第166話 恋してイスタンブール

 改装された武家屋敷を拠点に、俺達チームは再始動する。

 皐月は保険が下りた為、安心して病院の再建に着手し、司もその手伝いで忙しい。

「……」

 シーラが、甲斐甲斐しく俺の肩を揉む。

「師匠、緑茶です♡」

「有難う。休んでて良いよ」

「いえいえ♡」

 シーラへの対抗意識なのか、スヴェンには、幾ら休憩を命じても休まない。

 新人のウルスラも、この状態だと、休むに休めない。

 俺の横に居て、常に仕事を探している状態だ。

 その真面目さは、感心するが、如何せん、現時点では、事務作業くらいしか、やることがない。

「ウルスラ、若し、暇なら聖典コーラン読んでて良いよ」

「え? 良いんですか?」

 パブロフの犬のように、ウルスラは反応した。

 宗教書を精神安定剤のようにしている敬虔な信者は多い。

 宗教色が薄い日本では、奇異に見られるかもしれないが、宗教色が強い国や地域では、よくある話だ。

「良いよ」

「有難う御座います」

 椅子に座って、聖典を黙読し始めた。

「……」

 俺はノートパソコンを開き、いつものように、報告書を作るのであった。


 事務作業を終えた後、俺は、GSG-9の人事評価を閲覧していた。

(……凄いな)

・射撃

・格闘技

・精神力

 等、評価項目は、全てトップクラス。

 スヴェンとは良い勝負だろう。

「師匠♡」

 メイド服を着たスヴェンが、御茶汲おちゃくみを行う。

「御茶多いな?」

「健康的ですからね」

「有難う」

「いえいえ♡」

 スヴェンは、俺の膝にちょこんと座る。

「……飲みにくい」

「食事介助させて頂きます♡」

「自分で出来るよ」

「私がしたいんです♡」

我儘わがままな部下だな?」

「部下じゃないです。忠臣です♡」

 自分のことを忠臣と主張するのは、初めて見たな。

 いや、この痴女は『恋は盲目』だったな。

「あれ?」

「ん?」

 スヴェンの視線を追うと、そこには、画面に映るウルスラが。

 履歴書の写真のように、その顔は、非常に凛々しい。

「……確認ですけど、師匠は。エプスタインじゃありませんよね?」

「児童買春の趣味は無いよ」

「ですが、師匠の彼女を見る目は、熱っぽいです」

「そうかな?」

 自覚が無い分、他人からは、そのように見られるのだろうか。

「そうです。師匠が小児性愛ペドフィリアだと、この忠誠心を殺意に変えなければなりません」

「死んでもそんな変態性欲には、目覚めないよ」]

「本当ですか?」

「ああ―――なぁ、ウルスラ?」

「はい」

「!」

 スヴェンがぎょっと目を剥く。

 ウルスラが、室内に居たのだ。

 気配を消し、周囲に同化していたのは、流石、くノ一だ。

「……いつの間に?」

「ずっとだよ。スヴェン、まだまだ青いな」

 してやったりな俺の嗤いに、スヴェンは、膝から降りて地団太を踏むのであった。


「勇者様、新人はどうですか?」

 その日の晩、布団の中でオリビアが尋ねた。

 一緒に同衾どうきんしているライカも興味津々だ。

「多分、チームの中で最優秀だ」

「え? スヴェンよりも、ですか?」

 ライカは驚きの余り、枕を抱き締める。

 その一挙手一投足が可愛い。

「俺の裏を取ったんだ。中々居ないよ。そんな軍人は」

「「……」」

 2人の額にキスしていく。

 それから、隣室に声を掛けた。

「スヴェン、泣く暇があるなら精進しろ」

『……ばい』

 泣きながら、スヴェンが障子を開けた。

 実力差を思い知った彼女は、休憩時間を返上し、恥を忍んでウルスラと柔道を行った。

 結果は、10戦5勝5敗。

 5分5分だが、自信家であったスヴェンの自尊心は、ズタズタに切り裂かれた。

 これ以上の敗北は無いだろう。

「あらあら」

 オリビアは、慈母のように微笑み、手招き。

 そして、スヴェンを抱き締める。

 それが、契機となり、彼女の涙腺は崩壊する。

「……うう……うわぁあああああああああ!」

 一応、防音対策を施してはいるが、されど、これほどの大音声は、他の部屋にも伝わっている筈だ。

「勇者様」

「少佐」

「ああ」

 2人の後押しで、俺は、スヴェンを抱き寄せる。

 普段は、痴女で依存性が強いが、根は良い子だ。

 だからこそ、俺も惚れたのだろう。

「スヴェン、気を落とすな」

「……ばい」

 スヴェンの手を握って、落ち着かせる。

「君には、才能がある。自信持て。な?」

「……じじょう♡」

 励まされ、笑顔になった。

 元モサドの癖に、非常に表情の変化が豊富だ。

 俺は、スヴェンの頬にキスし、その体に触れる。

「あ♡」

 そして、慰めるようにスヴェンと寝るのであった。


 翌朝。

 鳥のさえずりと共に俺は、起床。

「……!」

 ウルスラが見下ろしていた為、俺はギョッとする。

「……覗きか? 趣味、悪いな?」

「観察ですよ。少佐は、トルコでも有名なんですから?」

「何?」

「2回も政変を封じたのですから、世界各国から欲しがられる逸材ですよ。最近では、イランやシリア、ヨルダン、サウジアラビアも御興味があるようですし。今の内に囲っておこうかと」

「……囲う?」

「はい。もう少し、汚く表現すれば、唾をつけておこうかと」

「……ん?」

「私はもう裏切られたくないんですよ。国にも―――貴方にも」

「……」

 今にも泣きそうな顔をした。

 然し、それは一瞬のこと―――時間にしたら。0・1秒くらいの感覚だ。

「……ウルスラさ」

「はい?」

「もう少し素直になったら、より強みを目指せるぞ?」

「少佐みたいな化物モンスターに?」

「誰が化物だよ」

 苦笑いで否定しつつ、俺は未だに俺の肘を枕にしているスヴェンからそっとそれを抜く。

 もう片方の肘で寝ているオリビア、ライカのコンビからも。

 両肘が痛いが、のそのそと起き上がる。

「改めてお早う御座います」

「ああ、お早う」

 頭を搔いていると、

御髪みぐしが少々、乱れています」

 と、ウルスラが台に乗って、俺の髪を櫛で整えていく。

 まるで夫婦のような光景だ。

「……秘書官は、別に居るが?」

「あの場面緘黙の娘ですか?」

「ああ」

「聞きましたよ。狙撃の腕は良いのに、それを活かしきれなかった、とか?」

「育てれなかった俺の責任だよ。彼女は、全力を尽くした」

「……そういうことにしておきましょう」

 当初、仏頂面が多かったものの、歓迎され、その上、宗教も認められている環境である為か、ぎこちなさはあれど、笑顔が増えて来た。

「有難う。もう良いよ」

「何処までもついていきます」

「嫌なこった」

 ウルスラから離れると、彼女は動じず、金魚の糞のようについてくる。

 スヴェン以来のストーカーの誕生であり、彼女以上に難敵な自称「秘書官」の降臨であった。


 日本のイスラム教徒は、超少数派だ。

 都内には、インドネシア大使館が運営するモスク等があるものの、寺や神社と比べると、まだまだ少ない。

 信者数も正式な調査はされていないが、その実態は在日外国人やその配偶者が多い、と思われる。

 その為、無知な日本人と在日イスラム教徒の間では、食の禁忌や埋葬方法でいさかいになり易い。

 近年では、ハラール認証が日本でも知られる様になっ為、

・豚肉NG

・飲酒不可

 といった制約が知られつつあるのだが、後者に関しては、日本が火葬文化に対し、イスラム教は死後の復活が死生観にある為、土葬文化が主流だ。

 当然、両者は、相容れない文化であり、諍いになっている(*1)。

 二つの文化は、新型ウィルスの大流行していた国でも問題になった。

 その代表国が、スリランカだ。

 スリランカでは、2020年4月13日、新型ウィルスによる死者数の激増により、火葬を義務化(*2)。

 約2100万人もの人口を誇り、その7割が仏教徒のスリランカでは、イスラム教徒は、総人口の約10%と少数派だ。

 義務化が通ったのは、多数派の意見を採用したからだろう。

 言わずもがな、イスラム教徒は、猛反発し、スリランカは、翌年2月25日に土葬の復活を許可した(*3)。

 スリランカでは、流行り病に対処すべく、手続きを簡略化させた為、イスラム教徒の意見を無視するようになってしまったが、日本での土葬は、非常にハードルが高い。

 法律上、土葬は可能なのだが、それをするには、「土葬許可証」が必要であり、それを墓地管理者に提出して、墓地管理者の許可を得て、初めて土葬が可能になる。

 但し、大都市圏では、条例によって土葬を禁止していたり、土葬する場合にも細かな規則があり、大都市圏での土葬は、現実的ではない(*4)。

 その為、どうしても土葬をしたい場合は、地方で土地を確保する必要がある。

 敬虔なイスラム教徒であるウルスラは、どうしても、土葬がしたかった。

 日本に移住した以上、ここで骨を埋めるつもりだから。

 なので、彼女は、秘書官の仕事をしつつ、近隣で出来る場所を探す。

(近い所は……やっぱり都外か)

 関東地方で土葬可能な場所は、

・山梨県

・茨城県

・栃木県

 の3県であった(*4)。

 早い内に土地を確保しなければ、土地は限られている為、争奪戦になり易い。

『善は急げ』という諺があるように、さっさと動いた方が、良いだろう。

(モスクは……良いかな)

 自分の部屋に礼拝所を設置した為、態々わざわざモスクに行く事は無いだろう。

(……改宗してくれないかな?)

 ドイツでは理解者に出逢えなかった分、ウルスラには煉が天使のような温かさを感じた。

 執務する煉の横顔は、普段優し過ぎる分、真剣過ぎてそのギャップ性に萌える。

 それでいて、今朝方けさがた見た寝顔も、司達に嫉妬してしまうほど可愛いものであった。

(……惚れたのかな)

 幸か不幸か、現在、日本は、複婚制導入の為に改憲に臨んでいる。

 成立後、妻の1人になるものまた、良いだろう。

(……支える)

 ウルスラは、その切れ長の瞳の下に深く強く決意するのであった。

 

[参考文献・出典]

*1:プレジデントオンライン 2020年12月15日

*2:AFP 2020年4月13日

*3:毎日新聞 2021年2月27日

*4:お墓さがし HP 2019年6月14日

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