第246話 横恋慕と憎悪と憧れ
「……」
ぼーっとキーガンは、湯舟に浸かっていた。
実家の件で怒られる、と思っていたのだが、処罰に遭うのは実家だけで、自分は無罪。
それ所か、当主になるまでの間、煉が後見人になるという逆転満塁本塁打だ。
予想が大きく外れたので、キーガンの心は大きく動揺していた。
(……少佐)
よくよく考えたら、煉は、常に弱者の味方だ。
男性嫌悪のナタリーやADHDのシーラ、精神疾患のシャルロットも受け入れ、最近では、退行状態にあるレベッカとも仲が良い。
自分を拉致しようとしたウルスラでさえも、結局の所、許している。
何処までも寛大な男だ。
女性陣誰もがその甘い海に溺れるのは、無理無い事だろう。
キーガンもその海に沈みかけていた。
(……少佐)
脳裏に浮かぶのは、煉の事ばかり。
今までは政略結婚、という事で恋愛感情は薄かったのだが、今回、はっきりと自覚した。
(……殿下に悪いから、愛人という事で囲って下さらないかなぁ?)
そう思いつつ、ブクブクと湯舟に沈むキーガンであった。
令和4(2022)年6月10日(金曜日)。
「「「……」」」
降り立った3人の女性は、保安検査を受ける事無く、来日を果たす。
煉の時もそうだが、上流階級が空港で保安検査を受ける事は殆ど無い。
上流階級の人々がテロ事件を起こす事は考え難い、という判断から義務化されていないのだ(実施の有無は、航空会社によって差異あり)。
これを悪用したのが、レバノン実業家だ。
役員報酬に関わる不正で立件されていた彼は、2019年の大晦日に密出国した。
この為、今後、悪用防止の為に航空会社によっては例えプライベート・ジェット利用者であっても、保安検査を受けさせる場合も出てくるかもしれない。
閑話休題はここまでで、3人は慣れた様子で保安検査場を通り抜け、外交官ナンバーの送迎車に乗り込む。
運転手は勿論、親衛隊だ。
「あら、ライカ?」
運転手に気付いたチェルシーが、声をかけた。
「は。この度、運転手に任されました。宜しくお願いします」
「そう……」
次に助手席を見た。
軽く会釈するのは、キーガン。
元BIG4の次期当主だ。
チェルシー等、御三家とは恋敵の関係にある。
その為、作り笑顔のみでの対応だ。
「「……」」
エマ、フェリシアも余り歓迎している雰囲気ではない。
当然だろう。
何せ相手は、イギリス系住民を分裂させようとした不俱戴天の仇。
ここで友好的に見せたら、今度は、自分の家が危うい。
3人がシートベルトを着用した所で、ライカは言う。
「では、発車します」
「「「……」」」
3人は、頷くのみ。
微妙なドライブは、大使館までの続くのであった。
大使館に到着すると、3人は大ホールに案内された。
『祝・御来日記念』
と書かれた横断幕の下、男性は燕尾服、女性は
主役のチェルシー、エマ、フェリシアもそれぞれ、
チェルシー→白地に
エマ →
フェリシア→|青地に白の
キーガンは、緑色のを着用していた。
緑というのは、アイルランド共和主義の
とても国家色が強い夜会服だが、トランシルヴァニア王国は、多民族国家。
自分の
禁じられているのは、
・王室批判
・
位だ。
事前に済ませているキーガンを除いて、3人は、オリビアに挨拶へ向かう。
大使館に住まう王女は3人と同じく上流階級の者だが、身分的には上であり、入国の許可を出した最終的な王族なので、当然、御礼は必要不可欠だ。
オリビアは、レベッカと共に玉座の様な椅子に座っていた。
3人を見るなり、オリビアは、笑顔を見せる。
「よくぞ来たわね?
偉ぶった口調はいつもの感じを知っていると、二重人格の様な変わりっぷりだが、実際には王族として立ち振る舞っているだけで、オリビア自身何も変わっていない。
もう少し砕けた口調でも良いのだが、余りにも気安いと、威厳に関わりかねない。
オリビアの人柄は、歴史上の人物で言うと、王冠を賭けた恋で知られるエドワード8世(1894~1972)に近い。
その人柄は、当時の国民から人気が高かった。
語られている逸話は、以下の通り(*2)。
・王族の人間としては最初に喫煙する所を新聞社に撮影させる
・大学在学中には、
・ロンドンの高級飲食店でオーストラリア国防軍の兵隊達が店員から食事を拒否されている場面を目の当たりした際は、兵隊全員を自分の机に招いて食事を振舞った
……
この為、1936年12月10日、正式に国王退位の報せは、英国民を動揺させ、ロンドンの街は大混乱に陥る程であったという(*2)。
そんなオリビアである為、3人は、緊張と楽しさの半々の感情であった。
最初にチェルシーが、
「この度、御招待して下さり有難う御座います」
「いえいえ。時差ボケは、大丈夫?」
「はい」
「なら、良かった」
当たり障りの無い会話だが、今まで接点が無かった為、この程度しか出来ない。
オリビアがエマを見た時機で、エマが挨拶に移る。
「エマです。御招待して下さり有難う御座います」
「来日前に夏風邪を引いた、と聞いたわ。大丈夫?」
「はい。殿下が送って下さった
「良いのよ」
最後にオリビアは、フェリシアを見た。
「……」
立てば
まさにそんな
「フェリシアです」
言葉少なげにお辞儀する。
緊張しているのか、目が余り合わない。
意図的ならば不敬間違いなしだが、緊張しているのは、目に見えている為、オリビアも周囲の者も咎める事は無い。
「大公は、御元気かね?」
「はい。軽度の認知症を患っていますが、後、20年は生きるかと」
「ほう、世界記録だな」
2021年現在の男性の世界記録は、日本人男性・木村次郎右衛門(1897~2013)が持つ116歳54日(世界全体では、21位)である。
今年100歳のクロフォードが120歳まで生きると、男性では、歴代1位。
世界全体でも、女性部門1位であるジャンヌ・カルマン(1875~1997)の122歳164日に次ぐ歴代2位になる。
無論、理論上の数字であって、更新の可能性は現時点では、不明だが、100歳でも辣腕を振るうクロフォードの事だ。
フェリシアの予想を遥かに超えて、20年以上、生きる可能性もあるかもしれない。
3人の中で最もオリビアが脅威を感じている令嬢だ。
「今後の御予定は?」
「はい。
「……」
静かにしていたレベッカが、その名前に反応し、煉を捜す。
そして、発見し、笑顔を送った。
「……」
目が合った煉は、首肯するだけで、何も返さない。
駐在武官として、宴会の警備責任者として仕事中だからだ。
インカムのイヤホンマイクで何事か指示を出していた。
「「「……」」」
3人は、レベッカの視線に釣られて煉を見た。
オリビアを前に凝視する事は無いが、発見すると、少し頬が緩む。
それをオリビアは、見逃さなかった。
(恋する少女、か……)
ライカの調査では、本国での煉の隠れた人気は凄まじいらしい。
前世での活躍ぶりはもう承知の通りだが、現世でも
トランシルヴァニア王国では政変未遂と民族対立の火種を事前に消し、日本では少数精鋭で反乱軍に挑み、政権転覆を防いだ。
アフガニスタンでは、王女の救出。
直近では、トルコで外交官として隠れた活躍を見せている。
これ程、大活躍を見せると、王侯貴族の中の保守派もその有能さを認めざるを得ない。
そんな彼は、オリビアと夫婦だ。
煉を通してオリビアと御近づきになりたい―――当然、そういった下心の貴族も居る事が考えられる。
BIG4の家庭内では、その為にも「煉が結婚相手に相応しい」として、必要以上に魅力が吹聴されているのだろう。
お嬢様学校に通い、並の男を知らぬ貴族の娘達だ。
初恋の男が、有能な軍人だと、相応に燃えるのは当然の事だろう。
「……」
指示後、煉は
招待者がオリビアが許可した者達ばかりなので、問題は無い筈だが、この様な場が絶対にテロに遭わない、という保証は何一つ無い。
1996年末には、ペルーの日本大使公邸で天皇誕生日祝賀歓迎会の最中に
この様な例がある以上、幾ら歓迎会と雖も楽観視しないのが、煉の人間性である。
式典には皐月、司の母娘も招待されていた。
皐月は、オリビアの義母であり、又、東洋一の名医である。
又、北海油田の日本における民族資本の一つである石油関連企業の大株主でもある。
いわば、大事なお客様、という訳だ。
又、日本での煉の正妻である司にも配慮しなければならない。
煉がトランシルヴァニア王国の外交官でいるのは、司の許可があってこそである。
2人の周りには、外交官や商人、貴族で一杯だ。
「先生、どうぞ、蒸留酒です」
「司様には、医学を御専攻されている、と伺いましたので、我が社お抱えの刀工が作ったメスを御進呈致します」
「私は、一般人ですので、それに見合った物でしか返礼出来ません」
「そこの所は、重々、御容赦下さい」
と、「贈り物は、受け取りますが、貴方方に利用される気は、1mmもありませんし、こちら側も利用する気はありませんよ?」と言外に示している。
シャルロット、シャロンの2人は、近くの机で北欧料理に舌鼓を打ち、近寄って来た人達には、会釈のみでほぼ無視だ。
交友関係を作る気は、皆無である。
スヴェン、ライカ、ウルスラ、ナタリー、エレーナは、煉とチームを組んでいる為、楽しめないが、それでも和やかな空気を楽しんでいる。
非正規メンバーのシーラは、
「……」
うずうず顔で煉をチラ見している。
彼女の仕事は、給仕だ。
ロングスカートのメイド服を着飾って、煉の周りをうろうろしてしていた。
本当は、一緒に警備したいのだが、残念ながら失策続きの彼女は、同僚からの信頼を失っている為、流石に雑踏警備には、参加していない。
給仕の様に、ワイングラスを脇取盆に乗せて、回っている。
オリビアと3人の挨拶が終わった後、3人にキーガンが合流して、次は、煉の下へ行く。
着飾った4人は当然、見目麗しいのだが、やはり、注目を集めるのは、御三家だ。
キーガンも美人の部類に入るのだが、短髪且つ筋肉質な感じが、余り、男性の王侯貴族には、人気が無い。
「「「「……」」」」
BIG4は、生唾を飲み込んだ。
蛇に睨まれた蛙の様に体が動けない。
「(少佐とBIG4の御対面だ)」
「(英系も奴の毒牙の犠牲者か)」
「(対面を許した、という事は、殿下は、BIG4の側室をお許しになった、という訳か。殿下は、何処までも寛大なお方だ)」
「(そうだな。それに比べて少佐は、新婚の癖にベリヤの様な好色だ。恥だよ)」
殆どの出席者は、そう囁き合う。
「……」
シャルロットは、フォークで、煉を悪く言う者を1人ずつ刺し殺したい衝動に駆られる。
が、何とか抑えた。
煉は、4人を前にイヤホンを外す。
「初めまして。北大路煉です」
そして、にこやかに挨拶するのであった。
[参考文献・出典]
*1:Flags of the World
*2:ウィキペディア
*3:『ペルー人質救出作戦』歴史群像82号 六角堂出版 2007年
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