第116話 White émigré

 ロマノフ家の末裔であるエレーナは、俺を知っていた。

「貴方が噂のブラートね」

 思わずロシア語が出るのは、出自を大切にしているのだろうか。

 俺達が居るのは、エレーナが予約した面談室。

 日頃は、進路にまつわる相談等で使用されている。

「何用?」

「会長から頼まれたんだよ。『監視しろ』って」

「? お姉様スタールシャヤ スィストラが?」

「お姉様?」

 俺が聞き返すと、エレーナは驚いた。

「貴方、ロシア語、分かるの?」

「少しくらいな」

 頷く俺は、両手に花。

 後ろには、愛人だ。

 膝をシャロンとシーラが占拠。

 背後は、スヴェンといった何時もの布陣である。

「それで、実の娘に義妹に愛人? ―――あ、今は、娘じゃなくて恋人?」

「!」

「お姉様から聞いた。貴方の事は、先生ウチーチリと言った方が良い?」

「……」

 中野学校には居なかった筈だが、それも会長が話したのかもしれない。

「それ程、聡明なら自分の身くらい自分で守れるのでは?」

 もっともなスヴェンな意見だ。

 俺もそう思う。

「無理よ」

「何故?」

「その……言えないわ」

 個人的な事らしい。

(そう言うことか)

 察した俺は、3人に告げる。

「部屋の外で待っていてくれ。2人で話したい」

 だった為か、3人は快諾した。

「了解」

「了解です。師匠」

「……」

 3人が出て行った後、俺は向き直った。

「それで、よくその目で軍人になれたな?」

「!」

 エレーナは、10歩後退る。

「な、何故、それを?」

 報告書には、そんな事一つも書かれていなかった。

 身体に関する事は人権に関わり易い為、敢えて記載していなかったのか。

 それとも、エレーナが隠していたのかがは分からない。

 この反応を見ると、後者っぽいが。

「……如何して?」

「見りゃあ分かるよ。前世で傷痍軍人を沢山見て来たからな。それと、今の実家が病院だから、隠してても分かるよ」

「……」

 降参、とばかりにエレーナは、両手を上げた。

 俺は、その目をじっと見る。

「5%くらいか。見えているのは」

「……正解」

 逆に言えば、95%は見えていない、という事だ。

「生活に苦労は?」

「無いわ。視覚以外は、常人以上だもの」

「凄いな」

 あるスリランカ系ドイツ人は15歳の頃、眼病を患い、実に視力の95%を失った。

 それでもめげずに高校卒業後、ホテルマンになった。

 その半生は2017年にドイツで映画化され、翌年、日本でも公開された。

 彼並に彼女も相当、努力したのだろう。

 弱視で軍人(正確には、予備兵だが)とは、俺の知る限り、聞いた事が無い。

 話を聞く限り、軍医や上官、同僚等も騙している様だ。

「それで……情報提供者ディープ・スロートになるの?」

「マーク・フェルトになる気は無いよ」

 俺は、窓を見た。

「自衛隊の事は、自衛隊だよ。俺には、関係無い」

「……」

 エレーナの実家の事を考えれば、強請る材料にもなる。

 だが、俺は、お金に困っていないし、そんな下卑た人格でも無い。

「それよりも、実家は、大丈夫なのか?」

「実家?」

「ほら、帝位を巡ってごたついているだろ?」

「あー……」

 ロマノフ家の帝位請求者は沢山居る。

 歴史的には、ニコライ2世の従弟であるキリル・ウラジーミロヴィチ(1876~1938)などだ。

 ただ、現実的にロシアが王政復古する可能性は低い。

 王政を否定するソ連によって王党派や白軍は徹底的に弾圧され、その継承国であるロシアも王政復古に対しては、積極的な動きを見せていないからだ。

 国民レベルでも意識が低いと思われる。

 革命から100年以上経ち、帝国時代を知らない国民は、今更王政復古になっても、その変化に戸惑うだろう。

 エレーナの家が積極的に帝位請求活動を行わないのは、ロシアに気を遣っているのだろう。

「帝位になると、面倒だからね。私達家族は今の平民のままで十分よ」

「……だな」

 王族は地位はあれど、自由が無い。

「オリビア様は、自由なの?」

「ん? そうだな。気になるのか?」

「まぁね」

 エレーナは、俺の横に立つ。

「それで私をどう保護してくれるの?」

「取り敢えず、一緒に居るよ」

「あら、忙しい癖に優しいのね?」 

「仕事だからな」

 公安からの業務委託だ。

 きっちり報酬は、貰わないといけない。

 それと、危険な芽は摘む必要がある。

 薄ら笑いを浮かべる俺を、エレーナはドン引きするのであった。


 眼病という事なので、俺は、一応、実家に連れて行く。

「本当ね……」

 皐月は、驚いていた。

 視力検査をした所、本当に95%もの視力を失っていたのだ。

「如何だった?」

「天才よ」

 皐月は、首を振った。

 今まで見た事が無い、という感じだ。

 司も初めての症例な様で、診断書を凝視している。

「仕事には、支障が無い?」

「ええ……」

「じゃあ、帰るわ」

 もう外は薄暗い。

 司が俺を見た。

 帰すな、と。

「エレーナ、今日は泊まっていけ」

「え?」

「実家には、俺の方から伝えとく―――あ、実家にもソルジャーは、回しているからな」

「! 早いわね?」

「仕事だからな。じゃあ、司、後は頼んだ」

「分かったわ」

 キスし、俺は出て行く。


「……」

「案外、良い男でしょ?」

 皐月が微笑む。

「……まぁ」

 司は医務室のベッドを綺麗にしつつ、

「たっ君は、ね。鼻毛なのよ?」

「はい?」

「鼻毛。女に甘い、って事よ」

 鼻歌混じりに続ける。

「……」

「あの娘はね。煉にぞっこんなの。私もだけど」

 先程までのクールな雰囲気は一転。

 穏やかな雰囲気となる。

「……母娘揃って、あの男を?」

「そうよ」

「そうだよ」

「……」

 私は、ドン引きした。

 母娘丼とは、二次元の世界だけと思っていたのだが、まさか実際にあるとは。

「……? あの人、奥さんも婚約者も愛人も高級娼婦も居るでしょう? それなのに?」

 それぞれ、

 奥さん→オリビア

 婚約者→シャロン

 愛人 →スヴェン

 高級娼婦は、言わずもがな、シャルロットの事だ。

「複婚制が合法化されるからね。問題無いよ。ねぇ?」

「うん。たっ君は、モテるから仕方ないね」

「貴女、正妻でしょ? 嫉妬心は無いの?」

「昔はあったよ。でも、正妻だし、寛大でなきゃ。オリビアちゃんも優しいし」

「……」

 母娘が同じ男性を愛する。

 エレーナには、理解が及ばない。

 唖然としていると、

「只今ですわ」

「只今です」

 オリビア、ライカが帰宅した。

 2人も又、其々、煉の妻と愛人だ。

 ライカと言い、スヴェンと言い、ボーイッシュな見た目が好みなのかもしれない。

 オリビアは、皐月にテストの結果を見せた。

「満点ですわ」

「おお、偉い偉い」

「えへへへへ♡」

 皐月に頭を撫でられ、オリビアは微笑む。

 これ程、良好な義理の母娘関係は見た事が無い。

 オリビアは、幼くして母を失った為、皐月を本当の母親の様に慕っているのだろう。

「今日の煉は如何だった?」

「授業で転寝していましたわ」

「そう……疲れているのかな。司」

「うん。今晩、休ませる」

 ライカが挙手した。

「今晩、私がマッサージします」

「分かったわ。司、オリビア、如何?」

「良いよ」

「良いですわよ」

「じゃあ、ライカちゃん御願いね?」

「は!」

 ライカの元気な返事に私は、珍しく震えるのであった。


 一通り家事を済ませた俺は、ベッドに倒れ込む。

 シャロン、スヴェン、シーラに一部、助けてもらったとはいえ、有事でも無いのに働き過ぎた。

 シャルロットが背中に跨って俺の肩を揉む。

「御疲れ様」

「有難う」

 シャルロットは、学校に行かない代わりに院内学級で勉強し、俺が帰宅後は、俺の部屋で過ごしている。

 自殺防止の為に、薬品庫や武器庫への立入は禁止されているが、私権制限は、極力したくないのが、皐月の方針だ。

 又、ストレスが溜まる可能性もある為、基本的に立入禁止以外の場所は、自由行動だ。

「働き過ぎよ」

「そうだな」

「明日は、休んだ方が良いんじゃない?」

「かもな。検討するよ」

 スヴェンは、足を揉んでいた。

「師匠、どうですか?」

「気持ち良いよ」

「じゃあ、失礼します」

 俺の前に回り込み、俺にキスする。

「んだよ?」

「キスには、リラックス効果があるんですよ」

「初耳だな」

 まぁ、性犯罪じゃない限り、キスは大概、快感なものだ。

 シャルロットも対抗心からなのか、遅れて行う。

 正妻や婚約者が居るにも関わらず、愛人2人とベッドでイチャイチャ。

 部外者が見れば、俺は糞野郎だろう。

「……」

 体力の限界が近付いた俺は、転寝し出す。

 2人は、俺の体を触り、時にはキスをするも、声を出す事はない。

狂いそうな程愛してるジュ テ-ム・ア・ラ・フォリ

私はこれ以上無い程に貴方を愛しているイヒ・コンテ・ディヒ・ニヒト・メア リーベン

 2人は、俺の腕を枕にし、同衾するのであった。

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