第37話 スラムの二人

「その、あたし、初めてなんです」


「実を言うと俺も初めてなんだ」


「何だかドキドキしますね」


 アリシアがはにかんだような笑みを浮かべて俺を見上げた。

 絶対に俺の方がドキドキしている。


 俺とアリシアは初めて足を踏み入れたスラム街の奥へと向けて歩を進めていた。

 勿論、相棒も一緒である。


「ミャ」


「ピピピッ」


 俺とアリシアの胸のなかからニケとピーちゃんの鳴き声が聞こえた。


「うふふふ。くすぐったいからあんまり動いちゃだめでしょ」


「ピー」


「ミャー」


 ニケも俺の胸元から顔をだしてアリシアの胸元を覗きこんだ。その視線の先にはアリシアの胸元から顔だけだした青い小鳥。


「ニケちゃん、食べちゃだめよ」


「ミャー」


「お利口さんねー」


 ピーちゃんと仲良くしてね、とアリシアが微笑む。

 思いは一緒だ。


 頼むから仲良くしてくれよ。

 ピーちゃんとニケの戦いとか想像したくない。


 そう思った瞬間、朱雀すざく白虎びゃっこが戦うシーンを想像してしまった。


「ダイチさん?」


「大丈夫、なんでもないから」


 心配そうに顔を覗き込んだアリシアが言う。


ひいお祖母ちゃんの言うことは気にしないでください。あたしも大人ですから自分の行動にはきちんと責任を持ちます」


 今朝、商業ギルドでエドワードさんの協力を取り付けた後、セシリアおばあさんの家を訪ねた。

 目的はスラム街へ一緒に来ようとしているアリシアを止めてもらうためだったのだが……、結果は二つ返事でアリシアの願いを聞き入れてしまった。


 加えて、「傷を付けたら責任を取れよ」と脅し付きである。

 アリシアが気にする必要がないと言ったのはこの脅しのことなのだろう。


「大丈夫、守り抜いてみせるよ」


 ピーちゃんが攻撃に移るよりも先に何とかしないと大惨事になってしまう。

 それだけは避けないと。


 核爆弾を抱えて地雷原を歩いている心境だ。


「兄さんたち、朝っぱらからこんなところに何の用だ?」


「あんまり奥に進むと帰ってこられなくなるぞ」


 声を掛けてきた男は二人。

 どちらも三十代後半で、裏社会の人間ですと言わんばかりの風体ふうていである。


 年齢や落ち着き具合からも昨日のチンピラ連中とは格が違いそうだ。


「この辺りの住人は周りを取り囲んでから声を掛けるんですか?」


「連中のことは気にするな」


 周囲を固めている八人は自分が合図しない限り手出しをしないから安心しろ、と俺の言葉を適当にかわした。


 用意したプランは三つ。

 プランAはトラブルになる前に叩きのめして先へ進む。


 プランBは金で情報を買う。

 そして、プランCは協力者として取り込む、である。


「実はこの男たちを探しに来たんです」


「そいつらなら、もうこの辺りにはいねぇな」


 ギルドから持ち帰った手配書を見せると、男は一瞥いちべつしただけでそう言った。

 まだこの辺りをうろついているなら俺としても苦労はない。


 こいつらが既に行方をくらませていることは織り込み済みだ。欲しい情報はこいつらが誰と接触していたのか、どんなことをしていたのかである。


「短時間で見分けられるんですね」


「俺が嘘をついているでも言いたいのか?」


「いいえ。もしかしたら、彼らについて聞きに来たのは俺が初めてじゃないのかな、と思っただけです」


「へえ……」


 男が口元を綻ばせた。

 やはり騎士団が聞き込みにきたあとか。


「彼らが誰かご存じのようですね」


「そんなことは兄さんに関係ないだろ」


 いらついたようにそう言うと、早く帰るように再びうながされた。

 少なくとも何らかの情報は持っていそうだな。


「情報提供の対価はお支払いします、彼らについて知っていることをお話し頂けませんか?」


「俺たちを買収しようってのか?」


 不機嫌さを隠そうともせずに言った。


「買収がお望みならそうします。それ以上のことをお望みなら、こちらとしても別の対価を用意している、とだけ言っておきましょう」


「面白いことを言う兄さんだな」


 男が周囲の仲間たちに視線で合図した。すると、俺たちを取り囲んでいた者たちがたちまち姿を隠す。

 食い付いた!


「買収ではなく取り引きをできる相手を探していました。条件は第一に運が良いこと。次いで頭が切れ度胸があり野心家であること。加えて、信用できる人間なら大歓迎です」


 半分は嘘だ。

 組むなら能力よりもひととなり。頭が切れる者よりも信用ができる者というのが本音である。


「その条件に合う人間ってことで俺に会いに来たと言うんじゃないだろうな?」


 鋭さの増した視線を無遠慮に俺にぶつけてくる。


「まさか、あなたの名前も知りません」


 俺はゆっくりと首を横に振った。

 そしてなおも睨み付ける男に向かって言う。


「言ったでしょ、俺が探しているのは運が良い人間だって。このスラム街で俺が最初にであった話し合いができる人間、それがあなたです」


 俺に出会えたことが幸運なのだと告げると男が突然笑い出した。


「ふふぁはははは」


「そんなにおかしなことを言いましたか?」


「兄さん、魔術師か?」


 小さくうなずくと男がなおも言う。


「相当腕に自信があるようだな」


「そうでなければこんなところに来ませんよ」


「それにしたって女連れでくるとは恐れ入ったぜ」


「先に忠告しておきますが、彼女に手をだそうとしたらスラム街を焼き払うかも知れませんよ」


 俺がやるんじゃなく、ピーちゃんがやるんだけどな。


「随分とでかくでるじゃないか」


「これでも言葉を選んで控えめに言っているつもりなんですけどね」


「こんなガキの話を真に受けることはありませんよ。さっさとここからたたき出してやりましょう」


 いままで隣で黙っていた男が苛ついたように言った。


「お前は黙ってろ」


 苛ついている男を一言で黙らせ、その男に問い掛ける。


「お前なら敵の縄張りでこの人数に囲まれも平気でいられるか?」


「え? いやそれは……」


「あの兄さんの自信は本物だ。それに隣の嬢ちゃんも妙に落ち着いてやがる。つまり、この人数相手にやり合うことになっても、切り抜けるだけの力の裏付けがあるってことだ」


 そこで俺の方を向いて言う。


「なあ、兄さん。そうなんだろ?」


「益々、あなたと手を組みたくなりましたよ」


「良いだろう。場所を変えて話し合おうか」


 男がきびすを返して歩きだした。

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