(3)
「――と言いたいところだが。少なくとも、ゆうべ寝てない私の
「・・・はい・・・重々・・・」
先生は、震えている俺を見て、さすがに憐憫の情を覚えたらしい。ようやく語気を緩めた。
「考えるに、お前の取るべき選択肢は二つだな」
「ご教示ありがとうございますっ」
分かってました・・・。先生、ほんとは優しいんですね。ありがとう!
「その1。死ね」
「・・・それ勘弁してください・・・」
「ならばその2だな。普通に生きてよし」
「ほんとですか? それでいいんですか? ああああありがとうございますっ」
「ただし条件がある」
「・・・だと思いました」
「さっきのお前の話では、ご令嬢とのコンタクトは、まったく偶発的なものだったという理解でよいのだな。ならば、もう二度と、
なんか先生に、今度は時代劇が入ってきてます。
「・・・ええと・・・」
「違うのか?」
「違いません! そうです! その通りです!」
「ならばよい。今後、ご令嬢との接点が一切ないのであれば、お前の人生は安泰だ。昨日の件は、単なる不運――空からコンクリブロックが降ってきた、という程度の認識で、忘れてしまってよし」
「そのたとえ、むしろ忘れにくいですが・・・努力します」
はああ。よかったあ。が、
「だがもし万一」
と先生の顔が冷酷さを増した。下からライトアップしてる感じで。ひえっ。
「万が一にも、またお会いするようなことがあればだな」
俺は息をのんだ。
「そのときは?」
「そのときは、
「どどどうしてこの俺が?」
「言っただろ。ご令嬢は南高に転入された。南高は女子高だ。教師陣もほぼ女性だ。つまりお前は、実質、この街で彼女が出会った最初の男子というわけだ。フツメンの分際で。第1種接近遭遇男子だ。危険分子だ。抱きつくとかこの野郎!」
「危険じゃないです! 納得してもらったじゃないですか!」
「理解したとは言ったが納得はしてないぞ」
えええー。担任じゃないですか。生徒の味方じゃないんですか?
「・・・それで俺は、どうすれば・・・」
「まず、即座に私に連絡しろ。すると複数の担当者が現場へ急行する。お前らを視認次第、ひそかに監視を開始する。お前の側で注意すべき点を列挙するから、暗記しろ」
「はいっ」
「まず、ご令嬢には、この件は絶対に悟られるな。我々の任務はあくまでも彼女をスキャンダルから守り抜くことだが、プライバシー保護の観点からは、必要上グレーゾーンに踏み込んでしまう可能性もある」
「いやもう、めっちゃブラックゾーン踏み抜いてると思いますが」
でもまあこれは納得。もしミカがこんなことを知ったら、即、この街から出て行っちゃうのは確実。
「・・・次に、彼女には、この街の生活について、最大限の好印象を抱いてもらう必要がある」
「もちろんです」
「だから、彼女の要望があれば可能な限り対処しろ。不可能でも対処しろ。観光案内。名所旧跡巡り。ツアーガイド。コンシェルジェ。ショッピングの荷物持ち。ゴミ拾い。雑巾がけ」
「なんか最後の方、ただの召使になってますけど」
「とにかく、彼女のご機嫌を損ねることだけは避けろ。ご令嬢の幸福が至上命令だ。そのためには、あえてお前のような危険分子ですら、監視付きで最大限に活用する。それが、徹夜の会議で出された上層部の結論だ。つまり、お前は、危険分子・兼・オフィシャルアンバサダーに任命されたということだ。娘さんがハッピーならばお父上もハッピー。県もハッピー。市もハッピー。みんなハッピーだ」
「俺のハピネスは?・・・」
「何か言ったか?」
「・・・いえ」
ここで初めて、先生の厳格な表情に微かな笑みが差した。
「ならばいいことを教えてやろう。もしお前が、この極秘プロジェクトにおいて、この街のイメージアップに多大なる貢献をしたということになれば、その偉大なる業績の記録は、県庁と市役所の金庫に永久保管される。お前のために、公務員推薦枠が特別に用意されることになるぞ。お前にとっては、夢のような話じゃないか?」
えっ。それって・・・地獄の底でもがいている俺の頭上に、天国の門が開いたって感じですか?
「ががが頑張ります!!」
「その意気だ。私からも、上層部に口添えしておこう。この男はほぼ無害だが、万一魔が差して、ご令嬢にちょっかいを出すようなことがあれば、遠慮なく切り捨ててください、とな」
「そのお口添え、辞退していいですか俺?」
「・・・言うまでもないことだが、過度のスキンシップや誤解されるような挙動は厳禁だ。どこで誰がスマホを構えているか分からん時代だ。今回は首の皮一枚で抑えられたが、次はない。週刊誌やSNSのネタになるような画像を撮られる前に、SWATが突入してお前を射殺する」
「冗談ですよねそれ? 真顔のジョークですよね?」
「この顔が冗談を言っているように見えるか?」
「・・・いえ・・・」
「冗談だ。はっはっ。だがいいか。覚えておけ。組織のメンバーには狙撃の名手もいる。これは事実だ」
「ひええええええええっ」
先生はやっと怒涛のような語りを終えて、ペンの穴だらけの写真を、大事そうに鞄にしまった。
「以上だ。分かるな? この件は他言無用だ。この部屋での会話は、進路指導だった。それ以外、私は何も言わなかった。お前も何も聞かなかった。そういうことだ。じゃ、私は帰って寝るからな」
*
青天の
面談室を出た後の記憶がない。いつの間にか放課後。ガラス張りのカフェテリアで、缶コーヒーを上下逆さに握りしめていた。全身、滝のような冷や汗で、午後の日差しが暑いのに震えが止まらない。
ああ昨日に戻りたい。美少女に出会ってルンルンしていた、無邪気な昨日に。戻りたい戻れない戻りたい。戻れない戻りたい戻れない。・・・しばらく無限ループを繰り返して念じていたが、とうとう戻るのは諦めて善後策を練り始めた。とは言うものの、そもそも現状認識がおぼつかない状態だ。平凡なこの俺が、こんな騒動に巻き込まれたのがそもそも信じられない。
先生との対話は、本当にあったことなのか? 幻覚じゃないのか。何か背後に、巨大な組織の存在を匂わせていたが。県庁や市役所の白く爽やかな壁の奥に、一般市民が想像だにできぬような機関でも存在するってのか? それとも、その組織とやらは別のどっかにあるんだろうか。
そしてあのスクープ写真。先生はあえて提供元を隠したが、実は、俺には確かな心当たりがあった。だがそれを追求するのは後だ。まずは、今ここにある差し迫った危機を回避せねば。俺はケータイを出した。
さっき先生には言い出せなかった、ミカとの約束。時間が迫っている。どうする俺? キャンセルして安泰生活を選ぶか。それともあえて、男らしく困難に立ち向かい、勇気を振り絞って、公務員特別推薦枠への第一歩を踏み出すのか。・・・キャンセルしようっと。
「ごめん! 用事があるの忘れてた。〈マモ~レ〉案内するのは、また今度ね!(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)」
可愛い感じのニコマークを潤沢にまぶして送信しようとした指が止まった。ご令嬢の
「拝啓ミカ殿。お元気でお過ごしでしょうか。恐れ入りますが、用件のみにて失礼いたします。申し訳ございません。突然降ってわいたように、危急かつ緊急の要件が発生してしまいました。こんな失態を予想できなかった私自身の責任を痛感いたしております。伏してお詫び申し上げます次第です。さて、かねてより懸案の〈マモ~レ〉ご案内の件につきましては、日を改めまして再度ご相談させていだたきたいと切に希望いたしております。では失礼いたします。お元気で。ご自愛ください。またお会いできる日を、楽しみにお待ち申し上げております。敬具(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)」
ちょっと長いですかね? この文面に合うニコマークは、どれがいいかな? ・・・いや
・・・出ない。待って、また電話した。出ない。留守電にも切り替わらない。ラインだから当然か。音声メッセージってのも失礼だし。今、ちょうどチャリで移動してる最中なのかな? また後で掛けよう。じゃあとりあえず・・・俺は重い腰を上げた。
*
数年前に建て替えた北高の校舎は、そこらじゅうガラス張りで明るく、まるでアニメみたいだ、と生徒や保護者の間でもすこぶる評判が良い。中庭を囲んで口の字になっている、その向こう側の並びが、空き教室を転用した文化部の部室群だ。
ノックして部室の引き戸を開けると、案の定、誰もいない。部員はけっこういるはずだが、俺も含めてほぼ幽霊部員だからな。どうせ三年はもう来ないし。ここに人がいるのは、せいぜいコンテストの締め切り前ぐらいだろう。がらんとした教室の片隅には、雑然と大小さまざまな写真用紙が積んである。それと、古めのパソコンとか大判のプリンター。あとはカメラ屋とかで見る、交換レンズ用の透明な保管庫。
だが目を引くのは、反対側の壁際コーナーに設置された、暗幕で仕切られた小部屋――暗室だ。今どきこんなもんは、カメラ屋にもない。先月入部したとき俺は驚いた。説明してくれた先輩によると、マニアックな部員がいて、自分で組み立てたのだという。「デジタルは写真にあらず。銀塩写真(知ってます? 現像するレトロなやつです)こそがアートなのだ」と言ったらしい。
その部員には何度か会ったことがある。てか、部室でその後会ったのは、実質、彼女ただ一人だった。二年の
ま~あ控えめに言って変人ですね。写真マニアというのはけっこういるもんだが、この人は常軌を逸している。小柄な背中に、その背中よりでかい、すげえ高そうな洋書の写真集をくくりつけて登校してくる。以前、部室のドアを不用意に開けた時に、彼女がその写真集に頬ずりしているのを見てしまった。思わず目を逸らした。彼女は顔を赤らめて、
「山本くん。見ちゃった?」
「・・・いえ・・・」
「誤解しないで。私ね、べ、別に、この巨匠の作品を溺愛してすりすりしてたわけじゃないのよ。印刷のドットの解像度を確認してただけだから」
俺はそれ以上追求しなかった。
おおっとお! 一つ重要なことを忘れていた。それは美少女か? 美少女なのか? 読者であるあなたは、もちろん問うよね? 問うよね? ・・・お答えしましょう。充分美少女です。通用します。まあミカには負けるけど。しかも眼鏡かけてます。ファインダー覗くときは外すけど。確か〈カクヨム〉のラブコメ投稿規定には、「サブキャラの一人は必ず眼鏡っ子でなければならない」という項目があったはずなので、俺としても都合が良いです。(※作者の個人的な誤解です)
だが、そんなことより驚いたのは、彼女のプロ級の腕前だ。俺なんかの目から見ても、その作品は傑作揃いで、どれもコンテスト最優秀賞確実と思わせる出来栄えだった。なのに決して入選しない。なぜか? それは彼女の悪い癖で、被写体の撮影許可を決して取ろうとしないからだ。シャイなんですかね? 知らんけど。
だから、どんなに優れた作品でも本来コンテスト失格なのだが、そこを無理にクリアしようという意図なのか、被写体となった人物の目に、必ず焼き海苔状の目隠しを載せて応募してしまうんだ。・・・ね? 俺がここに来た理由が分かったでしょ?
で、今、空っぽの部室にたたずんでいる俺には、目の前の暗室に彼女が潜んでることが分かっていた。だっていつもいますからね。あそこに。
「逢魔先輩。いるのは分かってるんですが」
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