(5)
〈クレープ田んぼ〉は女子高生御用達。お洒落なスイーツのお店だ。繁華街の西、大動脈道路を挟んですぐ隣の、静かできれいな市電道路に面している。全面ガラス張りの店内は、明るくて落ち着いた雰囲気。南高からはさほど近くないのに、大人気なのもうなずける。位置的にはちょうど北高と南高の間にあるから、高校間デートにももってこいだ。さすがだ月島。プロのジゴロだけのことはある。
花染さんは、屋外の丸テーブルに陣取り、ソフトクリームをもう半分近く平らげていた。俺を見て手を振る。・・・あああ。これがデートだったらなあ。はああ。
「すいません。遅くなりまして。大変失礼を――」
「いいから役人。何にする? お勧めは米粉クレープ。キャラメルオランジュとかどお? 美味しいよ。今日はおごっちゃうからさっ」
「ほんとですか? それはどうも恐れ入ります。それじゃお言葉に甘えて。『季節のご褒美たっぷりフルーツクレープ』でお願いします」
「一番高いやつ選びやがったな。まあいいけど」
座ったけど・・・冷房が欲しいなあ。
「ここ暑くないですか? なか、混んでます?」
「いやこっちの方がいいんだよ。暑いとこでソフト食べるのがいいんじゃん。なかは南の女子いるし。聞かれるとやだし」
「だったら他の店の方が――」
「いいの。ここのモンブラン最高だから。それに、あたしの中で、ここは特別の場所だから。月島くんとの記念すべき初デート!」
「でもデートじゃないでしょ。会っただけでしょ。定義上」
「うっさいな。いちいち細かいんだよ役人は。ごちゃごちゃ言うんなら後で払わせるぞ」
「いやデートでいいと思います。問題ありません。デートです。デートでした」
「分かればいいのよ。じゃ、お金これね。中で注文だから。あたしの分もお願い。『バナナクレームブリュレ』ね。トッピングはクリームチーズ。あとコーヒーも」
カウンターで注文してから戻ってみると、花染さんは難しい顔をして何やら考え込んでいた。その表情はですね。ええと・・・喜びでもあり、苦悩でもあるというか。よく分かんないね。
「で、花染さん。ご相談があるとかいう話でしたが?」
「・・・そうなの」
「月島の件ですよね?」
「そう」
「で?」
花染さんは、そのキャラに似合わない感じで、しばらくもじもじためらっていたが、遂に意を決して口を開いた。じれったいな~もう。
「うん。えっと。何から話したらいいか・・・」
「月島、何かひどいこと言ったんですか? 何かしたんですか? ま、まさか、えっちなこととか? とんでもねえ野郎だ! あっちから呼び出しといて。最低だな月島!」
ところが花染さんはきっとなって、
「違うの山本くん! 彼、そんな人じゃない! そうじゃなくて。彼、すごく優しかったの! ほんと、思ってたとおりの人だった。ううんそれ以上! あたし、ますます月島くんのことっ。もう耐えられないくらいにっ」
「・・・はあ・・・」
「だってさ。聞いて? だってね、大会で、あたし、ちょっとだけ月島くんと挨拶したのね。一瞬。ほんの一瞬だけ。でも! 月島くん、それ、ちゃんと覚えていてくれたの! 忘れてなくて」
花染さんはテーブルの向こうから、ぐぐっと身を乗り出した。危ない。ブリュレがお胸に付いちゃいそう。
「それどころか、・・・彼、ちょっと恥ずかしそうに言うのね。・・・あたしのこと、一目見て、忘れられなくなっちゃったんだって! もう信じらんない! それ聞いたとき、あたし。まじで死ぬかと思った。死ぬって思った! 運命って、ほんとにあるんだって思った」
「いやそれ。・・・俺が聞いた話と、だいぶ違うんですが・・・」
「それでね? それでさ。月島くん、南の元カノに二、三人電話してみたんだって。あたしのこと知ってるかどうか、ちょっと聞こうと思って。だけど、元カノを傷つけちゃいけないと思って、どうしても、どうしても聞けなかったんだって。その気持ち分かる。あたしよく分かる。優しい人だから、彼。・・・それにさっ。あのさっ」
花染さんの目から、突然涙があふれ出た。
「あのねっ。あたし、それ聞いて、思わず笑っちゃったんだけど。月島くんねっ、彼、あたしの名前、どうしても思い出せなかったんだって! ちゃんとあたし言ったはずなのに。彼聞いたはずなのに。でも挨拶したあの瞬間、あたしの顔見た瞬間、全部、頭から飛んでっちゃったんだって! 彼、すごく苦しかったって。あたしに会いたくてたまらないのに、名前が分かんなくて。どうしようって。夜も眠れなかったって。あたしそれ聞いて笑った。笑いながら涙出たっ」
美少女の涙ほど美しいものはない。俺も思わずもらい泣きしていた。でも一緒に泣きながら思わず突っ込んでいた。
「でも南高のテニス部1年ってのは知ってるわけでしょ? なら、花染さんの名前もすぐ分かりそうなもんですけど」
「・・・たぶん南高ってのも、一緒に飛んでっちゃったんだと思う」
「でも南高の元カノには電話したんですよね?」
「・・・あんたねっ。山本くん。いちいちそういう細かいとこ、ぐぢぐぢ言う性格、ほんっと直しといた方がいいよ! うざい。みんなに嫌われるよあんた」
「すいませんっ」
不公平だ。月島のせいで俺が怒られてる。
「でも良かったじゃないですか。晴れて彼女になれて」
「・・・なれなかった」
「は?」
花染さんの顔がくしゃくしゃに歪んだ。
「うえええ~んっ!」
「ど。どうしたんですか花染さん! 落ち着いて! 落ち着いてくださいっ」
やっぱ店内にすべきだった! これめっちゃ目立つやん。道行く人々の視線が集中してんじゃんこれ!
人々の表情は一様に、「こんな美少女を泣かしてるやつ!」「最低男!」「でもちょっとうらやましいかも!」「・・・あれ? でも思ってたのと違う。なんでこんな冴えない地味男が?」・・・。俺、超居心地悪いんですけど。フルーツクレープの味が分かんないくらいなんですけど!
「とにかく落ち着いて! これティッシュとハンカチ。お好きな方でっ」
「ありがとう山本くん。ぐすっ。たまには優しいんだね。・・・でも月島くんの優しさには全然かなわないけど。・・・ぶぶ。ぶぶぶっ。ぶぶぶびえええええええ~んっ!」
思い出したようで、また号泣の発作が。
「花染さん。俺、話がよく見えないんですけど。結局、両想いってことですよね? 月島の話を信じればですけど。それって、めでたしめでたしじゃないんですか?」
「そうなの。あたしもそう思ったの。でも違うの。・・・それって、全部、彼が悪いの。月島くんのせいなのっ」
「やっぱりか! あのペテン師野郎! 最低じゃないですかやっぱり!」
「違うのっ。あんたやっぱり分かってない。月島くんの優しさが全然分かってないよ! あんたなんかには、彼の繊細さが分かりっこないっ」
「は・・・はあ?」
花染さんこそ、やつの狡猾さが分かってないと思いますけど。
「彼が言うの。・・・ちょうど、前の彼女と別れたばっかりなんだって。だから今はフリー。だからこうして、正に今、このときに、あたしと再会できたのは、運命でしかない。今すぐにでも結ばれたい!」
「いいじゃないすか。結ばれれば」
「山本くん。言い方が妙に投げやりなのは何なんだよ。・・・とにかく続きを聞けよ。・・・だけど今はまだ、心の準備ができてない。元カノに心をズタズタに切り裂かれて、立ち直るのに時間がかかる。今、そんな状態であたしと付き合い始めたら、絶対あたしを傷つけてしまう。そんなことはとても耐えられない。男として許されない。だからもう少し待ってくれ」
思い出してまた涙ぐんでいる。
「・・・そう言いながら、あの美しい唇をわなわなと震わせるのよ! あふれ出す熱い想いと、男の優しさ。その板挟みで苦しんでいる彼を見て、あたしはもう、何も言えなかった。あたしも耐えるしかないと知ったの」
「へー」
「へーじゃないだろ他にリアクション出せんのかあんたは! ・・・それに彼って、自分がそんなひどい状態なのに、それでもまだ、あたしのことを気遣ってくれるの。・・・でも、待ってくれというのは男のエゴだ。美しい女性がひとりぼっちでいるのは、それだけで犯罪だ。彼氏はいないの?」
思い出してまた(以下略)。
「あたしは言った。彼氏なんていません。あなたしか見えません。寂しくても平気です。いつまでも待っています、って。そしたら言うのよ。僕のことなんか気にせず、どうかぜひ、素敵な彼氏を見つけてください。花染さんの幸せが、僕の望む全てなのです! って。・・・ぶびびええええ~んっ!」
「へー」
「ぶびびっ。へーじゃないっ! ぶびびびっ」
ああ疲れた。もう疲れた。通りすがりの人々の目が痛い。俺は悪くないですっ。
「で、耐えることにしたんですよね? 俺、もう帰っていいすか?」
「何言ってんだよ。相談があるって言っただろ!」
「え? まだ話終わってないの?」
「話はこれからなの!」
「はあ? ・・・はああ」
*
花染さん。まさかこんな長い話になるとは。疲れた。全部月島が悪い。読者のみなさんもそう思いますよね? もう俺はそれどころじゃなく、組織の権力闘争で手いっぱいなのに。
「はい。もう覚悟できました。どうぞお話しください」
「・・・そんな改まった態度で言われると、困っちゃうんだけどな・・・」
「あのね! もう早く言ってくださいよ! クレープもう一個頼んじゃいますよ?」
「いいわよ。安いやつなら。・・・なんか言いにくいなあ・・・」
「帰ります」
「待って山本くん!」
花染さんは、立ち上がりかけた俺の腕をぎゅっと掴んだ。通行人のリアクションは予想通り、「おおっ! 美少女に引き止められる男。かっこいいぜ・・・でもなぜこの地味男が?」
「話すから。話しますから」
「どうぞ」
花染さんは、意を決して・・・あれ? さっきも意を決してなかった?
「あのね。山本くん。あたし、とんでもないことしちゃった」
「へ?」
「許されないことを。人として」
「ま。まさかっ。月島と? 不純異性交遊ですか?」
「ち! 違うよっ。どうしてあんたは! 必ずそっち方面へ話を振りたがるの?」
「じゃあ何なんですか! もう。期待させといてっ」
期待してたの、俺だけじゃないですよねっ。ねっ。
「・・・あのね。月島くんとここで会ったのね。それでさよならしたときに――」
「刺したんですか?」
「ちげえよ!」
「じゃ元カノを刺したとか?」
「ちげえっつってんだろ! 話を聞け!」
「早く言ってくださいよーもう」
「あのな! 月島くんと別れたときにだ! ・・・もう会えないって思った。しばらくは。ひょっとすると――ずっともう、とか。耐えられないって思った。それでね。彼のバッグに、そっと入れたの。こっそり」
「毒ですか?」
「ちげえって! 刺すぞ山本!」
「ひえっ」
「・・・お守り。交通安全の」
「は?」
なあんだ。脅かすなよもう。
「いいじゃないですか。彼を想う乙女心。癒されますよそれ」
「違うの。山本くん分かってない」
「いや花染さんが説明さっさとしないから」
「・・・じゃあ言うよ。よおく聞いて。あのね。三月に、うちのおばあちゃんが亡くなったの」
「は? ・・・はあ。それはまたご愁傷さまで」
「どうも」
「ですが、今の話とどういう関係が?」
「関係おおあり。実はね、おばあちゃんね。去年ぐらいから具合が悪くて――」
「ちょおっと待った! ま。まさかっ・・・」
俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。これってラブコメのはず。いつの間にホラーに?
「おばあちゃんが持ってた呪いのお札とかですか? それを、ひそかにお守りの袋に忍ばせた? 対象は月島? ・・・だったら正解です。でもまかり間違って、呪いを元カノとか今カノとか次カノにかけちゃったんじゃないでしょうね? それは確かに許されないな! 人として!」
「・・・あんた初めっからバカだと思ってたけど、やっぱ底なしのバカだね。そんなことするわけないだろ! だいたいおばあちゃん、そんなお札持ってないし」
「だからさっさと言え!」
「だから! ・・・おばあちゃんね、去年ぐらいからボケちゃってたのね。それでね。ふらふら出て行っても分かるようにね、徘徊防止用っていうか。あるじゃない、そういうの。子供とか老人用の、見守りするやつ。場所分かるやつ」
「GPSですか?」
「そう。それ」
「・・・うおおおおおっ」
今度こそ、まじで全身に鳥肌ですっ。一途に恋する乙女ほど怖いものはない! 法律の概念自体が失われている!
「で! でもっ。電池切れちゃうでしょ? 充電しなかったら終わりでしょ?」
「大丈夫。低消費電力。メンテナンスフリー。そもそもお年寄りとか充電無理だから。そのままで3年持つ。月島くんが大学行っても追跡可」
「ぐぼふぁっ」
「むせたの? クレープ、喉に引っかかった?」
「ぐぼふぁっ。でもっ。でもですよっ。いずれバレますよ! バレたらどうすんですかっ」
「大丈夫。見つけても、ただのお守りだし。万一中身がバレても、元カノの誰が入れたか分からないだろ? シリアルナンバー消しといた」
「ぐぼふぁっ」
花染さんは、ようやく全部言えてすっきりした感じ。決然とした表情で語り続けた。対する俺は、衝撃で歯の根が合わない。ここまで花染さんが追い詰められていたとは! これって、もはやヤンデレでは? スポーツ健全美少女はヤンデレにはならないはずなのに。定義上。全部月島が悪いっ。
「山本くん」
「はいいっ」
つくづく聞かなきゃよかった。これで俺も共犯になっちゃう?
「あたし、やっぱり変かな? おかしいと思う? 正直に言って」
「明らかに変ですね。ビョーキです。医師の診断が必要です」
「・・・だよね。あたしも、何であんなことしちゃったのか分かんない。ただ、月島くんと別れ際に、これが最後かもって思っちゃって。もう二度とかも、って。学校違うから、廊下ですれ違うことすらないし。そしたらもうたまんなくて。何でもいいからつながっていたいって思った」
「まあ分からなくはないですけど。でも・・・」
「月島くんのプライバシーに踏み込むつもりはないの。スパイする気とかない。彼がたとえ嘘つきで、いろんなとこ行って、元カノとか今カノとか次カノとか、次々取っ換えてても、そんなの調べて追及したりとか、そんなことしたいんじゃないの」
「はあ・・・」
「ただね。ただ。ちょっと。夜とか、一人でいるときにね、思うの。月島くん、今何してるかな、とか。そういうときにさ。良くないと分かってても、このアプリちょっと見たりとか。そうすると場所が分かるんだよね。あ、今うちにいるんだとか。今日は部活だね、遅くまでご苦労さま、とか」
花染さんはまた涙ぐんだ。
「前はさ、おばあちゃんがいたころは、アプリの地図に出る丸を見て、安心したりしてた。ちゃんと部屋で寝てるね、とか。ちゃんと帰ってきてるね、とか。今はね、おばあちゃんはもういないけど、代わりに月島くん。他人だけど。赤の他人なんだけど。でも、丸を見てると、なんかつながってる気がして、ちょっとだけ安心っていうか。おんなじ世界に生きてるんだあ、とか。それだけで、もう幸せ。なんかもう、バカだけどさ、丸に話しかけたりしちゃうんだよ。おやすみなさい、とか」
「花染さん・・・ううっ」
これはもう、もらい泣きするしかない状況。これで泣かないやつは人間じゃねえ。花染さんの非道、もう全部許しちゃう。全部月島が悪い。
それに正直なところ、あの詐欺師月島が、この純情可憐な花染さんに、まんまとタグ付けされて監視下に置かれているっていう状況は、まあ一言で言って、お気の毒というか――ざまあ! ぶははははっ!
「でもやっぱり、こんなのって良くないよね。どうしよう? 明日にでも、月島くんに全部正直に話して、・・・でも絶対許してくれないよね、こんなの。絶交されちゃう。たぶん、もう二度と顔も見たくないって言われちゃう。ああああどうしようっ。あたし、どうしてあんなことをっ」
このとき俺は決意した。何としても、花染さんを救わねばならない。その純真な乙女の魂を。
「花染さん! 打ち明けてくれてありがとう。気持ちはよく分かります。痛いほど分かりますっ。・・・恥じることはない! あなたの真心に嘘はない! あなたの生き方は間違ってない。それで良いのだ!」
俺の力強い言葉に、花染さんははっと顔を上げた。苦悩に満ちた表情に、ようやく光が差し始めた。俺は続けた。
「今夜も丸におやすみを言いなさい! 明日の夜も。あさっても! 月島の罪深い魂も、きっとどこかでそれを感じとり、必ずや喜びに満たされることでありましょう。俺は断言します。やつの丸い魂には、あなたの『おやすみ』が、絶対に必要なのだと!」
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