第187話 sixth sense

 民族レジスタンス戦線に共鳴した傭兵達の抵抗は、続いていた。

 ヒンドゥークシュ山脈の裾から、登って来る武装勢力を撃ち続けていく。

「く、クソ!」

「怯むな! こっちは、鹵獲ろかくした武器が沢山あるんだ!」

「攻め続け―――」

 唾を飛ばしながら、檄を飛ばしていた司令官の頭を銃弾が貫く。

 この山脈の名前の由来は、『インド人殺しヒンドゥークシュ』(*1)。

 その名の通り、インドからペルシャ方面に抜ける際に通るこの山脈の厳しい気候と地形から、多くの人間が遭難死してきた為である(*2)。

 季節は春だが、それでも7千m級の山々が連なる地帯の為、雪深く残っている。

 南から攻めて来た武装勢力は、雪中戦を軽視していた。

 その為、凍死者や凍傷で手や足の指を切断する兵士も多い。

 一方、民族レジスタンス戦線側はアメリカの軍需産業やトルコの反体制派が支援している為、装備は潤沢だ。

 情報戦も過熱している。

 ―――

『【アフガン“抵抗勢力最後の拠点”で激戦 情報が錯綜】』(*3)

 ―――

 余りの激戦に記者も入れないのが、現状だろう。

 内戦が終わる気配は無い。

 武装勢力側には、世界中のイスラム過激派が集い、民族レジスタンス戦線側には、イスラム過激派の拡大を危険視する欧米諸国が支援し、その他、これ以上、イスラム教を誤解される事を危惧する穏健派のイスラム教徒も集まっている。

 その頃、南部のカンダハルにあるトルコ大使館に俺達は、集まっていた。

 傭兵達は、既に出立してここには居ない。

 現在、現地時間午後10時半。

 思いの外、早く着いた為、時間的には安堵だ。

 俺は付け顎鬚あごひげを付け、ペロン・トンボンなる衣装を着ている。

 ペロンは、七分丈のシャツ型チュニック。

 トンボンは、白(或いは灰色)のゆったりとしたズボンで構成されている。

 女性陣は、総じてブルカだ。

 全身を布で覆い、目元(或いは顔)のみ網状に出来た女性イスラム教徒ムスリムの伝統的な衣装である。

 イスラム教徒の移民が多い欧州では、これに反発する国々が多く、法律で禁止にしている場合もある。

 ブルカ禁止法のある国々は、以下の通り。

・フランス  2010年成立 2011年施行(*4)

・ベルギー  2010年廃案 2011年成立及び施行(*5)

・オランダ  2011年閣議決定(*6)

・ブルガリア 2016年成立(*7)

・デンマーク 2018年施行

・スイス   2021年国民投票で成立(*8)

・スペイン  検討中

 ブルガリアの場合は、与党になった中道右派政党が「対策監視を目的」と説明しているが、トルコ系政党が反発したり、スイスでも国内でブルカを着用している女性が20~30人程度(*9)とされる為、左派政党が、

・性差別

・人種差別

 を主張している(*10)為、法律自体への疑問視が絶えない。

 日本でもイスラム教徒の増加に伴い、埋葬方法に関するトラブルが増えているようなので、若しかしたら、欧州同様、ブルカに着用に関する論争がおおやけになるかもしれない。

 アラブ圏に長く居た俺は、ブルカに対して偏見は無い。

 然し、馴染みが無い人には、やはり、恐怖心を感じるのだろう。

「パパ、これ全然、肌が見えないね?」

「それが、特徴だからな」

 新月旗(トルコの国旗)と赤新月社(イスラム諸国版赤十字社)の旗を傍目かせた73式大型トラック3t半に乗る。

 運転手は、俺だ。

 基本的に毎回、スヴェン等が運転手なのだが、女性の地位が低いこの国では、女性が運転手だと怪しまれる可能性がある。

 助手席にシャルロットが乗り、荷台にはシャロン達だ。

 アフガニスタンで日本車は違和感があるだろうが、日本車は武装勢力にも人気なのである。

 その例がチャド・リビア紛争(1978~1987)と武装勢力自称「イスラム国」だろう。

 前者の後期の戦闘では、チャド軍、反政府軍双方が日本車を改造し、戦場で使用した為、世界の報道機関は、『トヨタ戦争』(1986~1987)と名付けた。

 日本車が壊れ難い、という点が戦争で好まれてしまったのだ。

 企業にとっては良い迷惑だろう。

 後者では、テロ組織が日本車を使用していた事をアメリカ政府が問題視し、企業に対して説明責任を求めた(*11)。

 実際には、自由シリア軍にアメリカ政府が救援物資として送った日本車が武装勢力に奪われていた事が判明した為、企業がテロ組織を支援した事実は無かった(*12)。

 又、これらとは別にアフガニスタン紛争の際、カナダが支援の為に送った日本車が武装勢力に奪われていた例もある(*13)。

 この様なことから、紛争地域でも日本車は、抜群の人気を誇り、このアフガニスタンでも武装勢力が鹵獲した日本車を日常的に使用していた。

 その為、俺達が日本車に乗っていても、何ら違和感が無いのだ。

 大使館を出て、渓谷に行く途中、検問所に遭う。

 武装勢力の兵士は車を停めた。

「外交官か?」

 欧米で育ったのか、流暢な英語だ。

「そうだ」

「中身は何だ?」

「人道支援だ」

「何故、外交官が行う?」

「外交官でなければ、誤認され易いだろう?」

「……」

 兵士は、俺のパスポートを凝視する。

 同席するシャルロットを一切見ないのは、俺の妻と思っているのかもしれない。

「……東洋人?」

「日系人だよ」

「日本は好きだよ。だから、日本車なのか?」

「そうだ」

「一応、訊くが中身は?」

生物なまものだ」

「じゃあ、急ぐんだ」

 荷台を確認せず、兵士はゲートを開ける。

 俺達は、簡単に渓谷方面に車を走らせるのであった。


「くる、くる……」

 私は、何度も同じ言葉を繰り返す。

「「「……」」」

 スイス人医師団と武装勢力の監視人は、唖然としていた。

 余命幾許も無い、と思われた患者が突如、回復傾向になったのだから。

 それも自力で。

 自分の手で生命維持装置を外し、窓に手を伸ばす。

もっと光をメイヤー・リヒト!」

 大声で叫び、暴れ回る。

 主治医が叫んだ。

「精神科医を!」

「くる! くる!」

 私はそれでも叫ぶ。

 愛しい兄の為に。

 我に返った医師団は、急いで身体拘束の準備に入った。

 身体拘束については、人権的見地から賛否両論ある。

 世界的な基準は、以下のように制定している。

 ———

『1、

 患者と代替手法について、話し合いを継続していくこと。

 2、

 資格を持った医療従事者によって、検査と処方を行うこと。

 3、

 自傷または他害を緊急に回避する必要性があること。

 4、

 定期的な状態観察。

 5、

 抑制の必要性の定期的な再評価。

 例えば身体抑制であれば、30分ごとに再評価。

 6、

 厳格に制限された継続時間。

 例えば身体抑制では4時間。

 7、

 診療録への記載』(*14)

 ———

 然し、このような手続きで進められない場合もある。

大暴れする患者を拘束具無しでは、治療出来ないだろう。

 その際、医療従事者が怪我でも負えば、その責任は、誰が取るのだろうか。

 このような考えもあり、未だに身体拘束を採る病院もあるのだ。

 今回の医師団も、内心では、反対派だ。

 だが、大暴れする私が自傷、或いは他人を傷つけるのも嫌だ。

 私は、拘束衣こうそくいを着させられ、体の自由が奪われる。

 それでも、私は、第六感が働いているのか、大好きな兄の接近が手に取るように泣き叫ぶ。

「来た! 来た!」

 と。


[参考文献・出典]

 *1:『モンゴル帝国と長いその後』(講談社「興亡の世界史09」 2008年2月)

 *2:ウィキペディア 一部改定

 *3:TBS NEWS    2021年9月4日 一部改定

 *4:ロイター     2011年4月11日

 *5:日本経済新聞   2011年5月26日

 *6:読売新聞     2011年9月17日

 *7:産経ニュース   2016年10月1日

 *8:SW武装勢力w武装勢力sinfo.ch 2021年3月7日

 *9:ルチェレン大学の調査

 *10:AFP 2021年3月8日

 *11:ウォールストリートジャーナル 2015年10月9日

 *12:グローバルリスクコミュニケーション HP 2015年10月13日

 *13:ニューズウィーク 2015年10月19日

 *14:WHO世界保健機関 「精神保健法:10の原則」 一部改定

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