第331話 フランツ・ヨーゼフ1世

 令和4(2022)年10月4日(火曜日)。

 この日、都内は8月後半頃から続く秋雨あきさめの影響で大雨であった。

アメ……」

 出れなくてミアは、シュンと項垂れる。

 電車に乗って都内を周ることを覚えたのだが、こうも雨が続くとやはり気分が滅入ってしまう。

「気象病?」

「多分ね」

 煉の疑問に皐月は、素早く診断した。

 北大路家は、女性陣が多数派である。

 気象病は女性が発症しやすい、とされている為、ミアも発症した、と考えられた。

 一方、ヨナは、ピンピンしており、母娘でも個人差がはっきりしている。

大丈夫ダイジョーブ?」

 ミアに寄り添い、その背中を撫でる。

「皐月」

「分かっている。ミア、おいで」

「ウン……」

 幸いここには、名医が居る為、万が一の時には、診てくれる。

 司やBIG4、ナタリーやエレーナも体調不良で寝ている。

「それはそうと……」

 煉は膝の上のシャロン、レベッカ、シーラの頭を順番に撫でた後、

「……何で居るの?」

「いけませんか?」

 微笑を浮かべるのは、オルガ。

 駐日ウクライナ大使館駐在武官だ。

「出向で来ました」

 いつも通り笑顔を絶やさない。

「オリビア?」

「キエフからの要請ですわ。再建の為に我が国に学ぶと。スヴェン、ウルスラ」

「「は」」

 2人は、嫌々ながら進み出る。

 戦争中のウクライナだが、既に再建にやる気満々だ。

 鉄道網を破壊されたウクライナは、新幹線に注目している(*1)。

「2人がオルガの講師です」

「何でまた?」

「本当は勇者様が候補に挙がったのですが、流石に王配と共に一緒に居るのは、出来ない、という事で。2人が講師になった訳ですわ」

「……そうか」

 煉が積極的に動けない為、現状、2人が候補になるのは分からないではない。

 ただ、疑問は残る。

北方ルック・ノース政策って訳か? 我が国よりアメリカや日本、ドイツが適任なのでは?」

 国土の大半が焦土と化したウクライナには、現在、世界各国から多数の援助が入っている。

 その3か国が今回の再建に一際大きく貢献し、特に日独は第二次世界大戦の敗戦国にも関わらず、高度経済成長期と経済の奇跡により、焦土から経済大国へし上がった。

 今のウクライナには、良い模範になるだろう。

「これは大統領府からの御指示なので、役人の私には何とも」

 オルガは微笑みを崩さずに答えた。

(……曾祖父が亡くなっていることを知っているのか?)

 曾祖父のウエノスキーが切腹し果てたのは、報道されている為、オルガも知ってる筈だ。

 身内なので知った時は、報道よりも早かった筈である。

 にもかかわらず、平然としている。

 それが兎に角、煉には違和感を覚えた。

 そのまま皐月を見た。

「オルガちゃん、健康診断して良い?」

「? はい、良いですけど、直近の検査では何も問題ありませんでしたが?」

 そう言って結果報告書を見せる。

 受け取った皐月は、項目を一つずつ再確認した後、

「そうね。大丈夫ね」

「では―――」

「でも、それはそちら側の診断であって、こちらとしても一応、確認したいの。御免ね?」

 その本心は、「報告書だけだと改竄かいざんも出来ちゃうから再確認させて」と皐月は言っているのだ。

 ウクライナの医学を疑う訳ではないが、受け入れる側としては、紙だけだと信用しづらい。

「分かりました」

 オルガもそれは分かっているようで、特に拒否反応は示さず素直に頷いた。


 オルガが健康診断を受けている中、

「それで本心は?」

 とオリビアに聞き返す。

「彼女の出自を調べさせました。その結果、彼女が帝室の末裔であることが判明しました」

「オーストリア帝国?」

「はい」


 オーストリア帝国(1804~1867)は、欧州に存在した国家でその国土は広く、ハンガリー王国の大部分や現在のクロアチアなどを領有していた。

 その統治者が、オーストリア皇帝として君臨した帝室である。


 煉は、難しい話にウトウトし出すレベッカの頭を撫でつつ、尋ねた。

「ガリツィアかブコヴィナが出自?」

 前者は現在、ウクライナ南西部。

 後者は現在、ウクライナ領とルーマニア領だ。

「そうです。御詳しいですね?」

「ウクライナはオレンジ革命(2004年)や欧州広場ユーロマイダン革命(2014年)などの時、各地を飛び回っていたからな」

「パパ、実業家♡」

 シャロンが顎にキスする。

 世界中で活躍する父が格好良く見えるようだ。

 その額にキスで返した煉に、オリビアは真相を告げた。

「フランツ・ヨーゼフ1世が、オルガの先祖です」

「! 《国父》が?」 

「残念ながら事実です」

 力なくオリビアは首肯した。

 驚くのも無理はない。

 フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916)は、オーストリア皇帝を68年間(在位:1848~1916)も務めた大君だ。

 その人気ぶりは凄まじく、


・肖像画が各地で飾られる(*2)

 例・幼年学校

  ・将校クラブ

  ・安宿

  ・娼家

・国内各地の土産物屋に皇帝の似顔絵入りの絵葉書やコーヒーカップが並ぶ(*2)

・皇帝のプロマイドが人気(*2)

・現在のウィーンの街でも銅像やポスターを見ることが可能(*3) 


 となっている。

 一般的には、


・敗戦続き

・家族に先立たれる

・民族問題に悩む


 不幸な皇帝と評価されているが(*2)、


・忍耐強さ

・不屈の精神

・温厚篤実な御人柄


 から晩年は国内の全民族から慕われ(*3)、更に、


・神聖ローマ帝国の由緒正しい血統

・68年もの在位(*世界記録はタンザニアのンゼガ地方のムソマ・カニヨ(? ~1963 在位:1864~1963)族長が持つ98年以上 (*4))


 などからも国民の理想の君主像に限りなく近づけた(*2)ことが当時も今も人気の理由と言えるだろう。

 そんなヨーゼフ1世だが、私生活では数人の愛人が居たとされ、その内の1人がアンナ・ナホフスキー(1860~1931)である。

 彼女は15歳の時、宮殿の庭園を散歩中、偶然、ヨーゼフ1世(当時45歳)と運命的な出逢いを果たし(*5)、同年中に愛人になった。

 現代の感覚では、45歳の男性が15歳の女性を愛人にするのは倫理的に問題視されるだろう。

 余談だが、彼女は愛人になる前に絹工場の主人と結婚し、子を産んでいるのだが、早々に別れている(*4)。

 絹工場の主人の妻から皇帝の愛人とは、中々なかなか波乱万丈な人生であろう。

 その後、不本意ながらも皇帝と別れるも、死ぬまで皇帝を想い続けた、とされる(*4)。

 落胤は特定に至っていないが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者は、その容姿からヨーゼフ1世の隠し子説がある(*6)。


・複数の愛人

・落胤と思われる人物


 が存在する以上、他に落胤が居てもおかしくはない。

「……彼女を受け入れたのは、が理由?」

「同胞ですからね」

 ハプスブルク家は、ドイツ系だ。

 トランシルヴァニア王国はドイツ系であり、王族の中にはハプスブルク家の末裔の者も多い。

 然し、「同胞」だけを理由に特別扱いするのは疑問が残る。

「……」

 真っ直ぐオリビアの瞳を見た。

「そういうことか?」

わたくしの口からは申し上げる事は出来ませんわ」

 そう言ってオリビアは出ていく。

「……」

 シーラの頬をぷにぷにしつつ、煉は考える。

(そういうことだろうなぁ。やっぱり)

 外の大雨は今だ降りしきる。


[参考文献・出典]

*1:テレ朝news 2023年6月28日

*2:平田達治『輪舞の都ウィーン』人文書院 1996年

*3:編・新人物往来社 『ハプスブルク帝国 ヨーロッパに君臨した七〇〇年王朝』

  新人物往来社 2010年

*4:ウィキペディア

*5:アンナ・ナホフスキーの日記より

  但し、美化されている可能性が高い

*6:饗庭孝男 伊藤哲夫 加藤雅彦 小宮正安 西原稔 檜山哲彦 平田達治

  『ウィーン 多民族文化のフーガ』大修館書店 2010年

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