第3話 修祓《しゅうばつ》

「よくこんなところに住んでいられるわね」


 開口一番にサヤカがそう言った。



 俺が新しいアパートに引っ越したということで、タカヒロとケンゴが『引っ越し祝い』を口実に酒盛りの場所として押しかけて来ていた。

 引っ越しの未開封の段ボール箱もそのまま、小さな座卓が置かれただけの簡素な六畳ほどの部屋に、図体のでかい野郎ばかりがひしめき合っている。


 そんな中サヤカは唯一の女性だった。

 だが不健康そうな青白い肌をして、長い黒髪に黒目がちの『いかにも』な彼女はとても紅一点とは言い難い。


 このサヤカという女は所謂いわゆる『霊感少女』というやつで、オカルトマニアのタカヒロのだった。



 確かに俺の新しい棲家は、事故物件サイトに載っているし、そこで起こった血生臭い事件も有名だ。

 だが言葉も交わしたこともなく、ほぼ初対面の相手に対していきなりこの発言はないだろう。



 部屋のあちこちを物色するかの様に、きょろきょろ視線を彷徨わせるサヤカを横目に、俺はタカヒロに近付くと小声で抗議した。


「・・・なんであんなの連れて来たんだよ」


「お前が新しい事故物件に引っ越したっていうから、彼女が確かめたくて連れて来たんだよ」


「・・・」


 相変わらず悪趣味な奴だ。



 タカヒロはオカルトマニアだが、自分自身は。だからこそ不思議な事象に魅かれているともいえる。


 悔しいことにタカヒロは白皙の美青年でとにかくモテる。


 だが前述の通りオカルトに魅せられて───いや取り憑かれている為、普通の女には全く興味を示さない。

 その噂が広まると、霊感があると自己申告する女が、次から次へと言い寄ってくるようになったのだ。

 その“自称”霊感少女たちを『ふるいにかける』為に、こうして時々俺を利用するのだ。



 俺は結構頻繁に事故物件を渡り歩いているが、決して『そう言う趣味』がある訳ではない。俺自身オカルトなんてものには全く興味がない。

 親戚の不動産屋に一度頼まれ、事故物件のひとつを『ロンダリング』した事がきっかけで、その噂が広まり今では親戚の伝手つてで、何故か入居者が居着かないマンションやアパートを当てがわれる様になったのだ。


 とにかく『出る』と有名で住人がひと月と居着かない今回のアパートに『どうしても』と泣きつかれて、渋々引越しを済ませたところだったのだ。



 あちこち物色していたサヤカは、住人おれに許可も得ずトイレや風呂場まで覗いたようで、青白い顔を固くして六畳間に戻ってきた。


「お風呂場、血だらけだよ」


「え⁈ マジか?」


 ケンゴが叫んだ。


 当たり前だが血だらけな訳はない。

 引っ越して数日、勿論風呂には入ってるので使用済みだが、きちんと掃除され今日はまだ浴槽に水も張っていない。なんの変哲も無い普通の風呂場だが、サヤカの視える目にはそう映ったようだった。

 ビビりのケンゴは早々に帰りたそうになっている。タカヒロはといえば面白そうにその様子を眺めているが、しっかりと俺の反応を伺ってもいる。




 そうだろうそうだろう、俺は心の中で嘲った。


 確かに女性がバラバラにされたと、センセーショナルに報道されていた。そういうことをする場所は大抵風呂場と相場が決まっている。

 だが、実際に殺害されバラバラにされたのは、今サヤカが立っているその場所だ。

 その為不動産屋が、特殊清掃業者に大枚をはたいた上、大幅改装になったとぼやいていた。


 しきりに風呂場の方向を気にしているサヤカの足元で、血まみれの女性の頭が、やれやれという表情をしている。


「やっぱりそうか。風呂に入ってると、時々何かを鋸引きする様な音が聴こえる事があるんだ」


 俺がサヤカの話に合わせると、女性の頭は驚いた様に目を見開いた。


「そうでしょう? 殺された女性は相当な怨みを持っているわよ。障りが無いうちに早く引っ越すことを勧めるわ」


 サヤカが真剣な表情で俺に忠告をし、自分の『霊能力』と『優しさ』をアピールするようにちらりとタカヒロに視線を送る。


 サヤカの足元の女の頭が声を立てずに哄笑している。声が出ないのは顎下で切断されて声帯がないからだが、そもそも声帯を震わせる為の『息』がないので声など立てられる訳がない。笑うたびにゆらゆら揺れる頭が、コツコツとサヤカの足に当たっているが、当のサヤカはちっとも気が付いていないのだ。


 ふ。可笑しいよな。俺も笑い出しそうだ。


 俺が顔を歪めているのを見たケンゴが身慄いしながら言った。


「そんなのがいるところで酒盛りとかあり得ねえ。場所変えねえか?」


「君は霊が祓えないのか? 祓えれば俺の友人が助かるんだが」


 ケンゴの言葉を聞いたタカヒロが急にサヤカに話しかけた。

 男でも惚れ惚れする様な柔らかい笑顔で優しく問いかけている。


「・・・出来ると思う」


 サヤカはぽっと頰を赤らめた。



 俺たち(女の頭も一緒に)が見守る中、サヤカは風呂場に盛り塩をし、お経らしきものを唱え始めた。

 ちらりと足元を見ると、ころころ転がって様子を伺いにやって来た女は器用に頭を振り、またやれやれという表情になった。どうやら様だ。


 サヤカは最後に何故か十字を切って、青白い顔に精一杯晴れやかな表情を浮かべ振り向いた。


「これでもう大丈夫よ」


「そう?」


「ありがとう、助かったよ」


 素っ気ないタカヒロとは逆に俺は一応礼を言ったが、サヤカの目はタカヒロに釘付けだった。


 サヤカいわく『相当な怨みを持ったもの』が、盛り塩と即席のイカサマなお祓いで、どうにかなるとはとても思えないが、サヤカの中ではそれで大丈夫らしい。

 霊感ゼロならそんなものだろう。


「すげーな。心なしか部屋が明るくなった気がするぜ」


 同じく霊感ゼロのケンゴが素直に感嘆の声をあげた。

 ・・・ケンゴには今度しっかりと、霊感商法にひっからない様に注意してやらないといけない様だ。


 そうしてサヤカのお祓いが済んだ部屋で酒盛りが始まった。


 血だらけの女の頭は声なき哄笑をあげながら、座卓を囲んだ俺たちの周りをころころころころ転がり続けている。

 俺はそれを酒の肴にしながら、その転がる仕組みが気になって、どうなっているのかずっと考えていた。






 三日後、こんどはタカヒロがひとりでふらりと俺のアパートにやってきた。


「どうした?」


「この間の話が聞きたくてね」


 手土産のコンビニ袋を俺にひょいと手渡すとスタスタと奥へ入っていく。


「それで? サヤカはホンモノかい?」


「そんな訳ないだろう。お前も薄々勘付いていた筈だぞ」


「まあね」


 タカヒロはサヤカや他のオカルト好きの連中と、何度か心霊スポットに足を運んだようだ。

 その度サヤカは霊がいると言い、怖い恐ろしいとタカヒロに縋り付くが、タカヒロがあの笑顔で「祓えないか?」と聞くたびにふたつ返事で『お祓い』をするのだそうだ。


「あんな万能なお祓いは見た事がないよ。


 タカヒロはくつくつ笑っている。


「やめろ。俺はお祓いとかしないぞ」


「知ってる」


 タカヒロがあっさりと肯定したので、俺は憮然としながら奴の手土産を漁った。


 酒盛りをした六畳間は相変わらず小さな座卓があるだけだが、段ボール箱はすっかり片付いている。


 ───女の頭も今はもういない。


「もうここにはのか?」


 タカヒロが少し残念そうに言った。


「俺が側にいるとからな。成仏するのか弾き出されるのか知らないが、とにかくいなくなる」


 そうなのだ。

 だから俺は曰く付きの場所で重宝されている。

 オカルト好きのタカヒロが俺とつるむのも、俺が呼ばれるところは必ずだからだ。

 不確かな噂だけの心霊スポットに行くよりも、確実に霊現象に遭遇できるかもしれないとの思惑があるのだ。


 まあ、それを抜きにしても子供の頃からの付き合いではあるが。


「で? 偽物の霊感少女サヤカはどうしたんだ?」


「別れたよ」


 タカヒロはあっさりと言った。


「ケンゴじゃあるまいし、霊感商法に引っ掛かるような真似はゴメンだからな」


「相変わらず鬼畜だなお前」


 色男は別れ方も上手いらしい。よくこれで刃傷沙汰が起きないものだと感心する。


 コンビニ袋を漁っているうちに、手土産にしては俺が飲まない日本酒が混ざっている事に気が付いた。どうやらタカヒロは、このまま酒盛りに移行するつもりらしい。

 悪びれた風もなく柔らかい笑顔を見せたが、こいつの腹の中が真っ黒なのを俺はよく知っている。


「失恋したての傷心の俺を慰めてくれよ」


「よくいうぜ。毎回俺のことをリトマス試験紙か何かの様に使うくせに」




 そうこうしているうちに、何故か酒に関しては嗅覚の鋭いケンゴも現れて、事故物件の俺の棲家でいつもの飲み会が始まった。






───

修祓しゅうばつ

神道で祓えをおこなうこと。



 

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