第265話 Gott mit uns

 オリビアが着々と継承の準備を進める中、ディートリッヒが来日した。

 王位継承権第1位が、直々に末席と会う事はまず無い。

 異例中の異例だ。

 予約無しで大使館に入った。

 そして、応接室でオリビアを待つ。

「……」

 時計が正午を指した時、ようやく、オリビアが来た。

「ディートリッヒ様、お待たせして申し訳御座いません」

「いや、急に来たこっちが悪いんだ」

 ディートリッヒの斜向かいに座る。

 本来であれば、継承順位がディートリッヒの方が上の為、オリビアは同じ空間で同席する事自体許されない。

 だが、ここは、彼女の本拠地ホームグラウンドでもある為、オリビアが遠慮する必要は無かった。

「遅くなったが、オリビア。結婚おめでとう」

「有難う御座います」

 形式的なお祝いにオリビアも作り笑いで応じる。

 オリビアが煉と結婚した時、ディートリッヒは、一言も祝電を送らなかった。

 それが、2人の関係性を表している。

 御互い遠い親戚であって、興味が無い。

 それが今になってこれだ。

 何を今更? と、オリビアは、内心、不快を覚えていた。

「済まんな。祝辞が遅れて」

「いえいえ」

 ディートリッヒは、部屋の隅で待機している煉を見た。

「婿殿、初めまして。ディートリッヒだ」

「初めまして。北大路煉です」

 2人は、がっちりと固い握手を交わす。

 その時、ディートリッヒは、違和感を覚えた。

(……利き手じゃないな?)

 事前に聞いた情報では、煉は右利きだという。

 然し、今回は、左利きだ。

 スーツの脇の下の膨らみからも、拳銃嚢ホルスターがある事が分かる。

 この様な私的な場では、外す事が通例なのだが、相手がであっても信用していない、という事なのだろう。

(流石……英雄だな)

 感心しつつ、オリビアに視線を戻す。

「今日来たのは、他でもない。選挙に出るんだな?」

「はい」

 はっきりと、オリビアは、認めた。

「余り言いたくは無いが、君は新婚だ。政治経験も少ない。だから、今回は辞退してくれないか?」

 直球ストレートな提案に、オリビアも思わず苦笑い。

 だが、虚を突かれた訳ではない。

 予想出来ていた事だ。

「ディートリッヒ様、今回のは陛下と大公の御指名です。御二人の御指名がある以上、わたくしだけの辞退は、難しいですわ」

「それはそうだが、私も第1位として譲れない。はて? どうしたものだろうか?」

「「……」」

 睨み合う2人。

 一応、喧嘩はしない姿勢スタンスだが、それでも対立が鮮明になった。

 空気を読んだ煉は、提案する。

「御言葉ですが、殿下。として提案が御座います」

 一介の駐在武官では、会話に入り込む事すら不敬だが、今の大河は公爵である。

 然も、アドルフから直々に承った地位だ。

 ディートリッヒもこれには、無碍むげに出来ない。

「発言を許可する。なんだ?」

 それでも口調は、王族としての威厳を保ったままだ。

「このまま決選投票で決着を付けては如何でしょうか? オリビア殿下が勝った時は、戴冠式は延期して成人するまでの間は、摂政を置けば、政治的には問題無いかと」

「……」

 1mmの隙の無い正論に、ディートリッヒは、言葉が出ない。

 元々彼は学生時代、柔道に打ち込んだのだが、その反面、交渉に弱い所があった。

 端的に表現すれば、脳筋なのである。

「それにまだ、身辺調査は終わっていませんからね」

「? 何の話だ?」

「陛下に醜聞スキャンダルがあったんです。後継者にも醜聞があれば、王室の権威は失墜しかねません。弾圧している共和派が、国民の失望を後ろ盾に台頭するかもしれません。過去には、フランス系の一部が外患誘致をしましたね」

「!」

 ディートリッヒの目が、大きく見開かれる。

 煉の言葉は、まるで自分の秘密を知っているかの様な内容であったから。

「……ブラウンシュヴァイク公は、醜聞に御詳しいのですか?」

「あくまでも可能性としての話ですよ」

 笑って煉は否定するも、その瞳には光が無い。

 ディートリッヒは、気付いた。

 煉が駐在武官として、より多くの情報を把握している事を。

「……そうだな。醜聞には、御互い気を付けなければな」

「殿下は、いつ頃まで滞在されるので?」

「いや。急用を思い出した。帰るよ」

「では、御見送り―――」

「いや、公爵と会えて良かった。オリビアを頼むよ?」

 そそくさと逃げ去る様に、ディートリッヒは、帰っていくのであった。


「……勇者様、若しかして、あの御方、嫌いですか?」

 2人になった途端、2人は、夫婦に戻る。

「ああ、大嫌いだよ」

 煉は、オリビアの肩を揉む。

「……珍しいですわね? あれ程分かり易い態度なのは」

「そうかもな?」

 扉が開き、レベッカが、顔を出す。

「おいちゃん! 終わった?」

「ああ、終わったよ」

「やった!」

 大きくガッツポーズを決めると、レベッカは駆けてきて飛びつき、予想通りのキスの嵐だ。

「勇者様、先程の話ですが」

「ああ」

 レベッカを抱き締めたまま、煉はオリビアの隣に座る。

「何かディートリッヒ様に関して、不都合な情報でも?」

「ああ。―――スヴェン」

「はい」

 呼ばれたスヴェンが隣室から入って来た。

「オリビアに説明を」

「は。―――殿下、ディートリッヒ様は分裂主義者です」

「分裂主義者?」

 聴き慣れない単語に、オリビアは、首を傾げる。

の調べた所、ディートリッヒ様は、ドイツ政府と深い繋がりが見受けられます」

「……合邦ですか?」

 オリビアも馬鹿ではない。

 煉の隣に居る以上、相応に世界情勢の知識と分析力がある。

「はい。御存知の様に、ドイツは、新型ウィルスでボロボロです」

 日独の最新被害状況は、以下の通り。

 ―――

『日本(*1) 総人口 1億2622万6568人(*2)  

 感染者        :172万8780人

 新規感染者      :165人

 死亡者        :1万8383人

 ワクチン接種率(*3):1回目79% 2回目77・3%

 ドイツ(*4) 総人口 8378万4千人(*5)

 感染者        :629万1621人

 新規感染者      :6万9601人

 死亡者        :10万4047人

 ワクチン接種率(*6):69%』

 ―――

 ドイツよりも人口が多い日本だが、ドイツよりも酷くは無く、ワクチン接種率も高い。

 その為、新政権は成立時点から厳しい立場に置かれている。

 それを払拭するのが、経済だ。

 合邦後、北海油田を獲得出来れば、たちまち、経済的に復活を遂げる。

 独露を繋ぐノルド・ストリームに頼る時代を終え、ロシアに配慮する必要も無くなる。

 あわよくば、難民危機で、分裂状態にあるドイツ国民の民族意識を一つにまとめ上げる事も出来るかもしれない。

 以上の事情から、トランシルヴァニア王国は、ドイツの生命線と言えるだろう。

「万が一、我が国とドイツが合邦した場合は、ロシアに対して経済的、外交的に打撃を与える事が出来る為、アメリカも賛成する可能性が高いです」

「!」

 オリビアは、唇を噛む。

 アメリカは国益の為に友好関係にあるだけで、別に王党派という訳ではない。

 例えば、親米国であったイラン帝国は、イラン革命で倒れた後、アメリカは王政復古に協力していない。

 アメリカほどの軍事力を持ち合わせている国が、王政復古に関心を示していない時点で、オリビアは、アメリカに不信感を抱いていた。

「……そうなった時は、失望ですわね」

 王党派が大多数の国民だ。

 恐らく反米に転じて、米軍を追い出す運動が起き、最悪、テロ事件が頻発するかもしれない。

 欧州諸国は、ロシアのパイプラインを頼りにしている為、若しかしたら、生活の為に合邦を支持するかもしれない。

 独墺合邦アンシュルスの過去があったとて。

「……勇者様、何とかなりませんの?」

「そういう場合に備えてな。手は打ってある」

「はい?」

「ウルスラ」

 優秀な情報将校の名を呼ぶと、彼女は、笑顔で報告書を持ってきた。

「はい♡ 少佐、殿下に見せても?」

「ああ」

「では、殿下、どうぞ」

 ウルスラが渡したのは、名簿リストであった。

「! これは……?」

 名簿の題名は、『100人のヒトラー』。

 その名の通り、100人分の個人情報が列挙されていた。

 トップには、アドルフの名前まである。

「……よく集める事が出来ましたね?」

「イスラエルのナチ・ハンターとロシアの調査機関の合同ですから」

 我が事の様に胸を張る。

 以露両国とも、ネオナチの拡大に警戒を努めている。

 アドルフが確定したが、彼以外に居ないとは限らない。

 早急に情報を集めて、しなければならない。

「……」

 多くがアドルフの親類だが、中には、ドイツや南米の有名人まで居る。

「……これは、ドイツ社会を揺るがしますね?」

「国営企業の重鎮や閣僚経験者も居るからな。事と次第によっては、各国の政権や大手企業が吹き飛ぶだろうな」

 本人が清廉潔白であっても、先祖の心象イメージが悪過ぎる為、どうしても悪影響になりかねない。

「実業家の中には、黄金列車が元手で、大企業になった者も居る」

「! 黄金列車? あれは、本当なんですか?」

 所謂、『ナチスの黄金列車』というものだ。

 第二次世界大戦末期、第三帝国ナチスは、現在のポーランド領下シレジアドルヌィ・シロンスク県の地下隧道トンネルに黄金を積み込んだ列車を埋めた、とされる(*7)。

 ポーランド政府は戦後、人民共和国(1947~1989)の時代から民主化後の共和国の現在に至るまで、調査を続けているが、発掘されてはいない(*7)。

 その為、歴史学的には都市伝説の類だ。

「本当だ。ただ、あれは、戦後の混乱の際に、残党が持って帰ったから見付からないんだよ。ストロエスネルが『同胞』という理由だけで、メンゲレやロシュマンを無償で助けるか?」

「あ……」

 パラグアイで35年間(1954~1989)もの間、独裁者として君臨したアルフレド・ストロエスネル(1912~2006)は、ドイツ系移民とパラグアイ人の間に生まれたドイツ系パラグアイ人であった為、戦後、非人道的な人体実験を行ったメンゲレ(1911~1979)等の戦犯の滞在を黙認していた。

《リガの屠殺人》と呼ばれたカイザーヴァルト強制収容所を務めたエドゥアルト・ロシュマン(1908~1977)は最後、捕まったが、メンゲレは最後まで逃げ切った。

 戦犯を間接的に援助したストロエスネルの罪は重い。

 然し、彼の時代、パラグアイは経済的に発展した為、パラグアイ側から見ると一概に悪とは言い切れない人物でもある。

「残党を手助けた者が居る。陛下以外の99人の中には、共鳴者も居るだろう。早めに危険な芽は摘んでおくべきだ」

「……そうですわね」

 オリビアが女王になるには、ディートリッヒとその背後に居るドイツを相手にしなければならない。

 その為には、この名簿が必要不可欠だ。

 煉は、跪いて、将来の女王に忠誠を誓う。

「神は我等と共に」

 オリビアは模造刀ではあるが、ダーインスレイヴの鞘を煉の両肩に1回ずつ、あてがう。

「その言葉、しかと受け取った」

 そして、目線を合わし、その額に軽くキスをするのであった。

 

[参考文献・出典]

 *1:NHK 2021年12月9日午後6時5分

 *2:総務省統計局 2020年

 *3:NHK HP 2021年12月9日時点

 *4:COVID-19 Report 2021年12月9日

 *5:国連 2021年

 *6:TBS NEWS 2021年12月3日

 *7:ウィキペディア

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