第149話 Eye of the Ren

「……!」

 ヤル気に満ち満ちたシーラは、体操着で廊下を雑巾がけ。

 往復し、拭き残しが無いか再確認するほどの徹底ぶりだ。

「たっ君、シーラに何か言った?」

「何も?」

「そう? でも、別人みたい」

 あの助言のことは、煉は、すっかり忘れていた。

 今日は、2022年2月19日(土曜日)。

 朝から首相の伊藤が、会見を開いていた。

『今回の国民投票は、4月17日に決まりました。今回の総選挙については、

・9条

・24条

 について、国民の皆様の是非を問いたいと思います』

 テロップで説明が入る。

 ———

『【日本国憲法第9条】

 ①

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 ②

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』(*1)

『【日本国憲法第24条】

 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない』(*1)

 ———

 昭和21(1946)10月29日に成立し、同年11月3日に公布され、翌年5月3日に施行されて以降、一度たりとも改憲されなかったが、憲法が、遂に国民投票にまで来たのだ。

 事前の世論調査では、70%が改憲に賛成している。

 残り20%が分からない、最後の10%が反対派だ。

 20%というのは、世論調査時点で迷っている人達である。

 然し、彼等が反対に回っても結局、改憲派が過半数を超えている為、現時点では、改憲される可能性が十分に高い。

 問題は、反対派の過激派が暴れる事だ。

 昭和から平成初期にかけて、極左過激派が暴れ回った以上、公安もピリピリしている。

 直近では、チェチェン人テロリストが、新幹線を大爆破し、国内の交通網を断絶させ、経済を大混乱に陥らせた例もある。

 公安が、何時も以上にピリピリするのは、仕方ない事だろう。

「たっ君は、投票するんだよね?」

「勿論」

 9条と24条が改憲出来なければ、《貴族》の表立っての活動はし辛いし、何より、正妻は司のみで、後は全員、事実婚に留まり、正妻としての権利を得られない。

 仕事上、又はプライベートでも、改憲しなければならないのだ。

「パパ、大統領選挙並の盛り上がりだね?」

「そうだな」

 現行憲法になって以降、初めての国民投票なので、当然、国民の関心は高い。

 令和2(2020)年、令和3(2021)年と2年連続、新型ウィルスでステイホームが続いていた分、政治不信が大きく、改憲を機に日本を変えよう、という意思の表れだろうか。

 国内各地では、憲法に関する討論会が行われ、盛んに議論が交わされている。

 一部の国々では、意見が合わないだけで生放送中に殴り合いや乱闘国会が当たり前だというのに。

 これこそ、戦後、日本が保ち続けた平和の象徴的場面だろう。

「師匠、私の仕事は?」

「雑巾がけ」

「? シーラがしていますが?」

「争え。優秀な方を正式な秘書官にする」

「! そんな!」

 正式な秘書官と思っていたスヴェンは、分かり易い様にショックを受ける。

「今は2人共、見習い。んで、良い方を正式に秘書官とする」

「じゃあ、悪い方は?」

「秘書官助手。秘書官を助ける。意味、分かるよな?」

「……はい」

 察したスヴェンは、日の丸鉢巻きを装着し、雑巾がけを始める。

 2人の視線がぶつかった。

「若いねぇ~」

 その様子に感心する皐月であった。


 最近、ナタリーがおかしい。

 というのも、勝手に訓練場に来ては、サンドバッグを殴打しているのだ。

 然も、殴打する場所には、決まって俺の顔写真が貼られている。

 相当、ストレスが溜まっているのだろう。

 ラッシュが一段落ついた所、俺は、スポーツドリンクを持って近付く。

「御疲れ様」

『! あ、有難う』

 まさか、俺に見られていたとは、気付かなったようで、俺を見るなり、真っ赤になって、顔を背ける。

 然し、スポーツドリンクは忘れない。

 俺の手から奪い取り、一気飲み。

「おいおい、せるぞ?」

『ごぼ』

 言った傍からこれだ。

 思いっ切り、吹き出しては、激しく咳をする。

 俺は、その背中を優しく擦る。

『(何で優しいのよ、馬鹿)』

「ん?」

煩いラウト

「ぐえ」

 思いっ切り、アッパーを食らう。

 吹っ飛ばされ、尻餅をつく。

「教官!」

 ライカが叫んだ後、親衛隊が、ナタリーを取り囲む。

 その手には、M16が。

 射殺も問わず、という強い姿勢が伺い知れる。

 ライカに鼻血を拭き取られつつ、俺は、立ち上がった。

「撃つなよ。貴重な情報将校なんだから」

「然し―――」

「撃つな。命令だ」

「「「……は」」」

 不承不承に親衛隊は、包囲網を解く。

『……ふん』

 不満げにナタリーは、出て行く。

「教官、良いんですか? 立派な傷害罪ですよ?」

「良いんだよ。あれで強くなるなら、安いもんだ」

「え?」

「情報将校でも、自分の身くらい、自分で守って欲しい」

「まぁ、そうですが……」

「皆に厳命しろ。『ナタリーには、手を出すな』と」

「……は」

 先程の親衛隊同様、ライカは嫌々、頷くのであった。


 部屋に帰った私は、ベッドに倒れ込む。

 そして、枕に顔を埋めた。

 大きな溜息。

 自己嫌悪半端無い。

 鍛えれば、少しは興味を持ってくれるかと思ったが、感心するくらいで、全然だ。

 勿論、褒めてくれるのは、嬉しい。

 だけども、褒められると、どう対応して良いか分からなくなってしまうのが、本当の所である。

 それに、シーラが気になる。

 何かあった事が分かり易いほど、やる気の入れ様が違う。

 例えは悪いが、筋肉増強剤で強化された選手のようだ。

『……』

 私は顔だけ上げ、林檎のマークで御馴染みのタブレット型コンピュータを用意する。

 非合法イリーガルで且つ、軍規違反なのは、重々承知だが、気になった以上、このを解消するには、ハッキングしかない。

 キーボードを打ち鳴らし、世界トップクラスのハッキング対策を潜り抜け、シーラの日記に接続アクセスを果たす。

 その間、僅か1分足らず。

C4SC自衛隊指揮通信システム隊

USCYBERCOM米国サイバー軍

 等、多くの政府系機関から勧誘スカウトが来るほどの腕前である彼女からすると、このくらい、朝飯前だ。

 早速、日記を複写コピーし、侵入ハッキングした痕跡を消し、逃亡。

 本当は煉の情報も盗みたい所だが、生憎、彼は、完璧プロフェッショナルだ。

 サイバー空間に滅多に証拠を残さない。

 残したとしても、トランシルバニア王国の防諜機関が、消去する為、見付け出すのは、ほぼ不可能なのだ。

 世間的に言えば、北欧の電子国家(電子政府)と言えばエストニアが有名だが、トランシルバニアもエストニアに倣い、電子国家化に努めている。

 その為、ハッキング対策の力の入れ具合は強く、煉の醜聞スキャンダルを報道機関は勿論、凄腕のハッカーでさえ入手する事は、中々難しい。

 中には、ダミーもあり、それに触れれば、逆にハッカー自身が危うくなる可能性が高い。

 ヘンリー・ダーガー(1892~1973)の『非現実の王国で』並に長編な日記の中から直近の目ぼしい物を探す。

 数十分、睨めっこした後、見付けた。

 ———

『題名;【優しい師匠】

 日付:2022年2月15日火曜日

 天気:曇り

 昨晩、師匠と長らく御話させて頂きました。

 私の希望を師匠は、釈迦のような柔和な御顔で聞いて下り、最後は、叶いました。

 師匠は、常に部下に寄り添って下さり、滅多に怒りません。

 それに私は、頭頂部まで浸かってしまい、微温湯体質で師匠に甘えてばかりいました。

 然し、昨晩の面談で、私は、それを断つことに決めました。

 今のままでも良いでしょうが、人間的に成長出来ましせん。

 私は、心の底から師匠に慕っています。

 師匠が亡くなられても後追い自殺を覚悟しているほどです。

 師匠は、私の死を御望みではないでしょうが、私は、師匠が居ない世界など、生きる意味が見付けられません。

 何度でもここでなら言えます。

 師匠が大好きです。

 出来る事なら、御寵愛を1番に受けたいです。

 スヴェンさん、ナタリーさんには、絶対負けたくないです。

 いずれは、本妻を勝ち取ります』

 ———

 断言しているのは、それだけ自信家になっている事だろう。

 女性陣の中で2人のみ実名で出たのは、面談の中で2人が話題になったのだろうか。

 煉が引き合いに出すのは、考え難い。

 なので、シーラが2人を態々わざわざ出して、直談判したのかもしれない。

 内容と煉の反応が書かれていない為、何も分からないのが、実情だが、名前を出された以上、宣戦布告と受け取っても良いだろう。

シュヴァインめ』

 私は、歯軋りをし、憎む。

 煉の前で素直になれないが、私も又、彼が大好きだ。

 宣戦布告された以上、無視は出来ない。

 私はベッドから起き上がり、シャドーボクシングを始める。

 最近、始めたばかりだが、腕が上達しているような気がする。

(絶対に、譲らない!)

 その目は、レンのそれであった。


[参考文献・出典]

 *1:e-Gov法令検索

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