第49話 ヴィーナスの意思

 デランは天覧席に向かって走った。

 ワルキューレ・グラールの試合はまだ続いている。ヴィーナスは天覧席で全試合観戦するのが古くからの習わしの為、そこにいるはずだ。

 一般の観客だったらセキュリティと護衛騎士がいるため、そこまで近くにいけないのだが、デランは出場選手なのである程度コロッセウム内の移動の自由を与えられていた。そのおかげで一般の観客では到底入れないところまで来れた。

 しかし、それにも限界があった。


「これ以上の立ち入りは禁止です、デラン・フーリス殿」


 セキュリティのラインを無理矢理突破しようとして、正騎士に止められる。


「そこを通せ! ヴィーナスに話がある!!」

「出場選手がヴィーナス様にお目通りすることは禁じられています」

「お目通りじゃねえ! 話をしたいんだ!」

「ですから、それは禁じられています」

「話の通じない奴だな!」

「それはこちらの台詞です」


 正騎士の女性の方もだんだん語気が強くなってくる。

 これ以上、噛み付いてくるようなら斬って捨てる。そういう険悪な雰囲気になりかけている。


「おい、デラン!」


 そこへ追いついてきたダイチが止めに入る。


「なんだよ!?」

「落ち着け、ここで下手に揉めたら失格になるんじゃねえか!」

「う……!」


 その一言がデランに聞いたようだ。

 すかさず、ダイチは騎士の女性の方を見る。


「そうなんだろ?」

「はい。その通りです。もっともここを無理矢理突破しようものなら失格どころか出場できないほど痛めつけますがね」


 正騎士の女性は帯刀した剣をチラつかせて言う。


「な、やめておいた方がいいだろ」

「だ、だけどよ……!」

「ここは穏便に行きましょう。会いにゆけないのであれば、会いに来させればよいではないですか」


 ミリアの提案にダイチは呆れた。


「お前な……それは余計に無理だろ」

「それだ!」


 デランはそう言ってディスプレイを出す。


「え……?」

「アグライアに連絡して、ヴィーナスをここで来させるように頼むんだよ」

「いや、お前な……」


 いくらなんでもそれは無茶ぶりなんじゃないかと思ったし、下手をすると罪に問われかねないことではないかとダイチは止めようとした。


「――アグライアか!」


 しかし、すぐに通話ウィンドウが開いてアグライアが出る。


『デランか。ちょうどよかった、お前と話がしたかった』

「ああ、こっちもだ」

『そうか。なら今日の試合が終わったらラウンジで落ち合おう。それでは』


 通話ウィンドウが閉じる。


「はあ……お前なあ」


 ダイチは安堵の息をついてから、デランに文句を言う。


「寿命が縮むところだったぞ」

「ん、どうしたんだ?」


 デランは悪びれもせず言ってのける。

 ヒトの気も知らないで、とダイチはぼやかずにはいられなかった。




 それから、ダイチ達は担ぎ込まれたエドラの見舞いにメディカルスペースにやってきた。この医療スペース、戦いで負傷したり、倒れたりした選手を回復させるためにコロッセウム内に設置されている施設なのだが、病院かと思うほどの広さと清潔感であった。

 そこでエドラの病室の情報を端末から読み取ってから向かう。


「お見舞いには果物だったりお肉だったり用意しておいた方がよかったんじゃないですか? 今からでも買ってきましょうか?」


 などとミリアは言ってきたが、魂胆のわかるダイチは却下した。


「それ、お前が食いたいだけだろ」

「………………」


 ミリアは笑顔を硬直させたまま黙った。

 そうこうしているうちにエドラの病室に着いた。


「エドラ、俺だ」


 ウィンドウを開いて、コールする。


『入っていいよ』


 返事はすぐにきて、扉が開く。


「大丈夫か?」


 ベッドに横たわっているエドラにデランは訊く。


「見ての通り。あっさりとやられたよ」


 エドラは自嘲気味な笑みを浮かべて答える。


「あっさりって、結構頑張ってたじゃねえか」


 ダイチが言う。慰めではなく、心からそう思っていた。

 エドラの速度にアングレスはほとんど対応できず、何度か斬撃を与え、手傷を負わせていた。アングレスにとっても決して楽勝とはいえなかった、というのが、デランとダイチの意見であった。


「いや、彼はあれでまだ全力じゃなかったみたいだよ。ボクには彼の全力を引き出すだけの実力が無かったんだよ」

「そんなわけあるかよ。エドラは強い」

「だが、負けたんだ」

「デラン……!」

「戦いは結果なんだ。エドラは木星人に負けた、それだけだろ」

「デランの言うとおりだよ。絶対に負けないつもりで挑んたけど、彼には及ばなかった」

「………………」


 デランとエドラに、二人揃ってそんなことを言われたら押し黙るしか無かった。


「ただ、負け惜しみじゃないけど、彼は強いよ。優勝候補といってもいい」

「ああ、それは俺も感じた。さっき言ってたが、あれが全力じゃなかったんだろ?」


 デランの問いかけにエドラは頷く。


「うん。彼は確かに言っていたよ。少しだけ本気を出すか」

「少し、少しであれか……」


 デランは拳を震わせる。

 頭の中では既には試合でアングレスと対峙することを思い浮かべているのだろう。

 エドラとの試合で見せた大剣の一撃が全力でないなら、勝つためにはあれ以上の力を引き出した上でこちらが上回らなければならない。


「勝てるかい?」


 今度はエドラが問いかける。


「――当たり前だ」


 デランは即答する。


「あんな奴に負けるかよ。お前の仇は絶対とってやる!」

「はは、それはありがたいね」


 エドラは拳を突き出す。デランはそれに答える。


「期待しているよ」

「おう!」




 そして、病室を出て、ラウンジまでやってきた。

 ラウンジには仕切りがあってヒトの話が漏れ聞こえないようになっている。こっそり会って話をする場所に向いているなとダイチは思った。


「エドラさん、落ち込んでいましたね」


 ふとミリアが呟く。


「え? 元気だっただろ?」


 何を言ってるんだとダイチは思った。


「ああ」


 しかし、エドラをよく知るデランはミリアの意見に肯定する。


「あいつがあんなに戦いのことを喋るなんて珍しいからな。あいつなりにグラールにかけてたんだと思うぜ」

「そ、そうか……」


 ダイチには全然わからなかった。

 ただ改めて思い返すと、確かにいつも穏やかで客観的に一歩離れた視点で冷静に話すのに、ついさっきはどこか感情的だった気がする。内からこみ上げる悔しさがそうさせたのかもしれない。


「……負けられない」


 デランは呟いた。


「デラン、絶対優勝してくれよ」

「……ああ、必ずな、必ず」


 デランは震えながらも答える。


「その意気だ」


 そこへアグライアがやってくる。


「――アグライア!」


 その姿を見た時、ダイチは硬直した。

 さっき皇・ヴィーナスのもとに列をなし、あたかも神話の光景を再現するかのごとき神々しさを放っていた騎士の一人が目の前にいる。

 以前、一度だけとはいえ親しげに会話が出来たことが信じられない。

 椅子に腰を下ろすだけの動作さえ敬意を払い、一礼しなければならないのでは、という気にさせてくれる。


「かしこまらなくてもいい」


 そんなダイチの敬意を察して、アグライアは諭す。


「呼び出したのは私だからな。しかし、君達がデランと一緒にいた時は驚いた」

「俺の調整役のパートナーだからな」

「なるほど」


 デランの返答にエドラは納得がいったようだ。


「ですが、憧れのワルキューレ・リッターの方に敬意を払わずにはいられませんよ」


 ミリアは嬉しそうに語る。


「そうか……強制はしない。私の場合、自然体の方が好ましいのだがな」

「こやつの場合、これが自然体じゃからな」

「お前は誰とでも自然体だな」


 ついダイチはフルートに向かって、いつもの調子で話す。


「そうそう、その調子だ」


 アグライアは微笑む。


「んで、呼びつけて何の用だ?」


 デランは訊く。


「用があるのはお前の方じゃないのか?」

「ああ、そうだ」

「あの木星人のことか?」


 デランは頷く。アグライアもそのことを話したかったようだ。


「ああ、なんだってあんな奴がグラールに出場したんだ?」

「……陛下が取り決めたことだ」

「――!」


 一同は驚く。


「私達も先程まで木星人が出場していることは知らなかった。……デメトリア卿を除いては」


 最後の方に少しだけ悔しさが混ざっているように気こえた。


「なんでそんなことが?」

「あの男は西の騎士養成学園アルヴヘイムの留学生になっていたようだ」

「留学生、それじゃ俺達と同じってことなんですか?」

「どこまでが同じかはわからない。境界先についての情報は極めて限られている。私達ですら知らないことがあまりにも多すぎる。民衆がヴィーナス様へ憎しみを募らせていることさえもな」


 アグライアは悔し気に言う。

 あの宇宙港での出来事が思い出される。ヴィーナスの生命を狙った実行犯達はみんな壁の先の土地の出身だった。彼らはヴィーナスへの憎しみを募らせたうえで暗殺計画を決行した。

 その事態がヴィーナスへの不信の顕れだった、と心を痛めていたのだろう。


「アグライア……」

「そして今回の一件でますます陛下は立場を悪くするだろう」

「なんだって、そんな悪くするようなことをしたんですか?」


 ダイチは思わず訊いてしまう。


「………………」

「……あ、すみません」


 アグライアの表情の憂いの色が浮かんだことで、失言だったと気づく。


「いや、私も同じことを思った……が、木星の圧力もまた無視できないものなのだ」

「火星でも似たようなものですよ。いえ、ここまで表面的には出てきていないと思いますが」

「そうか……私も浅学だからな。他の星どころかこの星の事情にすら疎い」

「俺も同じだ。だけど、今回のことはいくらなんでも!」

「確かにな。ワルキューレ・グラールは金星の騎士団ワルキューレ・リッターを選抜するための大会。いわば金星人による金星人のための大会。その歴史と伝統を踏みにじられたといってもいい。もし、これでアングレス・バウハートが優勝しようものなら……」

「そんなこと、絶対にさせねえ!」


 デランは身を乗り出して言う。


「俺がさせねえ!」


 闘志に燃えるデランの眼を見て、アグライアは安堵する。


「それを聞いて、安心した。呼び出したのはその気持ちを確かめたかったからなんだ、陛下もこう仰っていた」


『――ワルキューレ・グラールに木星人が出場することを許したのは木星の圧力に屈したからということもありますが、これ以上境界先にいる金星人(かれら)の立場を悪くしたくはないのです。仮に私が退位することになろうともですね。

それに私は信じています。今回出場した彼等が正しく金星人の誇りを持ち、戦いに臨み、必ずや歴史と伝統あるワルキューレ・グラールを保ってくれると』


「ヴィーナス様がそんなことを……」

「私はデラン、お前こそ騎士の誇りを持つ者だと信じている」

「アグライア……」


 デランは震えを止めて、その言葉を胸に刻む。


「頼むぞ、デラン」

「ああ!」


 アグライアの期待にデランは力強く応える。

 ダイチは目の当たりにして胸に熱いものが込み上げてきた。




 ワルキューレ・グラールは二日に渡って行なわれる。初日のうちに半分が終わり、二日目に残りの半分、つまり二回戦から決勝まで一気に行なわれる予定になっている。

 ヴィーナスとアグライアはホテルの部屋で歓談していた。


「明日はさらに激しい戦いになるでしょうね」


 ヴィーナスは楽しそうに言うが、状況が状況なだけにどこか不安を混ざっているようにアグライアには聞こえた。


「はい。まだ初戦ということもあって、力を抑えている選手も多かったですからね」

「デラン・フーリスもそうですか?」

「いえ、デラン・フーリスは全力を出していたと思います。相手は聖騎士のリミエッタ卿でしたから」

「そうでしたね……あのような男性が現れるとは思いもしませんでした」


 ヴィーナスは今度は心底から楽しそうに笑って言う。


「彼がワルキューレ・リッターになってもおかしくないでしょうね」

「陛下、それは……!」

「そう、明日の試合次第ですね。もし彼が優勝するならば私は彼にワルキューレ・リッターの地位を授けることにしています」

「優勝するならば……そこまで言っていただけるのであれば彼も十分報われるでしょう」

「ですが、一筋縄ではいかないでしょう」

「そうですね……」


 アグライアは同意する。


「と、まあ一人の選手を贔屓にしてしまっては主催者失格ですね」


 ヴィーナスは自嘲気味に笑う。


「先程ガウス長官から連絡が入りまして、テクニティス・フェストの方も無事初日を終えることが出来たようです」

「それはよかったです」

「問題は二日目ですね。初日よりも激しい戦いが起きるのは明白です、私はグラールの観戦をしなければなりませんが」

「ヴィーナス様、そちらの方もじっくり見たかったと本音漏れていますよ」

「あら、いけませんね」


 ヴィーナスはいたずらっ子のように笑う。


「ああいったものは妹が好きでしたからね」

「そうでしたね。ラミフェリア様は今頃何をしているのか」

「フフ、心配はいりませんよ。あの娘はあの娘で頑張っていますから」

「ヴィーナス様はお見通しというわけですね」

「身内の動向ぐらいは把握しておくものですよ。しかし、一番危なっかしい者が一番身近にいるものですから心配の必要はありませんが」

「それは……私のことでしょうか?」


 アグライアは眉をひそめて問いかける。


「フフ、自覚はあるのですね。

騎士になる、といっていきなり孤児院を飛び出して、エインヘリアルに入学。さらにはグラールで私の前に現れたときの私の気持ちなんてわからないでしょうね」

「………………」


 アグライアは押し黙る。


「冗談です。こうして晴れてワルキューレ・リッターになったのですから文句はありませんよ」

「本当でしょうか?」

「ええ。ただ妹がそんなあなたに感化されて、マイスターを目指して宮殿を飛び出すとは思いませんでしたが」

「それは……申し訳ありませんでした」

「あなたが気に病むことでありませんよ。むしろ良い影響を与えたと思っていますよ」


 ヴィーナスは誇らしげに羨ましげに言う。


「さて、明日のスケジュールを確認いたしましょうか」

「はい」

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