4

 二人の手元からは小窓が消えていた。


 二人は顔を見合わせ、一歩下がって隣り合った書架の壁に現れた、冷たい鉄の扉を見上げた。


 どういうわけか分からないが、唯一現れた逃げ道だ。


 重厚な扉の背はとても高い。もう少しで天井に届きそうだ。


 鉄と見える素材に彫ってある意匠が独特な物で、それがこの扉の不気味さをより一層引き立てている。ルシエルはゴクリと唾を飲み込んだ。


 一瞬の静寂が室内を支配する。


 しかし家のどこかから銃声が聞こえて、姉妹はハッとした。どこに繋がっているにせよ、生存できる可能性があるならば行かなくては。


「ルシエル、行こう。ここから出て、絶対に父さんと母さんを見つけ出すんだ」


 そう言ったクラヴェルに、ルシエルは決意を込めて頷き返す。


 二人で全体重をかけてやっと扉を開けたそこは、すぐに階段になっていた。この屋敷に地下室があるなどという話は聞いたことが無い。



 *



 深くなっていく暗闇を抜けるとアーチ状の入り口があった。


 足を踏み入れたそこは、広い石造りの部屋だ。


 そこに一人の男がおり、部屋の奥の壁が舞台の様に床が一段高くなっていて、そこに何かが飾られている。


「お待ちしておりました。ルシエル様、クラヴェル様」


 部屋にただ一人佇んでいた男が口を開いた。


 東洋の着物に袴を履き、帯には刀を差している。男が僅かにつま先をこちらへ向けると、履き物が石畳に擦れた音を出した。


 真っ黒い髪は高い位置で結ばれていて、クラヴェルが書物で読んだ『侍』そのままの格好をしている。


「だ、誰……?」


 ルシエルが問うが、男は答えない。


 クラヴェルは部屋の中をじっと見回し、部屋の奥の舞台にある物に目を留めた。


「……母さんの数珠……!」


「覚えておいででしたか。いかにも、あれなるは我が主・ジョルディーヌ様の術具」


 刀が掛けられる様な台に掛けられている、四つに折りたたんでもまだ長い数珠を見遣って侍が言う。


 小さな黒い石が連なっているそれには、一回り大きい赤い石が規則性を持って混ぜ込まれている。


 それを召喚術士である母・ジョルディーヌが肌身離さず腰からぶら下げていたのが、クラヴェルの脳裏にありありと思い返された。


「主……ってことは、アンタ、母さんの『御仕みつかえ』か!」


 クラヴェルの言った言葉に、侍はうっすらと笑った。


「その通りです。どうやら、召喚術について大分学ばれた様だ」


「クラヴェル、どういう事? 『御仕え』って……?」


 訳の分からない様子のルシエルが妹に尋ねた。侍を睨み付けたまま、クラヴェルは答える。


 この世ならざるものを呼び出して使役する術――召喚術。


 術者と召喚者の間には契約が交わされ、契約に則って呼び出された召喚者は『御仕みつかえ』と呼ばれる。


「その、母さんの『御仕え』が何でこんな所にいるの!? こんな、入り口も厳重に隠した、まるで封じ込められた部屋なんかに……――もしかして、父さんが……!?」


 クラヴェルは肩を竦めた。


「分からないけど、その可能性は高そうだ……。何でか分からないけど、父さんはあの扉を作って、ここに母さんの数珠と御仕えを閉じ込めた……」


「なんで……」


 その時、何かに気づいた様子で侍が動いた。疾風のような素早さで姉妹に肉迫する。


 斬られると思った二人がとっさに目をふさいだ時、侍の右手がルシエルの肩を突き飛ばし、この部屋唯一の入り口から二人を遠ざけた。


「痛っ……!」


 強かに倒れ込んだ二人が侍を見上げると、いつの間にか入り口にいた見知らぬ男に刀を振り下ろしている。


 バンダナにジャケット姿のその男は、両手で持った長い銃身で侍の斬撃を受けていた。


「見つけたぜぇ! こいつだ、最後の一人!」


 刀を受けた男が言った。彼の肩口から銃口が伸びて目の前の侍に狙いを付けている。後ろに仲間がいたのだ。


「危ないっ」


 クラヴェルが叫び、引き金が絞られる。瞬間、刀を受けているバンダナ男を侍の足がおもいきり蹴倒した。


 バンダナ男がその後ろの男をもろとも倒れる。はずみで射出された銃弾が石造りの天井を抉った。


「あれ、家に押し入ってきた人たち!?」


 ルシエルが言いながら妹を助け起こす。クラヴェルが姉の手を取って答えた。


「そうだろうな……。何なんだ、一体……。昨日の男と言い、一体何の目的があってうちに……」


 すると二人の男から距離を取った侍が、今度は姉妹のところに跳んできた。


 ルシエルとクラヴェルは驚いて身を固くするが、侍はこちらに背を向けて武器を構える。まるで姉妹を守ろうとしている様だった。


 こんな事が、確か昔にもあった。


「それに、アンタは何でここに……」


 クラヴェルがそう言った時、階段に倒れ込んでいた暴漢二人が起き上がり、こちらに照準を合わせて発砲した。


 撃たれる――と思った刹那に、侍が刀身で銃弾を弾く。


 二方向から放たれる弾丸を魔法の様に余らずはじき返しながら、侍はルシエルとクラヴェルに向け、静かな声で話し出した。 


「……ジョルディーヌ様は、アレックス様と共にこの部屋を作られ、私と数珠をここに残し扉を閉めました」


「父さんと母さんはどこへ……!?」


 ルシエルの問いに侍は力なく答える。


「……それは分かりません。ジョルディーヌ様が私に言い残したのは、命令だけです」


「命令って……?」


「あなた方二人と……あの数珠を守り抜く事です……!」


 侍の刀裁きは衰えを知らず、銃弾は三人に一つ足りとて掠りはしない。


 侍の背中に守られながら、正直ルシエルとクラヴェルの二人には訳が分からなかった。


 書庫に地下室への通路が隠されていて、そこに母の御仕えと数珠が隠されていて、母は御仕えに私達二人と数珠を守る事を命令した――何から?


 バンダナの一人が弾切れを起こしたらしい。もう一人に攻撃を任せて、弾倉を入れ替えようとする。


 そのタイミングでクラヴェルは侍の背中を抜け出し、舞台へ走り出した。


「クラヴェル!?」

「クラヴェル様!」


 弾倉を入れ替えた男が部屋を走り抜けていくクラヴェルに狙いを付ける。


 そこへルシエルがタックルを食らわせた。


「ぐわっ! こっ、こいつ……」


 男がしがみつくルシエルに銃のグリップを振り上げた。


 そこに侍が割って入り、斬撃で男を牽制してルシエルをまた背中にかばう。


 そんな格闘に目もくれずにクラヴェルは舞台の上に上がって数珠を手に取った。円く繋がっている黒い石の間にある、赤い石をまじまじと観察する。


「〈アドナイト鉱石〉か……? 一、二、三…………十二個ある。ならこれが、母さんの御仕え達の『媒介』って事か!」


 『媒介』は御仕え達の世界とこの世界を繋いでいる『点』の様な役割を果たしており、同時にこの世界における御仕えの命そのものでもある。


 十二人の御仕えを従え、〈十二月じゅうにつき〉と呼ばれた召喚士である母は、この堅固な鉱石を御仕えの命として、数珠に繋ぎ止め肌身離さず持ち歩いていたのだ。


 とあれば、侍は自分の『仲間』の命を預かっていたという事か。


 しかし、御仕えに取って『命』になっているこの数珠は、同時に母の仕事道具でもある。


 これを置いて行くという事は、母は御仕えを召喚できない状況にあるという事だ。


 何故召喚術士である母は、軍の任務に『媒介』を置いて行った?


「クラヴェル!」


 とっさに姉に呼ばれながらほとんど体当たりされたクラヴェルは、数珠を握りしめて倒れ込んだ。


 ルシエルがのしかかる様にして妹を守ろうとしていた。侍はまた、魔法のように銃弾を跳ね返している。


 ルシエルが怒鳴りながら起き上がる。


「こんな状況であまり勝手な事しないでよ! 肝を冷やしたでしょう!?」


 クラヴェルはルシエルを無視し、侍に向かって叫んだ。


「あんた、御仕えなんだろ!? なんであいつらを倒さないんだ!」


 飛礫と降る銃弾を跳ね返し、切り伏せ、侍は返す。


「ジョルディーヌ様のご命令は、お二人と数珠を守り抜く事。この二人を切り伏せる事を私は命令されておりません」


「いいからやれよ! 私はこんな事をしている場合じゃないんだ……! ここから出て、父さんと母さんを探しに行くんだ!」


 考えれば考える程答えなんて出ない。そもそも、私が考えて分かる事じゃないんだ。母とはいえ、他人の頭の中の事なんて。


 そして今こうしている間にも、両親はどこかで苦しんでいるかもしれない。クラヴェルの剣幕に、侍が返す言葉は怒気を孕んでいた。


「……お二人を探しに行かれるというのですか……? 手がかりなど何も無いのに! 屋敷の外が安全である可能性も無い!」


 侍だって手がかりがあれば探しに行った。


 しかし命令がある。命令だけを下されて何も理由を聞かせないなんて、そんなこと、ただの道具と同じじゃ無いか。


 いや、道具より尚悪い。理由を説明するに足る信頼が足りなかったのだ。



「ああ、私の力だけじゃ無理だ……。だから、お前の力を借りる」


 この状況を切り抜けて、母と父を探し出す方法。それが一つだけあるとしたら、これしか無い。


 クラヴェルの言葉を聞いて、侍は物思いから脱した。腕を銃弾が捕らえる。続いて足が。


「侍!」


 クラヴェルとルシエルが呼ぶが、侍は「問題ありません!」と苦々しく言ってその場に踏みとどまる。そして次弾が姉妹にたどり着く前に切り伏せた。


「ジョルディーヌ様との契約を破棄させて、私に契約を結ばせると……? 無理です、できませんよ。あなたは私の名前も覚えてないのに!」


 御仕えと契約を結ぶ事は、その正しい名前を知っていないと叶わない。


 多くの場合は御仕え自身から教えて貰う事となるそれを、侍は姉妹に明かしていない。


 しかし、クラヴェルは不敵に笑った。



 *



 あの頃の私は、言葉も知らない赤ん坊で、ただルシエルと一緒に父の腕の中に抱かれるだけの存在だった。


 母さんがこちらに背を向けて、誰かと話している。向かい合う男の語気は荒い。


 男がしびれを切らして武器を手に母さんに襲いかかった。母さんは数珠を手に取ってそれをひらりと躱して、呪文を唱える――。



 *



「〈主君しゅくんたっとぶ忠誠の魔術士〉!」


 地下室の石畳に朗々と声が響く。


 侍が振り向くとそこには、右手に数珠を構え、左手で印を結んだクラヴェルがいた。


 彼女の発する呪文が、ぞくぞくと脳髄を駆け抜けていく。


「『召喚士・クラヴェル』の名において契約する。我と我が身を守り、我が命に従いて道を切り開け」


 空気がビリビリと震えだす。風も無いのに塵がふわりと舞い上がる。異変に暴漢達は恐怖を隠し切れていない。


 クラヴェルは口調を変え、彼女の言葉で叫んだ。


「母さんと父さんを探し出すんだ。何でこんなことになってんのか、本人達の口から聞こうじゃないか! 一緒に来い!」


 強気に、しかし楽しげに言ったクラヴェルの口元は、こんなにもジョルディーヌに似ている。


 それが誇らしくて、嬉しくて、頼もしくて。


 そして何かが戻ってくるのを、侍は感じた。


「――結ぶ」


「締結! 〈下国十太しもくにのじゅうた〉!」


 数珠が光を帯び、クラヴェルと侍――下国十太しもくにのじゅうたの体、足先から頭のてっぺんまでを、同時に赤い光が迸る。


 その様子を暴漢達とルシエルは口をあんぐりと開けて見つめた。


 一瞬の静寂。いや、暴漢達にとっては嵐の前の静けさとでも言うべきか。


 ニヤリと笑みを浮かべたクラヴェルが、十太への最初の命令を口にした。


「あいつらを拘束しろ!」


「畏まりました。我が主君」


 十太が静かに答える。バンダナ男は、はっとして言った。


「くそっ、あのガキ、召喚術士か!」


 男達が召喚術士の娘へ銃を向けた所で、侍の姿が見えなくなった事に気づき――その時には空中から振り下ろされた刃で、獲物を真っ二つに切り裂かれていた。


「~~~~っ!」


 言葉を無くして切断面を見下ろした二人の首筋に、十太は舞う様に峰打ちをお見舞いしていく。


 その一撃で二人は意識を手放してその場にどうと倒れ伏した。

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