(5)

 でも、これってやっぱり変じゃない? 辻という彼氏の前で、彼氏じゃない俺を彼氏呼ばわりって。不条理では?


 ・・・うん。でも今回は、ミカの意図が、分かりすぎるほどよく分かる。俺をかばってくれてるんだね。優しいよね。俺の異常行動のわけを知らないんだから、激怒しても当然のシチュなのに。


 辻は案の定、口あんぐりで、再度俺を見上げたまま固まってしまっている。そういえば他の客も、みんなそんな感じですね。ふと気づけば、俺って、店内注目の的です。


 そりゃそうだ。窓にへばりついたカメレオン男。それを指差して、彼氏です、と叫ぶ美少女。その隣で驚愕するイケメン。


 ・・・これは絵になる。ある種の普遍的なドラマを構成しているのは間違いない。ブレッソンなら、どの角度から切り取るのだろうか。あるいはまた、この深みのあるテーマを顧みるに、絵画的アプローチも可能なのではないだろうか。フェルメールとか。「トカゲ男に振り向く首飾りの少女」的な。


 などと考察を続けていると、突然、もう一人の人物の存在に気がついた。店の奥からいつの間にか出てきて、ミカの肩に手を乗せたのは、・・・新雪さんじゃないですか。まあここにいて当然の人だけど。お久しぶりです!


 新雪さんはへへへと笑って、


「ほ~ら山本くん、やっぱり彼氏じゃない! やっと認めた! わたくしには、最初っから分かっとりましたのよー」

「いえっ。あのときはまだ違ってて。最近です。そうなったのっ」

「へー。いつ? プールのとき?」

「いえ・・・文化祭のときかな? 先月。たぶん・・・はは・・・」


 ミカは照れたように横を向いた。が、突如として、この状況の非日常性に思い当たったようで、


「あ! すみません! お店にご迷惑をっ。・・・山本くんっあなたね! 何やってるの! 早く降りてきなさいよもうっ」

「いやっ。今はまだ、ちょっと降りられない事情がっ」

「何言ってるの!?」


 ミカはもう、完全に激怒モードに突入。止める間もなく、店の外へ飛び出してきた。辻がそれに続こうとした瞬間、俺の中でアラートが爆発した。


「そこでストップ! 出てくるなっ!」


 辻は俺の剣幕にぎょっとして、ドアの前で止まった。間一髪。意外にも、辻は俺の指示に素直に従って、店の中に留まった。俺は胸をなでおろした。・・・まあそうでしょうね。窓にひっついたサイコ野郎が止まれと絶叫したら、そりゃ相当な迫力だからね。


 だけど、ミカはまったくひるまない。俺を見上げ、手を腰に当てつつ怒り心頭!


「怒るわよ! いじけてないで、今すぐ降りてきなさいっ」

「いやっ。いじけてるわけでは決してっ。今しばらくお待ちをっ」


 うーん。辻が位置を変えたから、もうこの窓を通した狙撃は無理だろう。じゃあ降りても大丈夫かな? 確信がもててないけど・・・。そのときケータイが鳴った。いやこの状態で、どうやって電話を取れと? だが自分でも感心したことに、片手で何とか取れました。意外と器用なのか俺って?


「降りなさいっ」

「ミカさん、どうかしばしお待ちを。・・・あ会長。ど~もっ」

「状況は聞いた。インターセプトしてくれたそうじゃないか。君の英雄的行為は、次の総会で詳細に報告させてもらうぞ。私も鼻が高い」

「いや。そんな話はいいですから。それよりこの後どうすれば?」

「もう帰っていいぞ。ミッション終了だ」

「・・・は?」

「もぐらから連絡が来た。辻のレベルは2に落ち着いた。スナイパーにも連絡が行ったはずだ。ニューラルネットのエンジンを、ギブズ-ホップフィールドに変えたらしい。バグは消えたようだ。危険は去った」

「俺のレベルは? 俺のも下がったはずでしょ?」

「さあ。特に連絡は来てないな」

「えー」


 ミカが下で、腕を振り回して怒っている。降りたら平謝りです。怖いです。


 そのときメッセージが来た。〈P〉から。さぞお怒りでしょうね?


〈ささやかなお礼だ〉


 BB弾が、俺の後頭部と両手の甲に、次々と炸裂した。俺はたまらず、苦痛の叫びを上げて仰向けに墜落した。ミカの足元に。


「きゃっ」


 ミカが、両手でスカートを押さえて飛びすさった。・・・えっと。俺、変質者じゃないでしょ? 彼氏のはずでは?


     *


 離れたテーブルから、客と新雪さんのひそひそ話が聞こえる。


「大丈夫ですか、あの人? 通報しなくても?」

「いえ・・・お客さんのお知り合いみたいで。はは。なんか若い人たちって、いろいろありますから。青春・・・ですかね? ははっ。驚かせちゃってすみません。私どももたっぷり驚きましたけど。ははっ。このケーキ、サービスで。よかったらお召し上がりに。どうぞ」


 はああ。俺が叩き出されずに、こうしてここでケーキ食べていられるのも、ひとえにミカと新雪さんのお取り成しのお陰です。感謝感激。だが辻は、ま~だ俺をジト目でちらちら眺めながら、口に手を当ててひそひそ声で、


「あの・・・でもさ、他にいなかったの? これじゃなく」

「山本くんね、地味だけど、こう見えてもけっこうモテるんだから! 意外にもっ」


 ミカさん優しい。でもフォローなのかな、この表現?


「いや、地味とか以前に。なんかこう――普通の人じゃないよね? 挙動が。普通の出入り口から入ってこないっていうか・・・。幼少期に何か?」


 辻は納得していない。すいませんそのないしょ話、たっぷり聞こえてるんですけど。あのね辻くん。第一印象で人を判断するのは良くないな。反省したまえ。


「全然大丈夫。ちょっと変わったところあるけど、慣れれば平気だから。下から這い出してくるのとか、上から落ちてくるのとか、よくあるから」


 ミカのフォローも苦しい。てか、這い出したのはあなたの指示だったじゃないですか?


「辻くん。あの・・・山本くんのことは、うちのパパには・・・また心配するから」

「分かってるよ」


 ここで辻は吹き出した。


「今日のこと、そのまま言ったら、そりゃもう心配どころじゃ済まないって!」


     *


 辻は、今晩発つというので、まだしきりに首をひねりながらも、荷物を取りにホテルへ帰って行った。


 はあ~。やっと邪魔なイケメンが消えて、せいせいしたぜ。俺とミカ、またふたりだけの世界。ケーキがうまいっす。さっきまでの暗闇よ、さようなら。こんにちは、らぶらぶ王国。どうかもう二度と、覗きなんてせずに済みますように。


「ちょっと! 聞いてる?」


 あっ。ミカさんのお怒りは、まだ収まってない。


「確かにね。急に約束キャンセルしたのは、私が悪かったけど。でも辻くんが急に来ることになったので、仕方がなかったの。カフェのコンペに出すんだって。その資料集め。・・・でもね、だからって、あれはないんじゃない? ああいうのはっ」

「はあ」

「気持ちは分かりますよ。山本くんの焦っちゃう気持ちも、そりゃ分からなくはないですけど。私だって、例えばね、ちょっと通りかかったお店で、山本くんが、・・・例えばね、例えばの話だけど、白鳥さんとか、それとも、みどりとかと、お茶とかしてたら、そりゃ、ちょっと思いますよ。えーって。なに話してるのかなって」

「なるほど」

「特に、私と約束してたのキャンセルとかしてたらね。そりゃ気になっちゃうけど。でも、ちゃんと我慢しますから。焦っても我慢できますから私。それが、いくらなんでも、――窓に飛びつくとか! そんなこと絶対しないから。ね? 普通しないですよそんなこと。常識的に。子供じゃあるまいし」

「はいいっ」

「あの。まあね。情熱的なのは、ちょっといいかなって。そう思う人も、確かにいますよ。いるとは思うんだけど、やっぱり時と場合によりけりじゃないですか。知らない人が見たらどう思いますか。ね? 絶対ストーカーに見えちゃうから! 誤解されたらどうするの? 通報とかされたら。困っちゃうわよそんなの」

「ですよねっ」

「辻くんだって、あんなに驚いてたじゃない。印象悪くなっちゃった。山本くんの」


 俺は恐る恐る、一番知りたいことを切り出した。


「・・・ええと。あの。お二人は、どのようなご関係で?」

「あ。言ってなかった?」


 ここでミカは、不意に、例のいたずらっぽい微笑を浮かべた。もう怒ってない?


「山本くん。妬けた? やきもち? 嫉妬しちゃった?」

「えーと。そうですねー。そうかなー。どうかなー」

「妬いちゃったんだ。そうでしょ。だから焦ってあんなこと」

「えーと」

「良くないなー。良くないっ。嫉妬深い男は。嫌われるぞっ」


 なんか嬉しそう。


「辻くんはね、・・・新雪さんの彼氏だったんだよ」

「・・・は?」

「私、パパがこのケーキ屋さん造ってたとき、よく遊びに来てたでしょ? 小学生のとき。あのとき、辻くんもしょっちゅうあかねさんに会いに来てて。高校違うのに。すごくロマンチック。お似合いだなあって、私、憧れてた。私も将来、あんな恋愛したいなあって。でもね、辻くん急に東京に引っ越すことになっちゃって」

「そうなのか・・・」

「だけどね! 辻くん、あのとき、この建物ができていくところを見てて、それで建築やりたいって思うようになったんだって。大学もそれで決めて、卒業してからパパの事務所に入ったの。だからね、辻くんと私、東京でも仲良し」

「なるほど」

「それでね! この前、蛍のとき、覚えてる? あかねさんと私、山本くんほっぽって、二人で、ないしょ話してたじゃない? あのとき、あかねさんがいろいろ聞くのね。最近の辻くんどお? とか。彼女できた? とか。それで私、ああまだ好きなんだって思ったの。だからキューピッドのつもりになっちゃって。今度辻くんがこっちに来たとき、会わせてあげよう、なんて。出しゃばり。バカみたい」


 ミカは顔を曇らせた。俺は慌てて、


「いやそんなことないよっ。バカとか。それないです。ミカさん優しいですっ」

「・・・ありがと。でもダメだったの。失敗しちゃった。二人でしばらく話してたんだけど、やっぱり無理みたい。私、余計なことしちゃった。自分勝手なおせっかい。情けなくて」


 ミカはまたちょっと泣きそう。焦る俺。でもここで助け船が入った。


「へへ。お取り込み中? またお邪魔しちゃおうかな~なんて。いい?」

「新雪さん。先ほどはどうも! 大変なご迷惑をお掛けいたしましてっ。申し訳ありませんっ」

「はは。少年。まあ良いぞ。苦しゅうない。でもほんと良かったね、通報されなくって」

「ははあっ」


 新雪さんはケーキとコーヒーで合流した。隣のミカに、


「さっきはごめんね。せっかくセッティングしてくれたのに。なんかご期待に沿えなくって」

「そ。そんなことないです。私こそ余計なおせっかいを――」


 新雪さんはにっこりして、


「余計でもおせっかいでもないよ。嬉しかった。久しぶりに会えて。ちょっとだけ、昔に戻れた感じ」


 ぱあっと顔を輝かせて、


「でもすごいんだよ。コンペで賞もらったって。それに、パリコレだよ? 表参道の横断歩道でスカウトされたんだって! 嘘みたい。この街じゃ考えらんない。もうなんか、違う。世界に羽ばたく人」


 そして、ちょっと寂しげな顔で続けた。


「だけど、やっぱりもう、別の世界の人」

「・・・そうですか・・・」


 俺たちは、もう何て言ったらいいか分からなくて、黙ってしまった。新雪さんもしばらく無言だった。それから、ちょっと泣きそうな顔をした。


 衝撃だった。俺なんかはしょっちゅう泣く。ミカの泣いた後の顔も、今日も入れて何度か見たことがあるけど、それとは違って、落ち着いた大人の女の人が、高校生の前でそんな顔を見せた、そのことが驚きだった。


 よっぽど好きだったんだな。ひとごとには思われなかった。俺は自分のことを思った。ミカのことを思った。別の世界のことを思った。ややあって、新雪さんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


「もう昔とは違うんだね。私だけ、あのころのまんま置き去り。それがはっきり分かった」


 顔を上げて、


「・・・いっしょに蛍、見に行ったじゃない? 田んぼの中。用水路のところ。とっときの場所。彼とも昔、あそこ行ったの。素敵だった。私の一番の思い出。恥ずかしいけど。・・・でもね、彼、覚えてないって」


 語尾が震えた。


「覚えてたの、私だけだった」


 どうにかして慰めたかった。でも言葉は見つからない。そのときミカが、静かだけど、驚くほど鋭い語気で言った。


「それ嘘」

「え?」

「辻くん嘘ついてる。私、知ってるもの。今思い出した。東京で言ってた。こっちの蛍すごいって。絶対見に行けって。一生忘れないって。今考えたら、あれ、用水路のことだった。絶対そう」


 新雪さんは驚いてミカを見つめた。頬が染まった。俺は思わず言った。


「新雪さん。・・・あの! 見送りに行ったらどうですか? 駅に。せっかくだから」


 これこそ余計なお世話だな。バカか俺。でも俺だったら行く。たぶん。


「はは。でも時間分からないし。それにたぶんもう、間に合わないよ・・・へへ」


 ミカはもうケータイを出していた。辻は出なかった。ミカは諦めない。


「・・・あ。パパ? まだ事務所? ごめんなさい。ちょっといい?」


     *


 ミカパパによれば、明日締め切りの件があるので、辻は最終の新幹線で、そのまま東京事務所に直行するそうだ(建築の人は大変だね)。見送りにはまだ間に合う。


 新雪さんは、まだしばらくためらっていたが、俺たちふたりのつぶらな瞳を前にして、遂に降参した。


     *


 駅で無事に会えただろうか。短い時間で、何か話せただろうか。電話では言えない何かを。


 辻はどうして嘘をついたのだろう。新雪さんを傷つけたのに。本当のことを言えば、もっと傷つけてしまうと恐れたのか。彼もまた、二人の世界の間の壁の高さを感じていたのだろうか。


 人が人を好きになるっていうのは、突然降ってくるものだから、都合に合わせて相手を自由に選んだり計画したりはできないよね。しかもそれが両想いってことになると、これはもう、それだけで奇跡としか言いようがない。


 なのにどうしてこの世界は、そんな二人に、こんなにも冷たいんだろう。この世界で奇跡が一度起きるのなら、それを温かく包み込む別の奇跡が起こったっていいはずだろ? 例えば、辻と新雪さんのために、明日突然空間が歪んで、この街の隣に東京が来たっていいじゃないか。パリが来たっていいじゃないか。


 だけどそんなことは起こらなくて、二人は、それが当たり前のように、歯を食いしばって耐えなければならない。昔みたいに、身分や家柄がどうとか親の反対がどうとかじゃなくて、自由恋愛の時代だけど、それは結局、建前であって、やっぱり社会のハードルがそこここに立ちはだかる。遠距離。仕事。夢。野心。将来設計。・・・親に無理やり引き離される代わりに、自分たちで自分たちを引き離さなければならなくなる。ある意味、もっと残酷だ。


 隣を歩いているミカが言う。


「あのね。こんなこと考えてたの。・・・今回ね、キューピッドの役をうまくできたら、私たちにもいいことあるかなって。だって、似てるでしょ? 私たちと。何となく」

「そうかな。俺イケメンじゃないけど。はは」

「そこはまあ無視するとして。・・・でもどうかな。うまくいかなかったかな。やっぱり」

「どうですかね。でもミカさんすごく頑張ったから。いいんじゃない?」

「ありがと」


 ミカはまた口をつぐんだ。それから、俺の手をぎゅっと握りしめた。この感触最高っす。でもほんと慣れないですね。・・・うん。月島は間違っていると、今なら言える。これは、からかわれているんじゃないです。


 俺はBB弾を待ち続けた。だが来ない。そうか。さっきので弾切れかな? もううちに帰ったとか? こりゃ好都合! 長~く触れ合えますっ。


 だが、ミカはぱっと手を離した。え? もうちょっとお願いしま・・・ミカのうちの前に来ていた。


「おやすみっ」


 玄関の明かりの下で、さっきまで俺の手の中にあったミカの手が、ひらひらと黄金色に光った。そしてその姿は、上遠野氏の美しい邸宅の中に、吸い込まれるように消えた。


**********


 書いてる時の作業BGMは ClariS 「a moment」でした(切ないです)。脳内妄想アニメの回限定スペシャルEDですね(泣)。


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