(4)
というわけで、俺は今、〈ミレーマ〉の車の助手席に座っている。
いったい何が楽しくて、華やかな秋の土曜の午後に、こんなとこでくすぶってんですかね俺は。てか、いきなりで恐縮だけど、今回の業務内容というか役割分担には、正直、不満爆発なんですけど。まあ聞いてくださいよ。
最初俺は、辻に二十四時間張り付いて警護しなきゃなんないんじゃないかって恐れたわけでね。だから絶対やだって言ったんすよ。そしたら会長がね、いやそんな必要はないんだ。やつがこの街にいるのはこの週末だけだし、〈P〉が不届き者に鉄槌を下すのは、決まって未成年者とのデートの最中なんだと。だから、ヤバい日時は、ほぼ確実に、土曜の午後から夜にかけてだろう。ミカとやつの、いわゆるランデブー(やだっ!)の現場に張り込んでいれば、
ただし、と会長は続けたんすよ。肝心の、デートの待ち合わせ場所と時間が分からねえ。だから
ですが会長、って俺は言ったね。俺はね、ミカのうちを張るのは俺が適任だって、そう言い張ったんだ。そうすればさ、基本楽しいし、場合によっちゃインターホン鳴らして、さり気なくミカを引き留めたりとかもできるじゃん。そんな危険な場所にミカを行かせずに済むし。
なのに無視された。会長は、現場のことがちょっとも分かってない。そんなこっちゃ、さきざき立ち行かなくなるよ、この組織は。現場知らないやつが、トップダウンでごり押ししちゃったらダメなんだよ。聞いてる? 俺はちゃんと警告したからなっ。
そんなに嫌なら、なぜ断らなかったのかって? はは。照れるなあ。照れるけど、やっぱ義侠心かな? 俺って、基本、正義感の塊だし。・・・いや、今あんたが思ったのは、そりゃちょっと違うな。決してそんな理由じゃない! 俺はね、辻が、〈P〉にこてんぱんの目に合わされるとこを、ちょっとだけ見てみたいな、とか、そんな最低なことは、一瞬たりとも思ったことはないよ。そんなこと思うわけないじゃん。この俺が。人として。そうだろ?
・・・で。俺は並走する車の中から、辻と月島が乗った市電を眺めているっていうわけ。隣の運転手は、例の無表情野郎。話しかけても返事しない人。不気味です。もうちょっと愛想良い人にできなかったのこれ?
お。辻が停留所で降りた。月島は? ・・・ギリで降りてきた。何だよ大丈夫かよ。ってえ! 女子と談笑してんじゃん。仕事中にナンパすんなっ。いつもだけど。
ところで、朝、駅北のホテルから出てきた辻は、もう既に、けっこう精力的にあっちこっち移動している。(ちなみに、もし万が一、やつがミカのうちにお泊りだったら、〈P〉の刺客を待たずに俺が踏み込んで射殺してやる! とか思っていたけど、さすがにそれはなかった。)
勝手知ったる感じで、すいすい市電とバスを駆使しているから、この街にはもう何度も来ているんだろうな。どうやら建築構造物をリサーチしている模様で、伝統的な神社や寺、あるいは建築家が設計したらしいナイスなカフェやレストラン、そういった関係の場所を巡っては、メモを取ったり写真を撮ったり距離を測ったりしている。しゃくだけどクソかっこいい。
車からさり気なく観察ちう。花染さんから借りたオペラグラスで。・・・え? あのカメラって、もしかしてGR1ですか? 超かっこいい。今どき手に入らないですよ。いいなあ。イケメンが持つと絵になる。あれ? あのレーザー距離計は、俺のと同じメーカー。俺の方がちょっと高い。勝った。ふふ。
そのときケータイが鳴動した。ミカを監視中の逢魔先輩から。
〈ターゲットが移動開始。後を追う〉
*
車は信号で停止した。隣の男が無感動な声で言った。
「降りてくれ。俺は帰る」
信号が青に変わった。俺が急いで降りると、車はそのまま走り去った。目の前は、よく知っている公園だ。振り向くと、大通りを挟んだ向かい側には、あのケーキ屋さんが見えた。久しぶりです。蛍のとき以来だな。懐かしいような・・・。
などと感慨に浸っている暇はなかった。公園の向こう側から辻が歩いてくる。その少し後から月島も。俺は急いで身を隠した。でもまあ、よく考えたら、向こうは俺を知らない。
辻は横断歩道を渡って、〈グラメナージ〉の前で立ち止まった。しばしの間、上遠野氏の傑作を見上げていたが、またカメラを取り出して撮り始めた。
そのとき、聞き慣れた声がした。
「辻くう~ん!」
ミカが、横断歩道の向こうから手を振っている。辻も微笑んで、手を振り返した。
あああぁぁぁぁ・・・。「辻くん」だって。年上なのに。・・・心のどこかで、何かの間違いだったらと願ってしまっていた俺。間違ったのは俺でした。やっぱ、押し入れから出てくるべきじゃなかったです。
「なにボケっとしてるんだ」
「ひえええっ」
いきなり耳元で脅かすなよっ。だが月島は、顔をしかめて俺を公園の生垣に引きずり込んだ。
「おいっ。毛虫いたらどうすんだっ」
「ミカに見られたらどうする。それに、二人が会った瞬間から厳戒態勢だぞ。いつ襲われるか分からん」
月島は意外にも真剣モード。何やらごっつい双眼鏡を取り出した。
「すごいですねそれ」
「分かる? 名手の本気装備はこんなもんだ。メイドインイスラエル。中の光学素子は日本製だ。浜松のイメージインテンシファイアー。感度増強のためにウナギのナノ粒子微粉末を蒸着してある。プロの逸品だな」
「まじすかっ」
「視野が限られるのが玉にきずだが。ネット情報だと、改造すれば赤外で服も透けるらしいぞ」
「まじすかっ。とんでもないっ。けしからんっ。・・・後で貸して」
「断る」
「けちっ」
月島は、店内に吸い込まれた二人を追って双眼鏡を動かしている。俺もオペラグラスで追ったが、夕焼けの映る窓ガラス越しで視界は悪い。
「しかし驚いたな月島。今回のミッション、お前がこんなにも真面目だとは」
「むろんだ。せっかくの好敵手だ。みすみす刺客なんかに水を差されてたまるか。絶対に守ってみせる」
「ほほお」
俺はちょっと感心して横を見た。月島の双眼鏡は市民プールの方角を見ていた。ちょっと待て。それって水着も透けるの?
「俺にも見せてっ」
「断る」
・・・しかしこの格好、何とかならないですかね。男が二人、腹這いで生垣に身を潜めながら、双眼鏡で向かいの店内を覗いているの図。もろ変質者。
「状況ヤバいけど、俺たちもヤバくねこれ? 人に見られたら。覗きじゃん」
「バカを言うな。覗きってのは、温泉かトイレか風呂場限定だ。これはバードウォッチングだ。君は例によって心配しすぎなんだよ。だいたいちゃんと隠れてるだろ。こんなとこ、人に見つかるわけないだろ。・・・あ! やあ~どうも! こんちわっ」
小学生が二人、泣きながら逃げて行った。
*
陽が落ちて、辺りが暗くなってくると、明るい店内の様子はむしろ見やすくなった。大きな窓ガラスが輝いて、夕闇に美しく浮かび上がっている。
いいなあ。蛍のときは、あの中でミカとケーキなんか食べてたっけ。あのときには、あの時間が、そんなにも大切な、かけがえのないものだなんて、考えもしなかった。今はそのバカな俺が、こんな離れた暗闇で覗きをやっている。ミカはあのときと同じく中にいるんだけど、もう違う世界の住人に戻ってしまって、手を触れることもかなわない。・・・みっともないな。涙でオペラグラスが見えなくなっちゃった。
「どお? ミカは見える?」
「うむ。ケーキ食べてるぞ。恋する乙女の表情だな。ステージ2。乏しい光でもばっちりだ。やはり浜松は違う。・・・辻はだな――」
「そっちはいい。聞きたくない」
「辻は、しばらく席を外してたが、今またコーヒー持って戻ってきた。向かいの席で飲んでる。なんか話してるぞ」
何がバードウォッチングだ。覗きそのものじゃないか。・・・だけど、よく考えたら――考えなくてもだけど――監視すべきなのは、この二人じゃないだろ。問題は刺客だ。もうここに来ているんだろうか? 不慮の事故に見せかけるって、具体的にはどうするつもりなんだろう?
実弾で撃つのはさすがにまずいだろ。じゃあ例えば、交差点で信号待ちのときにBB弾でよろめかせて、車にひかせるとか? あるいは頭の急所を撃って昏倒させる?
いずれにせよ、ヤバいのは外に出てからだろう。店内の辻を狙ってガラス窓を撃ち抜くのは、どう見ても派手すぎるし証拠を残す。いや、それとも、スナイパーはそのくらい平気なのか? 大通りを走る車が小石を跳ねて窓が割れ、運悪く中の客に当たった。意識不明の重体。みたいなシナリオ? そんなのアリか?
とにかく、二人はいつ店から出てくるか分からない。つまりのんびりウォッチやってる場合じゃない。スナイパーを探さなきゃ。俺は、遅ればせながら周囲を見回し始めた。
もう暗い。公園の中には誰もいないようだ。それに木立が視界をさえぎる。民家からも無理だろう。やはり定番のビル屋上か? この辺りはビルも多いが、東京じゃないからせいぜい五、六階建て止まり。見晴らしの良さげな建物は見当たらない。こっちから敵を見つけるのは至難の業だ。どうすれば・・・。
俺は途方に暮れて、また横を見た。月島の双眼鏡は、今度はミスドの方角を見ている。さすがにあそこは低すぎるだろ? だがやつが見ていたのは客席の女子だった。・・・経験は語る。緊急だろうが何だろうが、月島が頼りになることは決してない。
そのときケータイが着信した。逢魔先輩からだ。近くにいるのだろう。本文はなくて、写真が一枚だけ。
そこには、特徴的な円筒形の建物が写っていた。公園の敷地内で博物館に隣接する、旧近代美術館だな。そう言えば、美術館はたしか二年ぐらい前に駅北に移転したはず。ということは、今、中は空っぽで閉鎖されている。振り向いて木々の間から透かして見ると、なるほど、円筒は駐車場スペースを挟んでまっすぐに〈グラメナージ〉を望んでいる。狙撃には絶好のロケーションだ!
さすがだ逢魔先輩。ブレッソンの眼を持つだけのことはある。だが――写真を見直した俺は総毛立った。円筒の屋上、残照の残る空との境界に、微かだが緑色に光る点があった。自然光ではない。・・・無慈悲なレーザーの色。
*
俺はまた急いで美術館の方へ振り向いた。オペラグラスで見ても屋上の光は確認できない。あそこにいるのか? どうする俺? 隣の月島は、自分のケータイも確認せずに、ケンタッキーのバイト女子を眺めている。
美術館の屋上へ走るか? 映画みたいに格闘して刺客を組み伏せる? ・・・やられて終わる。クソ。鍛えとくべきだった。もうこうなったら――。
俺はラインを打った。〈P〉あてに。
〈どうもです! ご無沙汰してます! ちょっとお時間いいですか?〉
スナイパーは一人なのか? 俺に張り付いていたやつと同一人物なのだろうか。それとも〈P〉は、そんなヤバいやつを何人も抱えてるのか? 分からない。でもここは一つ、この線に賭けるしかない。
待った。・・・待った。・・・既読が付いた! だが返信はない。めげずに打つ。
〈あの! ちょっとお耳に入れたい情報が。きっと大事なことかもです!〉
いちおうニコマーク5個付けた。・・・既読スルーされた。それでも打ちまくる。
〈絶対損はさせません! 超お値打ち情報!〉
〈すごく大事!〉
〈聞かないと絶対後悔します!〉
〈今まさに! 貴殿が取り組んでいる問題についてのアドバイスです!〉
〈有益です! 返金保証!〉
〈今これ聞かないと! あなたの年収減っちゃうかも!?〉
〈報酬カットの可能性あり?〉
〈プロとしての評判にも影響が?〉
・・・沈黙。それから――。
〈何だ?〉
返信来たあっ。敵のうんざり顔が浮かぶ。
〈ありがとうございます! お忙しいところ恐縮です!〉
〈用件〉
〈はい! それがですね。実は折り入ってお話できたらいいかなと〉
〈電話はしない。ケータイ切るぞ〉
〈ちょっとお待ちを! 実は。信頼できる、さる筋からの重大情報です〉
〈続けろ〉
〈今夜の標的、レベル4じゃない可能性が! システムに齟齬があるらしい!〉
もうヤケだ! カマをかけた。向こうがうっかり「レベル4じゃないぞ」とか返してくれれば、少なくともどのレベルかは判る。どうだ!
しばしの間。
〈確認する〉
そしてその後は、俺のさらなるメッセージ連打にも、もう既読が付かなくなった。切られたか。あるいはブロック。・・・だが最後の返信、これはどういう意味? 元々レベル3なら、わざわざ確認するだろうか? やはり恐れていたレベル4だったのか? 俺の背を、冷や汗が伝い落ちた。
電話が鳴った!
「ひいいいっ」
「いきなり変な声出すなっ。びっくりするだろっ」
俺と隣の月島が同時に飛び上がった。・・・〈ミレーマ〉からだ。
「どうだ山本くん。状況は?」
「スナイパー、いるっぽいんですが、どうすれば――」
「外に出たときが勝負だな。悪いが君、盾になってくれ」
「いやっ。そういうのは俺より月島の方が! 背が高いんで適任かとっ」
会長は無視した。これだからトップダウンは。
「手短に言うぞ。重大情報だ。驚いた。辻は、この街の生まれだ」
「ええっ?」
「なんと我々の先輩だ。北高OB。ただし途中で東京に転出している。だからデータベースから漏れていた」
「それはつまり――」
「つまり、この街の出でも、あんなにかっこいい男になれるということだ。大いなる希望の星だな。大切にしなければ」
「いやそうじゃなく。今ここにある危機との関連では、どういう――」
「レベル判定上、地元出身は不利だ。『反地域社会的行為』のペナルティがある。君の場合も、たぶんそれが響いてレベル3だ」
「つまり?」
「辻はレベル4。その可能性が限りなく高い」
*
ひいいいっ。これまじで超ヤバい。横を見ると、月島が青ざめている。あの月島が。
・・・俺帰ります。押し入れが待ってるから。でもなんか、怖すぎて動けないです。
「どうする山本くんっ」
「・・・今考えてる。中の二人を見ててくれ。店から出そうになったらすぐ教えて」
「了解。・・・ああっ!」
「ひいいいいいっ! 脅かすなっ」
「ミカが泣いてるぞ!」
「ええええっ!?」
くそっ。こんなときに! 別れ話とかか? 辻の野郎! 許せねえ! こっちはお前のために動いてるってのに! クソ野郎! ミカを泣かせるとか絶対許さねえ。〈P〉より先に、俺が処刑してやる!
そのときだ。一瞬。ほんの一瞬だけど、〈グラメナージ〉の大窓の上部がキラリと光った。
緑色に。
しまった! 大窓に気を取られて今まで気づかなかったけど、窓の上には、目立たない換気用の別窓があって、しかもそれが今は開いている。あそこを通して何かを撃ち込む気だ!
辻はどうでもいい。だけど、ミカの目の前で不慮の事故とか、絶対に許さない。俺だけは、絶対にミカを泣かせない!
横断歩道の青信号が点滅している。あっけに取られた月島をその場に残して、俺は生垣からダッシュした。正直に言います。何も考えてません。大通りを走り渡って、店の前に着くが早いか、側面の雨どいをよじ登った。これには慣れてます。そうして、横に長い別窓の窓枠に、横ざまに飛びついた。
ふふ。インターセプト完了! どうだ。ざまあみろスナイパー。これじゃ狙えねえだろ。ぶはっ。
完璧だ。なんてかっこいいのっ! 俺! ・・・だが、一つだけ誤算があった。
店の中から丸見えです。
*
ミカと辻が、二人とも棒立ちになって、茫然とこちらを見上げている。こちらというのは、横に長い別窓に、外側から、横に長くぺったりと張りついた俺のことです。ちょっと文化祭の北会長を連想しますね。カメレオン的な。
さっき月島が言ったとおり、ミカはちょっと泣いていたらしく目の周りが赤い。辻への怒りが込み上げてきた。だがその辻は、俺の憤りなどどこ吹く風で、いち早く冷静に戻り、さっさとケータイを出してきた。
「ストーカーかな? 東京のあれ。こっちまでついて来た? ・・・とりあえず警察呼ぶね」
ミカはまだ茫然自失の体だったが、ようやく我に返ると、辛うじて言葉を絞り出した。
「あ! 待って! 違うの辻くん。あれ違うのっ」
「え? 別のストーカー? こっちでも?」
「違うのっ。あれはね。その――知ってる人で」
「知り合いなの? あれが? それはまた厄介。知り合いがストーカーだと、後が大変」
「違うのっ。あれねっ。あれが・・・山本くん!」
「・・・蛍の人?」
「そう。山本くん」
「・・・そうなんだ。あれが・・・」
辻は、改めてまじまじと俺を見上げた。俺も、開いた窓を通して辻の顔を見下ろした。両者は、しばし無言で互いを凝視し続けた。
このとき――ミカの美しさを理解し愛でる者同士の、不思議な連帯感のようなものが、確かにそこに生まれていた。俺たちは、反目する感情を超えた、ある種の固い絆で結ばれたように思われた。辻は、静かにミカの方へ向き直った。
「・・・やはりどう見てもストーカーだよ。すぐ警察に――」
をいっ! 俺たち分かり合ったはずだろっ。絆を返せっ。
そのときミカが、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「私の彼氏ですっ!」
・・・何だろう。この圧倒的デジャブ感。
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