第33話 パプリアの過酷な試験

 二メートル近いパプリアの背丈に見合った長剣で、見る者を威圧させる迫力があった。


「さあ、どこからでもかかってきなさい」


 ダイチもレーザーブレードを構えるが、どこから仕掛けていいのかわからない。

 デランの教官となると実力は彼よりも一枚も二枚も上なはずだから、下手に仕掛けたら返り討ちであっさり不合格行きだ。


「フフ、来ないのならこっちからいくわよ」


 待ちかねたパプリアは長剣を振り抜く。

 いくらパプリアの長い腕と長剣を持ってしても、ダイチとの距離は埋められない。


ビュン!


 だが、その振り抜いた剣から巻き起こる風はダイチにまで届いた。


「――!」


 風を浴びた時、ダイチは一瞬斬られたのかと錯覚した。

 それほどの風圧があり、それだけ力強い振り抜きだったということだ。

 もしも、あれをまともに受けたら……そう考えるだけで足がすくみそうになる。


「……だけど!」


 ダイチは声を出す。

 込み上げてくる恐怖を超えにして吐き出す。


「そうでなくちゃ!」


 ダイチは地を蹴る。


「フフ、いい気迫ね。でも」


 パプリアは長剣を振り上げて、下ろす。

 ダイチにはもう一足分の距離だが、パプリアからしてみれば十分剣の届く範囲であった。


「身体がついてきてないみたいね」


 とっさにダイチは長剣をレーザーブレードで受け止める。


パシュン


 レーザーブレードから噴出しているブレードを形成するエネルギーがはじけ飛ぶ。


「ぐッ!」


 闘技場全体に剣風を巻き起こした一振りの衝撃がダイチを襲った。

 まともに受けてたら、肩が砕けていただろう。

 ダイチは受け止められたのは、昨日のデランとの決闘で得た戦いのカンが働いてくれたおかげだ。


「さすがにこの程度じゃ終わらないか」


 パプリアはフフッと笑う。

 斧を受け止めたかのように重い一撃を「あの程度」と言った。つまり、まだまだ手加減されているということだ。

 しかし、それも当然だ。それだけの実力差があるのはわかっていたことじゃないか。


――私の代わりにぶちのめしてきなさいよダイチ


 そんなの不可能だ。

 エリスは力強く言ってくれたけど、彼女だってそんなの不可能だってわかっていたんじゃないか。


――でも、負けっぱなしで黙っていないんでしょ


 そうだ、黙ってなんかいられない。


「ぶちのめすのが無理でも、ぶちかますことはできるんだ」


 今持てるチカラを全てぶつける。

 その想いのもとに、ダイチはレーザーブレードを振りかざす。


「結構よ。それじゃ私ももう少しだけ本気を出すわ」


 寒気の走る一言だった。

 これは試験というより試練だ。どんどん絶望を突きつけて、それでも心が折れないか試されているんだ。


(折れない、こんなことじゃ俺は折れない!)


 ダイチは念じる。

 そうして剣のように研ぎ澄ませる。そこに迷いも恐怖もいらない。いるのは、――ただこの試練を乗り越えるためだけの決意だ。

 一歩踏み出す。

 最初の一歩さえ踏み出せれば、あとは勢いをつけられる。


バビュン!


 レーザーブレードの火花が飛び散る。

 渾身の踏み込みで斬りつけた。斬るというより叩くといった方が正しいか。ともかく、レーザーブレードは思いっきり長剣にぶつかる。

 これが金属だったら刀身が砕けただろう。刀身の代わりにレーザーのエネルギーが花火のように舞った。


「まだまだ!」


 ダイチは腰に差していた光線銃を引き抜く。

 一応、気絶させる程度のレベルにまで威力を抑えたが、そんなの気にしちゃいられない。

 撃っても勝てるかどうかわからないのだから、撃つしか無い。


バン!


 ダイチは躊躇いなく引き金を撃って光線を放った。

 しかし、それをパプリアはかわした。涼しげな顔のまま。


「銃ごときで私を倒せないと言ったわよね?」


 パプリアは不敵に笑う。


「く……!」


 ダイチは構わず攻撃を続ける。

 剣と銃を交互に放つ我流の攻撃。しかし、それは全く通じない。

 剣も銃もかわされて、弾かれて、まるで弄ばれているようだ。

 そこへ反撃がやってくる。

 レーザーブレードで受け止めると足が舞台にめり込む。


「もう少し本気になってもいいかしら?」

「――!」


 全身に寒気が走る一言を平然と言う。

 長剣を振り上げて、下ろす。

 ただそこに速度と力強さが増すだけだ。それなのに迸る剣の衝撃で、舞台の表面がえぐれる。


「ああ、くそ!」


 ダイチは思い知らされる。

 これがヒトの出せる力なのか。しかも、まだまだ手加減されている。

 自分では到底し得ない領域。だけど、踏み出せずにはいられない。

 一歩ずつ一歩ずつ小さいけど確実に。


「行け……! 行くんだ!!」


 レーザーブレードを叩きつける。


「……素晴らしい」


 パプリアはその様子を見て呟く。

 こちらが力を上げたらその分だけ対応してくる。

 まだ拙く頼りないものだが、着実に小さく一歩ずつ進歩している。

 叩けば伸びる、そういう成長のする子は叩きがいがある。


「そうよ、そう。どんどんきなさい」


 パプリアの呼びかけにダイチは応えない。

 応える余裕がないのだ。ただ、衰える勢いが無いまま続ける攻撃がその応えになっていた。


バァン!


 今の一発で銃の弾は撃ち尽くした。


「おりゃッ!」


 ダイチは銃を投げつける。

 パプリアは髪をなでるように払いのける。その間にダイチはもう格納庫から拝借したもう一刀の剣を引き抜く。


ガキィィィン!!


 ダイチの剣とパプリアの長剣がぶつかり、金属音を響かせる。

 光線銃を投げての不意打ちの一撃も通じない。それでも、ダイチは止まること無くレーザーブレードを斬りつける。

 右手のレーザーブレードと左手の剣。

 二つの剣をもちいて、交互に斬りつける。


「即席にしては上出来ね」


 パプリアはそう言って、力強い一撃をダイチに見舞う。

 それを受けたダイチはレーザーブレードを身体ごと弾かれる。


「もう終わりかしら?」


 パプリアは微笑みを浮かべて訊いてくる。

 そんな風に問いかけてくるということは、まだ試験を続行するつもりなのか。なるほど、デランがボコボコにされたと苦い顔をして言うのも頷ける。

 ここで降参すれば、これ以上痛い目をみることなく無事に試験を終える事ができる。

 そう思うと、ここで気持ちが折れた受験者はいっぱいいただろうことが容易に想像がつく。

 パプリアは余裕の笑みを浮かべているせいで、余計気持ちが萎えてくる。


(進むか、退くか……)


 そんなの決まっている。

 何故ならダイチは全く折れていないのだ。


「おおぉぉぉぉぉッ!!」


 さらに進む。

 ダイチは、もう少し本気を出したパプリアに立ち向かう。


ガキィィィン! ガキィン! バビュン! ガキィン! バビュン!


 レーザーブレードの火花が飛び散る中を剣と剣がぶつかる。

 パプリアの凄まじい攻撃も少しずつだが、見えてきた。見えてくれば自ずと身体は動いて対応はできる。

 長剣の一撃を受ける度に全身が悲鳴を上げるように震え、痛みが遅れてやってくる。特に手の方の痛みは酷い。まだ剣を握れていることが不思議なくらいだ。

 もう一撃受けたら剣は持てなくなると思っていたけど、それがもう二撃三撃と続けられている。


(俺の身体が俺の無茶をきいてくれる! まだ戦える!)


 ダイチは思いっきりパプリアの長剣へ叩きつける。

 その衝撃を受けてパプリアは足を少しだけ退く。


「……では、もう少し本気を出しましょう」


 一体これで何度目の台詞だ。

 いつになったら本当の本気を出すのか。いや、そもそもこの人に本気を出し尽くすことができるのだろうか。


「さあ、いくわよ」

「――!」


 力の入っていない一言から、一撃放たれる。


(みえない?)


 ダイチは吹き飛ばされる。

 斬られた、というより、風で吹き飛ばされたみたいだ。いや、これは斬撃じゃなくて剣風をまともに浴びたからか。

 それをダイチが理解した時、寒気が走った。

 斬撃が巻き起こした風だけで、ヒトが吹き飛ばされた。それをまともに受けたら、タダじゃすまない。下手したら死ぬかも……


「これでおしまい?」


 パプリアはあくまで温和な笑みを浮かべて訊いてくる。


「だったら、試験は不合格ってことでいいかしら?」


 そう訊かれて、ダイチは歯を食いしばる。

 ここで「はい」と答えれば、すぐに不合格で終わる。

 これ以上、傷つくことはない。怖いという想いを抑えなくてもいい。

 そんな誘惑を腹の内へ押し込む。

 それじゃここまで来て、ここまでやってきた意味が無い。

 まだやれることはあるんだから、やれる限りやるんだ。


「……そう」


 パプリアはダイチの燃え上がる瞳から続行の意志を感じ取る。


「さあ、かかってきなさい」


 ダイチは再び飛び込む。


ビュン! ビュン! ビュン!


 パプリアが剣を振るう度に風が刃となってダイチに襲い掛かってくる。


(みえ、……る!)


 風を身体に浴びる内にダイチはかすかに見えてきた。

 剣を盾代わりに前に出して、受け止めて前に進む。

 一撃目はまったく見えなかった。しかし、二撃目、三撃目と目を凝らしている内にかろうじて見えるようになった。


「本当に素晴らしい対応の速さね」


 パプリアは感心する。

 一撃振るう度に成長する。それだけでも素晴らしい逸材なのだが、何よりもその前へと進もうとする意志が素晴らしい。その気持ちが身体についてきだしている。

 気持ちが身体に対応してきている。


「――だけど」


 その姿を見て、パプリアは惜しいと思った。

 まだ足りない。

 その強い気持ちにまだ身体が完全についてこれていない。

 いくら驚異的な適応速度があっても、そこに至るまでの修練と経験が足りていない。

 だからこそ、すぐにやってきてしまうのだ。その時間が。


「もう限界みたいね」


 パプリアはダイチの動きを捉え、長剣を振るう。

 ダイチの剣一点に狙いを振り絞った完璧な一撃であった。まともに受けたなら、ダイチの身体はバラバラになっていただろう。しかし、剣にあったおかげで刀身が砕けただけで当のダイチは吹き飛び、舞台を転がる。


「よく頑張ったけど、ここまでね」

「ま、まだ……!」


 ダイチは力を振り絞って立ち上がろうとするが、身体は言うことを聞いてくれず、剣を杖代わりにしてようやく立ち上がれた。


「まだ続けるつもりかしら?」

「あ、ああ……!」

「そう……――じゃあ、もう少しだけ本気を出すわね!」


 パプリアをそう言って、もう一本の長剣を引き抜く。


「――!」


 ダイチはその姿に驚愕した。

 二刀の長剣、それがパプリアの本来の戦闘スタイル。かなり手加減されていると思っていたが、得意な得物すら使っていないのだからそれも当然だ。

 手加減どころか本気を出していない一刀での戦いで終始圧倒されていた。この事実にダイチは強く打ちのめされた。

 しかし、本当の絶望は次の瞬間にやってきた。

 パプリアは二刀の長剣を振るう。風だけではなく地鳴りを巻き起こす壮絶な一撃であった。


「………………」


 ダイチは剣を舞台に突き刺して力一杯踏ん張る。


「これでも続けるかしら?」


 パプリアは問いかけてくる。

 勝ち目は無いどころか、一撃でやられる。そんな現実をまざまざと突きつけられて、ダイチは心底震えた。

 もう立ち上がる力すら満足に残っていないこの身体じゃ、今の一撃を避けるどころじゃない。

 ただ、それでも諦められない。


――私の代わりにぶちのめしてきなさいよダイチ


 あのエリスの力強い声が聞こえてくる。

 こんな逆境の中でも、立ち迎えるだけの力をくれる。

 かけてくれた言葉を果たすまでは続けるんだ、と。


「つ、続ける……!」


 ダイチは恐怖を抑え込んで言い返す。


「フフ、結構。――合格よ」


 パプリアは満足げに笑って言い渡す。


「え……?」


 ダイチは何を言われたのかわからず呆然とする。


「――合格よ」


 そんなダイチのために親切にもう一度まったく同じことを言い渡す。


「……え、ど、どういうことですか?」

「私が合格って言ったのだから君は晴れてエインヘリアルの留学生よ」

「なんで?」

「最初に言ったじゃない。

――まあ、勝てないだろうけどせいぜい頑張ってくれれば合格にしてあげるわって」

「………………」

「あなたは頑張ったし、見込みがあるから、私は合格にした」

「合格って、本当なんですか? 俺、全然いいところなかったんですけど……?」

「教官の私にいいところなんて見せられるわけないでしょ。

デラン君だってボコボコにされたって言ってたじゃない?」

「あ、ああ……」


 そう言われるとなんだか納得してしまう。

 合格……釈然とはしないものの、その二文字を思い浮かべると満たされていくような気がする。


バタン


 そこで糸が切れた人形のようにダイチは倒れ込む。

 もう一度立ち上がる力は無く、意識が遠のいていく。

 力を全部出し尽くした……そんな感覚だった。




「また運ばれてきたのね、男は珍しいから歓迎するよ」


 血色の悪い顔をした白衣の女医・サブリナが嬉々としてそう言っている声が聞こえる。


「――う、う~ん」


 意識が戻ってくると傷の痛みが走り、唸り声を上げる。


「思ってたより回復が早いわね、火星人はそういう特性なのかしらね」

「さ、さあ……よくわかりませんが……」

「パプリアが凄く褒めてたわよ。私が一撃打ち込む度に成長していく、叩きがいのある生徒だって」


 それを聞いて、ダイチは苦笑する。


「あ、あははは、た、叩きがい、ですか……」


 これ以上叩かれるのは勘弁して欲しいなと心底思った。


「しかし、ワルキューレ・グラールの前に留学生が二人ね……中々面白いことになったわね」

「え、二人?」


 サブリナが何気なく言った一言をダイチは聞き逃さなかった。


「二人ってことは俺ともう一人……ミリアも合格したのか?」

「ああ、そうだよ。君より前に運び込まれてね、隣のベッドで休んでいるじゃないか」

「……え?」


 ダイチはその隣のベッドを見る。

 ミリアが幸せ満面の笑みを浮かべて天井を見上げている。


「あの、ミリア……」

「………………」


 呼びかけても返事が無い。

 まさしく天にも昇る気分なのだろう。

 そうか、あれだけ憧れていて不可能だと諦めかけてたというのに、チャンスが舞い込んできた。それを掴み取ったのだから幸せ満面になるのは当然だろう。


「ミリア!」


 それはそれとして存在を無視されるのは我慢ならない。ダイチは痛みを堪えて大声で呼ぶ。


「あ、ダイチさん……」


 ここでようやくミリアはダイチの存在に気づく。


「そんなところで寝てどうしたんですか?」

「こっちの台詞だ! いてて……」


 思わず叫んだが、これが身体中から痛みを訴えかけられて堪えた。


「その様子ですと、ボコボコにされたみたいですね」

「その台詞、そっくりそのまま返してやろうか」


 ダイチは恨めしげに言うものだから、ミリアは楽しげに笑う。


「私はちゃんと合格しましたので」

「俺もだよ。まあ、パプリア先生もおっかなかったけどな」

「ベルマ先生も怖かったですよ」


 ミリアは微笑みながら言う。

 試験を始めるということで、ベルマとは少し顔を合わせた程度なのだが、気は強いという印象があり、あのパプリア先生と同じ教官なのだから怖いといわれても納得してしまう。


「腕を撃たれて、足を撃たれて、じわじわ追い込まれました」

「こええよ! パプリア先生だってそこまでやらなかったぞ!」

「一発で一思いにやらずに追い詰めていくことに美学を感じましたわ」

「ドエスの間違いだろ! サディスティック!!」

「おかげで私はしばらく起き上がれませんし、立つことも出来ません」

「ああ、それでさっきから天井見上げてたのか」


 両手足が動かなくて起き上がれないならそれも無理だから納得がいく。

 それにしても、パプリアといい、ベルマといい、この学校……まともな教官はいないのか。


「ミリアちゃんは撃ちどころがよかったから一日で治るわよ」

「本当ですか。それなら明日から通えますね」


 ミリアは喜ぶ。本当ならここで手を叩いて喜びを露わにするところなのだが、手が上がらないようなので顔だけ凄くいい笑顔になっている。


「それはよかったな……」

「はい、ダイチさんも一緒に頑張りましょう」

「ああ、頑張ろう」


 結局、パプリアに一矢報いるどころか本気を出すことさえできずにやられた。

 エリスに言われた「ぶちのめす」ことはできないと最初からわかっていたが、悔しかった。

 せめて、本気の二刀流と一合でも交えられていれば……留学中に必ずもっと強くなろうと胸に誓うダイチであった。


「さてこれで君達は晴れて、一時的にとはいえエインヘリアルの学生だよ。改めてよろしく」

「はあ、よろしくお願いします」


 とはいってもベッドの上ではしまらないなと思った。


「ここでは実戦的な実習が多いから怪我人は多い。特にダイチ君は何度も運び込まれそうだからね、かなりお世話する事になりそうだ」

「そ、そうですか?」

「そういう顔をしている」

「どういう顔ですか?」


 顔色だったら、サブリナ女医の方が悪そうなのだが、それはちょっと言えなかった。


「ミリアちゃんはなんだかんだで上手くやっていきそうだね」

「そうでしょうか。私、要領悪い方だと思いますが」


 いや、そんなことはないとダイチは思った。


「何にしても授業は明日からだから今日はもう帰って準備した方がいいわよ」

「明日? また急ですね」

「ああ、火星じゃもっと間をとるの? 金星は水星ほどじゃないけど速さを尊ぶものだよ」


 水星ほどじゃない……という言葉がダイチの頭の中で引っかかる。


(そういえば、旅支度を整えるのはマイナが一番早かったな)


 早寝早起きも水星人の特技だとも得意気に言っていたことを思い出す。


「一応、家族には別れを済ませておいた方がいいわよ。エインヘリアルは全寮制だからね」

「全寮制?」


 それは初耳であった。

 そうなるともうホテルに泊まる必要はないのとしばらく一緒にいられないことをエリスに伝えないとな、と思った。

 エリスはなんて言うだろう。

 なんだか「あ、そう」って言いそうな気もするし、「冗談じゃないわ」と激怒する気もする。

 ミリアに聞いたらわかるのだろうか。

 エリスをよく知るミリアなら……そう考えたところで、ダイチは自己嫌悪に陥る。


(俺はエリスについて何も知らないんだな)


 ため息一つつく。


「フフフ……」


 そこでミリアは首だけ傾けてこちらを見て微笑んでいることに気づく。


「何だよ?」


 途端に恥ずかしくなる。


「いいえ、なんでもありません」


 明らかに何か言いたそうな顔をしているのに、なんでもないってなんだよとダイチは心中ぼやく。


「あの、ところでダイチさん?」


 ミリアは急に神妙な面持ちになる。


「ん、どうした?」

「まだ腕と足が満足に動かせないので、その……頼みたいことがあるんですが」


 その時点で、ダイチは嫌な予感がしてきた。

 サブリナから「今日はもう帰って準備した方がいいわよ」って言われたことから遠回しに「もう出て行け」とも言われたような気がする。

 つまり、ダイチとミリアはもう出ていかなければならない。

 しかし、ミリアは腕と足が動かないから起き上がることさえできない。対するダイチは痛みこそあれどもうベッドから起き上がって立って歩くぐらいならできそうだ。


「嫌だって言ったら?」

「私、ダイチさんのこと信じていますから」


 ミリアは天使のような笑顔で容赦なく言い放ってくる。


「まさか立てない私を見捨てて行くような薄情な殿方だなんてこれっぽちも思っていませんから」

「………………」

「ですから私、ダイチさんのこと信じていますから」

「二度も言わなくていい!」


 しかし、そこまで強調して言われたらきかないわけにはいかない。

 ダイチ自身動けないミリアを見捨てていくのはどうにも後味は悪いと思ってしまったのだから、ミリアの勝ちである。


「では、ふつつか者ですが、よろしくお願いします」


 意味わかって言っているのだろうか、とダイチは思った。

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