第164話 Dunkel
『―――ロシアのヴィクトル大統領の醜聞と自殺に世界は、衝撃を受けています。
現職の大統領の死亡は、
・2021年に戦死したチャドの大統領
・同年、暗殺されたハイチの大統領
以来、過去約1年もの間で3人目です。
クレムリンは24時間以内に大統領選出を行い、速やかに新体制に移行する予定です―――』
———
大国の大統領の死に、世界各国のテレビ局の記者が赤の広場に集まっていた。
一部の記者は、
記者が抗議しようが、警棒でどつかれ拘束されるのがオチだ。
日本と同じような報道姿勢で取材していた日本の記者達は、次々と拘束され、中には頭から流血する者まで居る。
外国人記者は、「自業自得」と言わんばかりに遠巻きで見詰めているだけだ。
大使館も形だけの抗議は行うものの、記者には同情しない。
郷に入っては郷に従え。
ロシアで取材する時は、単純計算で日本の2倍以上、気を遣わなければならないのだ。
令和4(2022)年3月9日水曜日。
「……」
俺は、ロシアの報道機関が電子版に掲載したヴィクトルの遺体を見詰めていた。
机に突っ伏し、体の一部をばら撒いて逝った親友の姿は、見るに忍びない。
ロシア正教に則って、右肩から左肩にかけて十字を切る。
そして、パソコンを閉じた。
脳裏に焼き付けておけば、彼は永遠に死なない。
ピクサーの映画にもあったように、人が本当に死ぬ時は、他人から忘れ去られた時だ。
♪
「?」
メールが届いた。
パソコンを開き、確認する。
———
『【送信者】:百貨店「子供の世界」の隣の者
【本文 】:大統領は代わった。
賢明な君のことだ。
英断を期待している』
———
全文を黙読した直後、メールが消える。
相手が開いた後、勝手に削除される特殊な設定が施されていたようだ。
幸い日本語だった為、意味は瞬時に理解出来た。
これがロシア語だったら、一語一語注意深く見て、もう少し時間がかかっていたかもしれない。
「……」
俺は考え、昔、ヴィクトルから聞いていたメールアドレスを打ち、
———
『【送信者】:双頭の鷲
【本文 】:貴国の政治に関しては、内政不干渉の原則を遵守しています。
新大統領の御就任、おめでとうございます』
———
と返した。
すると、直ぐに、
———
『【送信者】:百貨店「子供の世界」の隣の者
【本文 】:賢明な判断感謝し、同志を歓迎する』
———
(……生きていたか)
もう結構前に聞いていたメールアドレスに送ったのは賭けだったが、それに勝てたようだ。
問題は、新大統領のイゴールと何処まで馬が合うか。
ヴィクトルとは話し易かったが、イゴールのことは殆ど知らない。
出身地、好きな食べ物、何が趣味なのかさえ。
「……ナタリー」
『うん?』
畳で
彼等は、元々、棲みついていた先客だ。
掃除する際に発見し、先客であるが故に追い出す訳にもいかず、保護し、獣医に治療してもらった後、動物愛護団体と相談した上で引き取った。
日本には、『招き猫』という文化があるように、猫=縁起物、という考え方がある。
職業柄、商売、という訳でも無いが、縁起物を雑には扱えない。
なので、棲み付いていた野良猫全部を家猫にしたのである。
所謂、多頭飼いになっているが、命である事は変わりない。
「にゃ~♡ にゃ~♡」
『♡ ♡ ♡』
子猫達に囲まれ、ナタリーは幸せそうだ。
「イゴールって知ってる?」
『ああ、元
あの状態で瞬時に反応出来るのだから、愛でつつもちゃんと、仕事状態のようだ。
「何か知ってる?」
『元ソ連共産党員、最終学歴は、
「まじか」
モスクワ大学のレベルは、古い記録だが、上海交通大学が2017年に発行した世界大学学術ランキングでは、93位(*1)。
同記録では、日本の大学も複数ランクインしており、日本最上位が東京大学(24位)、京都大学(35位)、名古屋大学(84位)なので、ある程度そのレベルが分かるだろう。
首都の名を冠する大学だけあってロシアでは、最も人気の高い大学だ(*2)。
『卒業後は、KGB赤旗大学―――ええっと、今の対外情報アカデミーで学んだ後、世界各国に外交官として秘密裡に派遣されているわ』
「政治家としての経歴は無し?」
『無いわね。ただ、元外交官だから、外交力は玄人だよ。母国語のロシア語の他に、
・英語
・日本語
・フランス語
・スペイン語
・ポルトガル語
・ドイツ語
・アラビア語
・ヒンディー語
・北京語
・広東語
・台湾語
・イヌイット語
・イタリア語
・ヘブライ語
・タガログ語
・パシュトゥー語
・ダリー語
・ポーランド語
・ハンガリー語
・デンマーク語
・モンゴル語
・バスク語
・インドネシア語
等に堪能よ。一応、会談の時は、念には念を入れよで通訳が居るけどね』
超人ですやん。
言語学者でも、これほどの多くの言語を操ることは出来ないだろう。
会議と時に通訳を使用するのは、無くは無い話だ。
海外で活躍する日本人のサッカー選手や野球選手が、現地の英語が喋れるのにも関わらず、ニュアンスの誤差によって諍いを回避する為に、敢えて通訳を雇う例がある。
イゴールのは、そのような理由だろう。
幾らネイティブスピーカー並に喋れても、細かなニュアンスは分からない時がある。
『その大統領が、貴方に接触を?』
「接触、っていうか引継ぎだな」
『前任者と仲良かったのに、結構、薄情なのね?』
「そういうものさ。ヴィクトルには悪いが、
『……それもそうね』
俺達の居る世界は、並大抵の精神力でないと、務まらない。
俺達の精神力に最も近いのは、グアテマラの特殊部隊『カイビレス』だろう。
彼等は、グアテマラ内戦(1960~1996)で、左翼過激派掃討作戦に従事し、容疑者を人前で斬首したり(*3)、訓練中、隊員に子犬を育てさせ、訓練の最後に子犬を殺害させていた(*4)とさせる。
「……」
シーラが猫缶を持って来た。
匂いに敏感な猫達は、シーラに殺到し、彼女の前で整列。
もんぺ姿の彼女には、昭和の香りがする。
昭和を知らないけど。
あくまでも、イメージ。
液状スティックタイプの世界的大ヒット商品を開封すると、
「「「!」」」
猫達は、吸い寄せられるように、更にシーラに近付く。
「シーラ、分かっていると思うが、1日4本までな?」
「……」
こくり。
頷いた後、シーラは、与え始める。
「……ん?」
『? どうしたの?』
「……」
俺は、天井を見上げたまま動かない。
『?』
ナタリーが首を傾げていると、突然、天井の板が裏返しに。
『!』
直後、縁側の床下から忍び装束の忍者が躍り出た。
忍者は、俺に向かって、手裏剣を投げて来る。
俺は、咄嗟に近くにあった扇子で叩き落とす。
「!」
その咄嗟の判断と瞬発力に忍者は驚いた。
その瞬間を俺は、見逃さない。
瞬時に距離を殺し、襟首を掴み、背負い投げ。
手加減無しだった為、忍者は吹っ飛び、土壁に叩き付けられる。
「……」
俺は、急いで跨り、その頭巾を剥ぎ取った。
そして、拍子抜ける。
「……え?」
忍者の正体が、くノ一だったから。
「スヴェン、ここの警備、頼んでいたよな?」
「申し訳御座いません」
スヴェンは、冷や汗たっぷりだ。
奥座牢に閉じ込められたくノ一は、身包みを剥がされ、服は下着のみ。
年端も行かぬ少女だった為、最低限、人権は守ったのだ。
「……」
13~14歳くらいの少女は、きっと睨んでいる。
下着も隠さない。
まさか令和の時代にくノ一を拝めるとは、思ってもみなかった。
「パパ、その子の正体分かったよ」
シャロンがスマートフォンを持って来た。
「ん?」
「良いから」
耳に宛がわれ、俺は、尋ねた。
「もしもし?」
『少佐。久し振りだな?』
「! 陛下?」
『うむ』
雇い主だけあって、俺は、直立姿勢になる。
『そっちも大変だったな?』
「はい……」
『なので、オリビアから頼みがあって、
GSG-9は、ドイツ連邦警察対テロ特殊部隊である。
アメリカのSWAT、日本のSATがそれに近しいだろう。
「……」
俺は、よくよく見る。
こんな見た目だが、GSG-9とは。
世界は広い。
『名前はウルスラ。不幸続きの君には、相応しい名前だろう?』
「……
チームに新メンバーが加わった瞬間であった。
褐色の軍服を用意されたウルスラは、ドイツ人だが、何処か中東のような遺伝子もあるようで、中東系にも見えなくはない。
涼やかなアーモンド形の美しい切れ長の目(*5)。
スッと通った鼻筋だが、鼻孔はころんと締まった形(*5)だ。
唇は上下とも適度な厚みがあり、所謂、逆三角形の綺麗な形(*5)である。
髪の毛は黒(*5)。
肌は、黄みがかった白系(*5)。
アジア寄りの丸型に近い卵形(*5)の顔だ。
「……トルコ人?」
「……正解です。正確には、トルコ系ドイツ人です」
「……分かった」
ドイツには、トルコ系が多い。
これは1960年代、経済発展が進む西ドイツは、人手不足を補う為、トルコからの移民を受け入れた結果だ。
この為、サッカーのドイツ代表にもトルコ系が居るように、ドイツには、トルコ系が根付いている。
けれども極右派からは、トルコ系を始めとする外国系は、目の仇にされており、ネオナチが彼等を襲ったり、トルコ系のサッカー選手が人種差別に遭う事件も少なくない。
ナチスの反省から反人種差別を掲げるドイツだが、今尚、差別は根深いのだ。
そんな中、トルコ系でありながら、GSG-9に入り、大佐にまで昇進したのは相当苦労したことが伺える。
「先程は、御無礼を」
着替える前まで睨んでいたのだが、今は落ち着いているらしく、柔和な笑みを浮かべている。
「赤帯の私を難なく投げ飛ばしました。我が主に相応しいです」
ん?
雲行きが怪しいぞ?
あと、赤帯ってまじか。
柔道最高位やんけ。
軽く驚いていると、ウルスラは、畳に拳を突いて、頭を下げた。
「今後は宜しく御願いします。
熱っぽい視線に俺は、詰んだ事を悟る。
(……しくじったかも)
陛下の人選の為、拒否する事は出来ない。
ウルスラの加入は、メンバーに衝撃を与えたことはいうまでもない。
[参考文献・出典]
*1:スプートニク 日本語版 2017年8月16日
*2:ロシア語検索エンジン「ヤンデックス」の2017年7月の調査より
*3:『メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』
ヨアン・グリロ 訳・山本 昭代 現代企画室 2014年(原著2012年)
*4:毎日新聞 2012年8月28日
*5:ニュース&イベントナビゲーター
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