?この子?

 すっくと立ちあがり、何事も無かったかのように登って来て少佐に「こんなもんか?」


「さぁて、次はお前さんの番だ。ちゃんと下まで落ちねぇように命綱つけてあるから、安心してどーんと滑りなどーんと」


「ハイ!」と言って一歩進んでみたものの、真っ白に輝く長大な雪渓を見ると足がすくみあがる。


「無理だったらやめとくか?けど、ここでやめたら今までの努力は水の泡だけど」


 背中で少佐の煽る声。そうだ、今日までの訓練も相当きつかったが今日まで何とか踏ん張った。それに、そもそもここで諦めたら、撮影機材開発のあの決死の努力はどうなるの?みんなとの約束は?

 思い切って駆け出し、脚を浮かせ尻餅をつく、途端に体は物凄い勢いで雪の上を滑り下へ下へと落ちてゆく。

 まず上半身をひねらなきゃ、それから氷斧ピッケルを!と、頭では考えるけど行動が伴わない、混乱と恐怖が先に立ちまったく動作が出来ず体はどんどん谷底へ。

 体が衝撃を覚え、思い切りお腹が引き絞られる。胃の中身がせり出してきそう。

 命綱で止まった様だ。

 結局氷斧ピッケルは使えなかった。

 もし、安全帯と綱を繋いでいる開閉鐶カラビナが弾けたら、私は今頃谷底だ。


「結局ダメか、まぁしゃぁないわなぁ、いきなりできるシスルの方が特別だからなぁ、落ち着いたらゆっくりでいいから登ってこい!」


 上から少佐が呼んでいる。フラフラになりながら立ちあがり、何とか鉄カンジキと少佐とシスルが引っ張る命綱の力を借りて山頂まで戻る。

 付いた途端、疲労と恐怖でまだ足が震えていて、おもわずへたり込む。


「どうする?もっぺんやるか?今日の所は諦めるか?それともここで全部諦めるか?」


 何とか氷斧ピッケルを杖に立ち上がり、生唾を飲み込んで「いいえ、続けます」

 そう言う私の横では、シスルの姿はもうなく、雪煙を濛々とあげて雪渓を滑り降りている最中だった。どうも面白がっているみたい。

 ホント、なんなの?この子?

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