第157話 神と綱

 北大路病院では、緊張状態が続いていた。

 ここを管理するのは、反乱軍の副司令官・南。

 村上の影響を受けて、極右思想を育んだテロリストであった。

「院長、我々は貴女や職員、患者に手を出す気は更々無いんですよ」

「……」

 皐月は無視し、終末医療の患者の診察を行っている。

 院内は意外にも自由が認められていた。

 村上の「非戦闘員は抵抗しない限り、丁重に扱う様に」とのお達しを反乱軍が遵守しているからだ。

 2016年にトルコで起きた政変では、反乱軍が国民の理解を得られず、失敗した。

 その教訓から、極力、国民には武力行使しないのが、反乱軍の目的だ。

 もう一つ、理由がある。

 彼等が国民に気を遣うのは、ストックホルム症候群発症を狙っているからだ。

 ———

『【ストックホルム症候群シンドローム

 誘拐や監禁等により拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、更には信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。


 1973年、ストックホルムの銀行で2人組の強盗が4人の人質をとって立てこもる事件発生。

 131時間に及ぶ監禁状況の中で、人質は次第に犯人らに共感し、犯人にかわって警察に銃を向ける等の行動をとるようになった。

 又、人質の中には、解放後に犯人を庇う証言を行う者や犯人に恋愛感情を抱く者まで現れた。

 この事件を契機に、こうした極限状況で起こる一連の心理的な動きと行動が、ストックホルム症候群と名づけられた。

 他者に支配された恐怖の感情を背景に、自らの生命を守る為にとる選択的で欺瞞ぎまん的な行動と説明されることもある。

 これとほぼ対極にあると考えられるのが「リマ症候群」で、人質監禁の加害者が被害者に次第に親近感を抱き、攻撃的態度が共感へと変化していく現象である。

 平成8(1996)年にペルーのリマで発生した日本大使公邸占拠・人質事件(ペルー事件)で、人質解放の為に特殊部隊が突入した際に、人質監視役の加害者は、被害者との間に芽生えた親近感から人質に向けて発砲できず、特殊部隊に射殺される結果となった』(*1)

 ————

 無論、医者である皐月は、それに気付いている。

 なので、必要以上に反乱軍と意思疎通コミュニケーションを図ることはしない。

「息子さん、軍人なんでしょ?」

「……」

「説得して我が軍に御参加を促してもらいませんかね?」

「……息子は、関係ありません」

「それが関係大ありなんですよ。映画館で戦友を多数、殺傷しましたから」

「!」

 気付かれないように、皐月は、マスクの下でほくそ笑む。

 よくやった、と。

「貴女の前夫も自衛官でしたよね? 御国の為に尽くすのが、自明の理では?」

「……」

 診察を終えた皐月は、診断書に病名を記していく。

 南がそれを覗き込もうとすると、

「個人情報ですよ」

 睨みつけて、診断書を隠した。

「……面白くねぇ」

 苦々しく煙草に火を点けると、それさえも奪い取る。

 そして、煙草の火をあろうことか、指で揉み消す。

「!」

 ジュワッと音がするが、皐月は、顔色一つ変えない。

「当院、全館禁煙となっています。若し、COPD慢性閉塞性肺疾患になりたければ、喫煙所でどんどんお吸いになって下さい」

 笑顔で肺気腫に冒された、真っ黒な肺の写真を投げ付けるのであった。


 看護助手をする司も言い寄られている。

「ねぇ、お嬢ちゃん。俺と御茶しようや」

「ちょっと、体調悪いんだ。診てくれよ」

 然し、皐月の血を引く司も気が強い。

「私、結婚してますんで」

 薬指の指輪を見せては、

「診察の方は、医者の領域なので、私には出来ません。それでは」

 と、作り笑顔で受け流す。

「いや、俺は、貴女に―――ひ」

 司の肩に手を触れた途端、隊員の首筋に注射器が宛がわれる。

 注射可能な医療従事者は、

・医師

・看護師

 等に限られているが、司は普段、皐月の下で働いている為、玄人の医療従事者並には打てる。

「こう見えて、私、強いんですよ?」

 チラリと舌を出す司。

 妖艶だが、その光の無い瞳は狂暴なヤンデレ性を秘めていた。

「「「……」」」

 余りにも気が強過ぎるその性格に、兵士達の間で「あの母子はヤバい」という噂が急速に広がるのであった。


 首相官邸では幕僚長・村上が首相の伊藤に9㎜拳銃を向けていた。

「首相、降伏勧告を発表して下さい」

「民主主義を否定するのか?」

「私も民主主義者です。然し、アメリカ製の民主主義は好みません。3S政策で我が国は、堕落してしまいました」

 3S政策は、戦後、日本に行われた愚民政策とされている。

 陽明学者・安岡正篤は、以下のように非難している。

 ———

『日本を全く骨抜きにするこの3R・5D・3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいは、これに乗じて野心家が輩出してきた。

 日教組というものがその代表的なものであります。

 その他、悪質な労働組合、それから言論機関の頽廃、こういったものは皆、この政策から生まれた訳であります』(*2)

 ———

 3R、5D、3Sとはそれぞれ、

・3R

復讐Revenge

改組Reform

復活Revive

・5D

武装解除Disarmament

軍国主義排除Demilitarization

工業生産力破壊Disindustrialization

中心勢力解体Decentralization

民主化Democratization

・3S

①スクリーン《Screen》

②スポーツ《Sport》

③セックス《Sex》

 のことである。

 これを安岡は、GHQのガーディナー参事官(フルネーム未詳)から直接話を聞いているという(*2)。

 GHQ側の資料が無い為、その詳細は分からないが、戦後日本は、野球等の娯楽が隆盛を極め、その反対に国民の政治への関心は薄まり、国政選挙でも投票率の低さが表れている。

 GHQがこのような戦略を打ち出したのは、占領政策を有利に進める為でもあるだろうが、

・宮城事件(1945年8月14~15日)

・厚木航空隊事件(1945年8月15日)

・愛宕山事件(1945年8月15日)

・松江騒擾事件(1945年8月24日)=皇国義勇軍事件、島根県庁焼き討ち事件

・川口放送所占拠事件(1945年8月24日)

 と、終戦直後、降伏反対派の軍人や右翼団体が、終戦を覆す為に武力行使を選んだ。

 これらは全て未遂に終わったが、占領政策次第では全国的に波及してもおかしくはない。

 又、ソ連脅威論や中国の共産化で東アジアに共産化の波が近付いていた。

 GHQ内部でも容共派であるGS民政局が中心であった。

 それまで非合法政党であった共産党を合法化する等、日本の民主化に貢献したGSだが、その結果、国内各地で労働者による暴動が多発し、日本の共産化を恐れたGHQの中心は、GSから反共主義を掲げるG2参謀第2部に代わり。赤狩りレッド・パージを主導。

 この結果、共産主義は抑え込まれる形となった。

 これらの経緯からGHQは、3S政策の下、国民から政治的関心を奪ったのであろう。

「首相、貴方は私と同じ独立派だ。だったら、手を組んで、米帝を追い出すのが筋ではないか?」

「はは」

 伊藤は、嘲笑う。

「何がおかしい?」

「俺は、国民から選ばれた首相だ。民主主義を国是としている以上、テロには屈しないよ」

「何だと?」

 9㎜拳銃を向けるも、伊藤は払いのける。

 思いっ切り、張り手で突き飛ばす。

「ぐわ!」

 村上は壁に突き刺さるようにして、打ち付けられた。

「「「!」」」

 兵士達が慌てて銃口を向ける。

 然し、撃てない。

 髷を落としたとはいえ、伊藤は、元力士。

 然も、角界最上位の横綱に居た男だ。

 長らく稽古はしてはいないとはいえ、その巨漢から繰り出される張り手の威力は凄まじい。

 戦前から戦後にかけて、角界にて活躍した力士・玉乃海太三郎(1923~1987)は、以下のような逸話を持つ。

 ———

『【①憲兵との大喧嘩】

 幕下時代の昭和15(1940)年の上海巡業時。

 酒と食事を振舞われた後に宿舎に帰ろうと黄包車(ワンポーツ、タクシーのようなもの)を止めたが酔っ払っていたことを理由に乗車拒否される。

 酒癖の悪い玉乃海は怒って運転手を引きずり降ろし喧嘩を開始。

 そこへ憲兵数名が駆けつけるが悪いことに彼等も酒を飲んでいた。

 いきなり軍刀の鞘で殴られて激怒した玉之海はその憲兵全員を叩きのめしてしまう(*3)。

 憲兵に暴力を振るいしかも倒してしまった所へ、今度は素面の憲兵が駆けつけて拳銃を抜く。

 この為、あわや殺されるかという所だったが、当時、大関の羽黒山と師匠・玉錦亡き後に二所ノ関を継いだ玉ノ海が懸命に詫びを入れどうにか許された。

 又、当時は大日本相撲協会の理事に、予備陸軍大将が就いていたことも玉乃海に有利に働いた。

 その代わり協会から破門することが条件とされてしまった。

 流石に逆らえず除名となった(*4)』(*5)

『【②ヤクザとの喧嘩】

 第52代横綱が新弟子の頃に、早朝の朝稽古に向かう際、玉乃海が部屋の前にあるおでんの屋台の前でヤクザ4人を正座させ説教をしていた。

 横綱が事情を聞くと、玉乃海がヤクザ達から「肩が触れた」と因縁をつけられ、

「天皇陛下から下賜された優勝賜杯を抱いたこの肩に、気安く触れるとは何事だ」

 と逆にヤクザを叩きのめして説教をしていたという』(*5)

 ———

 力士というのは、太っていて、動き難いという偏見がある場合があるが、実際には、筋肉の鎧だ。

 本気を出せば、素人を殴殺するくらい、簡単だろう。

 玉乃海は全盛期、181cm120㎏(*4)もの恵まれた体格ではあったが、それでも最高位は、東関脇。

 対して、伊藤は、2m100㎏と玉乃海よりも軽量ではあるが、長身だ。

 それに最高位が横綱なので、徒手格闘だけなら兵士よりも強い可能性は十分にある。

 他の閣僚は、全員、拘束されているのだが、伊藤だけ、自由に動けるのは、このような経歴と実力、そして風格が理由であった。

「小僧共、撃ってみろ。その首圧し折ってやる」

 とても首相のいう言葉ではない。

 が、兵士達は、士気を削がれ、撤退するのであった。

 

[参考文献・出典]

 *1:コトバンク 一部改定

 *2:安岡正篤 『運命を創る―人間学講話』 プレジデント社 1985年

    一部改定

 *3:北の富士勝昭 嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』

    新講舎 2016年

 *4:ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』

 *5:ウィキペディア 一部改定

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